第二十四話 エピローグ①塔ノ守冴子
その翌日。目が覚めた一也を伴って昇太はばぁさん、もとい冴子のもとを訪れていた。
「なぁ、理事長ってどういう人なんだ?」
正直な話、一也は冴子にあまりいい印象がない。聞けば島の認識阻害の魔法の術者であるというし、学校の生徒たちが死ぬ危険の高い塔へ行くのを止めるどころか推奨している。
「そうだな。塔が関わらなければ悪い人じゃない。だが塔がからむと駄目だな。途端に要注意人物になる。後、齢のことは聞くな。殺されるぞ」
「そ、そうか」
一也は昇太から彼の出自やそれにまつわる話をすでに聞いていた。その上で気になっていたことがある。
「なぁ小鳥遊、どうしてお前は人の遺言を叶えようとするんだ?」
「ん?そのことか。知っての通り、俺は不死だからな。まぁ、死なない。『刻まぬ懐中時計』が壊れない限りは齢もとらない。だから死ぬ人間の最後の願いくらいは聞いてやりたいじゃないか。安心して死ねるように。絶対に死なない俺がやるべきことだと、思ったんだ」
「そっか」
薄々予想はしていたことだ。昇太は不死だからこそ死者を大切にしている気がする。そうでなければ人の遺言を聞こうとは思わないだろう。
「ついたぞ」
二人は重厚な扉の前に立った。コンコンコンとノックをして、昇太は扉を開ける。
*
「いらっしゃい。直接顔を合わせるのは久しぶりですね、昇太」
「そうだな。ばぁさんも相変わらず元気そうでなによりだ」
「デスクワークばかりで体がなまってしょうがないですがね」
理事長は白髪を肩の辺りまで伸ばした上品そうな老婆だった。机越しにも背丈は小さいことが分かり、高そうなティーカップで紅茶を飲んでいる。そして彼女の机の上には書類が山積みになって置かれていた。
パッと見ただけでは生徒たちを死地へ追い込むような人には見えない。だが冴子の目が一也をとらえた時、その認識が間違っていたことに気がついた。
一也の奥底まで見透かすような視線。一也は思わず後ずさる。それを見た冴子はお淑やかに笑うが、その目は一切笑っていない。
「初めまして。私が国立塔学校理事長兼『塔ノ御三家』総裁塔ノ守冴子です。階級はそこにいる昇太と同じ【準英霊級】。よろしくね」
「よ、よろしくお願いします」
視線に押し潰されそうな気持ちになりながらどうにか言葉を吐き出す。それでまた冴子はウフフと笑う。
「そんなに怯えなくてもいいのに。取って食べたりはしませんよ」
「威圧しながら何を言う」
「あらま!これは失敬。ごめんなさいね。齢を取るとどうにも忘れっぽくて…」
冴子から威圧感が消える。一也はゆっくりと息を吐いた。ようやく生きた心地である。
「さて、一也君の話は後にしましょう。…昇太、報告を」
「はい」
ピリリと理事長室の空気が張りつめる。一也を観察していた時とはまた違う雰囲気だ。今までがプライベート、これからは仕事と使い分けているのか。
昇太は武者小路剣のことの顛末について話し出した。武者小路剣が高等部2年7組の面々を塔に行かせてから、塔の中で何があったのか。簡単な報告はすでに済ませてあるが、詳しい話はまだしていない。
一也は武者小路のことを忘れることはなかった。だが当然と言っていいのか、萌やこころは武者小路のことを認識できなくなったらしい。昨日塔に行って、昇太のことについて知ったが、それまでの過程に意識が向かなくなっているらしい。
「…武者小路の話は以上です。ところでばぁさん、武者小路が持っていた武器についてだが」
昇太を殺した『銃』。現物は昇太の雨で消滅したが、編纂機とはまた違った技術は昇太にとって印象深い。
「ああ、昇太が不意を撃たれて殺されちゃったことについてですね」
昇太が態度を柔らかくしたので、冴子も笑みを含ませながら話す。昇太は渋面を作った。
「いくら死なないからといって油断しすぎですね。反省なさい」
「そのことはいいんだよ。問題はあの武器だ」
「あれについては昇太の心配することはありません」
冴子は異議を許さぬ口調で言った。昇太は眉を顰める。
「なぜ?」
「魔法士協会は塔の最上階に行くことを目指し、そのために魔法のみを追求することを求めていますが、それに反発する勢力もいるということです。掲げるものが違えば用いる技術も違う。彼らは現代魔法を改造した技術を有しています。…昇太にとってはあまり気持ちのいいものではないかもしれませんが」
「別に。親父とお袋が現代魔法を作ったといっても、二人はもういないんだ。あれこれ言ってもしょうがない。気にすんな」
「そうですか」
冴子はどこか気落ちした様子だ。彼女にとって小鳥遊夫婦のことは未だに抜けない棘なのだろう。
「大体ばぁさんだって似たようなことしてんだろ」
「それはそうですがね」
冴子はケロリとした顔で言った。
「ともかく、七面倒な政治の話です。昇太が【準英霊級】であることを公開して、私の仕事を手伝ってくれるというのなら話はまた別ですが」
「ならいいや。面倒くさい。んなことしたら変な連中が寄ってくるだろ」
「でしょう?」
師弟の会話を終え、冴子は一也を手招きした。
「ではあなたのカテゴリーエラーを視てみるとしましょう」
今回冴子に一也が呼ばれた本命の理由がそれだ。昇太の雨を受けても変異しなかったという事実。それはそのまま上層8層でも生存できるかもしれないということを意味している。
「一也君。あなたは自分のカテゴリーエラーを使うことができますか?」
「一応は…」
冴子の問いに一也は自信なさげに答えた。塔で気絶して、目覚めてからどうにも手一本増えたような感覚がする。それがきっと自分のカテゴリーエラーなのだという自覚はあった。
一也は見えない手で世界を包み込む。それが一也のカテゴリーエラーを使うときの感覚だ。一也の手から霊力に似た、しかし別の何かに変貌した何かが放たれる。
「なるほど。…一也君、手を前に」
「?はい」
冴子は出された手の指先を風の刃でほんの少し切った。数滴の血がこぼれる。
「いっ…」
「ごめんなさいね。すぐに治します」
そう言うと切られた指先に温かい光が触れると、その傷は塞がった。
「何を…」
「一言言っとけよ。ばぁさん」
「逆にちくっととしますという方が嫌じゃないかしら?」
微笑みながら冴子はこぼれた血を風に乗せて、手元に持ってきた。そして血が冴子の手に触れた途端、それは赤く輝く数式のような、あるいは初めて見る言語のようなものに変わる。冴子はそれを見てふんふんとうなずいている。
「これは…」
「ばぁさんのカテゴリーエラーだ。属性名は『血』。魔法において血は主に情報の面で重要な役割を果たしている。ばぁさんは今鹿島の血から、お前の情報を見ているんだ」
それが塔ノ守冴子の3つあるカテゴリーエラーの内の一つ『血』の能力だ。血から情報を抜き取ったり、逆に自身の血を媒介にして魔法を使うこともできる。もちろん血そのものを武器にして戦うことも可能だ。内包霊力の弱い者なら相手の血そのものすらを操ることもできる。
「なるほど。分かりましたよ。あなたのカテゴリーエラー。結果で言えば素晴らしいです」
血の情報の羅列を解除し、冴子はほのかに興奮をにじませる顔をした。
「そうですね。性質は現状の保持とそれに伴う外界からの干渉の拒否。『停止』…というにはおおらかで柔らか。包み込むようなもの。ええ、『保存』とでも名付けましょうか」
「保存?」
「はい。あなたのカテゴリーエラーの干渉下にあれば、本人の力を妨害することなく外界からの干渉を退けることができる。それ自体を攻撃に使うことはできないでしょうが、この魔法の本質はそこにはない」
冴子は興奮した様子で続ける。
「あなたのその外界からの干渉を妨げる力はとても強い。昇太の雨の影響を受けて未だに生きているのがその証拠です。今こそ自分のみを守るだけですが、その力にはまだまだ成長の余地が残されている。いずれはその『保存』の力を他人にも及ぼすことができる。それができれば私たちは、8層を超えられる」
「どうして…」
8層。その言葉に冴子は強く執着しているように見えた。一也は思わずと言った様子で口を開く。
「どうしましたか?」
「どうしてそこまで塔に昇ろうとするんですか」
冴子の言葉には力があり、強い意志があり、揺るぐことのない信念があった。それが一也には不思議だった。昨日の体験があってもなお、一也は塔への恐怖を払拭できなかった。だというのにそうまでしてなぜ塔に昇りたいと願うのかが分からない。
一也の言葉に冴子はポカンとした顔をした後、柔らかい笑みを浮かべた。
「一也君。あなたは私が何歳に見えますか?」
昇太が決して聞くなと言っていたことを、冴子は自ら切り出してきた。
「そ、うですね」
ふと、そこで疑問が生じる。昇太に聞いた話では小鳥遊博士が塔に行き始めたのが1900年代の後半。その頃から冴子は塔の攻略に参加していたと聞いていた。仮に冴子が15歳の時に参加していたとすれば優に100歳は超えている計算になる。だが目の前の老婆は老いてこそいても、100歳を超えているようにはとてもではないが見えない。
「私の年齢は546歳です」
「ご…!」
冗談を言っているのかと思い、昇太の方を見るが、昇太は諦めた顔で首をふる。嘘ではないのか。
「私の『血』と、もう一つのカテゴリーエラーの力ということもありますが、それ以上に塔の力が大きいのですよ」
塔の中には外界とは異なる霊気で満ちている。それは挑戦者たちに負荷としてのしかかってくるものではあるが、長い期間その霊気に触れていると肉体にも影響が出てくるのだという。
「内包霊力が増加し、老化が緩やかになる。塔にはそんな力もあります」
冴子は若い時から塔に昇っているからその影響が特に強いのだという。
「私はずっと見てきたのです。塔の上を目指し、あがいてもがいてそれでも届かず死んで行った人たちを。気が狂わん程の願いをもって塔を昇る魔法使いのことを。時が経ち、私が最年長になっても塔を昇る魔法使いはいなくならない。塔は数多の魔法使いの命で建っている。しかしそんな命で塔が建ってしまうほどに我々は昔から願い、求めているのですよ。その人たちの思いを無駄にしないためにも、私は塔を昇ることを勧めていくのです。例え若い命を無為に奪ったと言われ、外道畜生と罵られたところで私は今のやり方を変えません。これが最善だと思う以上、私は私のやり方を貫き通す。…そして一也君。あなたにお願いがあります」
冴子は椅子から立ち上がり、一也の前に立つと深々と頭を下げた。
「鹿島一也君。私は塔を昇る魔法使いをずっと見てきた者としてお願いします。どうかあなたも塔へと昇り、上層へ行くことを目指してはくれませんか?そのための手伝いならなんでもしましょう」
「ばぁさん」
「私にはできないことなのです。私はあの時二人を置いて、二人を切り捨てて逃げるしかなかった。あなたは私にとって希望なのです。8層を超えるための太陽のような希望にあなたはなることができる。どうか」
「…俺は」
鬼気迫る様子の冴子に一也は自分の想いを告げた。
*
「ありがとうございます」
「いえ、感謝されるような答えを言ったつもりはない、ですから」
今理事長室には一也と冴子の二人だけが残されていた。冴子が一也と二人だけで話したいと言って追い出したのだ。
「保留でも私は嬉しいのですよ。待つのには慣れていますから。それに私はあなたに恨まれていると思っていましたので」
一也の出した結論は保留。塔の上層を目指すも目指さないも今後次第ということにした。
「恨んでいる、というのとは少し違いますけど…やっぱりあなたのことは好きにはなれないと思います」
冴子の塔の攻略にかける想いは伝わった。しかしそれでも塔を昇るために、学生を振るいにかけるような真似は許容できなかった。責任を転嫁するつもりはないが、冴子が学生に塔へ行くことを禁じていれば月子は死ななかったのだと、どうしても思ってしまう。
冴子のやり方はたくさんの石を集めて、その中から一握りの宝石が残るのを待つやり方だ。塔の高層は迂闊な判断が自分はおろか、仲間の危険を招く。塔に行くも行かないも、自分の実力を正しく見極めきれるかどうかも、塔の高層へ挑むために必要な資質なのだ。
「そうですよね。それで、あなただけをこの場に残した理由は昇太のことについてです」
「小鳥遊の?」
「ええ。小鳥遊夫婦の忘れ形見。私にとっても大切な子なのです。でもあの子は弱い」
「小鳥遊が弱い、ですか?」
昇太は強い。これは事実だと思う。だが冴子の言う強さは魔法の強さではないことも薄々分かっていた。
「あの子は強がってはいるけどとても臆病で繊細です。面倒だとばかり言うのは、行動して傷つくのが怖いからです」
でも、と冴子は言う。
「今回あの子は自分の意思で行動を起こしました。あの子にとっては珍しいことです。だからもう一つのお願い。これは聞いてくれなくても構いません。どうかあの子が傷ついた時は支えになってあげてください。迷った時は背中を押してあげてください。これは塔ノ守冴子個人のお願いです」
「分かりました。頼まれずともそうするつもりです」
「そうですか。…ありがとう」
そういう冴子はまるで実の子を想う母のようだった。
*
一也も理事長室からいなくなり、冴子はある人物に電話をかけた。
『はい』
「竜也。久しぶりですね」
『そうですね。忙しい冴子さんから電話をかけてくるなんて珍しい。何かあったんですか?』
「ええ。とっても嬉しいことがあったの」
冴子の顔は真実微笑んでいた。




