108.感想と打ち合わせ
それから暫くして、春の乙女の噂が流れるようになった。
その乙女が来ると春になり、立ち去ると夏が来る。
それは冬の旅人と恋に落ちた女性だった。
冬の旅人を追いかける春の乙女。
けれど、簡単に追い付くことはできなかった。
数年かかって漸く、春の乙女は冬の旅人に追い付いた。
しかし、旅人は乙女の姿を見ると、驚き慌て、逃げ出した。
乙女は深く傷ついた。
けれど、あの優しい彼がそんなことをするわけがない。
そうしなければいけない理由があったのだろう。
その理由を知るために、乙女は旅人を追いかけた。
旅人が逃げた先は、北の山脈。
いつでも厳しい冬が居座る土地。
険しい山道に、深い雪。
それでも乙女は必死に旅人を追いかけて、捕まえた。
「どうして?」
「…………ごめん」
「私は貴方の傍にはいられないの?」
「いや、僕はずっと傍に居るよ。どうか、忘れないで」
旅人が乙女を抱き締めると、乙女は嬉しさのあまり、涙を流しながら、抱き締め返した。
しかし、旅人はそのまま、微笑みを浮かべたまま、倒れた。
「そんな、私の所為で…………」
乙女は旅人を抱えて、何とか、麓にある村まで戻った。
村の魔術師に呪いの進行を止めてもらい、乙女は旅人を置いて、旅立った。
最果ての森。そこに住む、人々に絶望を与えるという魔獣は、遂に優秀な冒険者たちに討伐された。
その中には、年若い女性がいたと言う。
「おはよう。身体の調子はどう?」
「あれ?僕…………」
目覚めた青年に話しかけながら、女性は窓を開けた。
「は、春!?」
「えぇ、そうよ」
「の、呪いが無くなっている!凄い!君が解いてくれたのか?」
「えぇ。大変だったけれど、貴方のためだもの」
「ありがとう。この恩は一生かけて、君に返すよ」
「ふふふ。じゃあ、ずっと傍にいてね」
「うん、約束する」
二人の間には温かな空気が流れていた。
「冬の厳しさを乗り越え、春の暖かさを得た二人に、祝福を!」
最初に登場した青年が、そう締めくくり、舞台は終わった。
幕が下り、会場の皆が舞台の余韻に浸っていた。
溢れんばかりの拍手が収まり、観客たちはざわざわと感想を言い合いながら、席を立つ。
「オデット様。如何でしたか?」
「色々と疑問もあるけれど、面白かったよ」
「それは良かったです」
いまいち、ぱっとしない表情をしている私を見て、ルクスはふふふ、と笑みを零した。
小説や舞台の物語、というものは、どこまでが有り得ることで、どこからが創作なのかが、よく分からない。
うん、まだまだ知識が足りないのだろうな。勉強を頑張ろう。
そう決意して頷いている私を、ルクスは微笑ましそうに見守っていた。
舞台を見終えて、出口に殺到する観客が少なくなってきた頃。
私たちは席を立った。
それまでの待ち時間では、ルクスがジュネと連絡を取っていた。
何が書かれていたのかは分からないが、ルクスが不満げな表情で、そろそろ帰らないといけないようですね、と言っていた。
リグネウスは然も有りなんといった表情で、カルメはジュネを心配するような表情で、二人はしっかりと頷いた。
もう少しオデット様とお祭りを楽しみたいです。
と顔にはっきり書いてあるルクスに、私はそんなことに気付いていないふりをして、そうだねと頷いた。
否定して欲しかったのに…………と少々、残念そうな表情で、ルクスは悲し気に頷きを返した。
まぁ、私としては十分にお祭りを楽しめたし、ルクスとも色々と見て回れたと思っているので、満足だ。
協会の転移用の小さな家から、転移の間に転移し、ルクスの執務室に戻ってきた。
私とカルメは一度、部屋に戻って、外出着から普段着に着替えている。
その間にも、ルクスはジュネやウブラたちにお仕事をさせられていたようだ。
私はお茶を頂きながら、のんびりと日記のようなものを書いている。
先程の舞台のこととか、市場のこととか、色々なことを書き留めておこうと思ったのだ。
ささっと仕事を片付けたルクスは、こちらにやってきて、休憩を始めた。
「オデット様。先程の舞台について、何か聞きたいことはございませんか?」
「うん、あるよ。今、聞いてもいい?」
「はい。どうぞ」
微笑んで頷いてくれたルクスを見て、私は少しだけ、お仕事は良いのかな、と思ったが、まぁ本人が大丈夫なのだと言っているのだから良いか、納得させることにした。
「まず、知性を持つ魔獣はいる?」
「知性を持つ、という基準が難しいですが、あの舞台に登場した魔獣のように人間の言葉を用いる、という意味であれば、今のところ発見されていません」
「じゃあ、呪いをかける魔獣はいる?」
「はい。呪いと比喩されるものが多いのですが。基本的に比喩として呪いを使う、と言われる魔獣が行っているのは、状態異常の魔術や毒ですね。そして、比喩ではない呪いは、魔獣の怒りや恐怖心から発生します。症状は以前にお教えした通りですね」
「じゃあ、舞台に登場するような魔獣はいない?」
「はい。魔獣が呪いをかけることはありますが、その時に人間の用いる言葉を話す、ということはないですね。更に呪いの効果も限定的ですから、知性を持つ魔獣、ということで、その辺りの辻褄を合わせているのだと思います」
「呪いって、かけた者が死ぬと無くなるの?」
「はい。余程、強力な呪いでなければ、無くなります。向けられる感情がなくなりますから。しかし、稀に魔力と感情を物に込めて、呪物とする場合があります。そのような時には、呪物を処分しなければ、呪いはなくなりません」
「物に呪いが宿るの?」
「はい。例えば、魔力をインクとするペンを用いて、特定の相手を殺したいだとか、恨みや怒りを表す言葉を紙に書き連ねていると、その紙が呪いの根源になることがあります。感情が乗った魔力が込められていますからね。多いのは日記や手記などです」
「え」
「魔力と感情が対象物に籠っていれば、そうなることもある、という程度です。普通の日記であれば、大丈夫ですよ」
「祝福の日記もあるの?」
「はい。そちらは聖書や聖遺物と呼ばれます。このような物からは、少しの幸福感や高揚感が得られます。大抵は、聖遺物よりも呪物の方が強力です」
「呪いの方が強力なの?」
「はい。祝福は清浄な空気、呪いは汚染された水、と例えられます。清浄な空気は身近にあり、簡単に触れることができますが、汚染された水は作り出さなければなりません。また、一度汚染された水が生まれると、それを清浄な水に戻すには手間がかかります。そして汚染された水は汚泥のように溜まっていきます。つまり、祝福は効果が弱くとも、広く身近にあり、呪いは効果が強いものの、珍しいことが多いのです」
「身近な祝福と消えない呪い?」
「はい。その通りです」
一通りの疑問を解消したところで、やはり物語は物語なのだな、と納得した。
そうして、初めての冬至祭は終わった。賑やかで新鮮で、楽しい一日だったな。
翌日の午前中。
前半は多目的室で、カルメから色々な楽器についての実践を交えた授業を受けた。
音階や演奏方法を教えてもらい、実際に慣れるまで弾いてみる。
ピアノとヴァイオリン以外の楽器は、簡単に使い方を教えてもらうだけだった。
この二つの楽器が貴族の嗜み、必須のものだそうで、主にこの二つを練習する時間だった。
楽器を演奏していると、意外と早く時間が経つ。慣れないことに集中している所為だろうか。
休憩の時間になったところで、私は練習を止めた。この後はルクスの番だ。
執務室に向かうと、既にルクスは休憩に入っていた。
私もそれに加わり、さて後半は何をするのだろうと、ルクスに期待の眼差しを向ける。
そんな私にルクスは少し悲し気に微笑んで、口を開いた。
「本日は授業ではなく、打ち合わせをしたいと思います」
「何の?」
「オデット様の毒慣れの、です」
そう言えば、そんなことになっていたな。
と思い出して、いや思い至っていると、ルクスは私に数枚の紙束を渡してくれた。
その紙には、症状別に様々な毒の名前が書かれていた。
症状は痛み、痺れ、眠気等々、色々とある。
更に一つの毒でも投与量が二、三段階あるし、複数の毒を組み合わせることもある。
全部で100以上はあるようだ。
この資料には投与量や効果時間、注意事項なども纏められていた。
「基本的に、各症状のはじめに書かれているものが症状が一番軽く、後になるにつれ、症状が重くなっていきます。症状の種別に関係なく、その軽重から進めるか、症状ごとに軽いものから進めていくか。どちらが良いですか?」
「うーん…………症状別で軽い方から」
「はい。それでは、眠気、吐き気、痺れ、痛み、というような感じでしょうか」
「うん」
ルクスが紙を見せながら、説明してくれる。私はそれに頷いた。
「摂取の前には、毒の効果を説明し、効果が出るまでの時間、継続時間、対処に必要な魔術などをご説明して、魔術の行使に問題がないか、練習をします」
「うん」
私はまだ、魔術残滓を識別するということを学んでいないので、何となく、術式を操作した感覚、魔力が消費された感覚だけしか分からない。
実際に成功しているのか、効果が出ているのかは、やってみないと分からないのだ。毒慣れは、それを習得するための練習でもあるのだろう。
「他に気になることはありますか?」
「どのくらい症状が出たら、魔術を使っていいの?」
「それは毒によりますが、耐え切れなくなったら、でしょうか。効果をある程度しっかりと感じて、意識がはっきりしているうちに解毒する、という感じです。もし、上手く魔術が発動しない、できない、という場合には、私が解毒します。一度で完全に解毒できなかった場合には、もう一度、魔術を発動させることになりますが、その前に私が状態を診るので、まずは私にお聞きください」
「分かった」
何だか、具体的な話を聞くと、少し不安になってきたな。
未知の経験に、未来への不安、といった感じだ。
そんな私の表情を見て、ルクスは安心させるように微笑みを浮かべた。
「私たちがお側におりますので、落ち着いて、的確に、魔術を発動させることに集中してください。焦って、魔力暴走などになってしまえば、余計に辛くなるだけですからね。そのような場合でも私が何とかしますので、ご安心ください」
「うん」
「それでは、早速、本日の午後から、私の研究室で行いたいと思いますが、宜しいですか?」
「うん、大丈夫」




