第6話 ばれたのは、そっち
――帝国暦三五〇年・春初め 帝国人民学校・地方分校――
昼の教室は、いつもより少しだけ騒がしかった。
椅子を動かす音。弁当を開く音。あちこちから聞こえる笑い声。
クロウは自分の席で、机の端に置いた箸を見た。
ほんの少し斜めになっている。
指先で直す。
これでいい。
「なあ、クロウ」
顔を上げると、ガイがクロウの机に手をついていた。
その後ろにはエド、ルーク、サムもいる。
昨日より少しだけ近い。
「昨日さ、町を散々歩いたんだけど」
「……うん」
「結局、何も分からなかった」
エドが疲れたように言った。
「なら、よかったんじゃない?」
「よくないだろ」
ガイがすぐに返してくる。
「最後に分かったの、お前が金髪で青い目だってことくらいだったぞ」
「……それは前から分かってたと思うけど」
「俺たちもそう思った」
サムが笑った。
「毎日見てるのに、昨日まで意識してなかったけどね」
何をしに町へ行ったんだろう。
そう思ったけれど、言わなかった。
「それでさ」
エドが少し声を落とした。
「昨日の見学の人、お前、知ってるって言ったよな?」
「……少し」
「それに、お前の家も森の方なんだろ?」
「うん」
「じゃあ、何か知ってるだろ」
ガイが身を乗り出してくる。
クロウは箸を見る。
もう斜めにはなっていない。
「……知らない」
「いや、知ってるって言ってたじゃん」
「少し知ってるだけ」
「だから、その少しを教えてくれよ」
「なんで?」
「気になるから」
即答だった。
困る。
昨日、町を歩き回っても何も分からなかったのなら、そのまま諦めればいいのに。
でも、ガイはそういうタイプじゃないらしい。
「名前は?」
「……言わない」
「どこに住んでる?」
「言わない」
「お前とどういう関係?」
「言わない」
「全部言わないじゃん」
「うん」
エドが吹き出した。
「これ、絶対何か知ってるだろ」
「最初からそう言ってる」
「でも教えてくれない」
「うん」
ガイがさらに何か言おうとした。
その時だった。
「お兄様ー!」
勢いよく教室の扉が開いた。
聞き慣れた声だった。
クロウは目を閉じたくなった。
「クロウ!」
軽い足音が近づいてくる。
黒猫を抱いたミアが、満面の笑みで教室に入ってきた。
教室の空気が一瞬で変わる。
「……誰?」
「かわいい」
「猫抱いてる」
あちこちから声が上がった。
ミアはまるで気にした様子もなく、まっすぐクロウのところへ来る。
「お兄様」
もう一度言った。
ガイがクロウを見る。
エドも見る。
ルークも。
サムも。
さっきまでとは違う意味で近い。
「……妹?」
ガイが言った。
クロウは少し考えた。
学校は家とは違う。
ここではクロウはただのクロウでいられる。
家のことまで全部持ち込む必要はない。
できれば、もう少しこのままでいたかった。
だから。
「……人違いじゃないかな?」
教室が静かになった。
ガイたちも黙った。
ミアも黙った。
黒猫だけがクロウを見ている。
「……へえ」
ミアの目が少し細くなった。
楽しそうだった。
よくない。
クロウは立ち上がり、ミアのそばへ寄る。
「あとで、ひとつ言うことを聞く」
小さな声で言った。
「なんでも?」
「できる範囲で」
「できる範囲って、ずるいね」
「今は、それで」
ミアはしばらくクロウを見る。
それから黒猫の背を一度撫でた。
「分かった」
素直すぎる。
それも少し不安だった。
ミアは教室の方へ向き直った。
「失礼しました」
きれいに頭を下げる。
「人違いでした」
「……え?」
エドが声を漏らした。
「でも、今お兄様って」
「間違えました」
ミアはにこりと笑った。
「ほんとに?」
ガイが聞く。
「はい」
迷いがない。
むしろ、クロウよりずっと堂々としている。
教室の何人かは納得していない顔をしていたけれど、それ以上追及する理由もない。
そのうち女子の一人がミアに近づいた。
「ねえ、名前なんていうの?」
「レーミアです」
「やっぱりかわいい」
「猫ちゃんもかわいいね」
別の子も近づいてくる。
「触ってもいい?」
ミアは黒猫を少し抱き直した。
「今はだめです」
「そっか」
「でも、また今度なら」
「また来るの?」
その言葉に、クロウの指が止まった。
ミアがちらりとこちらを見る。
笑っている。
「どうでしょう」
やっぱり楽しんでいる。
「……行くよ」
クロウはそう言って、ミアの横を通った。
「はい」
ミアもついてくる。
教室から出る。
これ以上ここにいさせると、余計なことを言いそうだった。
扉を閉める直前、ミアが足を止めた。
そして教室の方を振り返る。
「それじゃあ、またね」
そこで一度言葉を切った。
嫌な予感がした。
「お兄様」
扉が閉まった。
クロウはミアを見る。
ミアは笑っていた。
「……ミア」
「なに?」
「人違いって言ったよね」
「言ったよ」
「今、お兄様って言った」
「うん」
「……なんで?」
「いつもそう呼んでるから」
間違ってはいない。
でも、そういうことじゃない。
◇ ◇ ◇
教室では、閉まった扉をガイたちが見つめていた。
「……今、お兄様って言ったよな」
エドが最初に口を開いた。
「言った」
ルークが頷く。
「最初にも言ってた」
サムが続ける。
「二回言ったね」
「じゃあ、人違いじゃないじゃん」
ガイが言った。
誰も否定しない。
「妹か?」
「たぶん」
「クロウ、妹いたんだな」
「昨日、一言も言わなかったけど」
「聞いてないからじゃない?」
サムが言う。
「いや、でも俺たち昨日、あいつの家の辺りまで気にしてたんだぞ」
「だからって妹がいるかどうかまでは聞いてないだろ」
「それはそうだけど」
ガイは腕を組んだ。
「なんか隠してるな、あいつ」
「それはさっきから分かってる」
エドが笑う。
昨日は町を歩き回っても、見学に来た少女のことは何も分からなかった。
今日になって分かったのは、クロウに妹らしい少女がいること。
ただ、それが昨日の見学者とどうつながるのかは、やっぱり分からない。
「で、昨日の人は結局誰なんだ?」
エドが言う。
「それを聞いてたんだろ、俺たち」
ルークが答えた。
「ああ、そうだった」
ガイが扉を見る。
「戻ってきたら、もう一回聞こう」
「まだ聞くの?」
サムが少し呆れた。
「ここまで来たら気になるだろ」
教室に笑い声が戻った。
ただ、昨日より一つだけ。
クロウについて知りたいことが増えていた。
◇ ◇ ◇
廊下を歩きながら、クロウは隣のミアを見る。
黒猫を抱いたまま、ずいぶん機嫌がいい。
「楽しかった?」
「うん」
「……そう」
「お兄様、学校だとちょっと違うね」
足が少し止まった。
「何が?」
「家にいる時より、楽そう」
ミアは前を向いたまま言った。
クロウは返事をしなかった。
「学校、好きなんだ」
「……嫌いじゃない」
「ふうん」
ミアが笑う。
たぶん、もう気づかれた。
ここでは家ほど周りを気にしなくていいことも。
ここをできるだけ、そのままにしておきたかったことも。
「それで」
ミアがクロウを見る。
「ひとつ言うこと聞いてくれるんだよね?」
「……覚えてたんだ」
「もちろん」
「今じゃなくていい?」
「いいよ」
その返事が早すぎる。
少し怖い。
黒猫が腕の中で小さく鳴いた。
「にゃあ」
ミアは満足そうに猫の頭を撫でる。
「楽しみにしてるね、お兄様」
「……うん」
教室から、まだ笑い声が聞こえていた。
クロウは小さく息を吐く。
ばれたのは、昨日の見学者のことじゃない。
別のことだった。




