89.撫で方と侵食
三回目だ。三回目のマギシアの転移の間だ。
たった三回しか来たことがない場所なのに、何故だか、帰って来た、という感じがする。
私たちはそのまま、ルクスの執務室に移動した。
「ルクス、大丈夫?」
色々な意味を込めた私の言葉に、ルクスは少し驚いてから、安堵したように微笑みを浮かべて頷いた。
「はい。オデット様のお陰です」
「うん。私、頑張った」
「はい。よく頑張りました。素晴らしかったですよ」
えっへんと胸を張ると、ルクスは褒めてくれた。そして、その手が私の頭を撫でている。
「ルクス、それは何?」
「え?それ、と申しますと?」
「頭に手を置いて、撫でている?」
「え、あぁ。人を褒める時には、こうするものなのですよ」
「褒める…………私もルクスを褒めたい」
私が両手を伸ばすと、きょとんとしていたルクスは、気恥ずかしそうに、おずおずと私の前にしゃがんだ。
ルクスが近い。これは泣いた時に、膝の上に乗せられた時くらいに、顔が近い。
そんなことに驚きと嬉しさのような、何だか息が苦しくなるような、鼓動が早くなるような感覚を抱く。
私はそっとルクスの頭を撫でた。
うん?意外と難しいぞ?
毛流れに沿って、優しく触れないと髪の毛が乱れてしまう。だからと言って、優し過ぎると撫でた感じがしない。
私が唸りながら試行錯誤していると、ジュネやカルメが、くすくす、ふふふと笑い出した。
「あ、あの、オデット様、いつまで…………」
「うーん、正解が見つかるまで?」
「せ、正解?」
「ルクスは、こうするのと、こうするの、どっちがいい?」
強めにわしわしと撫でるのと、優しくふんわりと撫でるのをやってみて、ルクスに聞いてみる。
前半でルクスの髪は乱れてしまったが、仕方ない。最適な撫で方を見つけるためだ。
「えぇと、前半の方が気さくな感じがしますが、後半の方が優しさを感じるかと」
「ルクスはどっちがいい?」
「…………」
ルクスは黙って考え込んでしまった。髪の毛を洗う時のような荒々しいような撫で方か、後半の乱れた髪の毛を整えるような優しい撫で方か。
うん、これは確かに悩むな。まぁ、ルクスにされるのであれば、後半の方が似合うだろう。
ただ、嬉しさと勢い余って、前半のような撫で方をされても嬉しいな。
「そうですね。普段は後半で、特別に嬉しいことや素晴らしいことがあった時に前半、というのはどうでしょうか」
「うん。それだね」
どうやら、ルクスも同じことを考えていたようだ。うん、嬉しいな。
私が頭を撫でるのを止めると、ルクスは何故かほっとした表情で立ち上がった。
私たちは長椅子に座って、カルメが淹れてくれたお茶と、ジュネが用意してくれたお菓子を頂く。話題は先程の謁見についてだ。
「オデット様が邪魔だと思えば、どうにでもできる余地がある、という結果に落ち着いたことは、我々の勝利だと思いますよ」
「そうなの?」
「はい。陛下のお言葉を拒否なされた時は、どうなることかと思いましたが、結果として、良かったのだと思います」
「陛下は私にこの国に居て欲しいの?」
私は陛下との会話を思い出しながら、陛下が態度を変えるきっかけとなった私の発言を顧みて、ルクスに問いかける。
「そうですね。流石にまだ幼いオデット様を武力として扱う様子はありませんでしたが、オデット様がこの国にいるということだけで、周囲への抑止力になります」
「へー」
「今回の謁見の内容も、陛下の周辺にしか知られていませんし、オデット様と陛下の関係性は、他国や他の貴族には分からないでしょうね。その点も含めて利用されるでしょう。また王城へ招く、と仰られていましたし」
「もう行きたくない」
「ふふふ。オデット様でしたら、お断りできると思いますが、陛下はオデット様が断れないように、私に命じるか、興味を持つような仕掛けをして来ると思いますよ?」
「全然嬉しくない。やっぱり、断れば良かった?」
何だ、それは?そんなルクスを人質にするような真似をされるのであれば、やはりきっぱりと断っておくべきだったか。
「いいえ。完全に陛下との関係を断つ、というのも、この国で暮らしていくのでしたら、得策ではありません。今回のように、オデット様が上位だと示しつつ、時折、陛下のお申し出を受け入れる、というくらいの関係が最良だと思います」
「分かった」
陛下も言っていた通り、暫くはこのままの生活が続くのであれば、今の状態で問題はないのだろう。
私はルクスの言葉に頷いて、お茶を飲む。
その後は、ルクスとジュネが今日の謁見のことで、何かしらを話し合っていた。
あの場にいた貴族の名前と肩書きを思い出したり、陛下との会話を記録したり、そんなことをしているようだった。
昼食で、改めて協会に戻って来れたのだということを実感し、私たちはそれぞれに解散することにした。
のだが、何故か、皆はルクスのところに集まっている。
私はルクスの傍に居るつもりだったし、カルメはそんな私に付いていてくれる。
ジュネは何となく、暇なので、という理由で、ルクスのところに留まっているらしい。
その結果、全員でルクスが向かう先、ルクスの研究室に向かうことになった。
ジュネたちは応接室でのんびりするようで、いつもの四人だけが実験室に入った。
「ルクス、今日はありがとう」
「オデット様?」
「色々、ルクスが言ってくれたこと、嬉しかった」
「そう言って頂けて、私も嬉しいです。こちらこそ、ありがとうございます」
そう言って微笑むルクスの表情は、いつも通りの柔らかなものだ。
今日はずっと、どこか硬い表情で不安そうにしていたから、やっといつものルクスに戻った気がする。
「折角、オデット様がいらっしゃるのですから、何か魔術のお話でもしましょうか」
「うん」
「これまで魔術を学んで来て、何か気になったことなどはありますか?」
「うーん、魔術の汚染と、侵食は違うの?」
私の質問にルクスは感心したような声を上げて、解説してくれた。
「流石ですね。その通りです。似ているものなのですが、状態としては汚染が酷くなれば、侵食になる、という感じですね。微量の汚染は日常的にあるものです。手が汚れたので、手を洗う。お風呂に入るということは、日常的に行っていますよね?この行為には微量の汚染を浄化、洗浄しているという意味も含まれます」
「へぇ」
「そして、通常の洗浄で対処できないほどの状態になっていることを、魔術汚染された状態と呼びます。これは言葉通りに、魔術に汚染されている状態です。ここで言う魔術とは、その人が元から、その身に持っている魔術とは、異なる魔術です」
「人は魔術を、持っている?」
ルクスの説明に、私は首を傾げる。
生物が魔力を持っているということは知っているが、魔術を持っている、とはどういうことだろうか。
「はい。これは魔術を発動させるということではなく、生命活動の一環として、魔術を使用している、ということを指します。生物は基本的に外界から魔力を取り込み、自分の物にし、魔術を使用して、生命活動を行っています」
「魔獣と動物は違う?」
「はい。生命活動のための魔術とは別に、例えば火球などの一般的な魔術を使用するかどうかで、決められています。話を戻しますと、汚染が進むと侵食と呼ばれる状態になります。汚染されたことによって、魔術が侵食されている、ということですね」
「ん?」
汚染されたことによって、魔術が侵食されている?
その意味がよく分からず、私は首を傾げる。
「汚染は浄化や状態異常回復の魔術で治すことができますが、侵食ではそれらの魔術を使用することは難しいです。汚染は言わば、表面に汚れが付いているような状態ですので、その汚れを取って、洗えば治ります。ですが、侵食は汚れが中に入ってしまっている、混ざり合ってしまっている状態ですから、簡単にその汚れを取り除くことはできません」
「どうするの?」
「一番単純な方法は、侵食されている部分を全て取り除いて、回復魔術を使用する、ということです。しかし、これは現実的ではありません。侵食されている場合は、大抵、その部分が広範囲に渡っているか、深い部分まで侵食されていますから」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「これもまた現実的ではない方法なのですが、侵食された本人が、浄化、状態異常回復の魔術を自分に使用する、という方法です。しかし、侵食までされているような時には、それを治せるレベルの魔術は使用できないことが多いです」
何だ。どちらの方法も現実的ではないのか。それでは、汚染や侵食を受けてしまった者たちはどうなるのだろう。
「汚染と侵食はそれぞれどうなるの?」
「汚染の場合は体調が悪くなり、魔術を使用し難くなります。これは体内の自浄作用が強く働き、余分に使える魔力が少なくなるためです。そのため、魔力を多く使った時のような、身体の重さ、眠気といった症状が出ます」
「侵食は?」
「侵食の場合も同様ですが、それに加えて、自身の魔術を侵食されている不快感や痛みがあります。侵食部位によって重症度も異なります。手足でしたら、痛みだけのことが多いのですが、臓器であると、その臓器が機能しなくなることがあります。心臓や脳であった場合には、命が助かる確率はかなり下がります」
な、何か、怖いんだけれど。侵食って、大事なんだね。
次話は閑話となります。




