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壊れかけのオルゴールと騒がしい家族たち  作者: 連句貢茶


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第55話 一番近い道かもしれません

――帝国暦三五〇年・夏中頃 サザ子爵家邸――


 セフィリアとティナリアは、『妖精のまどろみ』の箱を抱えてレオエナの部屋を訪れた。


 扉を叩くと、すぐに中から返事があった。


「どうぞ」


 ティナリアが扉を開ける。


「レオエナ様――」


 そのまま中へ入ろうとした妹の肩を、セフィリアは後ろから軽く押さえた。


 部屋にはレオエナだけではなかった。


 向かいの椅子に、リトリーも座っている。


 リトリーはテッドの婚約者で、サザ子爵家にもよく顔を出している女性だった。


「お話し中のところ、申し訳ありません」


 セフィリアが頭を下げる。


「もしよろしければ、少し私たちに付き合っていただけませんか?」


「私たちに?」


 レオエナが首を傾げた。


 ティナリアが抱えていた箱を前へ出す。


「『妖精のまどろみ』を持ってきました」


「あら、懐かしい」


 レオエナの青い瞳が楽しそうに細められる。


 淡い色の柔らかな服をまとった姿は、叔母であるエルナリアによく似ていた。


「いいわよ。リトリーも一緒にどう?」


「私は構わないわ」


 リトリーがセフィリアたちを見る。


「私まで入っていいの?」


「もちろんです」


 ティナリアが即答した。


 四人は小さな卓を囲んだ。


 伏せたカードを並べ、『妖精のまどろみ』を始める。


 最初に二枚めくったのはティナリアだった。


 一枚目は花の冠をかぶった妖精。


 二枚目は水の上に座った妖精。


「違いました」


「場所を覚えておきなさい、ティナ」


「覚えています」


 そう答えた直後、ティナリアはカードから顔を上げた。


「レオエナ様」


「なあに?」


「レオエナ様は、クロウがお好きなのですよね?」


 あまりにも唐突だった。


 レオエナは一度目を瞬いたあと、すぐに笑った。


「もちろんよ」


「では、クロウのことを教えてください」


「クロウのこと?」


「はい。できるだけたくさん」


 セフィリアは妹を見る。


 遊びに来たというより、やはり最初からこちらが目的だったらしい。


「ティナ。少しは順番を考えなさい」


「でも、そのために来たのですよね?」


「そうですけれど」


 否定できなかった。


 レオエナは面白そうに笑う。


「何が知りたいの?」


「クロウは、どういう人が好きなのですか?」


「どういう人……」


 レオエナはカードを一枚めくりながら考えた。


「難しいわね。クロウは、あまり人に構われるのが好きじゃないと思うわ」


 ティナリアの手が止まった。


「構われるのが嫌いなのですか?」


「たぶんね。一人で時計を触ったり、何か作ったりしている時が一番落ち着いているもの」


 ティナリアがゆっくりセフィリアを見る。


「お姉様」


「何ですか?」


「私は昨日、ずっとクロウについて歩いていました」


「そうですね」


「かなり構っていたということですか?」


「かなり構っていたと思います」


 ティナリアが肩を落とした。


「でも、私だってそんなに構っていないわよ」


 レオエナが言った。


「たまに抱きしめるくらいだもの」


 リトリーの口元が少し緩んだ。


 ティナリアは気づかずに尋ねる。


「クロウは嫌がらないのですか?」


「嫌がるのよ」


 レオエナは不満そうだった。


「たまにしか抱きしめないのに」


 今度はリトリーが堪えきれずに笑った。


「リトリー?」


「ごめんなさい」


 口元を押さえながら、まだ笑っている。


「でも、それは回数の問題じゃないと思うわ」


「どういうこと?」


「昨日も何かやったのでしょう?」


 セフィリアが反応した。


「昨日のことをご存じなのですか?」


「いいえ。でもレオエナの話を聞いていたら、何となく」


 リトリーが笑いながらレオエナを見る。


「今度は何をしたの?」


「何もしていないわよ」


 レオエナは少し困った顔をした。


「扉に少し触ったら壊れてしまっただけ」


「またやったの?」


 リトリーがさらに笑った。


「少し触っただけなのよ。本当に」


「少しではありませんでした」


 セフィリアは昨日見た光景を思い出す。


「あの扉は、そのまま倒れました」


「古かったのよ」


「鉄柵も曲げていました」


 ティナリアも付け加えた。


「あれも古かったの」


「飴みたいに曲がっていました」


「だから、傷んでいたのよ」


「そういう曲がり方ではなかったと思います」


 セフィリアが言うと、リトリーがまた笑った。


「本当に相変わらずなのね」


 ティナリアが首を傾げた。


「相変わらず?」


「昔からなのよ」


「昔にも何か壊したのですか?」


 レオエナが少し慌てる。


「リトリー。その話は今しなくてもいいでしょう?」


「私はテッドから聞いただけだけどね」


「聞いたのですか?」


 ティナリアが食いついた。


「ええ。でも、その話はあとにしましょうか」


「それより」


 ティナリアはすぐ本来の目的へ戻った。


「クロウは、抱きしめられるのが嫌いなのですか?」


「そういうわけではないと思うわ」


 リトリーが答えた。


「レオエナに抱きしめられるのは嫌がるけれど」


 レオエナの顔が固まった。


「……リトリー?」


 ティナリアも目を丸くする。


「では、レオエナ様に抱きしめられるのが嫌いなのですか?」


「あ、ごめんなさい。言い方が悪かったわ」


 リトリーは笑いを収めた。


「レオエナそのものが嫌という意味じゃないの。たぶん、力の問題よ」


「力?」


 ティナリアがレオエナを見る。


 セフィリアも納得した。


「昨日、扉を倒して鉄柵を曲げた腕で抱きしめられるのですから、クロウが嫌がるのは当然ではありませんか?」


「そんなに力は入れていないわよ」


「レオエナの『力を入れていない』は、普通の人とは少し違うと思うわ」


 リトリーが言った。


 レオエナは少し傷ついた顔をする。


「最近は本当に気をつけているのよ」


「そうなのですか?」


「ええ。前よりずっと力を入れないようにしているから、最近はそんなに嫌がられていないと思うわ」


「嫌われてはいないと思います」


 ティナリアが真面目に答えた。


「昨日、クロウはレオエナ様のことを好きで、大切だと言っていました」


 レオエナの表情が一瞬で明るくなった。


「本当に?」


「はい」


「そうでしょう?」


 先ほどまでの落ち込みが消えた。


「やっぱりクロウは私のことが好きなのよ」


 リトリーが再び笑い始めた。


「どうして笑うの?」


「そこは本当でしょうけれど」


 セフィリアには、まだ別の疑問があった。


「レオエナ様」


「なあに?」


「一つ、お聞きしてもよろしいですか?」


「ええ」


「どうして、それほどお力があるのですか?」


 セフィリアは騎士団長を目指している。


 昨日見たレオエナの力は、どう考えても尋常ではなかった。


「何か特別な鍛錬をなさっているのでしたら、ぜひ教えていただきたいです」


「鍛錬?」


 レオエナが首を傾げた。


「特に何もしていないわよ」


「何も?」


「ええ」


「では、昨日のあれは何だったのですか?」


「昨日は少し調子がよかったの」


 セフィリアは黙った。


「調子がよいと、扉が倒れて鉄柵が曲がるのですか?」


「調子がいい日は、いつもより力が出ることってあるでしょう?」


「……そうでしょうか」


 セフィリアには経験がなかった。


 隣でリトリーが首を振る。


「ちょっと話が違うと思うわ」


「でも本当に調子がよかったのよ」


「昔も似たようなことを言っていたらしいじゃない」


 ティナリアの目が輝いた。


「先ほどの話ですか?」


 レオエナがリトリーを見る。


「言わなくていいわよ」


「でも、もう気になっているみたいよ」


「以前にも何かあったのですか?」


 セフィリアも尋ねた。


 リトリーは少し考えたあと、口を開いた。


「私はその場にいなかったから、テッドから聞いた話だけれど」


「はい」


「昔、この辺りに怪しい男たちが現れたことがあったらしいの」


「怪しい男たち?」


「ええ。何をするつもりだったのかは分からないけれど、レオエナが追い払ったそうよ」


 ティナリアがレオエナを見る。


「どうやってですか?」


 レオエナは少し視線を逸らした。


「近くにあったものを使っただけよ」


「何を使ったのですか?」


「石柱」


「石柱?」


 セフィリアは聞き返した。


 リトリーが笑いながら続ける。


「庭にあった石柱を引き抜いて、それを振り回したそうよ」


「振り回した?」


 ティナリアの目がさらに大きくなる。


「ぶん回したわけじゃないわ」


 レオエナが訂正した。


「少し回しただけ」


「テッドからは、かなり振り回したように聞いたけれど」


「怪しい人たちがいたから仕方なかったの」


「その石柱は、どのくらいの大きさだったのですか?」


 セフィリアが尋ねる。


「私も聞いただけだけれど……」


 リトリーはセフィリアを見る。


「太さは、たぶんセフィリア様の腰回りよりもっと太かったそうよ」


「私の腰より?」


「ええ。長さも、ここの天井より高いくらいだったって」


 セフィリアは天井を見上げた。


 かなり高い。


「それを、引き抜いて?」


「ええ」


「持ち上げて?」


「そう聞いているわ」


「そして回したのですか?」


 レオエナが横から答える。


「少しだけよ」


 リトリーがため息まじりに笑った。


「そこは『少し』の問題じゃないのよ」


「でも、あの時も調子がよかったの」


「やっぱり調子がよいと力が出るのですね」


 ティナリアが納得しかける。


「ティナ。たぶん違います」


 セフィリアはすぐに止めた。


 どうやら騎士として参考にできる話ではなさそうだった。


 ティナリアはしばらくレオエナを見つめたあと、本来の話を思い出した。


「では、クロウは一人でいるのが好きなのですか?」


「そうね。一人でいるのは好きだと思うわ」


「では、誰のことも好きではないのですか?」


「そんなことないわ」


 レオエナは即答した。


「私のことは好きよ」


「好きだと言っていました」


「でしょう?」


 レオエナは嬉しそうに胸を張る。


「クロウだって、私と一緒にいたい時はあるもの」


 その瞬間。


「ふふっ」


 リトリーが吹き出した。


「何よ?」


「それは、また少し違うでしょう」


「違わないわよ」


「違うと思うわ」


 セフィリアとティナリアが同時にリトリーを見る。


「どういうことですか?」


「この家の人たちは、音楽が好きなのよ」


 リトリーはカードを一枚めくった。


「ケイン様がとても音楽がお好きでしょう? だから子供たちも、小さい頃からいろいろな楽器を教わっているの」


「皆さん、楽器を弾けるのですか?」


「ええ。エルナリア様は演奏なさらないけれど、それ以外は皆、楽器を弾くわ」


 レオエナも頷いた。


「父様が小さい頃から教えてくれたから」


「クロウもですか?」


「もちろん」


「それでね」


 リトリーが続ける。


「たまにクロウの方から、みんなで弾こうって言うことがあるのよ」


 レオエナが嬉しそうに頷いた。


「ほら。クロウから私と一緒にいたいって言うこともあるでしょう?」


「だから、それはレオエナと二人でいたいという意味ではないでしょう?」


「一緒にいることには変わらないわ」


「みんなで音楽をやりたいのよ」


 レオエナは少し考えた。


「……でも私もいるわ」


「いるわね」


「だったら一緒にいたいということよ」


「そういうことにしておきましょうか」


 リトリーは笑っていた。


 ティナリアは二人の会話を聞きながら、何かに気づいたようだった。


「では、クロウは一人でいるのが好きだけれど、同じことを一緒にするなら誰かといてもよいのですか?」


「そういうことだと思うわ」


 リトリーが頷いた。


「音楽なら、一緒に楽しめるから」


「時計や機械もそうよ」


 レオエナが言った。


「クロウは時計を直したり、機械を触ったりするのが大好きだから、そういうものが好きな人なら、すぐ仲良くなれると思うわ」


「それは知っています」


 セフィリアは昨日を思い出した。


 工具屋に入った時のクロウは、明らかに普段より機嫌がよかった。


 ティナリアも同じことを思い出したらしい。


「でも、時計を直すのは……」


「難しそうですね」


 セフィリアも正直に言った。


 二人とも昨日、工具や部品をいろいろ見た。


 けれど、それを見てクロウほど面白いとは思わなかった。


「では、楽器でしょうか」


 ティナリアが言った。


「楽器が弾ければ、クロウに好かれやすいですか?」


 リトリーが少し考える。


「一番の近道かどうかは分からないけれど、近いかもしれないわね」


 ティナリアの目が輝いた。


「レオエナ様は、何を弾かれるのですか?」


「私はバイオリンよ」


「バイオリン……」


 ティナリアは少し考える。


「どんな音なのですか?」


「聞いたことがないの?」


「ありません」


「なら、少しだけ弾きましょうか」


「いいのですか?」


「ええ」


 レオエナは立ち上がった。


 部屋に置かれていたバイオリンを手に取り、慣れた様子で構える。


 弓が弦へ触れた。


 柔らかな音が、部屋の中へ広がる。


 ほんの短い演奏だった。


 だが、ティナリアは途中からカードのことなど完全に忘れていた。


 音が止まる。


「……きれいです」


 ティナリアがぽつりと言った。


「こんな音がするのですね」


「相変わらず上手ね、レオエナ」


 リトリーが笑う。


「ありがとう」


 セフィリアはバイオリンを見る。


 自分は音楽について詳しくない。


 それでも分かる。


 今の演奏は、かなり上手かったのではないだろうか。


「レオエナ様は、かなりお上手なのではありませんか?」


「そうかしら?」


「私は詳しくありませんが、それでもそう思います」


 レオエナは少し嬉しそうに笑った。


「父様にずっと教えてもらっているから」


「レーミア様も弾かれるのですか?」


「ミアもバイオリンよ」


「レーミア様も?」


「ええ。でも、まだあまり上手じゃないの」


 レオエナは少し困ったように笑った。


「だからクロウは、ミアとはあまり一緒に弾きたがらないのよ」


「妹なのにですか?」


 ティナリアが驚く。


「クロウはその辺り、結構厳しいの。音が合わないと疲れるみたい」


「一緒に弾くなら、ある程度は上手じゃないと駄目みたいね」


 リトリーも苦笑する。


「では、楽器を始めるだけでは駄目なのですね」


 セフィリアが言った。


「そうね」


「でも、父様は教えるのが上手よ」


 レオエナが続けた。


「私たちも小さい頃から教えてもらったもの」


 ティナリアが少し考える。


「それなら……」


 何か言いかけて、止まった。


 そして別のことを尋ねる。


「皆さんで演奏すると、もっとすごいのですか?」


「ええ」


 レオエナは笑った。


「父様と、テッドと、クロウと私で合わせることがあるわ」


「四人で?」


「そうよ。たまにクロウの方からやろうって言う時もあるの」


 ティナリアは先ほど聞いたバイオリンの音を思い出した。


 あれだけでも、とても綺麗だった。


 そこにあと三人の音が重なる。


「……聞いてみたいです」


「皆さんで演奏しているところをですか?」


 セフィリアが聞く。


「はい」


 ティナリアは頷いた。


「クロウが自分から一緒にやりたいと言うくらい好きなものなら、一度聞いてみたいです」


 セフィリアも少し考えた。


「私も興味があります」


「それなら、まず父上にお願いしてみましょう」


「はい」


 ティナリアは嬉しそうに答えた。


 卓上には、『妖精のまどろみ』のカードがまだ半分以上伏せられている。


 クロウに好かれる方法を聞きに来たはずだった。


 けれど今は、クロウが好きだという音そのものを、一度聞いてみたくなっていた。

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