↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
壊れかけのオルゴールと騒がしい家族たち  作者: 小径つむぎ
第一章 日常編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/79

第9.5話 時計をずらす幽霊

――帝国暦三五〇年・春中頃 サザ子爵家邸――


 最近、屋敷の時計がおかしい。


 最初に気づいたのは、大食堂にある柱時計だった。


 サザ子爵家邸には、大きな時計がいくつも置かれている。どれも鍵を差して巻くもので、午前零時、午前六時、正午、午後六時になると鐘が鳴る。


 午前六時なら朝食。


 正午なら昼食。


 午後六時なら夕食。


 屋敷の人たちも、その音を一つの目安にして動いている。


 本来なら、あちこちの時計の鐘はほとんど同じ頃に鳴る。


 もちろん、ほんの少しくらいの差ならある。


 それくらいはクロウも気にしない。


 でも、最近は違った。


 正午。


 大食堂の柱時計が鳴る。


 ゴーン。


 ゴーン。


 鐘の余韻が消える。


 それから少しして、廊下の向こうから別の時計が鳴った。


 さらに少し経って、今度は別の部屋。


 ゴーン。


「……」


 クロウは席に着いたまま、扉の方を見た。


 気持ちが悪い。


 全部ずれている。


 しかも、時計がずれれば、人の動きも少しずつずれる。


 大食堂では皿が並んでいるのに、料理がまだ全部届いていない日がある。別の日には、まだ人が集まっていないのに早く準備が始まっていた。


 ほんの数分。


 それだけだった。


 でも、今までそろっていたものがそろわない。


「お兄様、どうしたの?」


 隣にいたミアが聞いた。


「時計」


「時計?」


「ずれてる」


 ミアは少し耳を澄ませた。


 遠くで最後の鐘が鳴り終わる。


「そう?」


「そう」


「風のせいじゃない?」


「風?」


「うん。風が吹いて、針が動いたとか」


 クロウは大食堂の柱時計を見る。


 木の扉。


 その奥にある文字盤。


 そもそも部屋の扉も閉まっている。


「風じゃ針は動かないよ」


「そうなの?」


「そう」


「じゃあ違うね」


 ミアはあっさり言って、膝の上の黒猫の背を撫でた。


 少し笑っているように見えた。


 クロウは一度だけミアを見た。


 でも、まだ何も言わなかった。


◇ ◇ ◇


 その日の午後。


 クロウは大食堂の柱時計を調べた。


 鍵で木の扉を開ける。


 中を見る。


 歯車は問題なく動いている。


 振り子も一定。


 油が切れているわけでもない。


 歯が欠けているところもない。


 ゼンマイの巻き上げにも異常はなかった。


「おかしいな」


 もう一度見る。


 触る。


 聞く。


 でも、原因らしいものは見つからない。


 壊れてはいない。


 それなのに時刻だけがずれている。


 クロウは少し遅れていた針を正しい位置へ戻した。


 振り子の動きを確認する。


 一定。


 これでいい。


 扉を閉めた。


◇ ◇ ◇


 翌朝。


 外はまだ薄暗かった。


 午前六時には少し早い。


 クロウは眠っていた。


 その時。


 ゴーン。


「……」


 目が開いた。


 ゴーン。


 クロウは寝台の上で天井を見る。


 早い。


 少しして、廊下から人の動く気配が聞こえてきた。


 扉が開く音。


 足音。


 朝食の準備も始まったらしい。


 それから別の時計が鳴った。


 今度は少し近い。


 さらに時間が経って、本来の六時になる。


 また別の鐘。


「……気持ち悪い」


 クロウは起き上がった。


 昨日、ちゃんと直した。


 振り子も見た。


 歯車も見た。


 それなのに。


 またずれている。


◇ ◇ ◇


 それから三日経っても、時計は直らなかった。


 正確には、クロウが直しても、次の日になるとまた違う時間になっていた。


「クロウ、本当に壊れていないのか?」


 大食堂で兄様が聞いた。


「壊れてない」


「全部見たのか?」


「見た」


 鐘の鳴る時計は、ほとんど確認した。


 歯車。


 振り子。


 巻き上げ。


 どれにもおかしなところはない。


 それなのに、五分遅れている時計もあれば、二分早くなっている時計もあった。


 全部が同じようにずれているなら、まだ分かる。


 でも、ばらばらだった。


「変だな」


「うん」


 クロウが柱時計を見ていると、ミアが黒猫を抱いたまま近づいてきた。


「猫じゃない?」


「……猫?」


「この子が夜中に触ってるとか」


 ミアは腕の中の黒猫を見る。


 黒猫もこちらを見た。


 クロウは柱時計を見る。


 かなり高い。


「時計の扉、開けられないよ」


「頑張ったのかも」


「椅子もいる」


「登ったのかも」


「猫が椅子を運ぶの?」


「……」


 ミアが黒猫を見る。


「できる?」


「にゃあ」


「できないって」


「今の、そういう意味?」


「たぶん」


「違うと思う」


 ミアは楽しそうに笑った。


 クロウは少しだけ目を細める。


「ミア」


「なに?」


「何か知ってる?」


「知らないよ」


 すぐに答えた。


 早い。


 クロウはミアを見る。


 ミアもクロウを見る。


 黒猫だけが二人の間で瞬きをした。


 でも、証拠はない。


 ミアは少し考えるように首を傾げる。


「じゃあ、幽霊かも」


「幽霊?」


「うん。夜中に出てきて、時計をずらしてるの」


「なんで?」


「いたずら好きだから」


「幽霊が時計をずらす意味が分からない」


「意味なんてないのかも」


「それならもっと分からない」


「でも、幽霊なら見つからないよ」


「……」


 ミアは黒猫を抱いたまま、にこにこしている。


「幽霊じゃないと思う」


「そう?」


「誰かが触ってる」


 一瞬だけ。


 ミアの笑顔が止まった。


 ほんの少し。


 すぐに元へ戻る。


「誰だろうね」


「……さあ」


 クロウは時計へ視線を戻した。


 近くでミアがまだ笑っていた。


 かなり怪しい。


 でも、まだ見てはいない。


◇ ◇ ◇


 その後も時計はずれ続けた。


 クロウが直す。


 次の日にはずれている。


 また直す。


 またずれる。


 特に落ち着かないのは、午前六時、正午、午後六時だった。


 ゴーン。


 少しして。


 ゴーン。


 さらに遅れて。


 ゴーン。


 朝食も昼食も夕食も、そのたびに少しだけ調子が狂う。


 食事の時だけではない。


 本を読んでいても。


 作業をしていても。


 遠くから遅れた鐘が鳴ると、クロウの手が止まった。


 今のはどの時計か。


 何分ずれていたか。


 頭の中で確認してしまう。


「またずれてる」


 クロウは何度も時計を直した。


 そして、少しずつ気づいた。


 クロウが時計を直している時。


 近くにミアがいることが多い。


「お兄様、最近ずっと時計見てるね」


「ずれてるから」


「大変だね」


「うん」


「今日はどれくらいずれてた?」


「三分」


「へえ」


 ミアは柱時計を見る。


 それからクロウを見る。


「……楽しそうだね」


「そう?」


「うん」


 ミアは黒猫を抱いたまま歩いていった。


 足取りが軽い。


 怪しい。


 かなり怪しい。


 でも。


 まだ見てはいない。


◇ ◇ ◇


 次の日。


 クロウはいつもよりかなり早く目を覚ました。


 午前六時の鐘が鳴るには、まだ時間がある。


 窓の外は薄暗く、春の朝の光がようやく空の端に出始めたところだった。


 屋敷の中も静かだった。


 人の声はしない。


 廊下にも、まだほとんど足音がない。


 クロウは水を飲もうと部屋を出た。


 廊下を歩く。


 その時。


 大食堂の方から小さな音がした。


 かちゃ。


 クロウは足を止めた。


 振り返る。


 待つ。


 もう一度。


 かちゃ。


 時計の扉を開ける時の音に似ている。


 クロウは大食堂へ向かった。


 足音を立てないように歩く。


 扉が少しだけ開いている。


 中を覗いた。


「……」


 柱時計の前に、小さな人影がいた。


 椅子の上に乗っている。


 時計の扉は開いている。


 黒い髪。


 足元には黒猫。


 クロウは何も言わずに見た。


 ミアが文字盤へ手を伸ばす。


 指が針に触れる。


 ほんの少し。


 動かした。


 その位置を確かめるように顔を近づけ、それから満足そうに頷く。


 クロウは少し待った。


 もう十分だった。


「ミア」


 肩が跳ねた。


 ミアがゆっくり振り返る。


「……お兄様」


「何してるの?」


「……」


 ミアは時計を見る。


 クロウを見る。


 足元の黒猫を見る。


 少し考えた。


「風」


「今、手で動かしてたよ」


「じゃあ猫」


「猫はそこにいるよ」


「……」


 ミアはもう一度黒猫を見た。


 黒猫もミアを見る。


「にゃあ」


 ミアがすぐクロウを見る。


「ほら、猫だって」


「違うと思う」


 クロウが一歩近づいた。


「ミア」


「風かもしれないよ!」


「だから風じゃ――」


 言い終わる前に、ミアが椅子から飛び降りた。


 着地する。


 すぐに黒猫を抱き上げる。


「猫がやったの!」


「今見てたよ!」


「風も吹いた!」


「部屋の中だよ!」


 ミアはそのまま大食堂から走って逃げた。


「待って!」


「猫のせい!」


「違う!」


「風!」


「それも違う!」


 クロウも追いかける。


 さっきまで静かだった屋敷に、二人分の足音が響いた。


 ぱたぱた。


 たたたた。


「ミア、時計戻して!」


「猫が戻す!」


「無理だよ!」


「じゃあ風!」


「もっと無理!」


 廊下の角をミアが曲がる。


 黒猫を抱えたままなのに速い。


 クロウも追う。


 その時だった。


 ゴーン。


「……」


 クロウの足が止まった。


 まだ午前六時には早い。


 大食堂の柱時計。


 さっきミアが動かした時計。


 ゴーン。


 廊下に低い鐘が響く。


 やっぱり。


 ものすごく気持ちが悪い。


 廊下の先では、ミアも足を止めていた。


 こちらを振り返る。


「ほら! 勝手に鳴った!」


「ミアがずらしたから!」


「風かも!」


「ミア!」


 また逃げた。


「時計戻して!」


「あとで!」


「今!」


「猫が――」


「猫はもういい!」


 ミアの笑い声が響く。


 クロウの足音がその後を追う。


 朝の屋敷は、もう静かではなかった。


 時計をずらす幽霊は、結局いなかった。


 いたのは。


 風と猫のせいにしながら逃げる妹だけだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。