夜の闇に吠えない
☆夜の闇に吠えない
「……寝れない」
呟いて、瞳を開ける。
携帯を開いてみると、午前二時前を表示していた。
「……うーん」
なんだろう。今日は全然眠れない。
……こういう日って、たまにあるな。
なにか特別なことがあったわけでもないのに妙に疲れてるとか、眠れないとか、お腹が空くとか。今日はどうも、そういう日らしい。
明日……や、正確には今日は休みだから夜更かしをしていても問題ない。
でも、お昼前から友人の家井 弾と遊ぶ約束をしている日でもある。
何をして遊ぶのかは聞いていないけど、弾のことだからたぶん相当に振り回されるだろう。ちゃんと眠っておかないと、正直保たない。
特撮とかアニメの方は録画してるから後で見ればいいけど、友達のことは別だ。ダルいとか眠いとか思わずに友達との時間を楽しみたい気持ちもある。
「喉、乾いてきちゃったな」
このまま寝転がっていても、まだ暫くは眠れなさそうだ。
少し気分を変えてみよう。そう思って、僕は一度、ベッドから抜け出してみることにした。
部屋を出て一階へと降りる。夜遅くなので、注意しながら。
静かな移動は近所迷惑も考えてのことだけど、他にも理由がある。
僕の家には今、父さんも母さんもいない。けど、独り暮らしというわけじゃない。
見た目からはごくごく普通の我が家だけど、実はメイドさんが一人いて、僕はその人と一緒に暮らしている。
時間的にはふつうの人は眠っている時間なので、彼女も眠っていると考えるのが自然だ。
何時も僕のために身を粉にして働いてくれる彼女の休息を邪魔したくない。そう考えての足運び。
色々と鍛えられているので、足音と気配を消すくらいはできる。
扉の開閉も無音で行うことができるので、それらの技術を総動員して僕はリビングに辿り着いた。
……こういうのは日常でも結構使える技術だよね。
能力というのは使い方だ。
覚えた能力で何を成すのかは、その人次第。
凄い力を持っていてもロクなことに使わない人もいれば、小さな力で大きなことを成してしまう人もいる。
人の手の中にあるものは、決してその人が望んだものばかりではないかもしれない。
だけど、それをどう使うのかは、自分で選ぶことができる。自分で踏み出す心さえ、持っていれば。僕はそう思っている。
それを彼女に伝えたことをもうずっと昔のように感じる。実際には、そんなに遠い思い出ではないのに。
それだけ濃密な時間を、彼女と過ごしているということだろう。
リビングの扉を閉める。軽く息を整えてから、音と気配を消すことを意識。
視界は闇に慣れてきた頃だ。床には僕の移動を妨げるような障害物はない。
気軽に行った。緊張しすぎて身が固まると、逆に音を出す原因になってしまうから。
……うん。前よりも『動ける』ね。
色々なものに付き合っている結果。そのお陰で得たものも多くある。
リビングを抜けて台所に。
冷蔵庫の前に来て、ふと、思うことがあった。
……最近、自分であんまり開けなくなっちゃったな。
何か欲しいものがあると、大体我が家の優秀なメイドさんが取ってきてくれる。
料理もぜんぶ彼女がやってくれるので、僕が冷蔵庫の扉に触れる機会はずいぶんと減っていた。
たまには前みたいに自分でご飯作ったりしたいけど、それは彼女の仕事を奪ってしまうことになる。
……どうするのが、一番良いのかな。
遠慮している気もするし、甘えているような気もする。少しずつでもこういうのの落とし所が見付かるといいんだけど。
まだ彼女と暮らしはじめて、季節は一巡も巡っていない。僕たちはお互いに知らないことも多いし、きっと遠慮していたり誤解していたりするところも、多くある。
それでも僕は、彼女と生きていこうと思った。
変化していくといい。できれば、より良いと思える方向に。
そう考えながら、僕は冷蔵庫の扉を開けた。
……整頓されてるなぁ。
でも、僕とは違う並べ方だ。彼女が考えて選択した、彼女にとって最善の配置。
目の前の景色は、もうここが僕の領分ではないという印であり、彼女がここを自分の領域だと決めたという証だ。
寂しくもあり、嬉しくもある。
両方の気持ちを受け入れて、僕は水のボトルを手に取った。
ええと、後はコップを――
「――ご主人様。お茶をお淹れしましょうか?」
「あ、ううん。いいよいいよ。ミ=ゴの天然水飲むから大丈夫」
「気分の入れ換えなどであれば、少し熱めのお茶の方が適していると思いますよ」
「あー、うん。それはそうなんだけどね……」
「一度身体が暖まると、そこから冷える過程で眠気が引き起こされるとも言われていますしね」
「へえ、そうなんだ?」
「はい。身体を暖めると副交感神経が落ち着いて、穏やかな眠りにつけるそうです。どうしても眠りづらいのであれば、今から一度、お風呂に入ってみるのも良いかと思います。ご用意いたしましょうか?」
「いやいや、プリマリアさん休んでたんでしょ? そんなのいいから――って、うわぁ!?」
あまりにもナチュラルに側にいて話し掛けてくるものだから、一通り話し込んでから驚いてしまった。
冷蔵庫の明かりに照らされてこちらに一礼するのは、メイド服の女性。
金色の髪と、紅の瞳。そして瞳と同じ色をした首輪を首に装着している。
プリマリア・ティンダロス。
僕のメイドさん。
「ぷ、プリマリアさん?」
「はい。『何時もにこにこ貴方のお側に』が合言葉。ご主人様の忠実なメイド、プリマリアです♪ わんっ♪」
「な、な、なんで……?」
なんで、の意味はふたつあった。
なんで、起きているのか。
なんで、僕の動きに気付いたのか。
プリマリアさんはにっこりと笑うと、キッチンの電気を点けた。
光があちこちに届いて反射して、僕の瞳にやってくる。いきなりの明るさに、少しだけ目の奥が痛くなった。
「なんで、と言いますと……私が起きていることでしょうか? それとも、私がここにいることでしょうか?」
「え、えと、両方……」
「では、順番に。起きている理由は深夜アニメを見るためですよ」
「……リアルタイム派なんだ」
プリマリアさんは何故か誇らしげに胸を張った。おっきい。や、どこがとは言わないけど……おっきい。
僕は深夜番組は録画して見る派だけど、プリマリアさんは違ったようだ。
「ちなみに本日は三時頃から始まる東京食屍鬼ルートCと、ハロー! きいろキングスを視聴の予定です」
プリマリアさんは優雅にお辞儀してから、次を話す。
「そして、私がここにいる理由ですが……ご主人様がここにいるから。それだけですよ」
「あの……僕、確か気配とか足音、消してたんだけど……?」
自信満々にやってたのに、そんな風にいい笑顔で「そこに居ましたよね」とか断定されるとちょっと恥ずかしい。正直、悔しくもある。
プリマリアさんに敵うなんてことは最初から考えていないけど、気付かれないくらいはできると思っていたのに。
成長してるとか思っていた自分がバカみたいだ。
「ご主人様は成長なされました。事実、足音と気配は完全に消せていましたよ」
「……へ? でも、プリマリアさんは気付いて……」
「私がご主人様の動きを感知できた理由は、気配でも音でもありませんから」
「……第六感?」
気配でも音でない判別方法というと、僕にはこれくらいしか思い付かない。
実際、そういう人はたまにいる。
なんの手懸かりもないのに真実に辿り着けてしまう。
足場がなくても行き着くべき場所へ歩いていける。
そんな存在は、稀にだけど確かにいる。
プリマリアさんはその次元の存在だ。出会ったときから知っている。
彼女は僕の言葉に対して、首を振った。否定だ。
「そんなものよりも、ずっと確かなものです」
「……ごめん、ちょっと解んない」
「匂いですよ、ご主人様」
におい。
僕の体臭。
それを追って、彼女は僕の動きを把握してきたのだと言う。
ええと、つまり……。
「僕、くさい……?」
体臭はキツい方じゃないと思っていたし、気を使っていないわけでもなかった。
でも、実際はそうでもなかったとしたら。
かなりショックだ。暫く立ち直れないかもしれない。というか、今もうちょっと泣きそう。
「そうではありませんよ、ご主人様」
「うえ?」
変な声で返答してしまった。
やばい、思ったよりダメージ大きいかも。女の子にくさいって言われた。や、違う? 違うの? 違うと良いな。違うんだよね?
「私は、ご主人様の匂いが好きですから。好きな匂いだから解るんですよ」
「…………」
落とされて一気に上がったような感覚。
そういう訳じゃない。正確に言うならば、僕が勝手に落ちて、引き上げられた。それだけの話だ。
解ってるけど、嬉しい。
どうしようもないくらい嬉しい。
匂いというのはそう簡単に変えようがないものだ。
抑えることはできるし、一時的になら変えることはできる。年齢や整髪料などでも、微妙に変化はする。
だけど、根本を変えることはできない。ある意味では『体臭』というのは、個人を強く象徴するものだと言える。
僕だけが持っている、僕の匂い。指紋や声と同じく、この世で僕だけのもの。
それが好きだと言われるのは、まるで僕の存在をそのまま肯定されたみたいな気持ちで。
どうしたって、嬉しくなってしまう。
「……ありがとう、プリマリアさん」
「私は事実を述べただけですよ、ご主人様」
「うん。それでも、嬉しかったから。ありがとう」
「……わんっ」
彼女独特の、犬が吠えるような返し方。
僕は自然とプリマリアさんの頭に手を伸ばしていた。
指に髪が柔らかく絡んで、プリマリアさんが少し震えた。震えの理由は喜びだと解るくらいには、この人のことは知っている。
髪の毛を混ぜると甘い香りがした。そこに吸い込まれて、包み込まれてしまいたい気分になる。
さすがに我慢はするけど。
嗚呼、これ、いい匂いだな。
「……僕も好きだな、プリマリアさんの匂い」
「ご主人様……知っていますか?」
「ん、なにを?」
プリマリアさんは首輪に触れる。愛おしそうに金具に指を這わせて、言葉を投げ掛けてくる。
「お互いの体臭を「いい匂いだ」と感じるのは、相性の良い証だそうです」
「そうなんだ」
相変わらず、プリマリアさんは物知りだ。
プリマリアさんは微笑んで、「はい」と答えた。
「ご主人様と私は、相性が良いということですね」
頷くことで返答として、彼女の頭を撫で続ける。
彼女は僕にとって、当たり前のように隣にいてほしい存在だ。
さっきだっていきなり現れたことに驚きもしたけど、嬉しい気持ちも大きかった。安心したとも言える。
プリマリアさんといるのは心地いいし、安心する。ドキドキもする。今だって、している。
胸の奥が絞まるような、暖かいような、むず痒いような気持ち。
もしもこの気持ちがお互いにぴったりと合わさっていて、相性が良いとしたら。
僕は、凄く嬉しい。
「僕の隣にいるのは、プリマリアさんが良いって思ってるよ」
「私がお側にいたいと思うお方は、ご主人様ただお一人です」
「……相性、良いね」
「はい、きっと」
嬉しそうなプリマリアさんを見て、僕も嬉しくなってしまう。
僕は暫くの間、プリマリアの髪に触れ続けていた。お互いの気持ちを確かめるように。
―――――――――
「でも、好きな匂いだからってよくわかったね」
「深く眠っているのでもなければ、ご主人様の匂いはどこでも追えますよ」
……そんなににおうかな。
それとも、プリマリアさんの嗅覚が凄いだけだろうか。
「ご主人様、お茶をお淹れしましょうか?」
「……うん、お願い」
まるで「淹れさせてください」と言わんばかりの瞳。期待に満ちた視線。
僕のお世話を焼けるのが嬉しくてたまらないという感じの雰囲気のプリマリアさんに、僕は結局折れてしまった。
……お茶、美味しいしね。
ミ=ゴの天然水をそっと冷蔵庫に戻して、僕はリビングで待つことにするのだった。
……これ、結局朝方まで起きて一緒にアニメ見ちゃうパターンじゃないよね?
そうなると大変なのはわかっているのに、それも悪くないかな、なんて思うから厄介だった。
あとがきクトゥルフ神話解説。
略してあくせつの時間です(適当)
今回からは、クトゥルフ神話ネタを使った回ではそのネタを説明しようと思います。
いちクトゥルフファンとして、「クトゥルフ神話により興味をもってもらいたい」というテーマのものなので、クトゥルフ神話に興味のない人は読まなくても大丈夫です。
説明を深く書くか浅く書くかは作者の気分次第です←
興味を持った人はもっと深く調べてみてください。
自分で調べることで、より深く、楽しくクトゥルフを知ることができると思います。
クトゥルフ神話以外のネタはいろいろと危険な気がするので説明しません。各自わかる人だけ解ってください←
☆夜の闇に吠えない
クトゥルフ神話に登場する邪悪な存在、『闇に吠えるもの』から。
『闇に吠えるもの』は、『無貌の神』と呼ばれる神性、ニャルラトホテプが数多く持つ『化身』と呼ばれる姿のひとつ。
ニャルラトホテプ以外にも、この『化身』をもつ神はいくつか存在する。
触腕、鉤爪、手が自在に伸縮する無定形の肉の塊であり、咆吼する顔のない円錐形の頭部を持っている。
☆東京食屍鬼ルートC
クトゥルフ神話に登場する生物、食死鬼のこと。
グールという呼び名でも通じる。
アンデッド、ゾンビの類いではなく生命体であり、元々人間だったという種族。
前屈みの姿勢や顔は犬のようで、肌はゴムのようになっている。足には蹄のような鉤爪のようなものを備えている。
墓地の近くや地下鉄、下水道などに住んでいて、死肉をあさる。時には餌のために生きた人間を襲うこともある。
人間と明確に敵対しているかと言えば、そういうわけではない。
彼らは人を襲うこともあるが、元々は人間でもあるので、場合によっては友好関係を結ぶこともできる。
ただし、人間があまり長い時間彼らとともに暮らしていると、そのものは食屍鬼と化してしまうことがある。
基本的に自由を愛する種族だが、族長のようなものは存在していて、一定の社会性を持つ。
ルートCのCはクトゥルフ神話のこと。
東京食屍鬼はとある理由で食屍鬼となった主人公が活躍するダークヒーローものアニメ。ルートCはその二期目。
☆ハロー! きいろキングス
クトゥルフ神話に登場する神性、黄衣の王のこと。イエロウキングス。
クトゥルフ神話に属していたわけではなく、元々はロバート・W・チェンバースの書いた短編集。
それを読んだラヴクラフト御大が自身の作品に黄衣の王を登場させ、やがてクトゥルフ神話の一部と見なされた存在。
この作品はクトゥルフ神話が題材なので、今日のクトゥルフ神話として定着している黄衣の王を説明します。
風の神性ハスターの化身で、『黄衣の印』と呼ばれるコインのようなものを集めている。
『黄衣の印』を持つものは自分の意思でそれを捨てることができない(何かに取り付かれたように手放せなくなる)ため、黄衣の王はその時の持ち主の魂を喰らい、『黄衣の印』を奪っていく。
ぼろ布のようなものを纏い、青白い仮面をつけている。ぼろ布のようなものは衣服ではなく、皮だと言われている。
また、『黄衣の王』は詩劇としても存在していて、ヒアデス星団のカルコサを舞台とした黄衣の王の物語だとされる。
この美しくも恐ろしい言葉で彩られた書物を読むものは終章まで辿り着くことなく発狂死するため、その内容は謎に包まれている。
ハロー! きいろキングスは外国からやってきた金髪の少年と、周りの人物たちとが繰り広げるほのぼのとした日常を描いた日常系アニメ。二期目だそうです。
☆ミ=ゴの天然水
クトゥルフ神話に登場する地球外生命体、ミ=ゴのこと。
『ユゴスよりのもの』とも呼ばれ、ユゴス(冥王星)から地球の鉱物資源を求めてやってきているらしい。
ユゴスも彼らの拠点のひとつに過ぎず、本拠地は遥かかなたの外宇宙、もしくは異次元にあるとされる。
体長は約5フィート。鉤爪のような足をたくさん備えた甲殻類のような姿を持ち、背中には蝙蝠に似た羽がある。
特殊な体組織で構成されていて写真には写らないものの、見たり触れたりはできる。菌類に近い生物らしい。
資源の採取を優先しているため人間にあまり害をなすことはないものの、必要以上に近づいてくる人間に対しては容赦しない。
また、信頼できると思った人間を仲間として引き入れることもあり、クトゥルフ神話に登場する生命体としては、危険度は低い方。
あくまで『低い方』なので、出会ったらヤバいとは思っててください。
科学技術が非常に発達した種族で、生物の脳を生きたまま取り出して特殊な円筒型容器の中に入れるくらいは朝飯前。通称『脳缶』。
この円筒型容器は専用の機材があれば中の脳は視覚、聴覚を得ることができる。
さらに脳を取り出されたあとの身体は彼らによって不老処理を施され、脳が戻るまで生き続ける。
ミ=ゴはこの技術を気に入った相手に使い、安全な宇宙旅行に連れていったりしてくれる。
……気に入らない相手に使うこともあり、その場合脳がどのような目に遭うのかは彼らの気分次第になる。
リトルグレイは彼らがアメリカと密約を交わすために作った対人用インターフェースであるとか、雪男の正体だとか、いろいろとまことしやかに囁かれている。
ミ=ゴの天然水は鉱水です。軟水で美味しいです。本当です。凄く本当です。




