買い物
すると前から馬が何頭か駆けてくるのが見えた。わたしたちのだいぶ手前で馬はゆっくりになり、わたしにも馬上の人が誰なのかわかった。
「お出迎えに参りました、姫。」
光時さまはいつものように抑えた声でお話してくださる。馬は背が高いので、光時さまから見ると、わたしは笠しか見えないはずだ。うつむかなくてもよいのは景色を見るのにも都合がよい。
もう一頭の馬にはよくお使いに来るそでの甥だという男が乗っていて、支度の具合を見てほしいからという理由で、そでを馬に乗せて先に行ってしまった。道案内がいなくなってしまったが、光時さまがいらっしゃるから心強い。途中、光時さまは通り過ぎた方向を指さすと、
「あのあたりに、姫の新しい館を建てており申す。」
とおっしゃった。言われれば小山を背にして竹薮に覆われている様子が、今の家のある場所とよく似ている。こんな近くならば何かと便利になることだろう。
「お寒くはございませんか、姫。」
光時さまは何かと気遣ってくださる。荷車には円座を敷いているし、お日様も上がって来たのでそれほど寒くはない。二人の高さが違うので、すぐ近くにいるのに顔を合わさなくて済むのはとてもいい感じだ。恥ずかしがらずにお話しできる。
「今日はお招きをいただき、ありがとう思います。」
「何の。もともと姫のお召し物料にと頂いた領地からのあがりでござる。なんなりと欲しいものを買ってくだされ。」
わたしもうきうきしているが、光時さまも楽しそうだ。
「それから父上はじめ男どもは倉野山へ狩りに出申した。母上が父上を説き伏せて下さって、今日にしたのでござる。姫を怖がらせる武骨者はみな出払っていて居りませんゆえ、ご安心を。」
「まあ、それは。」
「お心づかい痛み入りまする。」
と卯木と茜が驚く。わざわざこの寒い中を外出してくださらなくとも、とわたしも申し訳なく思う。でも先日の坊様のことがあった後だから、家の外に出ているときに怖くなって動けなくなるのは避けたい。ありがたいお心遣いだ。
お館のあるところへ登る坂道の手前で、車を降りた。見覚えのある娘がにこにこして待っていた。ああ、千代さま付きのはるだ。
「遠い所をようこそ、姫さま。わっちの家はここなんです。牛と車はわっちのところで面倒をみます。」
丘の上にあるのは亀井のお殿様のお館だけで、御家来衆はこの下のところにお住まいのようだった。どの家も男衆がいなくて、女子衆ばかりがものめずらしそうにわたしたちを出迎えた。牛方の子どもと牛は、丘の上には上がらずにここまでらしい。わたしたちは歩いて坂道を上った。
坂を上ると、千代さまが待っておられた。
「ようお越しくださいました。姫さま。さあ、上がってくださいませ。」
入口で、卯木くらいの年恰好の下働きと思われる人が、足を洗う湯を支度して待っていてくれた。
「姫さま、この人はみつどのといって、はるや弥太どのの母上です。」
「まあ、はじめまして、みつどの。」
「いつも弥太どのにはお世話になっておりまする。」
「もったいない、姫さま、卯木さま。いたらぬ者たちでございますが、どうぞ使ってやってくださいまし。」
働き者のはるとよく似た面差しの人だった。初めて入る家なのに知っている人ばかりがいるようで、思ったほど緊張しないで入ることができた。
広い座敷に通されると、すでにたくさんの反物が広げられていた。反物だけでなく櫛、鏡、紅、白粉なども並んでいる。お姑様と、赤子を抱いた女の人が座っている。あれがおまき様であろう。
「お招きありがとうございまする、三芳さま。おまきさまにも、長松さまにもお元気そうで何よりでございます。」
卯木が先にお二人にご挨拶する。
「遠路、ようおいでになられました、姫さま。ささ、どうぞお気に召したものをえらんでくだされ。」
お姑様の言葉が終わるのを待って、挨拶をする。
「亀井の母上様、きょうはお招きにあずかり、うれしゅう思います。おまき様、ご機嫌うるわしゅう、奏子と申しまする。どうぞよろしゅうに。」
頭を上げると、おまき様も
「お初に御目文字いたします。まきでございまする。子がおりますゆえ、いろいろと不調法いたしますが、どうぞお許しくださいませ。」
と挨拶してくださった。抱かれている長松さまは機嫌よさそうにしている。八条も茜もまあまあ、と言って赤子の顔を覗きに行く。赤子は自分の小さな握りこぶしをしゃぶってにこにこしていた。頬も腕もふっくらと柔らかそうだ。
実をいうと、わたしは赤子も苦手なのだ。以前大声で泣いている子を前に耳をふさいだら、その子の親を始めその場にいた者のひんしゅくを買ったことがある。それ以来赤子も殿方と同じくらい苦手になってしまった。いつ泣き出すかと思うと、そばにいるだけでびくびくしてしまう。
売り手の商人は清州の呉服商「大吉屋」の番頭で、三吉と名乗った。もう一人はこれも清州で小間物の商いをしている松蔵という者で、これは三吉が声をかけて連れてきたと言う。
「ご領主さまの奥方様でしたら、紅・白粉の商いができましょうから。」
「三吉さんには日頃からお世話になっております。今日はいっしょに商いをさせていただきます。」
「姫さま、この者たちにはあらかじめ大声を上げぬよう言ってあります。どうぞ安心してみてやってくだされ。」
お姑様が手ずから巻いてある反物を広げて、これはどうか、あれはどうかと勧めてくださる。自分の着る物を自分で選ぶのは初めてだ。市場というところではこうやってほしいものを選ぶのだろう。わたしはうれしくなって、勧められるままに柄をながめたり、今着ているものと色合いを比べてみたりする。ふと、
「皆さまはお選びにはなりませんの。」
と伺うと、わたしが選んだ後で、と遠慮なさっている。
「わたしは今まで、このように自分の着る物を選んだことはないので、皆さまのお選びになるものを見て決めたいと思います。どうぞ遠慮なさらずにお好きなものを教えてくださいませ。」
と言ったら、それではとおまき様も手を伸ばしてくださった。
先日神社の市で失望した茜と八条は、紅や白粉の吟味をしている。こちらの品物は都の物にも劣らないと言って、松蔵を喜ばせた。卯木は匂い袋を買って、わたしにもお姑様たちにも一つずつくれた。お母様を思い出す懐かしい香りだ。自然に顔がほころぶ。
わたしが三つ反物を選び、あとはお姑様、おまき様が二つずつ選び、ついで八条が皆の分を選んだ。茜も卯木もよいものが買えて、満足そうだった。
すると突然、今まで円座の上で機嫌よく手足をばたつかせていた赤子の長松さまが、
「ぅえええ」
と声を上げてむずかり始めた。泣き声はだんだん大きく、絶え間なくなる。あの小さな体から出てくる声とは思えない大きな声だった。わたしは耳をふさぎかけた手をぎゅっと握りしめて、目をつむった。腰を浮かせかけた卯木もそのまま止まる。わたしが我慢しているのがわかったのだ。
「おしめがぬれたのでございましょう。」
お姑さまが何事もないような声音で仰ると、おまきさまは泣いている赤子を抱き上げて、すばやく部屋を出ていかれた。泣き声が遠ざかっていくと、ほっとして目を開けることができた。よかった。この家であのみっともない姿をさらさずにすんだ。
「大事ございませんか、姫さま。」
卯木が小声で聞いてくれた。まだドキドキしているけれど、とりあえずうなずいて見せた。握りしめていた手をそっとほどく。
「おたずねしますが、これだけの商いのために清州からおいでになられてのでございますか。」
と、茜が話をそらそうとして、口を開いた。
「いいえ、このあとは千代をはじめ、弥生や下に住むおなごたちが一つずつ買うのでございますよ。」
と、お姑さまがほほえんだ。なるほど、あそこにいた女子衆がみな買うならば商人たちも来た甲斐があるというものなのだろう。
「去年まではこのようなぜいたくは考えられなかったのですが、これも姫さまのご持参金のおかげでございます。」
とお姑様がおっしゃった。わたしが都からここへ来てよかったと言ってくださっているようでうれしかった。




