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壊れかけのオルゴールと騒がしい家族たち  作者: 連句貢茶


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第45話 昼食でバレました

――帝国暦三五〇年・春中頃 サザ子爵家邸――


 森の奥の旧館から戻ったあと、クロウはまっすぐ作業小屋へ行きたかった。


 木箱の中には、古い工具や歯車や細い軸が入っている。


 錆びているものもある。


 使えないものもあるだろう。


 けれど、使えるものもきっとある。


 あの古時計を直せるかもしれない。


 そう思うだけで、胸の奥がそわそわした。


 けれど、昼食の時間が近かった。


 旧館へ行って、戻ってきて、服についた埃を払って、最低限身なりを整えた頃には、もう食堂へ向かわなければならなかった。


 木箱は、いったん作業小屋に置いた。


 本当は、すぐに中を広げたかった。


 歯車の大きさを確かめたかった。


 軸の太さも見たかった。


 でも、昼食を抜くわけにはいかない。


 皇太子殿下が来ている。


 セフィリアもティナリアもいる。


 ケインも、エルナリアも、レナも、テッドも、レオエナも、ミアもいる。


 リトリーもいる。


 食堂に行かないという選択肢はなかった。


 クロウは、少しだけ名残惜しく作業小屋を振り返った。


 今日は、朝から色々ありすぎる。


 稽古。


 セフィリアとの剣。


 作業小屋。


 森の奥の旧館。


 壊れていたことになった扉。


 腐っていたことになった鉄柵。


 そして、木箱いっぱいの部品。


 もう十分だった。


 十分すぎた。


 昼食くらいは、静かに終わってほしい。


 クロウはそう思っていた。


 思っていたのに。


 食堂に入った時点で、少し嫌な予感はしていた。


 ティナリアが、妙に楽しそうだったからだ。


 席につく。


 食器はきれいに並んでいる。


 皿の位置も、ナイフの角度も、グラスの距離も乱れていない。


 それなのに、クロウの心はあまり整わなかった。


 ティナリアが、いつ話し出すか分からなかった。


 旧館へ行ったことは、できれば食卓では話さない方がいい。


 帰り道で、セフィリアもそう言っていた。


 クロウも頷いた。


 レオエナも、少し困ったように頷いた。


 シドも、なぜか自信満々に頷いた。


 ティナリアも頷いていた。


 頷いていたはずだった。


 食事が始まり、しばらくは何事もなかった。


 皇太子殿下はエルナリアに話しかけている。


 ケインは静かに食事を進めている。


 レナは穏やかに微笑み、テッドは少し眠そうな顔で水を飲んでいた。


 ミアは黒猫の背を撫でながら、周囲を見ている。こういう時のミアは、だいたい何かを待っている。


 その予感は、当たった。


「父上」


 ティナリアが明るい声を出した。


「今日の午前中は、とても楽しかったです」


 セフィリアの手が、ほんの少し止まった。


 クロウも止まった。


 レオエナも止まった。


 少し離れた場所に控えていたシドも、たぶん止まった。


 皇太子殿下は楽しそうに笑う。


「そうか。何をしたんだい、ティナ」


「森の奥の旧館へ行きました」


 食堂の空気が止まった。


 本当に止まった。


 音が消えた気がした。


 ティナリアだけが、不思議そうに周囲を見る。


「どうしましたか?」


 セフィリアは、静かに目を閉じた。


 クロウは皿を見た。


 レオエナは少しだけうつむいた。


 シドは、見なくても分かるくらい空気を固くしていた。


 ケインが、ゆっくり顔を上げる。


「旧館へ行ったのか」


 声は静かだった。


 静かすぎた。


 クロウは、木箱を作業小屋に置いてきてよかったと思った。


 もし今、あれを抱えて食堂に来ていたら、もっと言い逃れできなかった。


 いや、もう言い逃れはできない。


「……行きました」


 クロウは答えた。


 ティナリアはようやく、何かまずいことを言ったらしいと気づいたようだった。


「あの、言ってはいけなかったのですか?」


「言ってはいけないというより」


 セフィリアが小さく息を吐いた。


「行くべきではありませんでした」


 皇太子殿下は、しばらく黙っていた。


 それから、ティナリアとセフィリアを見る。


「セフィー。あとで少し話そう」


「はい、父上」


「ティナもだよ」


「はい」


 ティナリアは少しだけ小さくなった。


 ケインはクロウとレオエナを見る。


「クロウ、レオエナ。食後に私の部屋へ来なさい」


「はい」


 レオエナが答えた。


 クロウも小さく頷く。


「うん」


 その時、食堂の端で、プラムの声がした。


「シド」


 短い一言だった。


 シドが、ほとんど反射のように背筋を伸ばした。


「はい」


「あなたも、あとで来なさい」


「……はい」


 シドの声は、少しだけ沈んでいた。


 ミアは黒猫を撫でながら、にこりとも笑わなかった。


 それが逆に怖かった。


 昼食は、その後も続いた。


 けれど、もう味はあまり分からなかった。


*   *


 最初に呼ばれたのは、セフィリアとティナリアだった。


 皇太子殿下の部屋へ向かう二人を、クロウは廊下の端から少しだけ見た。


 ティナリアはうつむいている。


 セフィリアは背筋を伸ばしているが、顔は少し硬い。


 部屋の扉が閉まる。


 中の声は聞こえない。


 ただ、だいたい何を言われるのかは分かる。


 しばらくして、二人は出てきた。


 ティナリアは少ししょんぼりしていた。


 セフィリアは、どこか反省した顔をしている。


 あとで聞いた話では、セフィリアはすぐに謝ったらしい。


 自分が止めるべきだった。


 危険な旧館へティナリアを連れて行くべきではなかった。


 クロウやレオエナにも迷惑をかけた。


 そう言ったという。


 皇太子殿下は、最初は少しだけ笑ったらしい。


 ティナリアらしい、と。


 けれど、そのあとで静かに言った。


 怪我がなかったから笑えるだけだ、と。


 床が抜けたかもしれない。


 天井が落ちたかもしれない。


 古い建物では、何が起きるか分からない。


 皇女である以前に、子どもなのだから無茶をしてはいけない。


 セフィリアはそれを真面目に聞いていた。


 ティナリアも、今度はちゃんと聞いていたらしい。


 無事に帰れたことはよかった。


 でも、無事だったから大丈夫、ではない。


 皇太子殿下は、そう言ったのだという。


 それを聞いた時、クロウは少しだけ胸が重くなった。


 皇太子殿下は、思っていたよりちゃんと怒る人だった。


 笑って済ませるだけではなかった。


 それが少しだけ、怖くもあり、少しだけ安心でもあった。


*   *


 次は、クロウとレオエナだった。


 ケインの部屋に入ると、父様は机の向こうに座っていた。


 表情は静かだった。


 静かすぎて、逆に怒っているのが分かる。


 クロウはレオエナと並んで立った。


 レオエナは少し緊張している。


 クロウも、たぶん緊張していた。


「旧館へ行ったそうだな」


「うん」


「誰が言い出した」


 クロウは少しだけ黙った。


 ティナリアが行きたがった。


 シドが護衛すると言った。


 セフィリアも外から見るだけならと判断した。


 レオエナも、クロウが行くなら一緒に行くと言った。


 けれど、最初に旧館の話を出したのは自分だった。


「僕が、話した」


 クロウは言った。


「森の奥に、旧館があるって」


 ケインは何も言わなかった。


 クロウは続けた。


「時計の部品があるかもしれないと思った。だから、僕が悪かった」


「クロウ」


 レオエナが小さく言った。


「私も止めきれませんでした。クロウだけが悪いわけではありません」


「でも、僕が言ったから」


「私も一緒に行ったわ」


 レオエナはケインへ向き直る。


「父様。申し訳ありません。私が止めるべきでした」


 ケインは二人を見た。


 長い沈黙があった。


「時計を直したい気持ちは分かる」


 ケインは静かに言った。


「古いものに興味を持つことも、悪いことではない」


「うん」


「だが、危険な場所へ皇女殿下二人を連れて入るのは違う」


 クロウは目を伏せた。


「うん」


「あの館は古い。床も天井も傷んでいる。どこが崩れるか分からない。お前たちだけで入ってよい場所ではない」


「うん」


「クロウ。欲しいものが見つかって嬉しかったのだろう」


 クロウは少しだけ止まった。


 図星だった。


 木箱の中身を思い出す。


 歯車。


 軸。


 工具。


 バネ。


 それを見つけた時、確かに自分は浮かれていた。


 危ないと分かっていたのに、部品のことばかり考えていた。


「嬉しかった」


「それは悪くない」


 ケインは言った。


「だが、嬉しい時ほど周りが見えなくなる。そこは覚えておきなさい」


「……うん」


「レオエナ」


「はい」


「クロウを守ろうとするのはよい。だが、クロウが危ない方へ進む時は、一緒に行くことだけが守ることではない」


 レオエナは目を伏せた。


「はい」


「止めることも、守ることだ」


「はい。申し訳ありません」


 ケインは少しだけ息を吐いた。


「無事に戻ったことはよかった」


 その声は、少しだけ柔らかくなった。


「だが、もう旧館へは行くな。少なくとも、大人の許可と準備なしに行くことは認めない」


「うん」


「分かったな」


「分かった」


 クロウは頷いた。


 レオエナも静かに頷く。


「分かりました」


 部屋を出ると、クロウは少しだけ息を吐いた。


 怒鳴られたわけではない。


 強く責められたわけでもない。


 でも、胸の奥にしっかり残った。


 時計が欲しかった。


 嬉しかった。


 それは本当だ。


 けれど、危ない場所へ皆を連れて行ったのも本当だった。


 嬉しいだけでは駄目だった。


*       *


 最後に呼ばれたのは、シドだった。


 クロウはその場にはいなかった。


 けれど、あとで少しだけ聞いた。


 シドはプラムの前に立った。


 最初はかなり緊張していたらしい。


 それでも、旧館で皆を無事に連れ帰ったことについては、少しだけ誇らしそうだったという。


「報告しなさい」


 プラムが言った。


「はい。旧館内では、床と天井の劣化を確認し、危険箇所を避けながら進みました。殿下方にも怪我はありません」


「そうですか」


「はい。命令通り、殿下方をお守りしました」


 そこで、空気が変わったらしい。


 プラムは静かにシドを見た。


「誰が、殿下方を守れと言いましたか!」


 シドは止まった。


「……違うのですか?」


「違います」


「殿下方の護衛では」


「ありません」


 シドは、かなり困惑したらしい。


「では、自分は何のために」


「クロウ様の護衛です」


 シドは黙った。


 たぶん、初めてそこで理解した。


「クロウ様の……?」


「そうです」


「殿下方ではなく?」


「クロウ様です」


「……あの方を」


 そこで、たぶん余計なことを言いかけたのだろう。


 プラムの拳が、一度、シドの頭に落ちたという。


 それでもプラムは、怒鳴らなかった。


「あなたは、今回クロウ様のために呼ばれたのです」


「しかし、自分は」


「何ですか」


 シドは、少しだけ迷ったらしい。


 それから、小さく言った。


「自分は、できればレオエナ様のような方にお仕えしたいと思いました」


 プラムは、そこでほんの少しだけ黙ったという。


「レオエナ様は、奥様によく似ておいでですからね」


「母上も、そう思われますか?」


「ええ」


「やはり、母上もレオエナ様を認めておいでなのですね」


 プラムは、たぶん違う意味で言った。


 エルナリアに似ている。


 雰囲気や笑顔や、どこか人を惹きつけるところ。


 そういう意味で言ったのだろう。


 けれど、シドはたぶん違う受け取り方をした。


 鉄柵を飴細工のように広げる力。


 取っ手も扉も壊れていたことにできる強さ。


 母もそれを認めている。


 そう思ったに違いない。


 この親子は、そこで少しずれた。


 しかし、プラムはそれ以上深く説明しなかった。


「ですが、あなたはクロウ様に仕えなさい」


「……はい」


「クロウ様は、奥様の大切なお子様です」


「はい」


「そして、これからあなたが直接お守りする方です」


「直接、ですか」


「そうです。学校、外出、稽古、必要な場面でそばにつきなさい」


 シドは、しばらく黙っていたらしい。


 不満がなかったわけではないだろう。


 納得しきったわけでもないだろう。


 けれど、プラムにそう言われて、拒めるはずもなかった。


「分かりました」


 シドはそう答えたという。


 プラムは少しだけ表情を緩めた。


「ただし」


「はい」


「旧館で皆様を無事に連れ帰ったことは、評価します」


 シドは驚いたらしい。


 プラムは近づき、シドの頭を軽く撫でた。


「よく努めました」


 それだけで、シドはまた明日も頑張れる気がしたという。


 クロウはその話を聞いて、少しだけ思った。


 シドも、大変なのだろう。


■作業小屋


 夕方。


 クロウは作業小屋にいた。


 昼食でバレた。


 父ケインに呼ばれた。


 反省した。


 旧館へ勝手に行くなと言われた。


 それなのに、目の前には木箱がある。


 中には、古い工具と歯車と部品が入っている。


 嬉しい。


 その感情は、まだ消えていなかった。


 でも、昼食前の嬉しさとは少し違った。


 あの時は、部品が手に入ったことだけで頭がいっぱいだった。


 今は、その向こうにあるものも少し見えている。


 もし床が抜けていたら。


 もし天井が落ちていたら。


 もしティナリアやセフィリアが怪我をしていたら。


 もしレオエナが危ない目に遭っていたら。


 もしシドが怪我をしていたら。


 そう考えると、木箱の重さが少し変わった。


 クロウは、歯車を一つ手に取った。


 古い、少し錆びている。


 けれど、形は悪くない。


 これなら、磨けば使えるかもしれない。


 それが分かると、やはり胸が少しだけ弾む。弾んでしまう。


 そこが、今日の自分の駄目だったところなのかもしれない。


 危ないと分かっていても、時計のことになると心が動く。


 止まった時計を直したい。


 音を戻したい。


 歯車を噛み合わせたい。


 そういう気持ちが、周りを見る目を少し曇らせた。


 クロウは小さく息を吐いた。


 今日は、一日で色々ありすぎた。


 朝は稽古をした。


 セフィリアと剣を合わせた。


 作業小屋へ行った。


 森の奥の旧館へ行った。


 レオエナが扉と鉄柵を壊れていたことにした。


 部品を見つけた。


 昼食でバレた。


 怒られた。


 反省した。


 一日なのに、三日分くらいあった気がする。


 かなり疲れた。


 でも、木箱の中には部品がある。


 それは嬉しい。


 嬉しいけれど、嬉しいだけでは駄目だった。


 クロウは歯車を木箱へ戻した。


 今日は、もう触らない方がいい。


 また自分の心がまた乱れる。


 そう思った。


 作業小屋の外で、春の風が木を揺らしている。その音は静かだった。


 けれど、クロウの中ではまだ、いくつもの歯車が回っていた。


 ゆっくり。


 少しずつ。


 反省と、疲れと、喜びを一緒に噛み合わせるように。


 クロウは木箱の蓋を閉じた。


 明日、またこのことは考える。


 今日は、もうそれで十分だった。

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