第54話 私もそれを知りたい
――帝国暦三五〇年・夏中頃 サザ子爵家邸――
朝食を終えたあと。
「父上、昨日、クロウに大変だと言われました」
ティナリアが訴えると、帝国皇太子カデリオンは一度目を瞬いた。
「大変?」
「はい。叔母様のことは大好きで、レオエナ様のことは好きで大切だと言ったのに、私のことは大変だと言ったのです」
「そのとおりではありませんか」
隣にいたセフィリアが静かに言った。
「お姉様まで」
ティナリアは不満そうに頬を膨らませる。
カデリオンは堪えきれずに笑った。
「でも、ティナリア。クロウがそう言ったのなら、本当にそう思っているのだろうな」
「やっぱり大変なのですね」
「ああ」
「嬉しくありません」
「だが、だからこそクロウの言葉は信用できる」
カデリオンは二人の娘を見る。
「お前たちが皇女だからといって、あの子は気を遣って言葉を変えたりしない。嫌なら嫌だと言うし、大変なら大変だと言う」
「やっぱりそこは大変なのですね」
「そこはもう諦めろ」
ティナリアはますます不満そうな顔をした。
「だが、逆も同じだ」
「逆?」
「クロウが誰かを好きだと言えば、本当に好きなのだろう。大切だと言えば、本当に大切なのだろう」
ティナリアは少し黙った。
「では……クロウに好きと言われたら、本当に好きということなのですね」
「ああ。私はそう思う」
ティナリアの表情が変わった。
「それなら、私も好きと言われたいです」
「私もだ」
カデリオンがすぐに答えた。
「父上もですか?」
「ああ。私だって、一度くらいクロウに『大好き』と言われてみたい」
そう言ってから、カデリオンは少し疲れたように息を吐いた。
「だが、あの子はいまだに私を『皇太子殿下』と呼ぶ」
「そうですね」
「おじ様と呼んでくれて構わないと何度も言っているのだがな」
「一度も呼んでいませんね」
セフィリアが淡々と言った。
「かなり距離があります」
「そこは少しくらい否定してくれないか?」
「事実ですから」
「そうか……」
カデリオンは少し肩を落とした。
そんな父親を見ていたティナリアが、ふと首を傾げる。
「でも、父上は皇太子なのですよね?」
「ああ」
「それなら、クロウに命令すればよいのではありませんか?」
「ティナ」
セフィリアがすぐに妹をたしなめた。
だが、カデリオンは怒らなかった。
むしろ少し考えてから、ティナリアを見る。
「ティナリア」
「はい」
「クロウが、私に命令されたからという理由だけで、素直に『好き』と言うと思うか?」
ティナリアは黙った。
少し考える。
「……言わないと思います」
「私もそう思う」
「父上の命令でもですか?」
「クロウだからな」
「そうですね」
あっさり納得した。
セフィリアも否定しなかった。
「それに、仮に無理に言わせたところで意味がない」
「意味がないのですか?」
「ああ。私が欲しいのは、命令されたクロウの『好き』ではない」
カデリオンは穏やかに言った。
「クロウ自身に、私を好きだと思ってもらいたいんだ」
「本当の好きが欲しいのですね」
「そういうことだ」
ティナリアは納得したように頷いた。
そして、しばらく父親を見ていたが、突然その顔が明るくなった。
「では父上」
「何だ?」
「競争しましょう」
「競争?」
「どちらが先に、クロウに好きと言ってもらえるかです」
カデリオンが目を瞬いた。
やがて、楽しそうに笑う。
「なるほど。それは面白い」
「父上」
セフィリアが呆れたように父を見る。
「娘と何を競おうとしているのですか」
「私にとっても重要な問題だ」
「重要なのですか?」
「かなり」
「私にも重要です」
ティナリアも真剣な顔で頷いた。
セフィリアは小さく息を吐いた。
「二人とも本気なのですね」
「ああ」
「はい」
カデリオンはティナリアを見る。
「ただし、命令して言わせるのは禁止だ」
「そもそも、クロウは言ってくれないのですよね?」
「おそらくな」
「では禁止にする意味はあるのですか?」
「念のためだ」
「分かりました」
「誰かに頼んで言わせるのも駄目だぞ。クロウ自身が本当にそう思って、好きだと言わなければ勝ちではない」
「はい」
ティナリアは力強く頷いた。
「私が先に言ってもらいます」
「私も負けるつもりはないぞ」
「クロウ本人は、この競争を知らないのですよね?」
セフィリアが尋ねる。
「もちろんだ」
「それでよいのでしょうか」
「知らせたら、本心で言ってもらえなくなるかもしれないだろう」
「そこだけはきちんと考えているのですね」
ティナリアはすでに勝負のことで頭がいっぱいになっていた。
だが、すぐに重要なことに気づく。
「父上」
「何だ?」
「そのためには、どうすればクロウに好かれるのですか?」
カデリオンは口を開いた。
そのまま、しばらく動かなかった。
「それは……私も知りたい」
「父上も分からないのですか?」
「分かっていれば、今も『皇太子殿下』とは呼ばれていないと思う」
「確かにそうですね」
「セフィリア。今日はずいぶん厳しいな」
「事実を申し上げているだけです」
カデリオンは腕を組んで考え込んだ。
「クロウはエルナリアとレオエナのことが好きなのだろう?」
「はい」
「ならば、ティナリアもあの二人に好かれれば、クロウにも好かれるかもしれない」
ティナリアの表情が明るくなった。
「叔母様とレオエナ様に好かれればよいのですね」
「ああ。二人に好かれている者なら、クロウも自然と好くようになるかもしれない」
「分かりました」
ティナリアは勢いよく立ち上がると、そのまま部屋を飛び出していった。
残されたセフィリアは、閉じられた扉を見つめた。
「父上」
「何だ?」
「父上は、なぜご自分で同じことをなさらないのですか?」
カデリオンの動きが止まる。
「叔母様とレオエナ様に好かれれば、父上もクロウに好かれるのでしょう?」
「それが簡単にできるのなら、私も苦労していない」
「では、ティナには難しいのではありませんか?」
「……そうかもしれないな」
「もう行ってしまいました」
「追いかけて見ていてくれないか?」
セフィリアは小さく息を吐いた。
「父上は、時々とても無責任なことを言いますね」
「すまない」
セフィリアも部屋を出ていった。
一人残されたカデリオンは、椅子の背にもたれる。
「……私も、二人に好かれる方法を知りたいのだが」
■
部屋を飛び出したティナリアに、セフィリアは廊下の途中でようやく追いついた。
「ティナ、待ちなさい」
呼び止められたティナリアが足を止め、振り返る。
「どうしたのですか、お姉様」
「叔母様に、いきなり失礼なことをしてはいけませんよ」
「分かっています」
「本当に分かっていますか?」
セフィリアが疑うように見つめると、ティナリアは少し考えてから尋ねた。
「では、レオエナ様ならよいのですか?」
「……叔母様のところへ何も考えずに行くよりは、まだよいと思いますが」
そう答えてから、セフィリアは大切なことに気づいた。
「そもそもティナは、レオエナ様にどうやって好かれるつもりなのですか?」
「どうすればよいと思いますか?」
「私に聞くのですか?」
「はい」
「まさか、何も考えずに向かっていたのですか?」
ティナリアは悪びれもせずに頷いた。
「とりあえず、行ってみようと思いました」
セフィリアは絶句した。
父の言葉を聞いた途端に飛び出していったので、何か考えがあるのかと思っていた。
本当に何も考えていなかったらしい。
「好かれたいのでしたら、まずは仲良くならなければいけないでしょう」
「どうすれば仲良くなれますか?」
「一緒に何かをしたり、同じ話題について話したりするのが普通ではありませんか」
「同じ話題……」
ティナリアは腕を組み、真剣な顔で考え始めた。
「レオエナ様のお好きなものについて話せばよいのでしょうか」
「そうですね。ですが、レオエナ様がお好きなものを、ティナは知っているのですか?」
再びティナリアが黙り込む。
しばらくして、ふと顔を上げた。
「クロウです」
「はい?」
「レオエナ様は、クロウがお好きなのではありませんか?」
セフィリアも少し考えた。
レオエナがクロウを可愛がっていることは、見ていればすぐに分かる。
ティナリアもクロウに強い関心を持っている。
「確かに、二人に共通する話題ではありますね」
「では、クロウの話をします」
「ただ話をするだけでは、少し不自然ではありませんか?」
「それなら、一緒に遊びながら話せばよいのです」
「何をして遊ぶのですか?」
「『妖精のまどろみ』はどうでしょう」
伏せたカードを順番にめくり、同じ妖精が描かれた二枚を見つける遊びだった。
組み合わせを見つけた者は、カードに描かれた妖精と同じポーズを一度だけ取らなければならない。
静かに遊べるうえ、話をしながらでも続けられる。
「それでしたら、よいかもしれませんね」
「では、持っていきます」
「今から取りに戻るのですか?」
「何も持たずにレオエナ様のお部屋へ行っても、また何をすればよいのか分からなくなります」
「そこには気づいたのですね」
二人はいったん自分たちの部屋へ戻った。
ティナリアが『妖精のまどろみ』のカードが入った箱を大切そうに抱える。
「これをしながら、クロウのお話をすればよいのですね」
「ええ。今度は、きちんと考えてからお話ししてください」
「考えました」
「半分ほどは私が考えた気がしますが」
ティナリアは聞こえなかったことにして、再び廊下へ出た。
「では、レオエナ様のところへ向かいましょう、お姉様」
「走ってはいけませんよ、ティナ」
二人は並んで、レオエナの部屋へと向かった。




