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私の大切な人は魔術の師匠  作者: 佐伯 怜
第一部 前半
110/116

110.灰と味覚



「次も頑張れそうですか?」

「うん。大丈夫」

「それでは、次の薬を用意してきます。お口直しに水を飲んで、このままここで、少しお待ちください」


そう言って、ルクスは仮眠室を出て行った。


私はカルメが用意してくれた水を飲んで、口の中をすっきりさせる。


少しして、ルクスは先程と同じように半分くらいの液体を入れたカップをトレーに乗せて、戻って来た。


「これはベル・ラビタの毛の灰の汁です」

「ベル・ラビタ…………」


確か、動物図鑑に載っていたような。名前の通り、青階位のラビタだ。


ラビタ自体は珍しくもない、種類が多い小型の動物だ。


その中でも階位の高いベル・ラビタが、大抵は群れの長になっている、と書かれていたような。



「毛の灰の汁って何?」

「これはベル・ラビタの毛を燃やして、その灰を完全なる透明な水に溶かし、濾したものです」

「毛を燃やして、灰を水に溶かす?」


誰がそんなことを思い付いた、というか、その水に効果があることを知ったのだ?



私が何だそれは?という不可解そうな表情をしているのを見たルクスは、苦笑して頷いた。


「不思議ですよね。これは灰、粉末のままでは、傾眠の効果は少ないのですが、水に溶かすことで大きく効果を発揮します。唾液やお茶にも溶けるのですが、何も無い水に溶かすのが、一番、効果が高いですね」


使用する時は、基本的に水薬として、水などの液体に溶かした物を使用する。


流通させたり、販売したりする際には、粉薬や丸薬、更には飴などに加工するそうだ。


そして、それをそのまま服用することもできるが、やはり水、それも完全なる透明な水に溶かした方が、効果が高まるらしい。


「今回は水に溶かしてある物なので、効果は10分ほどで出始めて、二時間ほど、持続します。他の形態ですと、効果が出るまで15分から20分くらいかかります」

「水に溶かしてある物は売っていないの?」

「珍しいですが、ありますよ」


魔力が滲まないように、魔力をほとんど含まない容器に、定着と保護の魔術を付与して、密閉保存する、というものがあるらしい。


それでも微量の魔力は透過するし、容器にかけた魔術の魔力が滲んでしまうので、二週間を目安に、早めに使った方が良いらしい。


「水薬は長期保存には向かないですし、時間が経つほど効果が落ちるので、その場で作って売り、直ぐに使う、という感じですね」


確かに、そこまでの手間暇をかけても、粉薬などよりは効果が薄いとなれば、売れないだろうな。


容器や付与がある分、粉薬などよりも高くなるだろうし。


そうまでして売る人も、買う人も少ないのだろう。


それならば、粉薬などを買っておいて、自分で水に溶かして飲んだ方が、安くて、効果が高い。



「魔力で変質するの?」

「はい。毛や灰の状態では、そこまで魔力に過敏ではないのですが、液体に溶けだした傾眠の成分は、魔力によく反応するんです」


それもまた不思議なことだ。けれど、液体か固体かでは、性質が違うこともあるのだろう。


私はそうなのか、と相槌を打った。



「お酢や塩といった調味料とは相性が悪く、効果が弱まってしまいますから、料理には使えません。お茶やお酒、牛乳などでも、効果は弱まります。霧状にして噴射したり、細かな粉末が舞い上がったりして、吸い込んでしまっても、効果は出てしまいます」

「それって、結構危ない?」

「いえ、致死毒ではありませんし、即効性もありませんので、きちんと対処すれば問題ありません」


いきなり、そのようなことをされれば驚いて、素早く的確に対処できないかもしれないな。


と不安を感じていると、ルクスは大丈夫だというように、微笑みを浮かべた。


「通り魔のような人に、そうして吹き付けられても、少量しか摂取されないので、問題ない範囲だと思いますよ。ですので、一番に警戒するべきは、やはりお茶やお酒、水などに混入されることです」

「確かに」

「加熱や冷却で効果が増減することはないので、お茶を淹れるための水に予め、溶かされていたり、茶葉に粉末が混ぜ込まれていたりします」

「ふーん」


またしても、何かを思い出すような目で遠くを見つめるルクスに、私は不安になってしまう。


やけに具体的で、体験したかのような口ぶりであるのは、本当に実体験だからなのだろうか。


もしそうなのだとすれば、凄く心配だ。


ルクスはそれほどに毒を盛られる経験が多い、ということなのだから。


「ですが、この色を見て頂ければ、お分かりになるかと思いますが、お茶やお酒、牛乳に混ぜると、通常のものとは色が変化してしまいます。更にこの薬は苦味が強いので、当然、味も渋く、苦く、えぐくなります」

「あー、うん」

「まぁそれを、今日のお茶は私が淹れてみたの。慣れていなくて、ちょっと渋くなってしまったけれど、ごめんなさいね、とか言って、明らかに色がおかしいお茶を出してくるご令嬢がいましたね」


確かにそれでは、いくら香りがないとは言っても、まず見た目で気付けてしまうだろう。


それに味の方も、誤魔化しようのない、特徴的な苦さがあるようだし。


それを堂々と出せるご令嬢は度胸があるんだなぁ。神経が図太いんだろう。


他人事なので、他人事のようにへぇー、と感心したような声を上げてしまう。



しかし、ルクスの話はそこで終わりではなかった。


「特に、何を思ったのか、牛乳にこの灰の汁を入れて、更にサリヴァの蜜を加えて誤魔化そうとしたご令嬢がいましたね。あれは、牛乳のもったりとした、まろやかな味、そして灰の汁の苦味とえぐみ、それを誤魔化すどころか、対比的に強調するような、サリヴァの花の香りと甘さで、最悪の味になっていました」

「えっと、サリヴァの蜜と、ベル・ラビタの灰の汁って、混ぜると効果が増幅するの?」

「いいえ、そう言った影響はありません。サリヴァは先程も言った通り、原液が一番、効果が高いですから、他のものと混ぜた時点で、効果は薄まります。ベル・ラビタも水以外のものと混ぜると、効果は減退します。なので本当に、あれは味を誤魔化そうとしてやったとだと思います」

「………………」


うん、私は何も言うまい。


虚ろな笑みを浮かべて、遠い過去に思いを馳せているルクスには、ご愁傷様、と言うしかない。



いやむしろ、そのご令嬢の味覚と発想が、ご愁傷様なレベルなのでは?


よく混ぜようと思ったな、と思うし、よくそれを他人に飲ませようと思ったな、とも思ってしまう。



うん、自分には真似ができない所業だ。


効果が薄まるのであれば、本当に唯々、味が酷い飲み物になってしまうのだから。



ルクスはそんなものを飲んでしまったのだな。


どういう状況だったのかは分からないが、一度、口に含んだものを吐き出せない場所だったのだろう。


話を聞いているだけで、吐き気が込み上げてくるような液体だが、それを飲み込んだのだとすれば、ルクスは凄いと思う。



「サリヴァの蜜は蜂蜜のように、風味付けとして使用されることの方が多いくらいなのですが、こちらの灰の汁は、基本的に睡眠薬としてしか、使用されていません。こちらも、比較的簡単に入手できて、保存管理もしやすい薬ですから、医師や薬師にとっても処方しやすいものですね」

「処方する時には、一回に溶かす量を変えて、効果の強弱を調整しているの?」

「はい。煮詰めたり、薄めたりと使い勝手も良いですし、粉末で計量して、分包するのが一般的ですね。これからお飲みいただくものは、水量に対して、限界量まで溶かしているので、一番味が濃いと思います」

「…………分かった」


つまり、一番苦くて、えぐみがあるやつなんだね。


カップにしっかりと入っているので、一口だけ、少しだけ、という量でもない。



うん、何か、少し緊張してきたな。


眠気の効果が強いということではなく、その味がどれだけ苦くてえぐいのだろうか、という不安だ。



いやまぁ、ルクスが言っていた牛乳に色々と混ぜた物ではないので、大丈夫だろうけれど。


「これより薄くなることはあっても、濃くなることはありません。それに最悪の味ではありませんよ。えぇ、私は最底辺を知ってしまったようです。その私が保証します。これは苦くて、渋くて、えぐいだけです。気持ち悪くはありません」

「…………うん、頑張る」

「はい。この灰の汁の味は特徴的なので、薄まっていたり、混ぜられていたりしても、一度知っていれば、分かると思います。魔術は先程と同じ、眠りの状態異常回復です。何か、ご質問はありますか?」

「ううん。大丈夫」


私はカップを手に取って、目の前に掲げた。


青みがかった薄い黒色の透明な液体は、さらりとしていて、香りはない。


ただの色が付いた水に見えるのだが、味が心配だ。


一気に飲むようには言われなかったので、先程と同じように、まずは一口、飲んでみる。


「ん、うぅ」


うん。苦い。


苦すぎて、渋いような、えぐいような味になっている。


しかも、舌の上に染み渡るように、残っている。


臭みや独特の風味といった癖はないのだが、単純に苦い。


特徴的な苦さだと聞いていたが、確かにここまで苦味しかないものは、他にはないだろう。




眉を顰めた私に、ルクスは苦笑している。


その表情を見て、ふと、牛乳のご令嬢の話を思い出してしまった私は、慌てて別のことを考えようと、目の前のカップに視線を戻した。


危なかったな。灰の汁の味を知ってしまった今、私は牛乳もサリヴァの味も全て知っていることになるのだ。


ここでその三つを合わせるとどうなるか、という想像をしてしまえば、この灰の汁が飲めなくなりそうだ。


これはお茶や水を飲むように、ゆっくりと飲み進めていれば、危ないなと悟った私は、カップの中身を一気に呷った。


「うぇ、にが…………」

「はい、どうぞ」


私が汁を飲み干したのを見て、ルクスがすかさず水の入ったカップを渡してくれた。


私は手に持っていた汁が入っていたカップを横の机に置いて、ルクスから水が入ったカップを受け取る。


水も一気に飲み干して、口の中、舌の上に残っていた苦味と、おさらばする。



これはお茶や牛乳に入れられていても、直ぐに気付けること間違いなしの苦さだったな。


寧ろ、これを水以外のものに溶かし入れようと思う人は、どういう味覚をしているんだろう。


この毒を盛ったご令嬢たちは相当、肝が据わっているのか、鈍感なのか。


分からないけれど、凄いなと感心さえしてしまう。


現実逃避するように、色々と考えてしまったのは、お口直しが、お茶ではなく水だったからだ。


うん、お茶でなくて良かった。ルクスたちはいい人だ。



…………相当、不味かったんだろうなぁ。



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