第十四話 それぞれの
悪夢から逃げるように武者小路は目を覚ました。息は荒く、心臓は早鐘のように鳴っている。何度も見る夢。仲間が死ぬ夢。夢だというのにまるで現実のようだ。耐えがたい恐怖が武者小路に襲い掛かってくる。
「予知夢⋯⋯か?」
あまりに現実的なので武者小路はそう思うこともあったが、それは違うと心のどこかで誰かが言う。これは現実だ。お前は目をそらしているだけだと、顔のない誰かが言う。
頭を振ってその考えを振り払い、武者小路は学校に行く準備を始めた。
*
最近学校内での居心地が悪い。大田や涌井はいつもと同じように話をしてくれるが、それもどこかぎこちない。原因は分かっている。先月の魔法の授業で武者小路は昇太に雷魔法を撃った。手加減などしていない、全力の一撃だった。
結果として昇太は自力でその攻撃を防ぎ、武者小路は大川や他の教員から死ぬほど怒られた。無論武者小路も反省している。だが後悔はしていなかった。あの時は本当に殺されるかと思ったのだ。…だから殺されるより早く殺そうと思った。それだけのことだ。
欝々とした気分で授業を消化していく。11月に入り、紅葉が色鮮やかだが武者小路の日常は色を失ったかのように変化がなく、面白みもない。
「剣ー。今日この後どうする?」
涌井が武者小路に声をかけてきた。いつもなら魔法の訓練をするか、島に唯一あるショッピングモールで買い物をする。しかし今日はどうもそんな気分にはなれなかった。
「すまん。今日は一人で先に帰るわ」
「…そっか」
「悪いな」
「なんかあったらちゃんと言えよ」
大田の心配そうな声。二人に手刀を切って教室を出る。暗い気持ちのまま玄関を出て、学校から出ようとした時だ。
「武者小路」
「先生?」
武者小路は教師の一人に声をかけられた。
*
「…そうですか。武者小路剣の様子がおかしいと」
「はい。認識阻害が上手くかかっていないようです。仲間が死んだという事実が強く頭に残っているようで…」
2年7組の担任―時谷がためらうような口調で学校の理事長―塔ノ守冴子に言った。生徒と塔に関連することを、過不足なく報告することは担任である時谷の役目だ。だが彼はこの島全体にかかっている認識阻害のことがどうしても好きになれなかった。
時谷は島出身の魔法使いではない。本土の一般家庭に生まれ、たまたま魔法使いの素質があったから本土の全寮制の魔法学校に行き、魔法大学を出て魔法史の教師となった。この島の教員になったのも偶然だ。
時谷は実のところ子どものことがあまり好きではない。教師になったのは魔法史が好きだったが、学者になれるほど優秀ではなかったからだ。だがそれでも長い時間見ているのだ。情もわく。一握りの優れた魔法使いを見出すために、危険の中に子どもを放り込む。正気の沙汰とは思えない。
時谷は島の教員になった時に同僚とともに塔を昇ったことがある。戦闘専門の魔法使いではないとはいえ【一級魔法士】。1層〈動物園〉、2層〈静寂の間〉を超えて3層〈眠りの森〉まで、つまり下層までは攻略した。
二度と昇りたくない。それが時谷の偽らざる本音だ。
塔は人の行くべき場所ではない。ましてや未熟な子どもを行かせる場所でもない。しかし塔魔法学校は塔へ行くことを推奨こそしていないが、決して止めることはない。例えそれが無謀にも見えたとしてもだ。
鹿島月子のことは残念だったが、鹿島一也が生きて帰ってこられたのは幸運だったと思う。
「ふむ。確認ですが、失った生徒の顔や名前を認識できたわけではないのですね?」
「ええ。あくまで思い出しそう、といった程度ですね」
「そこは鹿島一也との違いですね」
目の前に座る理事長は目をつむり考え込んでいる。理事長は白髪を肩まで伸ばした小柄な老女だ。外見だけなら安楽椅子に座って紅茶でも飲んでいそうだ。だが彼女はそんな生優しい人間ではない。塔ノ守冴子こそが島の認識阻害を維持しているのだ。
「これ以上問題があるようなら処理、しないといけないでしょうが…。ひとまず保留ということでいいでしょうね。正式な決定は大川先生の到着を待つこととしますが」
「分かりました」
即座に「処理」されることがなくて安心した。だが武者小路が優秀な成績を残していなければ処理されていたことは想像にたやすい。そう考えれば劣等生である鹿島一也が「処理」されなかったのは異例なことだろう。理事長は「対処」はした、と言っていたが。
「そういえば、クラスに転校してきた…」
「小鳥遊昇太のことですか?」
「はい。彼は一体何者です?」
鹿島一也に対する「対処」。そしてそれに重なるようにして突然転校してきた小鳥遊昇太。彼もまた異常だった。彼の持つ知識は異常だ。高校生レベルを通りこして、有する知識は大学の専門レベル。大川からも魔法技術が頭一つ抜けていると聞いている。それでいて【準一級魔法士】だ。鹿島一也に行ったという「対処」とは彼のことに違いない。
時谷の視線を理事長は悠然と受け止めて、にっこりと笑った。時谷は背中に鳥肌が立つのを感じた。理事長室の気温が一気に下がった気がする。
「うふふ。勘があんまり良すぎると長生き、できませんよ?」
「そ…れは」
「冗談です」
フッと理事長が雰囲気を和らげた。時谷はへたり込みたい気持ちを押さえこむ。蛇に睨まれた蛙。まな板の上の鯉。さっきの自分はまさにそういった状態だった。
「そうですね。時谷先生は担任ですし、正解したご褒美として少し情報を教えておきましょうか。他言無用でお願いしますね?」
「も、もちろんです」
誰かにもらした場合、この老女は時谷のことを殺すだろう。それくらいのことは息をするようにできるはずだ。
「昇太には鹿島一也の対処をお願いしています。位階についても偽装したものを渡しています」
「そうですか」
薄々予想はついていたことだ。深い知識と高い魔法に関する技量。それに「小鳥遊」という姓。それだけそろえば彼が理事長の隠し玉なのは予想がつく。その隠し玉がどうして鹿島一也についたのかは分からないが。
「大川先生、遅いですねぇ」
一息ついて思い出したかのように理事長はつぶやいた。今日の案件は武者小路剣についての相談だ。そのために担任の時谷だけではなく、実技担当の大川も呼ばれていたのだが時間になっても現れない。
時谷は【一級魔法士】だ。見習いの【三級】、半人前の【二級】、一人前の【準一級】と来て一流とされる【一級】。とはいえ時谷はどちらかといえば知識面を評価されて【一級】に位階を上げた。大川は戦闘面で評価されて【一級魔法士】になったと聞いている。
しかし、と時谷は理事長の胸にある紋章を見た。時谷のものは緑色の3本半のライン。木魔法を使える【一級魔法士】の証。だが理事長の紋章は緑、黄緑、水色の4本ラインに下地が濃い赤色をしている。そしてその上に半透明の糸で樹木の意匠が縫い付けられている。
魔法使いとして一流の【一級魔法士】と来て、その上にはもはや英雄か勇者としか言えないレベルの【特一級魔法士】が存在する。理事長の4本ラインはそれを示す証だ。風と木と命の魔法が使える【特一級魔法士】。しかしその上に存在する樹木の意匠が、彼女がそれ以上であることを示している。
日本にたった3人しかいないと言われている【準英霊級】。
【特一級魔法士】が人間の勇者や英雄なら、【準英霊級】は人間を止めた人外の類だと言われている。さしずめ魔王か。その【準英霊級】は塔ノ守冴子を含めてもう一人島にいる。公式には6層までしか到達していないと言われている塔だが、【準英霊級】の二人はさらにその上まで到達しているのではと、噂されている。
その時、コンコンコンと扉がノックされた。それから入ってきたのは大川だ。理事長にあるということでかタンクトップではなく、ピシッとしたスーツを着ている。
暑苦しい大川とスーツは絶妙に似合っていない。
「すみません。ちょっと野暮用が…」
「構いませんよ。次からは気をつけて下さい。それでは大川先生の話を聞きましょうか」
そうして3人は武者小路の処遇についての話し合いが始まった。
*
学校の運動場の一角。そこで一也は昇太から魔法の訓練を受けていた。やっていることは射撃の練習だ。
「防壁を展開」
「おう」
「防壁が大きい。もっと小さくていい」
「分かった」
「そうそうそのくらい。防壁の展開はそのままに、その後ろの霊気を掌握しろ」
「くっ…」
一也は防壁の後ろの霊気を掌握する。後はその霊気を霊力に変えて前に押し込む。毎日言われていることだ。
「難しいか?」
「動かねぇ…!」
一也は新たに掌握した霊力を動かすことができず、その霊力は防壁へと変化した。その様子を昇太は観察している。それから納得したようにコクリと一つうなずいた。
「現状、お前に射撃は無理だな」
「なっ!」
それが昇太の下した結論だった。一也がどうあがいても防壁から射撃に発展されることはない。だがそれは一也の実力不足というわけでもない。
「鹿島。お前は恐らく何らかのカテゴリーエラーを持っている」
「は?カテ…ど、どういうことだよ」
「お前の霊力の動きははっきり言って変だ。異常と言っていい。それだけ霊気が掌握できているのに、それが霊力になった途端その場に留まろうとしやがる。どれだけやり方を変えてもそれだ。なら鹿島の中にある未知の力が霊力の変化を邪魔しているとしか思えない」
正直に言えば、一也は非才なわけではなかった。内包する霊力の量にしても大気中にある霊気を掌握する能力にしても、並以上の実力を見せている。動きや状態に干渉するカテゴリーエラー。かなりの確率で、それが一也の成長を阻害している。
「俺にカテゴリーエラーが?」
一也は自分に思ってもみなかった才能があると言われて驚く。だが素直に喜んでいいのか分からない。担任の時谷は特異な能力は人生を狂わせると言っていたし、そのカテゴリーエラーのせいで一也は今まで劣等生のレッテルを張られていたことになる。
「鹿島自身がカテゴリーエラーの存在を自覚していないから、半ば暴走状態にあったんだろう。カテゴリーエラー所有者にはよくあることだ。今わかっている性質としては霊力の行動阻害と精神干渉への抵抗か。後者については鹿島の強い感情で発動しているように見える」
さて、と昇太は一也に指を3本立てて見せた。
「鹿島。お前の前に示されている道は三つだ」
「道?」
「ああ。とにかく今のままでは鹿島はどうあがいても射撃が使えない。それを回避する道だ」
昇太は指を一本折った。
「一つ目。今使える防壁を徹底的に磨き上げる。ああ、その場合編纂機は使うな。『27年式』を使うくらいなら直接霊力を掌握した方がましだ。それができれば【二級】くらいにはすぐなれる」
ひどい言いぐさだがその通りだ。『27年式』の性能はそれほどまでに残念なものだ。昇太は二本目の指を折る。
「二つ目。射撃は諦めて強化を練習する」
「どういうことだ?」
霊力そのものを操る魔法が基礎3種。それは防壁、射撃、強化の順番で学ぶ。これは単純に難易度の差だ。射撃ができないのに強化に行くとは無謀にも思える。
「お前は霊力の掌握自体はできているんだ。だから霊力を動かすのではなく、霊力で干渉する強化の方が先に使えるかもしれん。確証はないが可能性は高い。そして三つ目」
昇太は最後の指を折った。
「鹿島のカテゴリーエラーが何かを探る。ただしこれは危険を伴う必要がある」
「どうして」
「正体があまりにも不明だからだ。そんな状況で平和に調べるなんてことしても進められるとは思わん。具体的には塔に行く。そこの探索を通して危険にめぐり合いながら能力を把握していく。カテゴリーエラーの把握のためによくやる方法だ。死と隣り合わせの状況で自分の才能を唐突に理解するってやつだ。俺としては3つ目がお薦めだな。カテゴリーエラーの正体が分かれば制御もできる。制御ができれば射撃だって使えるようになるだろ」
実を言えば理事長のばぁさんのカテゴリーエラーがあれば、それをする必要はないのだがそれを頼むには相応の理由が必要になる。認識阻害が効かないだけではばぁさんは動いてくれない。
「俺は…」
示された3つの選択肢。昇太の言う通り、一番いい選択肢は塔で自身のカテゴリーエラーを見極めることだ。しかし。
(俺がまたあそこに行く?)
全身に降りかかる圧迫感。極度の緊張状態。人を殺す獣。そして月子を失った場所。
怖い。どうしても塔が怖い。だがそれを乗り越えなくてはいけないことも分かっている。魔法使いは魔法から逃れることはできない。一也はどこかでこの怖さと向き合わなくてはいけないのだ。
だが。しかし。
「少し考えさせてくれ…」
「そうか」
目を伏せ歯痒そうに言う一也に、昇太は小さくうなずいた。




