ザ・ルールブレイカー
☆ザ・ルールブレイカー
「うーんっ……」
軽く伸びをして、眠気を落とす。
置時計を確認すると、本来の起床時刻からはずいぶんと早い時間だった。
……なんか、早く目が覚めちゃったな。
折角なので、二度寝をせずに起きてみようかな。
置時計と携帯電話。両方のアラームを切る。万が一にも二度寝すると大変なので、きちんと着替えも済ませた。
それだけのことをしても、本来の起床時刻まではまだ一時間以上もある。
窓の外は明るいけれど、何時もよりも赤が強い。朝焼けの残滓のようなものだろう。
朝早くの空気を吸ってみようと思って、窓を開ける。冷えた風が頬を撫でて、残っていた眠気が消えていく。
「早起きは三文の徳って言うけど……」
大体100円くらいの価値だけど、当時だと大根三本くらいは買えるので、結構なものだ。
けれど、そういう損とか得とかを抜きにしても、たまにする早起きというのは、なんだか気分が良い。
しばらくの間、窓から見える景色を眺めようとして――視界が、黒に覆われた。
視界を覆った黒は、甘い香りがした。黒は香りだけでなく声付きで、
「おはよう」
色が、挨拶をして来た。
「っ……!?」
心臓が飛び出るんじゃないかと思うくらいに驚いたけど、叫ぶのはなんとか堪えた。
飛ぶように窓から数歩を離れると、黒の正体が判明する。
それは、髪の毛だった。
「ばー」
そして、声には聞き覚えがある。
「ま、茉莉?」
新都 茉莉。
僕の友人の女の子だ。
茉莉、だよね? 茉莉だと、思うん、だけど。
「そう。まー、参上」
茉莉だった。
茉莉は一度、窓の上の方へと頭を引っ込めた。姿が消える。
それから今度は、窓上から足が伸びてきた。
「……届かない」
空中で足をぱたつかせる。スカートが捲れて白いものが見えた。
なるべくそれを見ないように、僕は茉莉の足を掴んで、「行くよ?」と声をかけてから引っ張った。
「ん」
と、いう声と共に、茉莉の身体が僕の部屋へと入ってくる。
茉莉は床に着地すると、右手に持っていた靴を窓辺へと置いた。
それから僕に向き直り、よくわからないポーズを取って、
「まー、参上」
二回目だった。
「……まー、参上。しゃきぃぃぃん」
三回目も来た。口擬音までついた。どうやら、何かしら反応してほしいらしい。
突然のことにまだ思考が回らないなりに、僕は言葉を返すことにした。
「ええと、いらっしゃい」
「うん。くーのとこ、来た。宇宙、キタ」
「ええと、茉莉、その格好は……?」
茉莉は、白いフリル付きスカートにTシャツという、アンバランスな格好だった。
Tシャツには掛け時計らしきものがやたら強いタッチで描かれていて、下の方には「たいむいずまにー」と文字が書かれている。
正直、かなり微妙だ。
「お気にのTシャツ」
お気にらしい。
まったくセンスがわからない。
そもそも今日は学校だし、ここは二階で、彼女は明らかに屋根の上から僕の部屋に入ってきた。
もしかして、僕が窓を開けるのを待っていたんだろうか。だとすれば、何時から……?
彼女、新都 茉莉がこういう突拍子もないことをするのは、なにも始めてじゃない。
彼女のことを一言で表すと、『変人』というのがぴったり当てはまる。
茉莉は普通の人には考えもつかないような行動を、さもそれが当然だというような顔でやってしまう。
彼女はとにかく気分屋で、自分が思った通りに振る舞うタイプだ。
遅刻や無断欠席は当たり前だし、理由も告げずにフラッと早退したりする。
起こした問題は数知れず。貯水タンクの中身を全部オレンジジュースにした『オレンジ事件』や、夜の間に学校中に花火を仕掛けて朝礼の時、校長が挨拶した瞬間に一斉起爆した『ドドンパチ』など、名前が付くくらいの伝説を数多く作り出している。それも、現在進行形で。
そうしてついたあだ名が、『ミスカトニック高校のルールブレイカー』。
僕らの通うミスカトニック高校では、家井 弾と並んで問題児とされている。それが、新都 茉莉という女の子だ。
ただ、茉莉も弾も、ある意味では普通の問題児よりもずっと質が悪い特徴があった。
彼女の場合は――天才であるということ。
天才と変人は紙一重。
誰かがそんなことを言っていたけど、茉莉はその言葉の模範であるかのような存在だ。
勉学であれば教師すら手玉にとり、運動であればあらゆる種目で誰も寄せ付けず、芸術であれば言外の感動を呼び、技術であれば今日始めて目にしたものでも簡単に自分のものにしてしまう。
そうした能力の高さから、大きく処罰することもできない。
彼女が取得した賞や実績で、学校にもたらされた利益は計り知れないからだ。
僕は詳しくは知らないのだけど、茉莉は新しい化学反応の発見や、長らく解かれていなかった数式を紐解いたり、新たな歴史の解釈を行ったりして、数多くの前人未到の域に一人で到達し続けているのだという。
決められた範疇からの脱却。
ネガティブな意味でも、ポジティブな意味でも、ルールを壊す存在。
それが、新都 茉莉という人物だ。
「くー、おはよう。今日も、冒涜的ないい天気」
僕ら友達連中に対しては、こんな感じなんだけど。
茉莉は妙に僕になついているところがあって、そのお陰で僕は学校で彼女の手綱を握る役のように扱われている。
おまけにもう一人の問題児、家井 弾も僕の友人なので、僕はちょっとした有名人だ。あんまり嬉しくはないけど。
「茉莉、今日はどうしたの?」
茉莉は毎度、何を考えているのか予測ができない。
機嫌が良いとか悪いとか、それくらいなら解るけど、彼女の真意を計ろうとすると、こうやって聞いてみる以外の方法はない。
「……くー、お布団」
茉莉は僕の手を引いて、布団まで誘導する。
意図を計りかねるままに連れていかれ――そこで、視界が逆さまになった。
「わ……!?」
実際には、茉莉が動き始めたところで、抵抗はしようとした。
茉莉の腕を取って、足の軌道を妨げて、投げさせないように動こうとしたのだ。
だけど茉莉の方が、何枚も上手だった。
茉莉は僕の腕を軽く払い、足を蛇のように動かして僕の妨害を抜けた。
寧ろ抵抗しようとする僕の力を利用して僕を浮かせ、ベッドに叩き落とすところまでやってみせた。
……無理!
男としては情けない限りだけど、茉莉の全力に僕が敵うはずがない。
早さも技も、思考の速度も違いすぎる。
まるで、茉莉だけが違う時の流れの中にいるかのような錯覚さえ覚えるほどだ。
こうした無茶苦茶に振り回されているお陰で、僕自身もそこそこ『動ける』のだけど――全力を出した茉莉には、とても敵わない。
茉莉は僕を見下ろしてどこか満足げに頷くと、ぴょーんとベッドに飛び乗ってきた。
更に僕の枕に頭を乗せて、掛けシーツの半分を僕に、残りの半分を自分に掛けて、
「……二度寝しに来た」
「わざわざ僕の家で!?」
「くーの匂いに包まれて二度寝したかった……くーも一緒に……」
「いや、今日学校あるからね?」
「休む……」
「休むって……」
「くーと一緒に……ただれた平日を謳歌する」
「ダメだよ、茉莉。ちゃんと学校行かないと」
茉莉は無表情のままで、心底めんどくさそうに溜め息を吐くという器用な動作をした。
「くー。想像力が足りないと、死ぬことになる」
「茉莉の想像力についていく方が、命の危険があると思うんだけど……」
「学校に毎日いく、そんな変わらぬビジョン、面白くない。革命するべき」
「いや、それ学生の本分だから」
「学校にいかなくても、立派な大人になれる……」
今、見る間にダメになってる子が言ってもまったく説得力がありません。
僕は茉莉の頭を撫でて、言い聞かせるように話をする。
「ええと、茉莉。そうはいうけど、出席日数足りないと留年になるよ? そうなったら、僕たちは学年が離れちゃうよね?」
「……それは困る」
「うん。僕も、茉莉がいないと寂しい。それにもうすぐ夏休みでそうなったら学校は毎日休みになるんだし、もう少しがんばろう?」
「……ん」
茉莉なら出席日数くらいなんとかしてしまいそうだけど、とりあえずは納得してくれたらしい。ベッドから起き上がってくれた。
僕も同じように起き上がると、茉莉はこっちを見上げてきた。
「充電」
呟くようにそう言って、茉莉は僕の身体に頭を刷り寄せてくる。
「充電」
今度は不満そうに、確かに僕に向けて言葉が来た。
よくわからないけど、とりあえず頭を撫でる。
「ん」
ビシッ、と親指を立てた右手が返事として返ってきた。どうやら正解だったらしい。
五分くらいそうしたところで、茉莉は僕から離れた。窓の縁に置かれた靴を手に取り、こちらを振り替えって、
「ポッター、学校で会おう」
無表情のまま眉毛だけ軽く上げ下げするという、変にすごい芸当を行ってから、茉莉は窓から外へと消えていった。
突っ込みをいれようにも既に茉莉は姿を消している。窓から流れてくる風が、彼女の匂いを室内に混ぜて、散らしていく。
「……自由な子だよ」
朝から相手すると、結構疲れるんだよね。ルフか弾がいると良いのだけど、一対一だとちょっと骨が折れる相手だ。
それでも友人として、彼女がダメになってしまわないようには努めるべきだと思う。
彼女がどれだけ周りから変人だと思われようとも、僕にとっては大切な友人の一人なのだから。
―――――――――
「おはようございます、ご主人様」
「嗚呼、うん。おはよう、プリマリアさん」
「……新都様は相変わらずですね」
「うっ」
こっちにも、僕が敵わない人がいた。
あとがきクトゥルフ神話解説
☆Tシャツには掛け時計らしきもの
クトゥルフ神話に登場するマジックアイテム、ド・マリニーの掛け時計から。
四本針の掛け時計で、時空を移動する乗り物でもある。
茉莉のモチーフであるアンリ・ローラン・ド・マリニーではなく、彼の父親が所有していたもので、タイタス・クロウは十年以上この道具を研究していた。
☆ミスカトニック高校
クトゥルフ神話に登場するスポット、ミスカトニック大学から。
ミスかトニック大学は、マサチューセッツ州のアーカムにある総合大学。
考古学部、人類学部、歴史学部、副専攻科目として医学部があり、大学院も設置している。
クトゥルフ神話に登場する多くの人物の母校(あるいは関係者として所属)であり、時に事件の舞台にもなる。
図書室には忌まわしき知識の記された、世界に数札しかない貴重な書物が数多く存在していて、厳重に保管されている。さすがに簡単には目を通すことはできない。
この作品のミスカトニック高校は隣にミスカトニック大学という学校があり、理事長が同一人物という設定です。エスカレーター式ではありません。
☆冒涜的ないい天気
クトゥルフ神話作品で度々登場する文言、「冒涜的な」から。
他にも、
「名状しがたい」
「忌まわしき」
「宇宙的」
「非幾何学的な直線」
「輪郭はぼやけていて、明確な形は理解出来なかった」
「窓に! 窓に!」
などがクトゥルフ神話を題材とした作品群では良く使われる文言 。この作品のタイトルにも、「名状しがたい」は使われております。




