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私の大切な人は魔術の師匠  作者: 佐伯 怜
第一部 前半
109/116

109.花蜜と経験談



昼食を終えて、私たちはルクスの研究室に来た。


今回は初めて入る仮眠室、という部屋に通された。


そこは私の寝室よりは少し狭く、寝台と小さな机、簡素な椅子が一脚、あるだけだった。


「オデット様。こちらで少し、お待ちください。準備して参ります」


私を寝台の端に座らせて、ルクスは仮眠室を出て行ってしまった。


部屋に残された私とカルメは、静かにルクスを待つ。



この部屋は応接室よりも手狭なので、ジュネやウブラたちは応接室で待機している。


多分、仕事を持ち込んでいるのだろう。



直ぐにルクスとリグネウスが戻って来た。

ルクスは両手でトレーを持っている。

その上には、見覚えのある道具と、液体が入ったカップがある。


「オデット様。こちらが最初の薬です」


寝台に座っている私に向かい合うように、椅子を置き直したルクスは、トレーを横の机に置いた。


ルクスに差し出された透明な硝子のカップには、透き通った鮮やかな赤色の液体が、半分くらいまで入っている。


「これはサリヴァという花の蜜を、水で薄めたものです」


原液の蜜はとろりとしていて、更に今回服用する量では、飲みにくい。

そのため、水で二倍になるように薄めたそうだ。


少量と言っても、カップの四分の一くらいまでは蜜が入っていたことになる。


最初から、意外としっかりとした量があるのだな。

とカップに入った液体を見つめていると、ルクスは大丈夫だというように微笑みを浮かべた。


「効果は軽い眠気です」


カップにこれだけ入っている蜜を飲んでも、軽い眠気しか出ないそうだ。


勿論、サリヴァの花を摘んで、直接その蜜を吸っても、花の香りと少しの甘さを感じられるだけで、眠気は出ない。


「この量の蜜を集めるには、サリヴァの花が百輪くらいは必要ですから、一、二輪の蜜を直接、摂取したところで、眠気が出ないのは当然でしょう」

「じゃあ、サリヴァは貴重なの?」

「いいえ、普通に流通しています。野生の物もありますが、基本的には薬草として栽培されています。軽い睡眠薬として処方されることが多いです」


サリヴァの蜜は研究者たちによって、研究開発された薬というよりは、庶民の生活の知恵、民間療法のようなものらしく、古くから親しまれていて、広く知られているようだ。


何だか、寝付けない夜には、温めた牛乳に、サリヴァの蜜を入れて飲むと良い。


そんな風に言い伝えられ、使われているもので、子どもでもサリヴァの蜜を入れた牛乳を飲むことがあるらしい。


そんな使い方を聞けば、逆にこれは毒や薬として有用なのだろうか、という疑問が浮かんでしまう。


そんな私の懐疑的な目に、ルクスはくすりと笑みを零した。


「確かに、普通はこれほどの量を一度に飲むことはありませんね。栽培されていて、誰でも入手し易いものとはいえ、軽い眠気を出すためだけに、この量の蜜を購入する人は少ないでしょう」

「やっぱり高いの?」

「効果の割には値段が高い、という感じですね。これよりも効果が強いものもありますから」

「じゃあ、そっちでいい?」

「いえ、強いから良い、という訳ではないのです。その人に必要な程度というものは、人それぞれですから。それに副作用や身体への負担が小さいですからね。使いやすい薬ではあります」

「ふーん」


サリヴァの蜜は他の毒や薬と合わせても、飲み物と合わせても、効果が増幅することはないらしい。


寧ろ、組み合わせによっては減退するそうなので、眠気の強さを求めるのであれば、原液で飲むのが一番だそうだ。


そして煮詰めても、効果は高まるどころか、減るそうなので、やはり原液が一番なのだとか。


加熱すると、香りと共に、眠気を出す成分も蒸発してしまうようで、温かい物に入れるくらいであれば問題ないそうだが、ぐつぐつと煮てしまうと、効果がなくなってしまうそうだ。


逆に煮た蜜を、調味料や砂糖の代わりに使うこともあるらしい。


医師や薬師が軽い睡眠薬として処方する時には、寝入りを良くするために、という軽度の不眠に用いられるようだ。


「サリヴァの蜜であれば、自分で購入したり、採取したりして、使う人もいますから、わざわざ医師たちが処方することは珍しいかもしれません。一般家庭でも蜜が常備されていることがありますから」

「ルクスも?」

「はい。私は自分用と研究用に持っています。特に短時間の仮眠を取りたい時には、サリヴァの蜜くらいの効果がちょうど良いのです」


思ったよりも、一般的な毒、いや薬のようだな。それに調味料でもあるようだし。


「味は甘いだけです。苦みや渋みはありません。香りの通りの味、という感じです」

「へー」

「そう言えば、堂々とサリヴァの蜜を入れたお茶を勧めてくるご令嬢がいましたね。今日のお茶はお砂糖の代わりに、花の蜜を使っているのよ、とか言って。花は花でも、明らかにサリヴァの花の香りがしていたので、お断りしましたが」

「へぇ?」

「あとは甘いお酒はお好きかしら?とか言って、サリヴァの蜜がたっぷりと入っていそうなお酒を勧めて来たご婦人もいましたね。あれは寧ろ、サリヴァの蜜にお酒の風味をつけただけなのでは?というくらいにとろりとしていました」

「へ、へぇー」


遠いところに視線を向けて、何かを儚んでいるルクスに、私は少し引いてしまう。


何かに思いを馳せているところに、申し訳ないのだが、私にはそれを詳しく聞く勇気はないので、その話はここまでにしてもらいたい。


いやでも、具体的な使われ方を知っておくのは良いことかもしれないな。


だが、その体験談を聞いて、私の参考になるのだろうか。


何だか、良くない方向に話が進みそうだったので、私はささっと話を戻した。


「ルクス。サリヴァの効果は?」

「え?あ、失礼しました。効果は五分ほどで出始めます。眠気は一時間ほど持続します。魔術は眠りの状態異常回復の魔術です。眠ってしまっている場合には、覚醒の魔術でも目覚めますが、それは効果を消している訳ではないので、眠気が続くことになります」


傾眠の魔術を覚えた時に、覚醒の魔術も一緒に覚えている。


なので、それがどのような魔術であるかは分かるのだが、覚醒の魔術を自分に使うことはないので、どのような感じで目覚めるのかは分からないな。


まぁ、今回は覚醒の魔術はあまり関係がないのだけれど。


眠りの状態異常回復の魔術は、既に学んでいるので問題ない。


確認のために、一度発動させてみて、ルクスに合格を貰った。


「サリヴァの蜜についての説明はこのくらいですね。何か気になることはありますか?」

「ううん。大丈夫」


私が頷いたのを見て、ルクスはカップを取って、渡してくれた。


カップに半分ほど入っている赤い液体は、傾けてみると確かに少しとろりとしている。


香りは甘く、ふくよかな花、という感じだ。


サリヴァの花は植物図鑑で見たことがあるが、確か、この蜜と同じような鮮やかな赤色だった気がする。


「一気に飲んだ方がいい?」

「いえ、少しずつでも大丈夫ですよ。ですが、そのカップの中身は全て飲んでください」

「分かった」


味は甘いだけのようだし、効果も軽い眠気なので、怖さはない。


私は早速、一口飲んでみた。


ふわりと口の中に広がる花の香りと、蜂蜜のようなとろりとした甘さ。


苦さやえぐみ、渋さはなく、これであればお茶やお酒に砂糖の代わりに入れても合うだろうな。



本当に大丈夫だと分かった私は、残りを一気に呷った。


うーん、一気に飲むと、香りが強過ぎて、少し噎せそうになるな。


それにとろみの所為で、舌の上に甘さが残る。だがまぁ、不味くはない。


うん。まだ飲みやすい味で良かった。そして効果はまだ出ていない。




それから私は、しっかりと効果が出るまでの時間を、ルクスと図鑑を見ながらお喋りして過ごした。


「眠気以外には効果はないの?」

「はい。眠気に伴う倦怠感や身体が重くなる感じはありますが、他の効果はありません。副作用や依存性もほぼありません」

「何か、横になりたいかも」

「もう少し、我慢できますか?」

「うん。眠いだけだから。そう言えば、疲労の雨よりは眠くないかも」

「そうですね」


うん。あれに比べたら、まだまだ軽い眠気だ。


もしかしたら、眠気が出ると先に知っているから、気になるだけなのかもしれない。


そんなことを話しながら、暇を潰した私は、しっかりと効果が出ていることを感じ、ルクスに確認を取ってから、魔術を行使した。


蜜の効果が思ったよりも弱かったので、少し肩透かしを食らった気分だったが、この程度だからこそ、一般人でも扱えるのだろう。


「んー…………」

「どうですか?」

「できたと思う」

「それでは失礼しますね」


ルクスに手を取られて、そちらを見ると、見覚えのある道具を持っていた。


そう言えば、色々と話していて忘れていたのだが、ここに入って来た時に、トレーに乗せられていたな。



あ、針だ。



そう思った時には、しっかりと腕に刺されていた。


眠気が出ていたけれど、針の違和感の方が強い。というか、目が覚めるような違和感だ。


まぁ痛くはないので、良いだろう。


と何故か、尊大な気持ちでそれを見守っていると、ルクスは針の反対側にある箱のような部分を見て、頷き、針を抜いた。


「はい。きちんと解毒できていますよ」

「良かった」

「はい。初めてでしたが、落ち着いて過ごせましたね。魔術の発動も滞りなく、お見事でした」


ルクスは頭を優しく撫でてくれた。


あまり大したことはしていないのだが、少しの怖さや不安があったのは事実なので、私は有難く、褒め言葉を受け取ることにした。


うん。撫でられると、身構えて強張っていた心が、解けるような感じがする。


自然と頬も緩んでしまうな。



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