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西の院の姫君  作者: 竹宮 潤
乱破者

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穢土

 長い話は途中からぼんやりしてしまって、よくおぼえていなかった。

 亀井の大殿さまよりもお偉い方の隣に、なぜこんな見たことも聞いたこともないような、変な、汚れた者がいたのだろうか。まるで人形芝居の人形のようにひらりひらりと動き、男とも女ともつかぬ奇妙な声でしゃべり、自慢するようにとくとくとわが身の罪を語った者。

 子どものころ、兄上に合戦絵巻というものを見せられた時と同じくらいの衝撃だった。世の中というものがおなごの夢のように美しい素晴らしいもの、穏やかで暖かいものばかりでできているのではないと知った、あの時と同じくらい、わたしはひどく打ちのめされていた。

 こういうのが武士(さむらい)の世界というものなのかしら。ああいう者たちがこれからわたしの前にやってくるようになるのかしら。今までは光時さまが守ってくださっていただけで、卯木や亀井のお姑さまが、わたしの目には見えないようにしていてくださっただけで、本当はああいうどろどろと汚れた者たちとも交わっている世界にいたのかしら。

 ああ、きっとそうなのだわ。その証拠に光時さまたちは何一つあの者を厭(いと)う様子を見せなかったもの。あんな者に対して、目上の方にするように話してお辞儀をしていたもの。それから、わたしのことを小娘だと言ったり、幼いと言ったりした者を何の遠慮もなく同席させているのをお許しになっていたもの。

「世間の荒波にもまれることなきお育ち故、お顔立ちや立ち居振る舞いがたいそう幼いところがおありでございます。」

あの女は、いつ、どこでわたしを見ていたのかしら。わたしのどんなところが幼いのかしら。ひょっとして、今とても怖い、つらいと思っていることが、幼い証拠なのかしら。

 いろんなことがぐるぐる回って、わたしは気分が悪かった。

「よう、ご辛抱あそばしましたなあ。」

 卯木と八条が介抱してくれている。茜が台所から水をもらってきてくれたが、すぐには飲むこともできない。そこへ、のすりとか呼ばれたおなごが顔を出して

「何か御用はございませんか。ご入用なものがございましたら、何なりとお申し付けくださいませ。」

と言った。光時さまたちは中食が支度できているというので、別室へ食べに行かれた。卯木が、わたしの分だけこの部屋へ運んでもらったようだ。おなかがすいているのだろうが、少しも食べる気にならなくて、そのままとろとろと眠った。

「姫さま、お加減はいかがでございますか。いつまでもここにいるわけにはまいりません。お苦しくとも、一度宿の方へ戻らねば。」

 食事を終えた卯木たちが戻って声をかけてきて、目が覚めた。そうだ、あの者がいるこんなところで倒れてなどいられない。こんなところにいるのはいやだ。わたしはあの竹薮に守られた清浄な我が家に帰らなければ。ふらつく頭でわたしは起き上がった。

 早く帰りたい、とわたしは言ったけれど、牛を夜遠し歩かせるなどということはできない。やはり、昨日泊った宿にもう一晩泊って、その翌日でなければ家には着かないのだった。こらえていた涙が少し流れて、卯木たちが少しあわて始めた。卯木たちが思っていたよりわたしの状態がよくないということにやっと気づいたらしい。

 用意されていた中食を、無理にでも食べるようにと茜が勧めてくる。食べなければ、家に帰る旅ができるような元気が出ないから、と言う。仕方なくほんの一口、二口食べて、わたしは皆に助けられながら、また車に乗った。もう一刻でも早くここを立ち去りたかった。


「それで、姫さまのご容体はいかがなのでございますか。」

 亀井のお館の、ご自分の住まいに戻られて、光時さまは千代さまのいれたお茶で、一息ついておられた。お城であった出来事は、細大漏らさず千代さまに話されたのである。

「卯木どのが言うには、例の隠居の毒気にあてられたらしい。」

「まあ、蜘蛛の十郎兵衛というのは、そんなに恐ろしい者だったのでございますか。」

「何、見た目はただの年寄り爺だった。さすがに乱破(らっぱ)者の頭領だけあって、身のこなしは軽かったがな。黒ずくめの着物を着ておったことやら、声音をおなごのように変えてしゃべったことやらが、姫には気味悪く思われてのであろうよ。」

それを聞いて千代さまは、はぁ、と息をつかれた。

「なんじゃ?」

「いえ、わたしは、というか私ども武家に生まれたおなごは、子どものころから、血なまぐさいことに目を背けぬように、どんなものを見ても動転せぬようにしつけられておりますが、そういう経験のない姫さまには、きっと天地がひっくり返るようなこわいことだったのではないかと。」

「そういう、ことなのか?」

「ただでさえおのこの声さえ恐ろしいと思われるお方ですもの。いかにおなごの声音を使っても乱破(らっぱ)者の所業などを耳にされては、とても…。」

「… そうか。やはり行かせるのではなかったのだな。」

 武士のならい故、殿の命とあらばと疑いもなく従ったのだが、相手は乱破(らっぱ)者、思いやりだの世のならいだのと言うものなど、毛ほども気にかけておらぬ者どもである。あの乱破(らっぱ)者のおなごも言うていた通り、「世間の荒波にもまれることなきお育ち」の方には、蓮の台(うてな)からいきなり泥沼に蹴り落されたような気分になられたのだろう。

 また、こわがらせてしまった。

 光時さまは後悔された。


 家に戻ってからも何日か寝込んだ。兄上に合戦絵巻を見せられた時は、何日も泣きわめいて眠ることも食べることもせず、大変だったと何回か卯木に聞かされたことがある。そのくらい私には大きな衝撃だったのだ。 

 自分のよく知らなかった御所の外の世界に、大きくなったら出ていくのだと漠然と思っていたわたしは、そこが実は人がお互いに殺しあう世界で、自分だけがここで守られて何も知らずに生きていたという驚きに泣くことしかできなかったのだ。もう大きくなって外へ出ることなんてできない。大きくなりたくない。死んでしまうのだもの、と思ったのだ。

 それに比べたらまだ今回のは、衝撃が小さかったと言えるのだろう。多分わたしが大人になって、世の中のいろいろなことが少しはわかるようになっていたから、あの気味の悪い者のことをなんとか認めることができたのだ。笛を演奏したのも、「笛を吹くときのわたし」になれてよかったのだと思う。でなければお目通りをしてご挨拶するという目的を果たすことなどできなかったし、もっと早く倒れていたに違いない。

 光時さまは毎日、自らお見舞いに来てくださった。もちろんちゃんとお会いすることはできず、寝ている状態で御簾ごしにお声を聞くだけである。直にお返事する元気もない。こんなことになるのなら、ご本家の殿の命とはいえ、姫をお連れするのではなかった、と悔やんでおいでだった。光時さまにはわたしの気性のせいで、いろいろと面倒な思いをしてくださって申し訳なく思う。もう少し元気になったら、きちんと謝らなければと心を決めた。



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