旅路
「つまり、亀井の大殿さまよりお偉い方のところへ、ご挨拶に行かなければならないということでございますね。」
「さようでございまする、姫さま。」
縁側にすわった拙は、奥の間におられる姫さまと卯木さまには見えないような位置にかしこまっている。障子の内側には困った顔の光時さまが奥の間のほうをまっすぐ向かぬようにして座っておられる。こういうやり方ならば、たびたび西の院に来る拙も、姫さまと同席できるのである。
降ってわいた「茄子平のご隠居」の件は、大殿の文の翌日にはもう次の書状となってやってきた。今度の書状はご本家からのものである。いわく、ご本家のお城で、ご本家の殿がご同席のもと、ご隠居が姫さまとご対面を望まれておるというものである。噂に名高き笛もぜひ聞いてみたいと書いてある。光時さまはあわてた。ご本家からの呼び出しとなれば、嫌とは言えないのだ。仮病を使うなどはもってのほかである。
ご本家のお城があるご城下までは、大滝から七里ほどの道のりだ。馬を走らせれば一日で行って帰れる距離だが、姫さまをのせた車を牛に引かせるなら、往復でどうしても二、三日はかかるだろう。お宿を手配せねばならないし、そうなれば支度もそれなりにかかる。仕方なく、光時さまは支度に手間取るため少し待っていただきたいとお返事申し上げた。
すると、宿や車は用意したので心配ご無用、と書状を持ってきた使いの者が言う。車は明日にでも姫さまのところへやってくるだろうというのだ。
「乱破者の手腕を馬鹿にしてはなりませんぞ、若殿。何事も速さが肝心でござるゆえ。」
と言ってからからと笑うと、その御仁は鳥が飛び立つがごとく、ふっといなくなってしまった。さてはあれも乱破者であったかと、光時さまは青くなられた。それでそのまま馬を走らせて西の院へおいでになったのである。
「明日にも車が迎えに来ると言っておった。急がせてすまぬが二晩泊まる支度をしていただきたい。」
光時さまは隠居についてのあれこれは一切言わず、ご本家に挨拶に出向いていただかなければならぬ仕儀となったということだけ、お伝えした。そのほうが姫さまをこわがらせなくてすむと思われたのであろう。
「姫さまの笛の演奏をご所望されておられるとか。」
と、卯木さまが言う。おそで叔母上が昨晩のうちに、侍女のお三方にはもう隠居の正体を説明した。そのせいか卯木さまもなんだかいつもより緊張されている。
「どんな曲がよろしゅうございましょう。」
「では、正月に白山神社に奉納なさった曲をお願い申す。」
光時さまは、内緒話でもするようにひそめた声で話されている。よくこれで聞き取れるものだと感心するが、普通に話をしたのでは姫さまは今だに男と直に話ができないらしい。これでお城に上がっても大丈夫なのだろうか。
「承りましてございます。」
姫が光時さまにむかって丁寧にお辞儀された。
「では、また参ります、姫。」
光時さまは立ち上がられたが、大滝にはお帰りになられない。白山神社に頼んでしばらく泊まり込むのである。光時さまご自身の登城の支度はもう大滝から運び込まれている。
翌日の五つごろ、近所の者が丑吉の小屋に駆け込んできた。あわてて拙が街道へ出ると、四頭の牛に引かせた立派な網代車が止まっている。他にも馬方・牛方が3人いて、皆姫のご出立にために雇われたという。もちろん亀井の家から頼んだ覚えはない。丑吉に呼びに行かせたので、光時さまもやってきて、目を丸くなさっている。
「おう、おはようございまする、若殿。」
声をかけてきたのは昨日風のように姿を消した男である。今日は一見すると、ご本家の家人のような恰好をしているが、しゃべり方がやや尊大である。
「うむ、これは見事な車じゃな。」
「姫さまのご準備ができ次第、いつでも出発できますぞ。」
ちょうど大滝からやってきた乙次郎殿や佐久衛門殿も手伝って、あっというまに出立の準備が出来上がった。牛は四頭を二頭ずつに分けて、片方は網代車を、もう片方は荷車を引いて、そちらにはおそで叔母上も乗せてもらうことになった。例の男は
「今日の泊りは遠山でござる。先に手配は済んでおり申す。」
という。光時さまは、ご本家にはまだ数えるほどしか言ったことはない。たいていは早駆けで一気に城下町まで行ってしまわれるので、遠山という村は通りすぎるだけであった。姫のお宿が務まるような家があるのかどうか、実はよく知らないのである。だが車の手配もできていたことだし、この男に任せてまちがいはあるまいと思い直した。
途中遅めの中食を取るために休憩した以外は、牛も馬も休みなく進んだ。姫さまもお付きの方々も、都からこちらに下向されて以来、こんな遠出は初めてだ。ときどき興味深そうに外を覗かれる姫さまを、光時さまは気にして声をかけられる。
「姫、お疲れではございませんか。」
「いいえ、大事ございませぬ。皆も光時さまもごいっしょですから。」
お二人の会話を、例の男は目を細めて興味深そうに聞いていた。
日暮れ前に、一行は遠山の今日の宿だという家に着いた。
「ようこそおいでくださいました、皆さま。」
たちまち大勢の男女が出てきて、世話をしてくれる。その手際が慣れた様子で、あっという間に皆が割り当てられた部屋に落ち着いた。
「いかん、これはだめじゃ。」
と奥の方で光時さまが声を上げておられる。何事かと見に行った我らは唖然とした。二間続きの座敷で、境には御簾が下がっているが、奥を姫さまのご寝所に、手前を光時さまの寝所に使うように、と言われたというのである。
「ですが、ここが一番よい座敷なのでございまする。」
と宿の者が言う。
「いかんといったらいかん。ここが姫の寝所というなら、わしは廊下でかまわん。」
どうやら、宿の者は光時さまと姫さまを夫婦扱いにして、一つの座敷をあてがったものと見えた。われらがあわてて部屋割を確認し、その一番良い続き部屋の座敷は姫さまと卯木さまたちに、卯木さまたちの部屋だったところを光時さまにと交換してもらった。これで一安心だ。夕餉が出されて腹がくちると、拙はあっという間に眠ってしまった。




