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第四話 動物園

 鹿島一也というどこかいびつな青年と会った翌日、小鳥遊昇太は部屋でゴロゴロとしていた。1Kの部屋は築30年であちこちにほころびが見える。


 12畳という不必要に広い部屋の中にあるのは、ベッドとちょっとした作業台と、テレビだけだ。所有物は隅に置いてある『収納袋』に全て詰め込んであるのでどうしても殺風景になってしまう。

 だからと言って家具を買い足したり、模様替えするのも面倒くさいと昇太は思う。面倒くさいことならばやりたくないと思うのも昇太らしい思考だ。


 することのない毎日。昨日は暇つぶしで学校に行ったが今日はどうしようか。そんなことを考えていると、気づけば日が暮れていた。昇太は早寝早起きを心がけているが、結局起きても何もしないことが多い。大体夕方ごろになって、ようやく何かしようかという気になる。

 ベッドから起き上がって全身の骨をポキポキいわせていると、昨日の鹿島一也のことが気になった。結局彼は塔へ挑戦したのだろうか。

 公開されてはいないが、1層に初めて挑戦した者の半分は塔の中で命を落とす。生きて帰ってきた者も2割くらいは心を折られて、塔に再挑戦しない者もいる。そうした者は島の外から来た者に多い。

 それだけ塔の外と中の環境は異なるのだ。全身にかかる負荷や魔法を使い放題だと錯覚してしまう霊気。塔は挑戦者たちを常に試している。そして塔に不合格を突きつけられた者の待つ先にあるのは死、だけだ。


「はぁ。…行くか」

 嫌な胸騒ぎが消えてくれない。昇太は服を着替えて塔へ挑戦するための『収納袋』を手に取った。埃被ったそれを使うのはいつぶりだろうか。まぁこの『収納袋』は特別製で、入れた物の時間は止まるから何年ぶりでも大して変わらないだろう。

 戸締りを確認して昇太は部屋を出る。目指す先はくそったれな塔の1層だ。


   *


 塔の中に足を踏み入れる。瞬間感じたのは強い圧迫感だった。

「う⋯⋯」

 体が重い。気持ちが悪い。頭痛がする。一也は思わず頭に手を当てた。

「月子、大丈夫か?」

「気持ち悪い」

 隣にいた月子は一也よりも状態がひどいらしく、口を手で押さえている。顔色も真っ青だ。こんな状態になるのが分かっていたからあの受付嬢は、1時間は休めと言っていたのだろう。周りを見れば薄暗い広間には何人もの魔法使いが横になって休んでいた。それに倣って一也たちも広間で楽な体勢を取る。受付嬢の言っていた通り、1時間もすると大分体が慣れてきた。


「月子、行けるか?」

「うん。もう大丈夫」

 月子は疲労感を漂わせながらも力強くうなずいて立ち上がった。一也と月子は互いの顔を見合わせて決意を改めて固めた後、広間から伸びる道の一つを選んで進んでいった。



 塔1層〈動物園〉について、学校からあらかじめ聞いていたことは少ない。学校では塔で生き残る術は教えてくれるが、塔そのものについては教えてくれないのだ。せいぜい迷路になっていて、中を化け物が闊歩しているということくらいだ。

 一也と月子が入った道は幅2メートルほど、高さ3メートルほどだ。迷路は石のブロックを敷き詰めたような形をしており、壁には一定間隔で明かりとなる蝋燭が灯されている。この蝋燭も遺物の一つで決して消えず、蝋燭が減ることもないらしい。

 薄暗い道に二人の足音だけが響く。玄関口から40メートルほど行くと分かれ道があった。壁にはいくつものチョークで書かれたあとがある。


「どっちに行くの?」

「そうだな⋯⋯右で」

「分かった」

 月子はポーチの中から黄色のチョークを取り出し、右側に三日月のマークと矢印を描いた。それを確認して右の道を進む。


 1層は広大な迷路だ。だから油断をするとすぐに迷子になってしまう。それを防ぐために二人が考えたのが「目印を残そう」作戦だ。分かれ道ごとにチョークで目印を描いて、帰りたくなったらその目印をたどって外に出る。

 初挑戦で1層を踏破できる人間はほとんどいない。もちろんそれができればいいけれど、さすがにできるとは一也も考えていない。月子とも今日は1時間進んだ後に1時間かけて戻ると約束をしている。それくらいの挑戦なら目印作戦は通用するはずだ。


「でも同じこと考えてる人って結構いるんだね」

「ああ。そんなに突飛な考えでもないしな」

 それから3度分かれ道に遭遇したが、その全てにチョークで多種多様な目印が書いてあった。皆考えることは同じだ。

 塔に入って10分。誰とも何とも遭遇することなく二人は迷路の中にある広間に到達した。一辺200メートルほどで高さが50メートルはありそうな広間だ。

 広間の端にはまたいくつもの道が続いている。ここは玄関口とは違って安全地帯ではないがこうした広間は1層の各所にあり、ランダムで2層へと続く階段が出現するらしい。残念なことに一也たちが見つけた広間には2層へと続く階段はなかった。


 広間に入って二人はどちらからでもなく深く息をはいた。曲がり角の先に化け物がいるかもしれないというプレッシャーがないことは安心できることなのだと、二人は塔に入って初めて知った。

 広間には月子たちの他に数名の魔法使いの姿が見えた。胸の紋章には黒のラインが2本。見覚えがないから外から来た【二級魔法士】だろう。魔法使いは世界中にいる。この塔はそんな魔法使いたちにとってのメッカなのだ。

 彼らは広間の中央に陣取って休憩をしていて一也たちの存在には気づいていても、話しかける気配はない。塔では互いが不干渉であるべしという不文律だ。


「かずちゃん。まだ進むの?」

 月子は不安を浮かべながら一也に問いかける。塔に入って1時間と少し。攻略を初めて10分ほど。極度の緊張と取り巻く環境への恐怖。たったそれだけの時間で月子はすでに疲れ果てていた。薄暗く、閉塞的なこの迷路もそれを助長している。一也は月子の言葉に少し間を置いてから答えた。

「⋯⋯ああ、まだ進むぞ。1時間は進むって決めただろ?」

 一也自身不安はあるのだろう。だがそれを押し殺した答えに月子はそれ以上言葉を続けることができなかった。



 広間の中央付近で5分ほど休んでまた別の道に入る。その道は玄関口で選んだ道よりも広く、高さもある道だった。この道は一本道で、不思議なことにところどころに人が数人入れそうな横穴が見受けられた。

「この穴なんだろ」

「さぁな。怪物どもの巣かな」

 横穴の意味が分からず二人して首をかしげる。だがもし、この横穴が迷路の中をさまよう怪物の巣だとすればこの道は危険だ。


「…かずちゃん。もし化け物に遭遇したらどうするか、分かってるよね」

「おう。俺が『防壁』を出して、その間に月子が魔法を使って目を潰す。そしたら二人で逃げる、だろ?」

「うん。…上手くいくよね?」

「いかなかったら困る」


 一也が求めているのは塔に行って帰ってきたということだけで、化け物退治は目的ではない。そもそも塔に出てくる化け物と対峙しても勝てる自信がない。さすがの一也とてそれくらいのことは分かっている。

 長い長い一本道を歩く。広間を出て5分ほど進んだところでプンと、鉄臭い匂いを一也は嗅ぎ取った。


「あ?なんだこの匂い?」

 普段は嗅ぎ慣れないこの匂い。眉をしかめて一也は足を止めた。一本道はまだ続いているが道の先は闇に遮られて見えない。この闇の先には何がある?一也はジンワリと足の先から恐怖が這いあがってくるような気がした。

「血の⋯⋯匂い」

 吐息まじりの月子の声が聞こえる。カチカチと耳障りな音が聞こえてきた。何の音かと思ったらそれは自分の歯の鳴らす音だった。

 息を殺すように一也は自分の口を押さえて音がならないようにする。それでも一也の中から恐怖がなくなるということはなかった。隣にいる月子も恐怖を押さえこむように両腕で自分の体を抱いている。


 二人の間に静寂が満ちる。だが暗い道の先からピチャ、グチャ、ベチョ、グシャリ、とまるで獣が肉を食い荒らすような音が聞こえてきた。そしてその音は不意にピタリと止まる。

 カツン、という音が、ハァ、という音が闇の中から近づいてくる。一也も月子も道の先から何が出てくるのか、邪なものに魅入られたかのように動けなかった。


 ヌゥと、闇の中から足が出てきた。人のものではない、獣の足。白濁した爪にゴワゴワの茶色の毛並み。闇の中から真赤な目が覗いている。その輝きはやがて光にさらされ二人の前に姿を現す。

 現れたモノは大柄な狼に似た化け物だった。一也の腰の高さほどもある狼で、爪は鋭く赤く光る目は無機質なものを浮かべて二人を観察している。だが二人の目にはその狼の目は映らない。彼らが見ているのはその狼の口元。人の血で真赤に濡れて、布の切れ端や人の肉などのカスがついた口には肉を食いちぎるための牙がズラリと並んでいる。

 その狼の口元に何かが寄ってくる。狼の尻尾だ。しかしその尻尾もただの狼の尻尾ではない。赤く濡れたその尻尾は毛の代わりにカッターの刃のようなものに覆われていて、キチキチと音を立てながら蠢いている。

『ルォォ…』

「ひぃっ!」


 地の底から湧きだすようなその声でようやく一也は動きだした。震える左手で右手首につけた編纂機を握りしめる。待機モードから励起モードへ。

「月子!作戦!」

「う…うん!」

 月子に向かって叫んだ後、一也は編纂機で空中に魔法陣を展開させた。一也の霊力が複雑に描かれた魔法陣に沿って流れていく。満たされていく。編纂機からブオン、ブオンと低く重々しい音が聞こえてくる。

『ルアァァァ!』

「『防壁』!!」


 狼が飛び掛かるのと一也が『防壁』を展開させるのはほぼ同時だった。狼は一也の張った防壁にぶち当たり、そのまま崩れ落ちる。

「やった…?月子!今のうちに」

 一也は月子のいる後ろを振り返る。だが月子は化け物が近くにいるという恐怖のせいか編纂機の操作が上手く行っていない。操作を誤って、何度も空中に魔法陣を出したり消したりしている。

「ま、まって」

 目に涙を浮かべながら月子は必死になって冷静になろうと心がける。だがそう思うことで余計に混乱してしまう。その時、グシャンという大きな音が聞こえた。一也は目を前に向けた。そこにあったのは一也の張った防壁を易々と破壊した狼の姿だった。

 狼は一也たちに向かって一歩足を踏み出す。一也の胸に真っ黒な絶望がよぎる。


   *


 日は落ちて夜になった。昇太は魔法の明かりで照らされた店を素通りして塔の入り口まで行く。

「挑戦の方ですか?」

 受付嬢に聞かれたので昇太はうなずく。しかし受付嬢は昇太の胸の辺りに目を向けて、困ったように言った。


「あの⋯⋯魔法士だと証明する紋章は⋯⋯」

 魔法使いは常に紋章をつけておくことが義務付けられている。だが目の前の男は紋章をつけておらず、そして魔法使いでない者は塔に入ることはできない。

「紋章、紋章ね。ちょっと待って、確か前ばぁさんにもらった奴がこの中に…」

 昇太は右腕を『収納袋』の中に突っ込んで中身を探る。「2枚」の紋章はすぐに見つかったが、それを取り出すことはせずに編纂機を起動。魔法を行使した。


 精神に干渉する闇属性魔法。昇太は受付嬢のここ数時間の記憶を覗く。昇太は大きなため息をつきたくなった。

(あの野郎やっぱり塔に…)

 面倒なことになった。だがせっかくここまで来たのだ。行くしかないだろう。


「あの…」

 自分が魔法をかけられていることに露ほども気づいていない受付嬢は、不審な目つきを昇太に向ける。昇太は『収納袋』から一枚の紋章を取り出して受付嬢に見せた。

「これでいい?」

「あ、はい。大丈夫です」

 昇太が見せたのは水属性魔法だけが使えることを示す青の3本線が入った紋章。【準一級魔法士】であることを示すものだ。受付嬢は目の前の青年が自分と同じ位階にあることに驚きながら誓約書を渡す。


「塔に挑戦したことは…」

「あるよ。だから何も言わなくてもいい」

 誓約書に書きながら昇太は受付嬢の言葉を遮る。さらさらと誓約書に汚い字を書いて受付嬢に手渡した。

「んじゃ」

 そう言って昇太は散歩にでも行くかのように塔の中へと入って行った。

「なんなの?あの子…」

 無礼といえば無礼。だがどこか自信を感じさせる態度に。受付嬢は首をかしげることとなった。


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