第15話 ピエロとサメ
「……よし、今だ」
俺は茂みの中で息を殺し、ターゲットが川辺で無防備に水を飲む瞬間を待っていた。
視線の先にいるのは、体長4メートルを超える灰色の巨躯、レッグシャーク。
以前、俺が這いつくばって逃げ出した因縁の相手。だが、今の俺はあの時とは違う。
「まずは挨拶代わりだ。『アイスニードル』」
魔力を練り上げ、虚空に氷のトゲを生成し、射出された。狙いは正確。レッグシャークの太い脚の付け根だ。
ドシュッ!!
「――ッ!?」
氷のトゲが分厚い皮膚を貫き、動きを止めた。
不意を突かれたレッグシャークが、鋭い悲鳴を上げてのけぞる。だが、奇襲はこれで終わりじゃない。俺は茂みから飛び出すと同時に、一気に距離を詰めた。
「『火吹き芸!』」
大きく息を吸い込み、マスクをずらして火の玉を吐き出す。
ボフゥゥゥン!!
「グルァァァ!?」
氷で冷やされた直後の顔面に、灼熱の炎が直撃する。
急激な温度変化と衝撃に、レッグシャークが狂ったように頭を振り回した。
完璧な先制攻撃。狙撃と爆撃のコンボだ。
だが、第1階層の捕食者は、それだけで沈むほどヤワではなかった。
「グルァァァア!!」
視界を焼かれ、脚を傷つけられたレッグシャークが、怒り狂って地響きを立てた。
そいつは四本の脚で地面を爆発させるように蹴り、俺に向かって突進してくる。
速い。先週見た時よりも、遥かに速く感じる。
「おっと……!」
俺は銀色の靴で地面を滑るようにステップを踏み、その巨大な顎を紙一重でかわした。
ガチィィン! と、空振った牙が重金属のような音を立てて合わさる。
「怖すぎ!?」
レッグシャークは巨体に似合わぬ柔軟さで体を捻り、その太い尾を鞭のようにしならせて叩きつけてきた。
ドォォォォォン!!
「ぐっっ……!」
受け流す暇もなかった。
横腹に凄まじい衝撃が走り、俺の体はボールのように草原を転がった。
肉体強度が上がっていなければ、今の一撃で肋骨が全部粉砕されていただろう。
「いってて……」
視界がチカチカする。流石に正面から食らうとキツい。
もちろんレッグシャークは止まらない。片脚を引きずりながらも、執念深く俺を追い詰めてくる。
さらに悪いことに、騒ぎを聞きつけたのか、周囲から『ラビットウルフ』の群れまで姿を現し始めた。
「グルル……」
ハイエナどもめ。俺とサメが共倒れになるのを待つつもりか。
だが、この状況は俺にとって都合がいい。
「アーッハッハッハ!! 来いよ、全部まとめて相手してやるよ!!」
魔力と戦気を急速に再充填していき、痛みも引いていく。
俺は三色チェック柄の袖で口元の血を拭い、サーベルを逆手に持ち替えた。
「『アイスニードル!』」
指先から次々と放たれる氷のトゲ。
それはレッグシャークへの牽制ではなく、周囲を囲もうとしていたラビットウルフたちを正確に貫いていく。
「ギャンッ!」「ギャッ!」と短い悲鳴が上がり、ハイエナたちが光の粒子へと変わっていく。
「ハハハ!!次はテメェだ、サメ野郎!」
俺はレッグシャークの突進に対し、今度は逃げずに正面から踏み込んだ。
相手が顎を開く。俺を噛み砕こうとするその瞬間。
「『火吹き芸!』」
口の中に、ありったけの戦気を込めた火球を叩き込む。
ドガァァァァン!!
「ガ、アァッ……!?」
内側からの爆発。
レッグシャークが、口を開いたまま一瞬だけ硬直した。
その隙を見逃さず、口の中にサーベルを突き刺して切り裂く。脳髄まで届くような感触。
レッグシャークは一際大きな痙攣を起こし、やがてゆっくりと、その巨体を草原へと沈めていった。
地響きと共に、静寂が訪れる。
巨大な捕食者の死体は、光の粒子となって霧散し、草原の風に溶けていく。後に残ったのは、拳ほどもある巨大な魔石と、布袋に入った肉、何やら銀色に光る小さな鱗。
そして、肩で荒い息をつく一人のピエロだけだ。
「……疲れた〜」
俺はその場に座り込み、天を仰いだ。
スーツのは泥と返り血で汚れ、銀色の靴は輝きを失っている。だが、胸の奥にある満足感は、何物にも代えがたかった。
「ハハ、ハハハハ!!……はぁ、セーフエリアに戻ろ」
俺はドロップ品を拾い上げ、重い足取りでセーフエリアへと歩き出した。
「お疲れ様です……あら、随分派手にやられたわね」
買取所の窓口のお姉さんが、汚れた俺を見て目を見開いた。
「はい。まぁ何とか倒せたんですけど」
俺はカウンターに、あの巨大な魔石と銀の鱗を置いた。
お姉さんの目が、さらに見開かれる。
「これ……レッグシャークの肉と鱗じゃない。よく倒せたわね」
「ハハハ…疲れましたね」
「疲れたで済んだなら大したものよ」
レッグシャークのドロップ品は合計で4万円ほど。命を懸けた報酬としては、なかなかのものだ。
俺はカードを受け取ると、逃げるように更衣室へと駆け込んだ。
「……ふぅ。やっぱり、この格好は疲れるな」
チェック柄のスーツを脱ぎ、黒のパーカーに着替える。
鏡に映る自分は、どこにでもいる、少し疲れ顔の高校生だ。
リュックにスーツを詰め込み、俺は帰路についた。




