第4話 脚鮫
カーテンを突き抜けてくる日差しが、いつもより心なしか暴力的な気がする。
俺は重い瞼をこじ開けてスマホを手に取った。
「ん、ちょっとバズってら」
昨日、適当に切り抜いて投稿した『初潜りで特大の不運』というショート動画。
画面をスクロールすると、再生数が万を超えていた。
『気付いた直後の顔で笑ってしまった』
『初潜りでこんなんされちゃ洒落にならんよなぁ。無事で良かったね。』
『嫌がらせだろこれw』
『特大の不運ってなんだよと思って見てたら特大の不運だった』
『何気に授業以外でスポーンの映像って初めて見たかも?』
などといったコメントが並んでいる。高評価も300を越えている、初投稿にしてはなかなかだ。
「ショート動画は積極的にやっても良いかもな〜。楽だし」
今日は土曜日。俺は軽く朝食を済ませ、適当なジャージに着替えてマンションを出た。
「朝から凄い人……」
歩いて数分で到着した探索者協会周辺は、異様な熱気に包まれていた。昨日の「プロの仕事場」といった空気とは打って変わり、今日はどこかお祭り騒ぎに近い。
微笑ましい親子の会話や、大学のサークル仲間らしき集団が「配信映えするスポット行こうぜ!」と盛り上がっている声が聞こえてくる。
協会近くの広場には活気が溢れ、屋台からは物凄く美味そうな匂いがする。
「ひぇ〜…今日来るのミスったかなぁ」
俺は人混みを縫うようにして、探索用品貸出所へと向かった。
窓口は長蛇の列。昨日なら数分で終わった手続きに、今日は三十分もかかった。さすがに来る時間帯を間違えた感がある。
ようやくダンジョンドローンとレンタル槍、そして採取用のナイフを確保した俺は、逃げるように大扉へと向かう。
「よし、相棒2号。今日も頼むぞ」
ふよふよと浮くドローンを伴い、俺は転移陣を抜けて第1階層へと降り立った。
目の前に広がるのは、昨日と変わらない青々とした草原。
だが、セーフエリア周辺には既に多くの探索者が展開しており、あちこちでスライムを叩く音や「いたぞ!」という叫び声が響いている。
「これじゃモンスターの取り合いだな」
俺は人混みを避け、まだ誰も手をつけていなさそうな、草丈の高いエリアへと足を向けた。今日は採取もしたいからな、人がいなければいないほど良い。
「おっ、あったあった」
茂みの根元に、淡い緑色の光を放つ草を見つけた。
『癒やし草』
ポーションの原料になる、第1階層の定番採取アイテムだ。
俺は腰に下げたナイフを取り出し、根元を傷つけないように慎重に掘り起こす。
「地味だけど、こういうのも結構好きだな」
探索者やってる〜!感が良い。
まぁこの癒やし草は、1個で500円くらいにはなる。
10個集めれば5000円、なかなか見つけられないかもしれないが悪くない。
「……ん?」
ふと、背筋に冷たいものが走った。
野生の勘か、それとも道化師の感か。俺は作業を止め、ゆっくりと顔を上げた。
風が止まっている。
いや、周囲の虫の音や、遠くの探索者たちの声が、急に遠のいたような錯覚。
「なんだろ」
俺は草むらに伏せ、そっと前方の視界を確保した。
そこは、平原の中を緩やかに流れる小川のほとりだった。
「……うっそ」
喉の奥がヒリつく。
そこには、体長4メートルはあろうかという、異様な生物がいた。
全体像はサメだ。だが、その腹の下には、太く逞しい四本の脚が生えている。
皮膚はザラついた灰色で、陽光を浴びて鈍く光っている。そいつは長い鼻先を地面に近づけ、クンクンと何かを嗅ぎ回っていた。
第1階層の捕食者、『レッグシャーク』だ。
「……なんでこんなところに。川付近とはいえ、セーフエリアからそんなに離れてないぞ」
図鑑によれば、あいつの噛む力は鉄パイプすら容易に噛みちぎるという。俺がまともにやり合って勝てる相手じゃない。
あいつの目が、獲物を探してギョロリと動く。
(……逃げよう。全力で、かつ静かに)
俺は息を殺し、一ミリずつ、スローモーションのように体を後退させた。
もし今、あいつに気づかれて突進されたら、俺の短い探索者物語はここで『完』だ。
バキッ
小さな枝を踏んでしまった音が、静寂の中に響いた。
心臓が跳ね上がる。
レッグシャークがピクリと動き、こちらを向いた。
(俺は石 俺は石 俺は石……)
俺は動かない。石になったつもりで、完全に気配を殺す。
レッグシャークは数秒間、俺のいる茂みをじっと見つめていたが……やがて興味を失ったのか、再び小川の方へと歩き出した。
そこからの俺の動きは、自分でも驚くほど素早かった。
四つん這いのまま、あいつに背を向けないように後退し、十分な距離が空いたところで一気に走り出した。
「こえぇ!死ぬかと思った……!」
心臓の鼓動が耳の奥でうるさいほど鳴っている。
冷や汗でジャージが背中に張り付いている。
だが、この死線を超えた感覚。
恐怖と同時に、言いようのない高揚感が体を駆け巡る。
「……ハ、ハハッ」
思わず笑みが漏れた。
こんな危険な場所に、俺は自らの意思で足を踏み入れている。
金持ちの両親に無視され、退屈な日常を過ごしていた俺が今、間違いなく"生きている"。
「……ハハハハッ! あぶねー、マジであぶねー!」
俺は草原のど真ん中で、声を上げて笑った。
すると、身体の奥底から熱い力が湧き上がってくるのを感じた。
『道化の心得』
笑みを浮かべ、笑い声を上げれば、戦気,魔力,疲労,傷が回復する。
「あ、すっごい。疲労が一気に…」
さっきまでの全力疾走の疲れが、スッと引いていく。
精神的なストレスも、笑い声と共に霧散していく。
なるほど、ピエロは笑ってナンボってわけか。
傍から見れば、サメから逃げ出して狂ったように笑っている不審者だが、この際そんなことはどうでもいい。
「よし、元気も出たし、あいつのいない方向でレベル上げと採取だ!」
俺は槍を握り直し、再び平原の奥へと進んでいった。
その後、俺は数体のスライムと、運良く遭遇したファングラビットを3匹仕留めた。
レッグシャークの後だと、あの凶暴なウサギすら可愛く見えるから不思議なものだ。
夕暮れ時。
俺は再び探索者協会へと戻ってきた。
朝の喧騒はどこへやら、広場には家路を急ぐ探索者たちと、これからダンジョンに挑もうとする賢いガチ勢が入り混じっている。
買取カウンターでの査定結果は、だいたい18000円ぐらいだった。昨日のワイルドチキンに比べれば低いが、一日のバイト代としては十分すぎる。
今夜の飯は、ちょっと良いレトルトカレーに、トッピングで豪華なカツでも乗せてやろう。
マンションへの帰り道、スーパーに立ち寄ると、案の定惣菜コーナーは値引きシールを待つ人々で混み合っていた。
俺は人混みを器用にかき分け、目当ての厚切りロースカツを確保する。
レジに並んでいる間も、ふとした瞬間にあのレッグシャークの冷たい眼光が脳裏をよぎる。
「……恥ずかしいとか言ってらんないな。使えるもん使わないと」
その事実を突きつけられたはずなのに、不思議と足取りは軽い。これだけ早く命の危険を感じられたのは、むしろラッキーだったんじゃないかと思う。
部屋に戻り、買ってきたカツをオーブントースターで温め直す。
パチパチと脂が弾ける音が、静かな部屋に響く。
温まったカツを、レトルトの極み欧風カレーの上に乗せれば、俺だけのご褒美飯の完成だ。
「いただきます」
サクッとした衣の中から、溢れ出す肉の旨味。
スパイシーなルーが、戦いと採取で疲れ切った身体に染み渡る。
「う、美味い。美味すぎる」
ガツガツと食べすすめ、すぐに無くなってしまった。
満足した食事を終えて、洗いものをパパっと終わらせて風呂に入ってベッドに潜り込む。
「明日は装備でも見に行くかなぁ。なるべく派手なやつ……」
俺は満足感と共に、深い眠りへと落ちていった。
夢の中では、なぜかレッグシャークが真っ赤な鼻をつけて、俺と一緒に玉乗りをしていた。




