第53話 新しい目標ができました
――帝国暦三五〇年・夏中頃 サザ子爵家邸――
昼食を終えたあと、クロウは自分の部屋へ戻ろうとした。
帝都生まれだった。
祖父母が会いたがっているらしい。
将来の話を聞かれて、俺の鋼で丁稚をしたいと言った。
笑われた。
でも、完全には否定されなかった。
色々あった。
かなりあった。
だから少しだけ、一人になりたかった。
けれど、廊下を歩いていると、後ろから足音がついてくる。
シドだった。
クロウが振り返ると、シドは少しだけ眉を寄せた。
「なんだよ」
「ついてくるの?」
「護衛だからな」
「そう」
クロウはまた前を向いた。
護衛。
それは、まだ少し慣れない。
シドが後ろにいるのは、邪魔ではない。
ティナリアほど近くはないし、作業を見ながら質問を続けるわけでもない。
ただ、いる。
それだけでも少し気になる。
しばらく黙って歩いていたが、昼食の会話が頭に残っていた。
将来。
テッドは官僚になるための勉強をしている。
自分は俺の鋼で丁稚をしたいと言った。
では、シドはどうなのだろう。
「シド」
「あ?」
「シドは、なりたいものあるの?」
シドは少しだけ不思議そうにクロウを見た。
「急だな」
「昼食で、将来の話をしたから」
「ああ」
シドは少し考えたあと、すぐに答えた。
「俺は騎士になりたい」
「騎士」
「やっぱり、男は強さが大事だからな」
「そうなの?」
「そうだろ」
シドは当然のように言った。
クロウには、少し分からなかった。
強いことは大事かもしれない。
でも、男は強さが全て、というのは少し大きすぎる気がする。
ただ、シドにとってはそうなのだろう。
「どんな騎士になりたいの?」
「ずっと、騎士団の師団長に憧れてた」
「師団長」
「ああ。強くて、隊を率いて、誰よりも前に立つような人だ」
シドの声は、少しだけ熱くなった。
さっきまでより、言葉がまっすぐだった。
「だから、母さんと離れて、騎士団でずっと見習いとして頑張ってた。やっと見習いらしくなってきたところだったんだ」
「じゃあ、もう少しだったの?」
「まあな」
シドは少しだけ口を曲げた。
「でも、皇太子殿下の一行に同行する前に、騎士団の方には話してきた。退団するって」
クロウは足を止めた。
「退団?」
「ああ」
「どうして?」
「母上に、お前の護衛をするよう言われたからな」
シドは何でもないように言った。
でも、何でもないはずがなかった。
ずっと目指していた場所。
母と離れてまで頑張っていた場所。
やっと見習いらしくなってきた場所。
それを離れて、クロウの護衛になった。
クロウは少しだけ胸が重くなった。
「……ごめん」
「なんでお前がそんな顔するんだよ」
「だって」
「確かに、残念じゃないって言ったら嘘になる」
シドは廊下の窓へ少しだけ目を向けた。
「けど、こっちに来て、新しい目標も見つけた」
「目標?」
「ああ」
「何?」
シドは真顔で言った。
「レオエナ様だ」
クロウは止まった。
かなり止まった。
「エナ姉?」
「ああ。俺、あの人に憧れてるんだ」
クロウはシドを見た。
シドは本気だった。
かなり本気だった。
「シド、エナ姉が好きなの?」
「好きか嫌いかで言えば、そりゃ好きだろ」
「そう」
クロウは少しだけ考えた。
レオエナ。
金色の髪。
青い瞳。
明るい笑顔。
そして、扉を壊れていたことにし、鉄柵を腐っていたことにできる力。
シドはそこに憧れている。
ただ、好きと言った。
これは少し危ないかもしれない。
金色の天使を見守る会。
あそこに入る人たちも、だいたいこんな顔をする。
もしシドがあの会に入ったら、かなり面倒なことになる気がした。
護衛が、会員になる。
それは、たぶんよくない。
「シド」
「なんだよ」
「エナ姉を見守る会には入らない方がいい」
「なんだ、それ」
「学校にある」
「学校に何があるんだよ」
「金色の天使を見守る会」
シドは眉を寄せた。
「……なんだそれ」
「僕もそう思う」
「いや、お前、関係者みたいな顔してるぞ」
「少し関係ある」
「あるのかよ」
シドは呆れたように言った。
クロウは少しだけ目を逸らした。
ある。
かなりある。
ただ、今は説明したくない。
シドはため息をついたあと、少しだけ声を落とした。
「まあ、そういう変な会に入りたいわけじゃない。ただ、レオエナ様はすごいと思ったんだ」
「強いから?」
「強い。しかも、それを当たり前みたいにしてる」
「壊れてたって言う」
「あれもすごい」
「すごいの?」
「あれだけの力を見せておいて、扉が壊れていたで通すんだぞ。普通できない」
クロウは少しだけ考えた。
たぶん、そこは尊敬するところではない。
でもシドには響いたらしい。
「それに」
シドは少しだけ言いにくそうにした。
「こっちに来て、母上に初めて褒められた」
「プラムに?」
「母上だ」
「うん」
「旧館から無事に帰った時だ。怒られたけど、最後に少しだけ褒められた」
シドの声が、少しだけ柔らかくなった。
「母上は厳しい。だいたい殴られるし、だいたい怒られる」
「うん」
「でも、たまに褒められると……やっぱり嬉しいんだよ」
「そう」
クロウは頷いた。
少し分かる気がした。
母様に褒められると嬉しい。
父様に静かに認められると嬉しい。
テッドに絵を褒められた時も、少し嬉しかった。
それと似ているのかもしれない。
「俺、今までは父上と二人で過ごしてたんだ」
「そうなの?」
「ああ。母上とは、ずっと離れてた。だから、こっちに来て母上に怒られるのも、まあ……悪くない」
「怒られるのに?」
「怒られるのは嫌だ」
「うん」
「でも、こういうのもいいなって思ったんだ」
シドは少し照れくさそうに言った。
「だから、お前にも少し感謝してる」
「僕に?」
「お前の護衛にならなかったら、俺はこっちへ来なかったかもしれない。母ちゃんとも、こうやって関われなかったかもしれない」
クロウは黙った。
シドは騎士団を離れた。
それは残念なことだった。
けれど、その代わりに、母と過ごす時間ができた。
新しい目標も見つけた。
それが本当に良いことなのかは、まだ分からない。
でも、シド本人は少し前を向いている。
それなら、少しだけ安心してもいいのかもしれない。
「シド」
「なんだ」
「ありがとう」
「なんでお前が礼を言うんだよ」
「分からない」
「分からないのに言うな」
「でも、言った方がいい気がした」
シドは少しだけ呆れた顔をした。
それから、ふっと笑った。
「変なやつ」
「うん」
「認めるのかよ」
「うん」
二人は廊下を歩いた。
少しだけ、歩きやすくなった気がした。
■
その日の夜。
クロウは自分の部屋へ戻った。
今日は色々あった。
町へ行った。
将来の話をした。
シドの話も聞いた。
少し疲れていた。
寝台へ向かおうとして、クロウはふと足を止めた。
部屋に飾られている姿絵が目に入った。
いつもなら、特に気にしない。
ずっとそこにあるものだった。
けれど今日は、なぜか気になった。
姿絵の中の人物が、こちらを見て微笑んでいるように見える。
クロウはしばらく見つめた。
「……」
別に何も変わっていない。
たぶん。
クロウは寝台へ入ろうとした。
だが、やはり少し落ち着かなかった。
戻る。
姿絵の前に立つ。
そして、ほんの少しだけ斜めにずらした。
これなら、こちらを見ているようには見えない。
「うん」
クロウは満足して寝台へ入った。
今度は気にならなかった。
そのまま目を閉じた。




