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私の大切な人は魔術の師匠  作者: 佐伯 怜
第一部 前半
95/116

95.疲労の雨



「オデット様」


カルメに静かに揺すり起こされて、私はゆっくりと目を開ける。



もう朝、なのだろうか。



部屋に朝日が射し込むようにと、いつもは少し開かれているカーテンが、何故かきっちりと閉じられている。



その布越しからも、日差しが感じられない。曇っているのだろうか。



そんなことを考えながら、私はのっそりと身を起こす。


いつもであれば、射し込む朝日で起きて、カルメが来る前には身支度を済ませているのだが、今日は朝日が全く感じられなかったので、寝坊してしまったようだ。



それにしても眠いなぁ。



私はいつもよりも緩慢な動作で身支度を済ませる。カルメについて行き、食堂に向かうと、ルクスたちは既に来ていて、やはり私が遅かったようだ。


温かい食事を食べると、眠気が戻って来る。



何故、今日はこんなにも眠たいのだろうか。昨日は同じ時間に眠ったし、眠りも深かった。



内心で不可解に思うが、眠気の所為で思考が纏まらない。


そのままルクスの執務室に向かうと、目の前に広がる光景が、いつもと違うことに気付いた。


ルクスの机の背後にある大きな窓には、分厚いカーテンが引かれていた。


そう言えば、廊下も食堂も、全てきっちりとカーテンが引かれていたような。



何故なのだろう。朝日を浴びていない所為か、眠気が残っていて、身体が怠い。



「オデット様。体調に問題はありませんか?」


そんな私の様子に気付いていたのか、ルクスが心配そうな表情で声をかけてくれる。


「うーん…………怠い、眠い」

「ふふふ、そうですね。こちらをどうぞ」


のほほんと微笑んだルクスは、緑色のブローチを渡してくれた。これは魔術具なのだろうか。


「そちらを服に付けて、発動させてください」

「うん」


私はブローチをカルメに渡して、胸元につけてもらう。


「シタヴァノ」


何の効果があるのか、分からないが、一先ず言われた通りに発動させる。


すると、すっと身体が軽くなって、頭がすっきり、はっきりした。

いつも通り、とまではいかないが、かなり良くなっている。


「凄い、良くなった!」

「はい。良かったです」

「ルクス、これは何の魔術具?」

「魔術を遮蔽する、結界の魔術具です」


結界の魔術具?


その言葉に私は今度こそ、首を傾げる。


結界を発動させると、眠気がなくなる?


意味が分からず、不思議そうな表情をしていると、ルクスに席を勧められた。


これは話が長くなるのだろうか。ということは、魔術の話なのだろうか。


私が期待の目を向けると、ルクスは苦笑した。その表情を見て、私はまた内心で首を傾げた。


ルクスの表情が何だか、冴えないのだ。魔術の話をする時の、いつもの輝きと勢いがないように見える。


「ルクスも眠いの?怠い?」

「はい。私も魔術具を使用していますが、オデット様もお分かりの通り、完全ではないので、少し眠気や怠さが残りますね」


いつにも増して、のほほんと穏やかそうに、いや能天気に見える。


いや、放っておけないというか、目が離せないというか、魔力回復薬の作成にも失敗しそうな無防備さがあるというか、緊張感がないというか…………


うん。ルクスは今日は仕事ができるのだろうか。心配だな。



「この世界には、魔術の雨、という現象があります」

「魔術の雨」


のほほんとしたまま、唐突に説明が始まった。


「空気や水、それらから生み出される雲や雨には本来、魔術はありません。魔力も少量、含まれている、という程度です」

「うん」

「しかし、時々、魔術を含む雨が降ります。これは魔術によって生じた煙や粉塵が空に舞い上がり、空気や雲に含まれ、やがてその魔術の重さに耐えきれなくなり、雨として降る、という現象です」

「ふーん」

「その時に舞い上がった煙や粉塵がどのような種類のものであったかによって、魔術の雨も種類が変わります。例えば、今回の雨は、魔術の雨の中でも最も一般的な、疲労の雨と呼ばれるものです。魔術的な作業全般から生み出された煙、蒸気、粉塵によってできます」

「魔術的な作業?」

「はい。家事や炊事の蒸気や煙といったものから、工房で使う魔術の火による煙、その灰や粉塵といったありふれたものまで、様々です。特定の原因があるわけではありません。よって、疲労の雨は一般的な魔術の雨と言われます。世界のどこであっても、生物が住んでいれば、魔術を使用すれば、当然に降る雨ですから。ただ、含まれる魔術量はその時々です」


そんなによくあることなのか。それは大変だな。


「疲労の雨は眠くなる?」

「はい。作業や労働から出たものが雨になっていますから、この雨は、作業や労働を行った時と同様の効果を生み出します。それが疲労感、倦怠感、眠気といったものです」

「なるほど」

「そして、魔術の雨の効果は、魔力量が多いほど、影響が大きくなります」

「え」


ルクスの言葉に、思わず嫌そうな声を上げてしまった。


私とルクスだけがのほほんとしていて、ジュネやカルメがいつも通りなのは、魔力量の所為なのか?


「魔術的な雨ですから、身長や体重、体表面積ではなく、その人の魔力量に反応します。まぁ簡単に例えますと、魔力量を面積に換算すると分かりやすいと思います。多い方が広くなり、雨に濡れやすく、影響を受けやすい、ということですね。そのため、眠気や倦怠感といった効果が強く出てしまいます」

「えぇ」

「通常は建物の中に入ることで、ある程度の効果を防ぎます。協会の建物には結界の魔術具の効果もありますから。そしてカーテンを引いて遮蔽することによって、結界を補強します。ですが、私やオデット様は魔力量が特に多いですから、それだけでは防ぎ切れません。そこで結界の魔術具で個別に結界を張ります。そうしてやっと、まともに動けるようになる、という感じですね」

「皆は大丈夫なの?」

「はい。協会は魔力量が大きい人が多いので、他の施設よりも結界は頑強にしてあります。ですので、大抵の人は大丈夫だと思いますよ。それでも効果が出る人は、こうして魔術具を使用しているでしょう」


ルクスは軽く息を吐いて、お茶を手に取る。その動作はいつもよりも緩慢で、より優雅に見えた。


「魔術具を使用していれば、協会内の大抵の場所で活動できると思います。協会内には結界が特に頑丈な場所が幾つかあるので、今日はそこでお過ごしください」

「頑丈な場所?」

「はい。この執務室、図書室、各実験室、全ての倉庫、調理場、くらいですね。建物自体の結界とカーテンによる遮蔽があるので、建物内であれば、基本的には問題ないのですが、魔術具や資料、食料といった繊細な物を置く場所は特に頑丈にしてあります」

「分かった。今日はここにいる」

「はい。予測では16時頃までは雨が降るそうですから」

「予測?」

「はい。大気中の魔術量を観測して、正常値に戻るまでにどのくらいの雨が降れば良いかを計算します。雨の範囲と降雨量から、時間が割り出せます」

「へぇ、凄いね」

「あくまで予測なのですが。協会は各地の支部、支所と連携して、雨の範囲を観測します。また各地で魔術量の計測をして、雨の予測を立てています。雨が降った際には、成分を分析して、危険な雨ではないかも調べています」

「へぇ」

「協会では雨の種類によって、色分けをしておりまして、降雨時には雨の種類によって、旗や垂れ幕を掲げます。今日は疲労の雨なので、黒ですね」

「ふーん」


協会はそんなこともしているのか。魔術関係なら、何でもしているのかな。



それにしても…………


「雨の成分分析、してみたい」


私がそう告げると、ルクスは目を見開いてから、嬉しそうに笑みを零した。


「折角の機会ですからね。やってみましょうか」

「うん」


ルクスが頷いて立ち上がったのを見て、私も立ち上がる。研究室に向かうのだろうか。


「一度、採集道具を取りに、研究室に寄りましょう」




私はそのまま、ルクスの研究室に向かうことになった。その道中で、私はふと、違和感を覚える。


「ルクス、お仕事は?」

「…………」

「ルクス?」

「いえ、雨の日、特に魔術の雨の日は、書類仕事が少なくなります。郵送ギルドも急ぎの物か、重要な書類しか運ばなくなりますから。内向きの仕事が主になります」

「ふーん」


それって、雨が止んだ後に、滞っていた仕事が一気に押し寄せてくるのではないだろうか。


ルクスの嫌そうな雰囲気を見るに、私の予想は合っているようだ。


研究室に到着し、ルクスは少々お待ちくださいと言って、中に入った。小さな鞄を手にして、直ぐに戻って来た。


「それでは雨を採取しに行きましょうか」

「うん」

「少し、眠気や倦怠感が強まると思いますので、お気を付けください」

「分かった」


そうか。雨を採取する、ということは、建物の結界やカーテンによる遮蔽のない、外に出るということなのだ。


まぁ魔術具を身に付けているから、大丈夫だろう。それにどのくらい建物の結界が強いのかが気になる。


そんな軽い気持ちで、私は雨の採取に向かった。




ルクスに連れられたのは、協会の建物と別棟を繋ぐ渡り廊下だった。それも壁のない、外に出られる廊下だ。


屋根はあるので、濡れることはないが、カーテンも建物もないので、結界の外、という判定になるのだろう。


何故なら、外廊下に繋がる扉を開けた途端、一気に身体が重くなったからだ。



うーん、これはしんどい。風邪を引いた時くらいに、身体が重たいぞ。



ちらりと隣のルクスを窺うと、ルクスも眠そうな目をしていた。


事情を知っていなければ、不機嫌なのか、と思ってしまうような、目を細めた表情だ。


むしろ、頑張って目を開けようとしている所為で、眼光が鋭く、威圧的な表情になってしまっている。



「ルクス、これは自分で結界を張ればいいの?」

「…………はい。ただ、魔力操作、できますか?」

「………………うーん。代わりに頭が痛くなりそう」

「はい。疲労の雨ですから、休息や睡眠を取ろうとしている身体を、無理に起こしている状態です。その上で魔術を行使しようとすれば、体調が悪くなると思います」


私はルクスの説明を聞きながら、魔力操作を試みたが、身体が重くて思うように動かせないのと同じで、魔力も塊のまま、中々動いてくれない。術式を操作しようとしても、集中できない。


うん、これは無理だ。



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