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西の院の姫君  作者: 竹宮 潤
女子会

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30/36

市場

 お正月の準備が始まった。都と違って、お寺の鐘の音やあれこれの儀式に走り回る人々の声などが一切なく、心静かな年の瀬である。わたしにとってはとてもありがたいことだ。

 丑吉と外回りの仕事をしていたそでが戻ってきて皆に声をかけた。

「姫さま、皆さま。白山神社の境内に小間物売りが来ておりましたぞ。田舎まわりの物売りゆえ、都育ちの皆様のお目にかなうかはわかりませぬが、見に行ってはいかがでしょうかの。」

 白山神社は天気の良い日の散歩道の一つである。わたしがここから歩くときは神社の正面に直に行くのではなく、脇の丘の上に出て、そこから正面側に下っていく。この道は全くの山道で、歩く人はほとんどないのだが、わたしにはその方が都合がいいのだ。

 丘の上からのぞくと、神社の境内では歳の市が行われているのだった。反物や古着といった衣類、団子や甘酒といったその場で食べられるもの、野菜やきのこ、果実類、味噌や豆腐などの食べ物、鍋やくわといった金物、茶碗や皿、草履や蓑、着物をしまっておくかごや箱といった大物もある。みな地面に筵や布を広げたり、板を並べたりした店に、売り物を広げている。卯木たちは都で市場に行ったことがあるので慣れた様子だが、わたしはこんな場所に来るのは初めてで、驚いてしまった。

 何より人が多いので騒がしい。神楽の時の人混みにも驚いたが、あれは自分の方が高い位置にいたので、全体としては騒がしくても個々の声は届きにくかった。それに笛を吹くときのわたしになっていたので、気にならなかったのかもしれない。でも今日のこれは違う。たくさんの人がいる。おなごも殿方も。みなそれぞれの思いがあって別々に話している。店の者が声高に呼び込みをしている。こういうのはダメだ。わたしは丘を下りる坂の上で足が止まった。手を引かれてもこれ以上先には進めない。

「仕方がない、わたしは姫さまとここに居りますゆえ、二人だけで行ってきておくれ。」

 卯木が言い、茜と八条は後ろを気にしながら市の人ごみに紛れていった。


 市の小間物屋は品物がよくなかったそうだ。八条が紅を一つ買ってきたのだが、入れ物の貝が小さい上に中の紅は薄くて、がっかりしてしまった。着物も反物も木綿ばかりで、見るものはなかったそうだ。

「村の方々に売る市なのですから、仕方ないのですが。」

と八条は口惜しそうだ。

 すると翌日、亀井のお姑さまから、便りが来た。明後日、商人が反物を売りに来るので見にきてはどうかというお誘いである。商人は尾張の国一番の大きな城下町、清州の者だそうである。神社の歳の市よりはよいものが出そうだし、お姑様はじめ亀井の家の女子衆だけしか客はないという。これならわたしにも買い物ができそうだ。

 行きたいと思うがこの寒さの中を二里も歩けるかといえば心もとない。八条や茜も自信がなさそうにしている。都からここまで来るときに乗ってきた車は御所の持ち物なので、返してしまったのだ。するとそでが牛方に荷車をつけて借りたらどうか、と言い出した。荷車なら四人は乗れないが、その分軽いので牛も早く歩ける。交代して二人ずつ乗れば歩く距離は半分の一里で済むというのだ。

 荷物を運ぶ車に乗る、というのにはちょっと驚いたが、子どもを何人もつれて遠出をするときや、病人・けが人を運ぶ時にも使う方法だという。幸いお天気はよさそうだ。さっそくそでに牛方を頼んでもらい、お姑様には「参ります」と返事を出した。

 翌朝、支度をして街道のところで牛方と落ち合った。まず卯木と茜が車に乗った。荷台は頑丈にできているので、人が二人乗っても大丈夫だった。牛も平気な様子で歩いている。牛の歩く速さはわたしたちが歩く速さより少し遅い。そでに道案内をしてもらって、わたしと八条が先にどんどん歩いて行って、疲れたら休憩して牛を待つということにした。

 牛方は、同じ村の喜三きぞうという人だそうだが、わたしがこわがらないようにと、今日は息子を代わりにつけてくれた。神楽の演奏で笛をやっていた子どもと同じくらいの年恰好だ。話す声もまだ子どもっぽい。牛の扱いには慣れているので任せてくれと言った。大滝までの往復は前にもしたことがあるという。

 初めての亀井のお館への訪問だ。とてもドキドキしているし期待もある。うまく皆様にごあいさつしなくては、と緊張もしている。だが何より遠出をするのは楽しい。初めて歩く道は景色を見るだけでうきうきしてくる。

 街道は途中までは見通しの良い田畑や家のあるところを通っていたが、やがて川と山にはさまれた道に変わった。この山道を抜けたところが大滝の荘であるという。山道と言っても温泉に行った道のように坂道ではない。川の向こう岸にも山があり、登り下りは少ない分、山襞に沿って道も川も何度も曲がっていく。山道に入って少し休憩した。竹筒に持ってきた水を飲んで道の傍らの石に腰かけて待っていると、牛がやってきた。

「お寒くございませんか。」

と卯木は心配するが、歩いてきたのであまり寒さは感じない。ここで牛に乗る二人と交代した。

「やれやれ、やっと楽ができまする。」

と八条はにこにこしたが、わたしは牛の歩みが遅いので、何だか楽しくない。自分が歩かなくてもいいのは楽だけど、楽しみが待っていると思うと気が早ってしまう。卯木と茜は先に歩いて行ってしまうのではなく、牛のすぐ前をゆっくり歩いている。

 このあたりからすれ違ったり追い越したりする人が出てきた。通りすがりにお辞儀をしていく者も多いが、声をかける者はない。やはり皆、目上の相手には話しかけないようだ。

 八条が言うには人は着ている物で身分がだいたいわかるのだそうだ。そのときふと八条や茜も上着は絹だが中着は違うことに気づいた。木綿の(あわせ)の着物の中に薄く綿が入っているもので、温かいのだという。

「卯木もそういう着物を着ているの?」

とたずねたら、その通りだという。

「いつもは家の中にいるので着ませぬが、今日は外を歩くので特別に。」

と言った。そういえばわたしも今日は一枚多く重ね着してきたのだわ、と思い出す。でもわたしはそんな綿の入った着物なんて、持ってない。今日いい反物があったら八条に作ってもらおう、と思った。

 しばらく行くと木の橋がかかっていた。ここを牛や荷車で渡るのは大丈夫なのかしらと思ったが、牛方の子どももそでも平気そうだ。川は水が少なくて、覗いてみてもあまりこわくはなかった。

「姫さま、あまり乗り出さないようにしてくだされ。」

とそでに言われた。荷車の片側だけに重さがかかると危ないのだそうだ。

家を出て一刻あまりも経ったかと思う頃、ふいに見通しの良い所に出た。ここいらから大滝の荘なのだという。わたしの家があるあたりより平地が広い気がする。そでが左手の小高い所を指して、

「あそこが亀井のお館でございます。」

と言った。もうすぐだ。



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