第62話 見れば分かるらしい
――帝国暦三五〇年・夏終わり サザ子爵家邸――
夕食の席で、皇太子殿下がセフィリアとティナリアを見た。
「今日は何をしていた?」
「クロウにバイオリンを教えてもらいました!」
ティナリアがすぐに答えた。
「ほう」
皇太子殿下は嬉しそうにクロウを見る。
「それはよかったな」
「はい。それで、夕食のあとも教えてもらう予定です」
クロウはティナリアを見た。
「……聞いてない」
「でも、教えてくれますよね?」
「なんで?」
「クロウは私のことが好きですから」
「……」
どうしてそうなるんだろう。
皇太子殿下がティナリアを見た。
それからクロウを見る。
なぜか少し面白くなさそうな顔をしていた。
「ティナ」
セフィリアが妹を止める。
「いつの間にクロウ様と約束したのですか?」
「してません」
「していないのですか?」
「はい」
セフィリアが少し黙った。
「では、どうして予定になっているのですか?」
「見れば分かりますから」
「何がですか?」
「クロウのことです」
ティナリアは当然のようにクロウを指した。
「まだ教えたそうな顔をしてました」
クロウは自分の顔に触れた。
「……そんな顔してた?」
「してました」
「そうなのか、クロウ?」
皇太子殿下まで聞いてくる。
「分からない」
自分の顔なのに。
ティナリアには分かるらしい。
「クロウのことなら、見れば大体分かります」
ティナリアが自信満々に言った。
すると、エナ姉が顔を上げた。
「それなら、私も分かりますよ」
ティナリアがエナ姉を見る。
「レオエナ様も?」
「もちろんです」
「どうしてですか?」
エナ姉はクロウを見て、少し得意そうに微笑んだ。
「姉ですから。クロウが何を考えているかくらい、見れば大体分かります」
なぜか二人が張り合い始めた。
なんでエナ姉も対抗するんだろう。
「では、クロウが次に何をするか分かりますか?」
「分かりますよ」
ティナリアがクロウの前を見る。
「次はパンを食べます」
「では私は――」
エナ姉は少し考えた。
「飲み物を飲むと思います」
二人がクロウを見ている。
嫌な予感がした。
クロウは何もしなかった。
「……」
二人ともまだじっと見ている。
本当は、もう部屋に帰りたい。
「クロウ様……すみません」
セフィリアがまた頭を下げた。
「いいよ」
昼から何度謝られているんだろう。
セフィリアも大変そうだった。
ティナリアはまだクロウを見ている。
エナ姉も見ている。
どちらか一方だけにすると、もう一人が外れたことになる。
それは少し悪い気がした。
クロウは右手でパンを取った。
「あっ」
ティナリアが嬉しそうな声を出す。
同時に、左手で杯を持った。
今度はエナ姉の顔が明るくなった。
パンをひと口食べる。
続けて飲み物を飲んだ。
「ほら! やっぱりパンでした!」
「飲み物も飲みましたよ」
二人とも嬉しそうだった。
これなら、二人とも当たりでいい。
そう思ったところで、食卓から笑い声がいくつか上がった。
「ははははっ!」
兄様まで大笑いしている。
リトリーまで、クロウを見ながらかなり笑っていた。
「クロウは優しいわね」
リトリーが笑いながら言う。
クロウはリトリーを見る。
ちょっとくらい助けてくれてもいいのに、と思った。
笑っているだけじゃなくて、エナ姉を止めてほしい。
「リトリー、笑ってないで助けて」
クロウが言うと、リトリーは余計に笑った。
助ける気は全くないらしい。
「クロウ、モテモテで大変だな」
兄様まで、まだ笑っている。
クロウは小さく息を吐いた。
誰も助けてくれなかった。
「レオエナ様、私の方が先に当たりました」
「でも、飲み物も飲みましたよ?」
「パンが先です」
「ほとんど同時でしたよ」
まだやっている。
「ティナ」
セフィリアが妹を見る。
「クロウ様を困らせないでください」
「困ってますか?」
ティナリアがクロウを見る。
「……少し」
「ティナ」
「すみません」
今度はティナリアも少しだけ小さくなった。
その横でセフィリアがまたクロウに頭を下げる。
「クロウ様、申し訳ありません」
「セフィリア様も大変だね」
「え?」
「ずっと謝ってるから」
セフィリアは少し驚いたあと、首を横に振った。
「大変ではありません。妹ですから」
そう言ってティナリアを見る。
クロウもティナリアを見た。
それからエナ姉を見る。
エナ姉と目が合った。
なぜか、何でも分かりますよ、というような顔をされた。
クロウは少し考えた。
うちの姉は、セフィリアほど苦労していないと思う。
たぶん、いや間違いなく、苦労しているのはクロウの方だ。クロウだけに……。
◇ ◇ ◇
食事も終わりかけた頃、ティナリアがクロウを見る。
「それでクロウ、夕食のあとも教えてくださいね」
「まだ決まってない」
「教えてくれないんですか?」
黒みがかった茶色の髪の下で、ころころと表情の変わる元気な瞳が、期待するようにクロウを見ていた。
「……」
二人はもうすぐ帝都へ戻る。
それに、教えること自体が嫌なわけでもなかった。
「……少しなら」
「ほら!」
ティナリアの顔がすぐに明るくなった。
すぐにセフィリアを見る。
「やっぱり教えたかったんです!」
「そこまでは言ってない」
「でも教えてくれます」
「それはそうだけど」
皇太子殿下がこちらを見る。
「それなら私も――」
「父上は邪魔です」
「……」
皇太子殿下が止まった。
セフィリアも止まった。
「ティナ」
「何ですか?」
「それはさすがに言いすぎです」
「でも、父上が来たら――」
「本当にそう思っていたとしても、そのようなことを言ってはいけません」
「……はい」
セフィリアはすぐに皇太子殿下へ向き直った。
「父上、申し訳ありません」
「……いや」
皇太子殿下は少し俯いた。
「邪魔なのか……」
「父上」
「いや、分かっている」
そう言いながら、明らかに落ち込んでいた。
ティナリアも少し困った顔になる。
「父上、そんなに落ち込まなくても……」
「ティナ。今は何も言わない方がいいです」
「……はい」
セフィリアは本当に大変そうだった。
今度は父様の方を向く。
「ケイン様。もしよろしければ、夕食後に音楽室を使わせていただいてもよろしいでしょうか?」
「ああ。構わないよ」
「ありがとうございます」
場所まで決まった。
セフィリアがクロウを見る。
「クロウ様も、それで大丈夫ですか?」
「……うん」
クロウに聞かれた時には、夕食後にやることも、音楽室を使うことも決まっていた。
クロウの予定なのに。
ほとんどクロウ以外の人が決めている。
「では行きましょう!」
ティナリアが立ち上がる。
「ティナ、走らないでください」
「まだ走ってません」
「走ろうとしていました」
「どうして分かったんですか?」
「姉ですから」
ティナリアが黙った。
エナ姉が笑った。
今度はセフィリアが当てたらしい。
クロウも席を立つ。
そのまま、みんなで音楽室へ向かうことになった。
廊下へ出て少し歩いたところで、なんとなく胸のあたりが落ち着かなくなった。
まただ。
嫌な予感がする。
最近、こういう時は大体ろくなことがない。
なんとなく嫌だと思った時。
心が妙に乱れた時。
帰りたいと思った時。
そういう時だけ、だんだん当たるようになってきた。
クロウは前を歩いているティナリアを見た。
その隣にはセフィリアがいる。
後ろからはエナ姉たちの声が聞こえてくる。
嫌な力を身につけたものだ。
できれば、こんなものはいらなかった。




