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こわれない場所に、ふれたもの

 ――帝国暦三五〇年・春初め 帝国人民学校・地方分校――


 朝の空気はやわらかい。

 校舎の白い壁が、静かに光を受けている。


 クロウは校門をくぐる。

 ここは、軽い。


 足音も、声も、流れも、引っかからない。

 机に触れる。


 冷たく、均一で、余計な重さがない。

 それだけで、息が楽になる。


「おはよう、クロウ」


「おはよう」


 短い挨拶、それで足りる距離。


「今日、見学が来るらしいよ」


「見学?」


「なんか偉い人の関係だってさ」


 クロウは少しだけ目を伏せる。外から来る。それだけで、わずかに揺れる気がした。


 授業が始まる。

 チョークの音。


 ページをめくる音、

 一定の流れ。 


 そのまま、続くはずだった。

 

 ――その時。


 廊下の音が、途切れる。

 足音が近づく、迷いがない。


 クロウの指が、わずかに止まる。


 扉が開く。

 光が差し込む。


「見学の方です。特別なご縁で」


 その横に、立っている。

 金の髪。

 小柄な体。

 澄んだ青い瞳。


 空気が、やわらぐ。


「……綺麗」


 小さなざわめきが広がる。


 クロウは動かない。

 まだ距離はある、それでも、近い。


「レオエナと申します」


 やわらかな声。

 それだけで、場がほどける。


「やばくね」

「すごいな……」


 小さな熱が広がる。


 エナは歩く。


 迷いなく、生徒の間へ入ってくる。


 距離が縮まる。

 誰も引かない、むしろ、受け入れている。


「大丈夫?」


 隣の男子生徒に声をかける。


 肩に触れる。

 やわらかく。


 ――ほんの一瞬だけ。

 肩が、わずかに固まる。


「……え?」


 すぐに戻る。


「大丈夫よ」


 微笑む。

 空気は、崩れない。 


 でも、クロウは見ている。

 ほんの少しだけ、重い。


 視線が、クロウに向く。


「……クロウ?」

 小さな声。


 背後で囁きが走る。


「知り合い?」

「固まってるじゃん」

 軽い笑い。


 エナが近づく。

 一歩、また一歩。


 逃げ場がなくなる。


「大丈夫?」


 同じ声。

 同じ距離。


 手が、肩に触れる。

 やわらかい。


 でも、わずかに、残る。

 クロウは息を整え、視線を上げる。


「……少し強い」


 空気が止まる。

 エナの瞳が、わずかに揺れる。


「そう」

 微笑む手が、ほんの少しだけ離れる。


 クロウは小さく息を吐く。

 完全じゃない、でも引かれた。


 

 授業は続く。

 音は戻る。


 

 けれど。

 どこかに、さっきの余韻が残っている。


 授業が終わる。

 椅子の音、声が戻る。


 ――のはずだった。


 

「なあ」

 教室の端。


「さっきさ」

「触れられてさ」


 少しだけ熱の残った声。

「なんか、落ち着いた」


「分かる」

 小さな笑い。

 軽い会話。


 でも、さっきと同じじゃない。

 クロウはそれを見る。


 ほんの少しだけ、重さが残っている。

 クロウは目を伏せる。

 さっきより、少しだけ静かじゃない。


 それだけが、残った。

 

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