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壊れかけのオルゴールと騒がしい家族たち  作者: 連句貢茶


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第49話 俺の鋼へ行きました

――帝国暦三五〇年・夏初め サザルトの街――


 馬車を降りると、クロウは工具屋へ向かった。


 シドが少し後ろを歩き、ティナリアとセフィリアもついてくる。


 普段なら、一人か母様やエナ姉と来る場所だった。


 今日は人数が多い。


 しかも、ティナリアとセフィリアは着ているものからして町の人間とは違う。


 通りを歩く人たちが、時々こちらを見ていた。


「クロウ、どこへ行くの?」


「工具屋」


「何を買うのですか?」


「研磨剤と、ウエスと、細いヤスリと、ピンセットと、時計用の油」


「たくさんありますね」


「必要だから」


 クロウはそれだけ答え、通りの先にある店へ向かった。


 町の案内をするために来たわけではない。


 必要なものを買って、早く屋敷へ戻りたかった。


 大きな看板には、太い字で店の名前が書かれている。


『俺の鋼』


 クロウが扉を開けると、金属と油の匂いがした。


 壁には大小さまざまな工具が並び、棚には小さな部品を入れた箱が積まれている。


 店の奥にいた店主が顔を上げた。


「おう、貴族の坊ちゃんじゃないか」


 店主はクロウの顔を見たあと、その後ろへ目を向けた。


「今日は、いつもの綺麗な母ちゃんと姉ちゃんじゃねえのか?」


「家にいる」


「そうか」


 店主はティナリアとセフィリアを見比べた。


 それから、少し楽しそうに笑った。


「今日は別の可愛い子を連れてるじゃねえか。坊ちゃんも隅に置けねえな」


 ティナリアが嬉しそうにクロウを見た。


 そして、すぐにクロウの手を握った。


「何で握るの」


「可愛い子と言われました」


「言われたのはティナリア様」


「はい」


「僕は関係ない」


 クロウは手を離そうとしたが、ティナリアは離さなかった。


 店主が二人の様子を見て、さらに笑う。


「仲もよさそうじゃねえか。なかなかお似合いだぞ」


 ティナリアは空いている手を頬に当てた。


「お似合いだそうです」


「違う」


「何が違うのですか?」


「買い物に来ただけ」


「ですが、お似合いだと言われました」


 ティナリアは嬉しそうだった。


 握る力も少し強くなっている。


「痛い」


「嬉しいです」


「聞いて」


 店主は腕を組み、感心したように頷いた。


「そうか。坊ちゃんもようやく、時計より女の子に興味を持つようになったか」


「違う」


「その年なら、時計ばかり見ているより女の子に興味を持つ方が健全だぞ」


「だから違う」


 店主は聞いていなかった。


 ティナリアはますます嬉しそうにしている。


 セフィリアが申し訳なさそうに頭を下げた。


「クロウ様。妹がご迷惑をおかけして申し訳ありません」


「セフィリア様、止めて」


「先ほどから止めてはいるのですが……」


「止まってない」


「申し訳ありません」


 ティナリアはクロウの手を離さなかった。


 クロウは工具を見たかった。


 せっかく来たのに、これでは落ち着いて品物を選べない。


「今日は何が欲しいんだ?」


 店主に尋ねられ、クロウはそちらへ向き直った。


「研磨剤と、ウエスと、細いヤスリと、ピンセットと、時計用の油」


「また時計を直すのか?」


「時計だけじゃない」


「結局、何か直すんだろ?」


「うん」


 店主は慣れた様子で棚へ向かった。


 クロウが必要な太さや大きさを伝えると、店主は一つずつ台の上へ並べていく。


 研磨剤。


 ウエス。


 細いヤスリ。


 先の細いピンセット。


 時計用の油。


 品物が並び始めると、クロウの目が少しだけ真剣になった。


 手を握られたままなのは邪魔だったが、それでも一つずつ状態を確かめる。


 ヤスリの目は揃っている。


 ピンセットの先にもずれはない。


 油の種類も間違っていなかった。


「これで全部か?」


「うん」


「女の子を待たせてるんだから、たまには道具以外の店にも連れていってやれよ」


「勝手についてきただけ」


「そういうことにしておいてやる」


 店主は笑いながら、品物を袋へ入れた。


 最後まで誤解は解けなかった。


■通り


 工具屋を出ると、ティナリアがすぐに尋ねた。


「次はどこへ行くのですか?」


「もう買った」


「ですが、せっかく町へ来たのです」


「僕は買い物に来ただけ」


 ティナリアは通りの店を見回している。


 クロウは帰るつもりだった。


 町を見るという目的は、最初からない。


「クロウ様」


 セフィリアに呼ばれ、クロウはそちらを見た。


「もう少しだけ、町を見てもよろしいでしょうか」


「……少しだけ」


「ありがとうございます」


 セフィリアに頼まれてしまえば、その場で帰るとも言いにくい。


 近くの店を一軒見るくらいなら、まだ我慢できる。


「近くに菓子屋がある」


「お菓子ですか?」


 ティナリアの目が輝いた。


「見るだけ」


「はい」


 返事が早かった。


 クロウは少し嫌な予感がしたが、菓子屋へ向かった。


 店の名前は『ミッドナイト』。


 扉を開けると、甘い香りがした。


 棚には焼き菓子や砂糖菓子が並んでいる。


 ティナリアはすぐに棚へ近づいた。


「綺麗ですね」


「触らないで」


「触りません」


 ティナリアは一つずつ眺めていく。


「これは何ですか?」


「焼き菓子」


「こちらは?」


「砂糖菓子」


「これは?」


「知らない。店の人に聞いて」


 クロウには分からなかった。


 分からないものまで説明するつもりもなかった。


 ティナリアはしばらく迷ったあと、小さな菓子をいくつか選んだ。


 セフィリアも妹が選びすぎないように見ながら、自分の分を一つ選んでいる。


「見るだけじゃなかったの」


「見てから決めました」


「買うのを?」


「はい」


 クロウは何も言わなかった。


 最初から買うつもりだったらしい。


 クロウも母様とエナ姉への土産を一つずつ選んだ。


 自分の分はいらない。


 母様とエナ姉が食べる分だけでいい。


 これで帰れる。


 そう思って店を出た時、ティナリアが通りの先を見た。


「クロウ、あちらは何のお店ですか?」


「ダンジュ」


「何を売っているのですか?」


「ジャム」


「行ってみたいです」


「もう帰る」


「ジャムはまだ見ていません」


「見る予定もなかった」


 ティナリアはクロウを見上げた。


 クロウは視線を逸らした。


 これ以上、店を増やすつもりはない。


「クロウ様」


 またセフィリアに呼ばれた。


「もう一軒だけ、お願いできませんか?」


 クロウは黙ってダンジュの看板を見た。


 馬車へ向かう途中にある店だった。


「……見るだけ」


「ありがとうございます」


「はい」


 ティナリアの返事も早かった。


 二度目なので、まったく信用できなかった。


■ダンジュ


 ダンジュの棚には、色の違うジャムの瓶が並んでいた。


 赤いもの。


 黄色いもの。


 淡い橙色のもの。


 瓶の大きさと蓋の向きが揃っている。


 クロウは少しだけ落ち着いた。


「たくさんあります」


 ティナリアは棚の前をゆっくり歩いた。


「どれが美味しいのですか?」


「好みによる」


「クロウは、どれが好きですか?」


「僕はあまり食べない」


「では、誰が食べるのですか?」


「母様とエナ姉」


 クロウは棚を見ながら、二つの瓶を選んだ。


 一つは母様の分。


 もう一つはエナ姉の分だった。


「お二人の好きなものを、よく知っているのですね」


 セフィリアが尋ねた。


「家族だから」


「お二人のことがお好きなのですね」


「好き」


「エルナリア様のことは?」


「大好き」


 クロウは迷わず答えた。


「レオエナ様のことも?」


 クロウは少しだけ間を置いた。


「……好き」


「お二人とも、大切なのですね」


「大切。母と姉だから」


 すると、隣で聞いていたティナリアが、自分を指差した。


「私は?」


 クロウはティナリアを見た。


「大変」


「大切ではなくて、大変なのですか?」


「うん」


 ティナリアは不満そうに頬を膨らませた。


 セフィリアは口元へ手を当て、少しだけ笑っていた。


 そのあと、ティナリアも一つの瓶を選び、セフィリアもそれに続いた。


「見るだけじゃなかったの?」


「見てから決めました」


 ミッドナイトでも聞いた言葉だった。


 クロウはもう聞き返さなかった。


 結局、クロウたちはそれぞれジャムを買って店を出た。


 工具を買いに来ただけだった。


 それなのに、工具の袋だけでなく、菓子とジャムまで増えている。


「また町へ来たいです」


 ティナリアが楽しそうに言った。


「僕がいない時にして」


「クロウがいなければ、お店が分かりません」


「今日覚えた」


「別のお店も知りたいです」


 予定が、また一つ増えようとしていた。


 クロウは返事をせず、馬車の方へ歩いた。


 シドも、周囲への警戒を崩さないまま、その後を追った。

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