壊れかけの音(改稿)
――帝国暦三五〇年・春初め サザ子爵家邸――
サザ子爵家の屋敷は、森の縁に寄り添うように建っていた。白い石壁は午後の光をやわらかく受け、大きな窓から風と光がゆるやかに流れ込んでいる。庭には整えられた花壇と細い水路。その向こうで、木々と川が静かに揺れていた。
窓際の机に、小さなオルゴールが置かれている。
蓋を開ける。
音は出る。
けれど、少しだけ遅れる。
高い音があとから追いかけて、低い音が先に行く。同じ旋律なのに、どこか揃わない。
クロウは指先で軸を押さえ、耳を近づける。
ほんのわずかな位置。
力を入れずに戻す。
もう一度、巻く。
音が、繋がった。
完璧ではない。
でも、止まらない。
クロウは小さく息を吐く。
少しだけ。
それでいい。
「クロウ!」
扉が勢いよく開き、そのまま抱きしめられる。
「エナ姉……!」
金の髪が揺れる。
澄んだ青い瞳が、すぐ近くにあった。
レオエナ・ザザ。
その腕は、迷いなくクロウを包む。
「大丈夫? 無理してない? 危ないことしてない?」
やわらかい声。
――少しだけ、強い。
背に、鈍い重みが乗る。
「……大丈夫?」
「本当に?」
顔が近い。
「大丈夫、ちゃんとやってるから」
そう言うと、さらに距離が詰まる。
「エナ姉、それ……」
「大丈夫よ」
微笑む。
「優しくしてるもの」
悪気はない。
本当に、そう思っている。
「お兄様〜」
軽い声が入る。
レーミアが扉にもたれていた。
腕の中で、黒猫が小さく鳴く。
「またやってる」
「ミア、静かに」
「クロウが疲れるでしょう?」
言いながら、離れない。
「それ、誰のせい?」
一瞬空気が止まる。
クロウはそっと腕を外す。
「平気だよ」
少しだけ距離を取る。
エナはわずかに迷って、それでもまた近づこうとする。
「騒がしいな」
低い声が落ちる。
テッドが扉に立っていた。
一歩、部屋に入るり、視線が一度で状況をなぞる。
「またか」
「違うわ」
「違わない」
短く言って、クロウを見る。
「大丈夫か?」
「うん」
頷くと、今度は姉妹へ向けられる。
「いいか」
「少し強い」
それだけ言う。
エナが目を逸らす。
ミアがくすっと笑う。
「兄さまが止められるなら、ね」
テッドは何も言わない。
ただ、視線だけが残る。
クロウは机を見る。
回り続ける歯車。
少しだけ、揃いきらない音。
それでも、止まらない。
廊下の奥から、チェロの音が流れてきた。
低く、静かに。
空気が、わずかにほどける。
クロウは目を閉じる。
少し前より、静かになっている。
それだけでよかった。




