獄拳
荒野の空気は一変した。
肌を突き刺すような冷気を感じない。
むしろ黒い雲を引き裂くように熱を帯びる風が吹き始めている。
それは氷の鎧を纏うグロムランド・オルバの前に立った、1人の男の"圧"によるもので間違いない。
彼の放つ、目に見えぬオーラは確実に地域一帯に影響を与えている。
グロムランド・オルバが使用した、冷気を放つ【氷結の魔法】と同じだ。
ただ、それ以上に"獄拳のガウ・ロン"という男が帯びているオーラがグロムランド・オルバの魔力を上回っているということなのだろう。
お互いの距離は7、8メートルほど。
先に動いたのはガウ・ロンだった。
一歩、一歩、ゆっくりと前進し始めた。
黒と銀の長い髪が風に靡く。
"スー"と軽く息を吐くとノースリーブの黒い拳法着から露わになった両腕の筋肉がギシギシと音を立てて引き締まる。
その右腕の手のひらから肩まで渦巻くようにある火傷の跡は躍動感のある竜のように見えた。
後方で倒れたスレイドはかろうじて上体だけを起こしてガウ・ロンを見る。
「まさか……何も武器を使わないのか……?」
ガウ・ロンが身につけているのは拳法着だけで他に武器のようなものは見当たらない。
もしかすれば魔法を使う戦闘スタイルなのか……と思われたが、その考えはすぐに覆る。
ゆっくりと前進していたガウ・ロンは"ビュン!"という音と共に一瞬にして、その場から消える。
次の瞬間、赤氷の鎧を見に纏うグロムランド・オルバが持つ大盾が粉砕された。
「"絶歩・頂牙"」
見るとガウ・ロンは大きく踏み込み、ただ"左肘"だけを氷の大盾に当てていた。
その左足の踏み込みの強さは地面に無数の亀裂を作る。
「ぐぅ……!!」
大きく仰反るグロムランド・オルバは追撃を恐れ、スレイドの血で生成した5本の結晶剣をすぐさま射出した。
結晶剣の到達は一秒にも満たない。
だがガウ・ロンはそれ以上の速さで動く。
踏み込んでいた左足へ向かって、両足を揃えるようにして右足移動させると勢いよく地面へと叩きつけた。
「"破魔震脚"」
ズドン!という轟音と共に地面にはガウ・ロンを中心として円形状に大きなクレーターができる。
その風圧によって結晶剣は空中で粉々になって消え去った。
そのまま左足を軸にして右足を前へ。
全体重を前方に移動させて力強く踏み込み、一気に右腕を突き出してグロムランド・オルバの胸元へと拳を叩き込んだ。
「"獄・闘気破拳"」
ガウ・ロンの拳がめり込むほどに全身を覆っていた赤い氷の鎧を破壊していき、同時に粉々に砕けて空中に散らばった氷は魔素へと逆変換されていく。
これには後方で見ていたセラフィーナも、"ありえない"と声を漏らす。
通常、魔力は一度でも体外に出て魔素となり、それが魔法に変換されると逆に魔素へと戻ることはない。
茹でた卵が、生の卵へと戻ることはないのと同じだ。
だがガウ・ロンの"拳"は魔法を完全に薄黒い魔素へと戻していた。
生身になったグロムランド・オルバは衝撃で数メートルもの距離を吹き飛び、地面に叩きつけられて何度も転がる。
ようやく止まり、仰向けに倒れるグロムランド・オルバは全く体を動かすことができなかった。
ガウ・ロンは静かに拳を引き、ため息混じりに言った。
「ほんの少しはやれると思って期待したのだがな。血将のグロムランド・オルバ、まさかこの程度とは……つまらん」
一部始終を見てたスレイドとセラフィーナは唖然としていた。
自分たちが勝てないと心の中で匙を投げた相手を、ものの数秒で倒してしまった。
それは、まるで猛獣が目の前の獲物を狩るだけの作業。
反撃など許されず、ただ一方的な力による蹂躙であった。
「そういえば、聞きたいことがあったな」
言って、静かにガウ・ロンは歩みを進める。
向かうのは倒れて意識朦朧とするグロムランド・オルバのもとだった。




