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壊れかけのオルゴールと騒がしい家族たち  作者: 連句貢茶


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第46話 次の絵を頼まれました

――帝国暦三五〇年・夏初め サザ子爵家邸――


 旧館へ行ったことが昼食でばれて、怒られた翌日。


 クロウは、少しだけ大人しくしていた。


 少しだけである。


 旧館から持ち帰った木箱は、作業小屋に置いてある。


 中には、歯車や軸や工具が入っている。


 磨けば使えるかもしれないもの。


 直せば動くかもしれないもの。


 見ているだけで、胸の奥が少し落ち着かなくなるもの。


 ただ、昨日ケインに言われたことも残っていた。


 嬉しい時ほど周りが見えなくなる。


 それは、たぶん本当だった。


 だからクロウは、朝からずっと作業小屋へ行きたい気持ちを少しだけ抑えていた。


 少しだけ。


 かなり難しかった。


 そんな時だった。


「クロウ」


 廊下でテッドに呼び止められた。


 テッドは少し眠そうだった。


 いつも眠そうではあるが、今日はさらに眠そうに見える。


「うん」


「できた」


「何が?」


「レオエナの姿絵だ」


 クロウは止まった。


 忘れていたわけではない。


 忘れていたわけではないが、できればもう少しだけ完成していないことにしておきたかった。


 自分の部屋に、レオエナの姿絵を飾る。


 そういうことになっていた。


 なっていたが、実際に完成したと言われると、逃げ道がなくなる。


「……できたんだ」


「ああ」


「早い」


「昨夜にはほぼ終わっていた」


「寝た?」


「少し」


「少し」


 クロウはテッドを見た。


 テッドはあくびを噛み殺しながら、短く言う。


「俺の部屋にある。取りに来い」


「僕が?」


「お前の部屋に飾るんだろう」


「飾ることになってる」


「なら、お前が持っていけ」


 正しい。


 かなり正しい。


 クロウは小さく頷いた。


「分かった」


 テッドの部屋へ行くと、そこには布をかけられた姿絵が置かれていた。


 大きすぎるわけではない。


 けれど、小さくもない。


 部屋に飾れば、かなり存在感があるだろう。


 テッドが布を外す。


 そこに、レオエナがいた。


 絵なのに、いた。


 金色の髪。


 青い瞳。


 明るく、やわらかく、少し強い笑顔。


 本人より静かなはずなのに、本人と同じくらい近い。


 クロウは少しだけ黙った。


「どうだ」


 テッドが聞く。


「エナ姉だ」


「そう描いた」


「うん」


 それ以外に、言葉が出なかった。


 似ている。


 ただ顔が似ているだけではない。


 レオエナがクロウを見つけた時の、少し嬉しそうな空気まで描かれている気がした。


 これは、学校で使ったらたしかに効果がある。


 そう思った。


 同時に、これが自分の部屋にあるのかと思うと、少し落ち着かなかった。


「兄様」


「なんだ」


「これ、部屋にあると、エナ姉がずっといるみたい」


「そういう絵だ」


「そういう絵なんだ」


「嫌なら飾るな」


「飾らないと、増える」


「なら飾れ」


 やはり、逃げ場はなかった。


*   *


 姿絵は、クロウの部屋に運ばれた。


 窓の横。


 机から少し離れた壁。


 オルゴールや工具に直接かからない場所。


 モーリスが手伝い、位置を調整してくれた。


 絵を掛ける。


 クロウは少し下がって見た。


 部屋に、レオエナが増えた。


 絵である。


 分かっている。


 分かっているが、増えた。


「……落ち着かない」


 クロウが言うと、モーリスは穏やかに笑った。


「大変よく描けております」


「うん」


「レオエナ様も、お喜びになるでしょう」


「喜びすぎるかもしれない」


「それは、あり得ますな」


 モーリスは否定しなかった。


 その時、廊下から足音が聞こえた。


 重くはない。


 けれど、周囲が自然と道を開けるような足音だった。


 扉が叩かれる。


「クロウ、いるかい」


 皇太子殿下だった。


 クロウは一瞬だけモーリスを見る。


 モーリスは静かに頷いた。


「はい」


 扉が開く。


 皇太子殿下が入ってきた。


 護衛が後ろに控えているが、部屋の中には入らない。


「レオエナの姿絵が完成したと聞いてね」


 皇太子殿下は、少し楽しそうに言った。


「レオエナがエルナリアに似ていることは、私にも分かっている。だから、どうしても見ておきたかった」


 そう言って、皇太子殿下はすぐに壁の姿絵を見た。


 そして、足を止めた。


「これは……」


 その声が、少し低くなった。


 クロウは姿勢を正す。


 皇太子殿下は、ゆっくり姿絵の前へ近づいた。


 レオエナの絵を見る。


 かなり長く見る。


 クロウは、その横顔を見ながら少しだけ不安になった。


 母様に似ているものを見る時、この人は少し危ない。


「誰が描いた」


 皇太子殿下が言った。


「兄です」


「テッドか」


「はい」


「見事だ」


 皇太子殿下は、はっきりと言った。


「ただ似せただけではない。描かれた者が、どういう目で誰を見ているのかまで入っている」


 クロウは少しだけ驚いた。


 皇太子殿下は、かなり絵を見ている。


 ただ褒めているわけではないらしい。


「やはり、レオエナはエルナリアに似ているね」


「よく言われます」


「そうだろう」


 皇太子殿下は、少しだけ笑った。


「この絵を見ていると、昔のエルナリアを思い出す」


 クロウは何も言わなかった。


 言うと、たぶん増える。


 皇太子殿下はしばらく姿絵を見たあと、クロウへ視線を向けた。


「クロウ」


「はい」


「テッドに頼めるだろうか」


「何をですか?」


「私とエルナリアの絵を描いてほしい」


 クロウは止まった。


 増えた。


 また増えた。


「母様と、皇太子殿下の絵」


「そうだ。二人で並んだ絵がいい」


 皇太子殿下は、なぜか少し楽しそうだった。


「エルナリアが小さな頃から、絵は何枚もある。だが、今のエルナリアと私を、こういう腕で描いたものはない」


「兄様に、聞いてみます」


「頼むよ」


「はい」


 皇太子殿下は、もう一度姿絵を見た。


「テッドは良い目をしている。直接会って話したいところだが、まずは君から伝えてくれると助かる」


「分かりました」


 助かる。


 そう言われた。


 だが、クロウは助かっていない。


 皇太子殿下が部屋を出ていったあと、クロウは姿絵を見た。


 レオエナが笑っている。


 絵の中で。


 とても綺麗に。


 そして、その絵のせいで、兄様の仕事が増えた。


 クロウも巻き込まれた。


「エナ姉」


 クロウは小さく言った。


「絵になっても増えるんだね」


 もちろん、姿絵は答えなかった。


*      *


 しばらくして、今度はレオエナとリトリーが来た。


 来るだろうとは思っていた。


 思っていたが、やはり来た。


「クロウ、姿絵が飾られたと聞いたわ」


 レオエナの声は弾んでいた。


 リトリーも一緒にいる。


 テッドの婚約者らしく、少し得意そうな顔をしていた。


「見てもいい?」


「もう見えてる」


 クロウが言う前に、レオエナは部屋に入って姿絵の前で止まった。


 そして、両手を胸の前で合わせた。


「まあ……」


 かなり嬉しそうだった。


 かなり、というより、とてもだった。


「兄様、こんなに綺麗に描いてくださったのね」


「レオエナは、いつも綺麗よ」


 リトリーがさらりと言った。


 レオエナは少し頬を染めた。


「リト」


「本当のことでしょう?」


「でも、絵だと少し恥ずかしいわ」


 レオエナはそう言いながらも、かなり嬉しそうだった。


 クロウは何も言わなかった。


 言えば増える。


 絶対に増える。


 リトリーは絵に近づき、じっと見る。


「テッド様、本当にお上手なのね」


「婚約者なのに知らなかったの?」


 クロウが聞くと、リトリーは肩をすくめた。


「上手なのは知っていたわ。でも、ここまでとは思わなかったの」


「そう」


「これは、すごいわ。レオエナの明るさも、少し強引なところも、優しさも出ているもの」


「強引」


 クロウは小さく繰り返した。


 そこはかなり大事だと思った。


 レオエナは少し困ったようにリトリーを見る。


「リト、強引って」


「褒めているのよ」


「本当に?」


「ええ。たぶん」


「たぶん?」


 クロウは少しだけ頷いた。


 たぶん、で合っていると思った。


 その時、また廊下から足音がした。


 今度はセフィリアだった。


 後ろにティナリアはいない。


 珍しい。


「失礼します。こちらに姿絵があると伺ったのですが」


「はい」


 レオエナが微笑む。


「どうぞ、セフィリア様」


 セフィリアは姿絵の前に立ち、静かに目を細めた。


「素晴らしいですね。皇宮の絵師が描くものとは、また違います」


「兄が描きました」


 クロウが答える。


「テッド様が?」


 セフィリアはもう一度、姿絵を見る。


「距離の近い方でなければ描けない絵ですね。ぜひ、見事だったとお伝えください」


「分かりました」


 リトリーも嬉しそうに頷いた。


 その時、部屋の入口にもう一人立っていることにクロウは気づいた。


 シドだった。


 いつからいたのか分からない。


 部屋の外から中を見て、完全に止まっている。


「シド」


 クロウが呼んでも、シドは返事をしなかった。


 姿絵を見ていた。


 かなり見ていた。


 ほうけている、と言った方が近い。


「シド」


「……ああ」


「絵だよ」


「分かってる」


 分かっている顔ではなかった。


 シドはしばらく姿絵を見たあと、小さく呟いた。


「レオエナ様……」


 レオエナは少し首を傾げた。


「なあに?」


 シドははっとして、姿勢を正した。


「いえ。大変、見事な絵だと思いました」


 クロウへの口調とは違って、かなり丁寧だった。


 旧館の鉄柵以来、シドの中でレオエナの位置が変わっている。


 クロウにもそれは分かる。


 かなり分かる。


 レオエナは嬉しそうに笑った。


「ありがとう」


 その笑顔を見て、シドがまた少し固まった。


 クロウは思った。


 これは、たぶんよくない。


 でも、もう遅い気もした。


*    *


 一通り姿絵を見られたあと、クロウはテッドの部屋へ向かった。


 皇太子殿下の話を伝えなければならない。


 できれば伝えたくない。


 でも、伝えないともっと増える。


 テッドの部屋の前で、クロウは少しだけ息を吐いた。


 扉を叩く。


「兄様」


 返事はない。


 もう一度叩く。


「兄様」


 少しして、低い声が返ってきた。


「入れ」


 中へ入ると、テッドは寝台に半分もたれるように座っていた。


 かなり眠そうだった。


 絵を完成させたせいだろう。


 目元に疲れがある。


「寝てた?」


「少し」


「みんな少しって言う」


「何の用だ」


 テッドはあくびをしながら聞いた。


 クロウは椅子に座る前に言った。


「皇太子殿下が、兄様の絵をすごく褒めてた」


 テッドの眉が少し動いた。


「見たのか」


「僕の部屋に来た」


「早いな」


「うん。早かった」


「それで?」


「兄様に、絵を描いてほしいって」


 テッドは少し黙った。


「誰の」


「皇太子殿下と母様」


 今度は、沈黙が長かった。


 テッドは眠そうな顔のまま、目だけを少し細める。


「面倒なものを持ってきたな」


「持ってきたくなかった」


「断ればよかっただろう」


「無理」


「だろうな」


 テッドは小さく息を吐いた。


「皇太子殿下だけじゃない」


 クロウは続けた。


「リトも、セフィリア様も褒めてた。シドも、絵を見て止まってた」


「シドはレオエナを見て止まっていただけだろう」


「たぶん」


 テッドはもう一度、小さく息を吐いた。


 眠そうな顔は変わらない。


 けれど、ほんの少しだけ目元が緩んでいた。


「……まあ、悪い気はしない」


「嬉しい?」


「少しな」


「兄様、将来は宮廷画家かもしれない」


「やめろ」


 テッドは即答した。


「絵を描くたびに皇族が増える職など、ろくなものじゃない」


「でも、皇太子殿下に褒められた」


「それが一番面倒なんだ」


 そう言いながらも、テッドの声は少しだけ軽かった。


 クロウは、兄様が本当に嫌がっているわけではないのだと分かった。


 たぶん、かなり面倒だと思っている。


 でも、褒められたこと自体は、少し嬉しいのだろう。


「描くこと自体は構わない」


「いいの?」


「ああ。ただし、簡単ではない」


「どうして?」


「皇太子殿下とエルナリア様だ。構図を間違えれば、いろいろ面倒になる」


「面倒」


「かなり面倒だ」


 クロウは想像した。


 皇太子殿下が母様を抱きかかえて回す。


 父様のチェロが乱れる。


 絵の中で二人が近すぎる。


 父様の音がさらに乱れる。


 確かに面倒だ。


「兄様、描ける?」


「描けるかどうかなら描ける」


「じゃあ」


「どういう絵にするかは、本人と話さないと決められない」


「本人」


「皇太子殿下だ」


 テッドはクロウを見る。


「お前も来い」


「僕も?」


「お前が話を持ってきた」


「持ってきたくなかった」


「だが持ってきた」


「うん」


「なら同席しろ」


 クロウは少しだけ沈んだ。


 また増えた。


 姿絵が完成した。


 部屋に飾った。


 皇太子殿下が来た。


 次の絵を頼まれた。


 兄様に伝えた。


 今度は皇太子殿下と兄様と自分で話すことになった。


 増え方が、かなりきれいだった。


 きれいに増えていた。


「兄様」


「なんだ?」


「僕、関係ある?」


「ある」


「どこが?」


「お前が間に入っている」


「入りたくなかった」


「なら、次からは逃げろ」


「逃げられない」


「なら諦めろ」


 テッドはそう言って、目を閉じかけた。


 クロウは立ち上がる。


「伝えてくる」


「皇太子殿下にか?」


「うん」


「明日にしろ。俺は少し寝る」


「少し?」


「今度の少しは長い」


「そう」


 クロウは扉へ向かった。


 出る前に、テッドが小さく言った。


「クロウ」


「うん」


「絵は、部屋に合っていたか」


 クロウは少しだけ考えた。


 部屋にレオエナが増えた。


 落ち着かない。


 でも、絵としては、とてもよかった。


「合ってたと思う」


「そうか」


「でも、落ち着かない」


「だろうな」


 テッドは少しだけ笑ったようだった。


 クロウは部屋を出た。


 廊下に出ると、少し遠くから声が聞こえた。


 レオエナの声。


 リトリーの声。


 セフィリアの声。


 そして、どこかでティナリアがクロウを探しているような声。


 さらに、シドが誰かに呼び止められている気配もある。


 クロウは静かに思った。


 旧館の歯車だけではない。


 屋敷の中でも、いろいろな歯車が回り始めている。


 しかも、どれも少しずつ噛み合っていない。


 クロウは小さく息を吐いた。


 姿絵は完成した。


 でも、終わらなかった。


 次の絵が増えた。


 たぶん明日も、また何かが増える。


 クロウは廊下を歩きながら、作業小屋の木箱を思い出した。


 せめて、あの歯車だけは静かに噛み合ってほしい。


 そうクロウは思った。

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