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第五話 尻尾狼

 受付嬢からの胡乱な視線を背に、昇太は紋章を胸につけ、塔の中に足を踏み入れる。薄暗い広間には塔からの負荷に苦しむ人々の姿があり、その中央には上層へと続く階段がある。


「そういえばこの階段は1層を突破していないと見えないんだっけか」

 そんなことをつぶやきながら、昇太は腰の『収納袋』から短い紐を取り出す。これはパッと見ではただのゴミ同然の紐だが『失せ物探しの紐』というれっきとした遺物の一つだ。

「捜索。鹿島一也」

 昇太の声に従い、だらんと垂れ下がっていた紐はピンと張りつめグルグル回った後に広間から続く道の一つへと伸びた。


「あっちか」

 紐の指し示す道に向かって歩く。ぺタペタという安物のサンダルの音が響く。ゴム製のサンダルに部屋着同然のジャージ。未知なる塔への挑戦者とは思えない格好だなと、昇太は自嘲しながら暗い道を進んでいった。

「んお?」

 分かれ道。そこの壁には挑戦者によって書かれたチョークによる目印が散乱していた。こうした目印を描くのは挑戦者の中でも初心者だけだ。何度も挑戦している魔法使いは昇太のように道案内のできる遺物を持っていることが多いし、こうした目印は数日おきに塔の浄化機能で消えてしまう。


 だがその目印の中に月のマークを見つけた時、昇太は少しだけ感心した。目印を描くのは初心者ばかりとはいえ、事前情報のない初挑戦でそうした準備をしている者は少ないと以前「ばぁさん」が言っていた。

 月のマーク。あの二人組は一也と月子。このマークを描いたのが月子ならば安直だが分かりやすい。幸い『失せ物探しの紐』も同じ方向を指し示している。

 その目印に従って昇太はまた道を進む。


   *


「あ、あ…」

 月子は視界が真っ暗になるのを感じた。一也の『防壁』が破られ、もう月子たちとあの狼を遮るものは何もない。月子は必死になって何度も魔法を行使しようとするが操作を誤ってしまって上手くできない。

 どうしよう。どうしよう。どうしよう。思考停止になりかけた月子を動かしたのは一也の叫び声だ。


「月子!俺がこいつを食い止める!だからお前は逃げろ!」

「かずちゃん!?」

 そう言うや否や一也は自分の前に『防壁』を再度張りながら狼に突撃していった。狼は一也に対して尻尾を一振り。刃物で作られた尻尾が鞭のようにしなり、一也を『防壁』ごと薙ぎ払う。


「か…」

 迷路の壁にたたきつけられ一也は、ぐったりと力を失って倒れ込んだ。狼は月子には目もくれず、ノシノシと悠然とした足取りで一也のもとへ歩み寄る。

 止めを刺す気だ。月子にはあの狼が何を考えているかが分かった。あの狼はまず一也を殺すだろう。それから逃げた月子を追いかけて殺すつもりだ。もしくは月子が動けないと考えているのか。

 もしかしたら。今月子が背中を見せて一目散に逃げだせば助かるかもしれない。ここまで月子は歩いてきた。背中を向けて1,2分も走れば大広間に出られる。あそこにはまだ他の魔法使いがいたはずで、危機が迫っているとなれば助けてくれるかもしれない。そう。


 一也の命を犠牲にしたうえで。


 そんなこと。


「できるはずがない!」


 狼が一也を頭からかぶりつこうとした瞬間、月子は魔法陣を展開した。手の平ほどの魔法陣は霊界と物質世界をつなぐ鍵だ。霊界に存在する概念を召喚する。それが属性魔法。月子の適性は水。魔法陣が描いているのは槍を生成する概念だ。


 想像しろ。水の槍。腕の長さほどで先端は尖っている。その槍は真っ直ぐに飛んでいってあの狼を貫いてくれる。

 霊力だけを操る基礎3種とは異なり、属性魔法はイメージだけでは成立しない。魔法陣で霊界をつなぎ、その霊界に存在する概念を知り、概念を想起して魔法陣を通じて物質世界に顕現する。

 編纂機がうなりを上げる。編纂機のうなりはいわば「詠唱」だ。アブラカタブラと唱える代わりに霊界と物質世界をつなげる手伝いをしてくれる。魔法陣、詠唱、そして月子のイメージと霊力。それらがあわさって奇跡はここに体現する。


「お願い!」

 月子は突き出した手の前に一本の水の槍を作りだした。長さは50センチほどで、槍というよりも細身の杭と言った方がいいような形だ。しかし槍だろうが杭だろうが矢だろうが、これで一也を助けられるのであればそれでいい。

 月子は水の槍を打ち出した。槍は月子のイメージ通りに真っ直ぐ飛んでいき、それは狼の厚い毛皮を破ってイメージ通りに貫いた。


『ルガァッ!』

「やった!」

 月子はイメージ通りに狼を倒せたことに安堵した。これで一也は助かる。月子たちはまだ生きていられる。

月子の口元に笑みが浮かぶ。彼女の目に浮かぶのは生きて一也と二人塔から出られた姿だ。その目には槍で貫いた狼の姿は映っていない。齢若い少女の感性が、自らの手でむごたらしく殺した狼の亡骸を見たくないと思ってしまったのかもしれない。


 …鹿島月子の先ほどの魔法は、確かに彼女が今の技量で離れる最高のものだった。彼女は「イメージ通り」に狼を倒したつもりだった。

 しかし、塔の中では外の常識が一切通用しない。塔の怪物たちは死ねばすぐに塵になる。だから例え倒したと思っても、月子は狼が塵になるのを確認しなければならなかったのだ。


 安堵と現実逃避。言い逃れのできない()だ。


 狼が塵にならなかったということはまだ生きているということだ。そして。

「月子ぉ!!」

「…え?」

 月子は首筋に強い違和感を覚えた。衝撃。空転。視界が迷路の天井を捉える。荒い息遣いが二つ聞こえてくる。一つは月子のものだとして、ならもう一つは何だろう。


「あ…私」

 体が重い。首が熱くて冷たい。視線を横にやればそこにいたのはさっき倒したと思った狼。月子の魔法はただの狼を殺すには十分な威力だった。しかし塔によって作られた狼を殺すには至らなかった。


 月子がイメージしたのはあくまでただの狼を殺せるほどの力。こんな常識の外にいるような化け物を殺すイメージなんて月子はしたことは。

 グチャグチャと、自分の肉が食い荒らされていく音が聞こえる。狼の向こうに手を伸ばす一也の姿が見える。月子もまた手を伸ばした。届いて。月子は声をあげる。

「かず、ちゃ…」


 でもそれだけだった。最期にそれだけ言って、月子の意識は冷たくて暗い泥の中に埋もれていった。パタンと自分の手の落ちる音が聞こえた。


   *


 嘘だありえないこれは何かの冗談だ。一也は目の前の現実を否定する。だがいくら否定したところで現実は変わらなかった。

 『防壁』を張って狼に飛びこんで、尻尾に払われて喰われそうになって、月子の魔法が狼を貫いて。だったら狼は死んだはずだ。後は月子と二人塔から逃げ出して怒られて笑い合ってっていうハッピーエンドになっていいじゃないか。


 狼は月子の魔法で受けた傷を再生したりなんてしていないし、そこから恐ろしい速さで月子に飛び掛かっていったりもしない。だから月子が死ぬはずなんて。

 一也は手を伸ばす。月子も手を伸ばして、何かをつぶやいてそして。


 ポトリとその手が落ちた。


「月子ぉぉぉぉぉ!」

 絶望が、後悔が、悲しみが、恐怖が一也を支配する。月子が死んだという絶望。月子を連れてきてしまったという後悔。月子を失った悲しみ。月子が隣にいないという恐怖。そして最後に残ったのは怒りだった。月子を殺したものへの怒り。月子を殺した狼への、そして自分への怒り。

「月子、月子、つきこつきこつきこつきこ」

 ユラリと一也は立ち上がった。敵はどこだ?それは目の前にいる狼だ。あのクソ狼野郎が月子を殺した。一也の編纂機がうなりを上げる。狼が月子の体をもてあそぶのをやめて一也の方を向き合った。狼は一也の姿を視認しそして。

『ウォォォォォーン!』

 高らかに遠吠えを上げた。

「うたってんじゃねぇぞこのくそがぁ!」

 一也は飛び掛かる狼の前に『防壁』を展開する。狼はそれを読んでいたのか足を止め、尻尾で壁を破壊する。

「よめてんだよ!」

 だがその動作を行うと踏んでいた一也は、尻尾の合間をくぐって狼の懐に入り込んだ。そしてつき上げるようなパンチを浴びせる。

『ルフ』

 無機質な笑い声。だがそれはきっと一也に対する嘲笑だろう。一也の渾身の一撃はまるで狼には響かない。とんだ期待外れだ。そう言わんばかりである。


「うるせぇ!!」

 だが一也はそんなことお構いなしに狼に殴りかかる。何度も何度も狼の尻尾を爪を牙を避けてただ殴る。もう魔法は使わない。何の『強化』もされていない拳で殴るだけだ。狼にしてはうっとしい小動物がまとわりつくようなもので、いつからか一也で遊ぶような動きを見え始めていた。

 そんな狼の動きへの一也の怒りはない。一也の怒りは狼以上に自分自身に向かっているのだ。せめて一発殴ってから自分も死のう。赤い怒りに満ちた中の漠然とした思考はそんなことを一也に思わせる。

「しね。しね。⋯⋯俺が、しね」


 一也の力が抜けた。狼も一也に飽きたのか、止めをさすべく牙を向けた。迫りくる牙を見て今から俺もそっちに行くよと一也が思った時。


「馬鹿か。お前は」


 バンという音がして、狼が何かにぶつかった。始め一也が狼にしたように、誰かが狼の前に『防壁』を張ったのだろう。違うのは。

 狼は何度もその尻尾を『防壁』にぶつけているが、その『防壁』がびくともしないことだろう。


「尻尾狼か…」

 狼との立ち回りで一也の向いている方向は来た道の方向だ。声はその奥から聞こえてくる。そして闇の中から出てきたのは、ぼさぼさの黒髪をしたジャージ姿の男。足に履いているのはあろうことか、靴ではなくサンダルだ。

「たか、なし…」

 そこにいたのは昨日会って少し話をしただけの謎の青年、小鳥遊昇太だった。彼は面倒くさそうにため息を一つ吐いて尻尾狼を指さした。


「『防壁』を6面展開。押しつぶせ」

 ビクンと尻尾狼が身を震わせると少しずつその体が宙に浮いていった。尻尾狼は身をよじり抵抗しようとするが逃れることはできない。

『アギィ』

 ギチギチと肉を引き裂き、骨を押しつぶす音が聞こえてくる。数秒後にはあれほど一也と月子を苦しめていた尻尾狼は赤い立方体へと変貌していた。


 ビチャリと音を立てて、血肉でできた立方体は床に落ちた。それは床に落ちるとすぐさま塵へと変わっていく。昇太はそれを見届けることなく床に横たわる月子に目を向けた。寸の間昇太は眉をひそめたが、その表情はすぐに消え失せる。

 彼が浮かべているのはあの狼とも似た無味乾燥な顏だ。一也が何をするつもりだと言おうとすると、その顔にガラスの小瓶が投げつけられた。


「飲め。傷が治る」

「あ、ああ。月子は…」

「さっさと飲め。ここはまだ安全ってわけじゃない。面倒だから何も言わずに黙ってそれを飲み干せ」


 苛立った昇太の言葉に気圧されて、一也は手にある小瓶を眺める。透明で繊細な彫刻の刻まれた小瓶には数滴の緑色をした液体が入っている。一也は昇太の言う通りその小瓶の中身を飲み干した。

 液体は口の中でさんざん苦みをまき散らした後に消えていった。消えると同時に体が軽くなる。


「傷が…」

 一也は自分の体中の傷はおろか、消耗した霊力すら回復していることに気がついた。昇太は驚く一也に目を向けることもなく、目を瞑って集中している。

「魔法陣を展開」

 昇太が一言つぶやくと、彼の右手に装着されている編纂機が激しくうなりを上げた。それを見て一也は絶句する。


「でけぇ」

 魔法陣は霊界と物質世界をつなぐ鍵だ。そして陣は霊界から召喚するものを表している。今展開されている魔法陣は数メートル規模のものだ。それはつまり昇太が並外れて複雑な魔法を行使しようとしているということ。

「イメージ。冷たくて暗い泥。伸ばしても届かない手。⋯⋯ここだな。手は届いた。掴んで引き上げる。形はそのままに。ゆっくりと、確実に、少しずつ、わずかな間。生者に救いを。死者の言葉を届けてくれ。…『一夜の夢』」

 昇太の展開している魔法陣が消えた。昇太は脂汗をかいて膝をついている。すると月子がゆっくりと瞼を開けた。

「うっ…」

「月子!」

「鹿島!喜ぶな。そこの横穴に鹿島月子を連れて入れ。あそこなら敵は入ってこない」

 喜ぶ一也に向けて、近くの横穴を指さしながら昇太は告げた。

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