第5話 森の方のお屋敷
――帝国暦三五〇年・春初め 放課後――
校舎を出ても、まだ空は明るかった。
午後の光が白い校舎の壁に残り、校門から続く道には生徒たちが何人も歩いている。
帰る者。
寄り道をする者。
友達と立ち止まって話している者。
その中を、ガイたち四人も町の方へ歩いていた。
「なあ、今日の見学の人」
歩きながら、ガイが口を開いた。
「あの人、すごく綺麗だったよな」
「それは分かる」
エドがすぐに頷く。
鞄を肩へ掛け直しながら続けた。
「金髪で、青い目でさ。声もなんか普通と違ったし」
ルークは少し考えた。
「良い家の人なんじゃないか?」
「俺もそう思う」
サムが少し眉をひそめる。
「だからって、どうするんだよ」
「どうするってほどじゃないけど、気になるだろ」
ガイは道の端に落ちていた小石を軽く蹴った。
小石は二度跳ねて、草の中へ入る。
「ガイは気になると、ずっとそればっかりだからな」
「エドだって気になってただろ」
「まあ、少しは」
エドは否定しなかった。
四人はそんな話をしながら町へ向かった。
春の風が道沿いの草を同じ方向へ倒し、また戻していく。
別に、本気で誰かを探そうとしていたわけではない。
学校へ見学に来た少女が、どこの誰なのか。
それが少し気になっているだけだった。
少なくとも、この時は。
◇ ◇ ◇
町へ入ると、学校の周りとは音が変わった。
石畳を荷車の車輪が鳴らしている。
店先では客と店主が話し、通りを行く人が互いに道を譲っていた。
開け放された窓から布を叩く音が聞こえ、その向こうでは犬が一度だけ吠えた。
四人は人の流れを避けながら歩いた。
それでも、話題は変わらない。
「でも、あんな人、この辺で見たことないよな」
ガイが言う。
「俺はない」
「僕も」
サムも首を振った。
ちょうどパン屋の前を通った。
開いた扉から、焼きたてのパンの匂いが流れてくる。
店先では、店主が木箱から丸いパンを取り出して並べていた。
四人の会話を聞いたらしい。
「何の話だ?」
店主が顔を上げる。
「今日、学校に見学の人が来たんだよ」
エドが答える。
「金髪で、青い目の人」
「へえ」
店主は持っていたパンを棚へ置いた。
「この辺じゃ見ないなって話してたんだ」
店主は少し考えたあと、首を振った。
「俺は知らんな。そんな目立つ子がこの辺を歩いてたら、覚えてそうなもんだが」
「やっぱり町の人じゃないのかな」
「さあな」
店主は前掛けで手を拭った。
「身なりのいい子なら、一人でその辺を歩くことも少ないだろうし」
「そういうもの?」
「まあ、家にもよるだろうがな」
それだけ言うと、店主は次の客に呼ばれて仕事に戻った。
四人もまた歩き出す。
ガイだけが一度パン屋を振り返った。
「やっぱり良い家の子かな」
「学校へ見学に来るくらいだから、その可能性はありそうだ」
ルークが答える。
「でも、それだけじゃ何も分からない」
「まあな」
少し進んだところで、今度は花屋の前を通った。
店先には春の花が何種類も並んでいた。
白。
黄色。
薄い紫。
風が吹くと、小さな花びらが一斉に揺れる。
店主はその前で、何本かの花をまとめて紐を結んでいた。
「それにしても、あの髪は目立ったよな」
エドが言う。
「金色って、本当にあんな感じなんだな」
ガイが答える。
すると、店先で花を束ねていた店主が顔を上げた。
「金髪のお嬢さんの話?」
「聞こえてた?」
「少しね」
店主が笑った。
手は止めず、花の茎を揃えている。
「学校に来た人なんだけど、小柄で青い目だった」
「それだけじゃ分からないわねえ」
「やっぱり?」
「金髪の人がまったくいないわけじゃないもの」
ガイが少し肩を落とす。
「そっか」
店主は束ねた花を一度持ち上げ、長さを確かめた。
「ただ、森の方には大きなお屋敷がいくつかあるでしょう?」
「うん」
「そういうところの人かもしれないわね」
「森の方?」
ガイの顔が少し上がった。
「かもしれない、ってだけよ。私はその子を見たことがないもの」
店主は釘を刺すようにそう言って、花束を水桶へ戻した。
結局、はっきりしたことは分からなかった。
四人はまた歩き出す。
「森の方のお屋敷か」
エドが呟いた。
「あっちって、結構あるよな」
サムが言う。
「クロウの家も森の方じゃなかった?」
ガイの足が一瞬だけ緩む。
「たしかそうだったと思う」
ルークが頷いた。
「でも、それだけじゃ関係があるかどうかは分からない」
「そうだよな」
それで終わった。
毎日一緒にいる相手の名前が出たのに、四人ともそこで立ち止まるほどではなかった。
その時は、それ以上誰も気にしなかった。
◇ ◇ ◇
それからも四人は町を歩いた。
雑貨屋の前でも少し話した。
店先には桶や籠、紐、木べらなどが吊るされている。
通り沿いの別の店でも聞いてみた。
店の奥から出てきた老人にも聞いた。
荷物を積んでいた男にも聞いた。
けれど、返ってくる答えは似たようなものばかりだった。
「知らないな」
「見たことはないねえ」
「良い家のお嬢さんじゃないのか」
「森の方なら屋敷はいくつもあるからね」
それ以上のことは誰も知らない。
最初のうちは、知らないと言われるたびにガイは次の店を探していた。
角を曲がれば、また聞く。
店があれば、覗く。
誰か知っていそうな人がいれば足を止める。
エドも最初は面白がってついていた。
ルークは質問するたび、分かったことと分からないことを頭の中で整理しているらしい。
サムは途中から、店より帰り道の方を見る回数が増えていた。
歩いているうちに、最初は元気だったガイの足取りも少し重くなってきた。
「全然分からないな」
ようやくガイが言った。
「そもそも特徴が少なすぎるんだよ」
ルークが答える。
「金髪、青い目、小柄。それだけだろう?」
「でも、かなり目立つと思ったんだけどな」
「目立つことと、誰なのか分かることは別だろ」
「そうだけどさ」
エドも少し疲れたように息を吐いた。
近くの店先に置かれた樽へ一度目をやり、そのまま通り過ぎる。
「もう帰る?」
「俺もそれでいいと思う」
サムがすぐに頷く。
ガイは何も言わず、通りの先を見る。
まだ店はある。
まだ人もいる。
でも、さっきから答えはほとんど同じだった。
結局、町をかなり歩いたのに、分かったのは森の方に屋敷がいくつかあるということくらいだった。
それだって、見学に来た少女と関係があるかは分からない。
「くたびれただけだったな」
エドが言った。
「まだ終わってない」
ガイが答える。
「もう終わりでいいだろ」
「あと一人くらい――」
「その一人を何人続けるんだよ」
サムに言われ、ガイも黙った。
ルークが少し笑う。
「少なくとも、三人以上は聞いたな」
「数えてたのか?」
「途中までは」
「途中から数えるのやめたの?」
「意味がないと思った」
「それ先に言ってくれよ」
エドが笑った。
四人はようやく帰ることにした。
◇ ◇ ◇
夕方の光が少し傾き始めていた。
建物の影が石畳の上へ長く伸びている。
店じまいにはまだ早いが、朝や昼とは人の流れも少し変わっていた。
買い物を終えて家へ戻る人。
仕事帰りらしい人。
荷車を片づける人。
四人もその間を歩いていく。
散々歩いたあとだったので、最初より口数が減っていた。
「結局、何も分からなかったな」
エドが言った。
「だから言っただろ」
サムが答える。
「明日、クロウにでも聞けばいい」
ガイが足を止めかけた。
「最初からそうすればよかったんじゃないか?」
「今それ言うなよ」
少し嫌そうな顔をする。
「だって、同じ教室にいたんだから」
「今言うなって」
ガイは前を向いたまま歩き続けた。
その時だった。
近くを歩いていた年配の男が、四人の会話を聞いて足を止めた。
片手には小さな包みを提げている。
「お前たち、誰か探してるのか?」
ガイが振り返る。
「学校に見学に来た人なんだけど」
「ほう」
「金髪で、青い目で、小柄な人」
「森の方に住んでるかもしれないんだ」
男は少し考えた。
視線を通りの向こうへやる。
「森の方で、金髪に青い目か……」
四人は足を止めた。
さっきまで少し疲れていたガイの顔が、また上がる。
「知ってる?」
「いや、待てよ」
男は眉を寄せた。
「森の方の屋敷から、学校へ通ってる子がいただろう」
「学校へ?」
「ああ。金色の髪で、青い目の……」
男はしばらく考え込んだ。
四人も黙る。
エドまで少し身を乗り出していた。
「名前は……なんだったかな」
ガイたちは黙って待った。
男が指先で額を軽く叩く。
「たしか……クロウ。そうだ、クロウだったと思うぞ」
「……クロウ?」
ガイが聞き返した。
「それ、俺たちのクラスメイトなんだけど」
エドが言った。
「そうなのか?」
「ああ」
四人は顔を見合わせた。
そこで、ようやく思い出す。
「……そういえば」
ガイが言った。
「クロウも金髪だったな」
「青い目だ」
エドも続ける。
「森の方に住んでる」
サムまで言った。
ルークが一度頷いた。
「言われてみれば、全部当てはまってるな」
四人はしばらく黙った。
毎日同じ教室で見ている。
話もする。
朝も顔を合わせる。
なのに、誰も結びつけなかった。
「毎日見てるのに、全然思いつかなかった」
エドが笑った。
「いつも見てるからじゃない?」
サムが言った。
「クロウを見て、いちいち金髪だとか青い目だとか考えないし」
「……それもそうか」
ガイも納得しかける。
そのまま一歩進む。
でも、すぐに止まった。
「いや、待て」
「何?」
「俺たちが探してるのは女の子だぞ」
「……あ」
エドが止まった。
サムも瞬きをする。
ルークだけが少し遅れて男を見る。
「そうだった」
四人は年配の男を見る。
「そのクロウじゃなくて、女の子なんだ」
「女の子?」
「ああ」
男は少し考えたあと、首を横に振った。
「それなら知らんな」
「……」
しばらく誰も何も言わなかった。
さっきまで少し期待していた分だけ、沈黙が長い。
年配の男は、
「力になれなくて悪かったな」
と言って、そのまま歩いていった。
四人はその後ろ姿を見送る。
男の持った包みが、歩くたびに小さく揺れていた。
「……帰るか」
ガイが言った。
「うん」
今度は誰も反対しなかった。
少し歩く。
さっきまでの話を整理するように、しばらく誰も口を開かなかった。
やがてエドが言った。
「今日、一番ちゃんと分かったことって何だ?」
「何?」
「クロウが金髪で青い目だったこと」
「それは前から知ってただろ」
ガイが言う。
「知ってたけど忘れてた」
「毎日見てるのに?」
サムが笑った。
「お前も思いついてなかっただろ」
「まあね」
ルークが少し考えてから言う。
「それと、クロウの家が森の方にあることも確認できた」
「それも知ってた」
「そうだな」
また少し沈黙した。
夕方の風が通りを抜ける。
店先の布が揺れ、どこかで木の戸が閉まる音がした。
「……俺たち、今日何しに来たんだ?」
ガイが言った。
誰もすぐには答えなかった。
やがてサムが、
「散歩?」
と言った。
「長すぎるだろ」
エドが吹き出す。
ガイも少し笑った。
ルークまで口元を緩めた。
「もういい。明日クロウに聞く」
「最初からそうすれば――」
「それ以上言うな」
今度は四人とも笑った。
さっきまで重かった足取りが、少しだけ軽くなる。
夕方の町を、四人は並んで帰っていく。
店の灯りが一つずつ点き始めていた。
見学に来た少女が誰だったのか。
結局、それだけは最後まで分からなかった。




