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ほどけない調べ(修正版)

 ――帝国暦三五〇年・春初め 音楽室――


 夜は、音を薄くする。


 屋敷もまた、昼のざわめきをゆっくりほどきながら、静けさへ沈んでいく。


 長い廊下に、月明かりが淡く落ちていた。

 白い石の床が、わずかに光を返す。

 開けられた窓から、風が細く入り込む。


 クロウは歩いていた。

 背に、まだ少しだけ重さが残っている。


「……平気」

 小さく、口にする。

 その時低く、長く伸びる音が空気を撫でた。


 クロウの足が止まる。

 迷いのない音だった。


 向きを変える、音の方へ。


 扉の前で立ち止まる。

 わずかに開いた隙間、中を覗く。


 

 父がいた。

 チェロを抱え、弓を動かしている。


 音が生まれる。

 部屋の空気が、ゆっくり揃っていく。


 クロウは扉にもたれる。

 少し前まで、どこか引っかかっていた音。

 いまは、引っかからない。


 それだけで、十分だった。


 

「聴いているの?」

 やわらかな声。


 クロウは顔を上げる。

 窓際に、エルナリアが立っていた。

 月の光を受けて、淡く揺れている。


「母様」


「入らないの?」


「ここでいい」

 少しだけ首を振る。


 

 エルナリアは、何も言わずに頷く。

 同じように、距離を保ったまま音を受けている。


 音が、少しだけ強くなる。


 クロウは息を整える。

 エルナリアは、動かない。


 

「……強いね」

 ぽつりと漏れる。


「ええ」

 微笑む。


 それ以上は言わない。


 

 音は続き、やがて静かに落ちていく。


 

「聴いていたか」

 振り向かないまま。


 

「ええ」

 エルナリアが応じる。


 

 それだけで、十分だった。


 クロウはそのやり取りを見る。

 言葉は少ないけれど、揃っている。


 

 クロウは、少しだけ目を伏せる。

「……いいな」


「なにが?」 


 少しだけ考えて、

「こういうの」


 それだけ言う。


 エルナリアは、やわらかく笑った。

 クロウは目を閉じる。


 さっきより、少しだけ軽い。


 廊下へ戻る。

 足音が、前よりも静かだった。

 

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