15・露天風呂
仲居の山本が慣れた様子で話す『藤乃間』の説明を、僕と優衣は黙って聞いていた。
「最後に、このお部屋には露天風呂が設置されていますので、その説明をさせていただきます。露天風呂へ行くには洗面所の奥からとなっております。風呂のお湯は二十四時間掛け流しですので、お好きな時にお入りくださいませ」
説明を終えた山本は、僕と優衣に熱いお茶を出してくれた。
「お部屋にお風呂がございますが、当旅館には大浴場もございますので、大きなお風呂で手足を伸ばしていただいて旅の疲れをほぐしていただくのも一興かと」
山本の口調は、まるで「楽しみは後にとっておけ」と言わんばかりのニュアンスだった。
「お食事はご予約通りに午後九時から、このお部屋でお出しいたします。えーと……あと四十分ほどございますので、まずは当旅館自慢のお風呂へどうぞ。では失礼いたします」
連絡事項を伝えた山本はサッサと手を付いてお辞儀をし、部屋から出ていった。
座卓に相対して座る僕と優衣は御茶を啜った。
それそれの横には、山本が用意してくれた浴衣と帯と半天、そして手ぬぐいとバスタオルが置かれていた。
「お風呂に行こうか?」
「うん」
優衣は浴衣を持って奥の間へ。
僕はスーツを脱いでハンガーに掛け、薄青の浴衣に着替えて帯を結び、紺の半天を着た。
しばらくして、奥の間のふすまが開きいて優衣が出てきた。薄いピンクの浴衣に同じ紺色の半天を着ていた。印象が違ったのは髪の毛を束ねてポニーテールにしていたからだ。
じっと見つめる僕に優衣が尋ねてきた。
「何か変?」
「あ、いや、ポニーテールにしたんだなって」
僕は照れて赤くなりながら答えた。
「それでは、仲居さんお勧めの大欲情……じゃなくて大浴場へ行きましょ!」
照れながら無理なギャグを織り込む優衣に、僕はうなずく。
「あぁ、行こうか」
「え、ツッコミ無し?」
僕のつれない応答に膨れていた優衣だった。
「お料理、如何でしたでしょうか?」
座卓の上の、綺麗に平らげられた皿や小鉢を片付けながら、仲居の山本は僕と優衣に尋ねた。僕と優衣は座卓に差し向かいで座ってウイスキーの水割りでチビチビと呑んでいた。
「旨かったです。特に牡丹鍋が。全然臭みがなくてビックリしました」
水割りを口にしながら答える僕。
「優衣は『海老と鯛の蒸し物』が良かったわ。ふわっとした食感に、魚介の旨味がいっぱいで、とても美味しかったわ」
にこやかに答える優衣。
「ありがとうございます」
深々と頭を下げる仲居の山本。
「もう一度だけご案内いたしますね。お部屋の露天風呂は二十四時間、ご利用できます。お布団は奥の座敷に敷いてありますので、ごゆるりと。それから明日のご朝食ですが、メインダイニングにて七時から九時まで、バイキングスタイルになっております。それでは失礼いたします」
まるで僕と優衣に気を遣うように、山本は連絡事項をまくし立ててサッサと部屋を出て行った。
急に部屋の中が静かになった。
ウイスキーの水割りのタンブラー、その中の氷が動いた。
その「カラン」という音が部屋中に響き渡った。
それくらいにシーンと静まり返っていた。
座卓を挟んで向き合う僕と優衣。
水割りのタンブラーを口に当てて僕を見る優衣。
「遠いわ」と優衣。
「何が?」と僕。
「優衣と誠さんの距離が」と優衣。
水割りをグイと煽る僕。
「ねぇ」と優衣。
「何?」と僕。
「誠さんの『隣り』に座ってもいい?」と艶っぽく微笑む優衣。
「あぁ、どうぞ」と照れながら答える僕。
座布団とタンブラーを持ってきて嬉しそうに僕の横に座る優衣。
僕の肩に思いっ切り、しな垂れてきた優衣。
「あら、お酒がないわ」
そう言って僕のタンブラーに氷を入れてウィスキーを注ぐ。
優衣の髪が僕の鼻をくすぐる。
ミネラルウォーターで割って、ステアで二回ほどかき回す。
洗い髪から漂う香りが心地良い。
「はい、どうぞ」
妖しく僕にグラスを付き出す優衣。
受取ろうとした僕にフェイントを掛けてタンブラーを引っ込めた優衣。
僕がタンブラーを受取ろうと深追いして身を乗り出すと顔を突き出す優衣。
僕は「えっ?」と思ったが体の動きを止められず、僕の唇を唇で受け止めた優衣。
いつの間にかタンブラーを座卓に置いて僕の両頬に左右の掌を当てている優衣。
長くて深い接吻だった。
唇がようやく離れると、ゆっくりと目蓋を開いた優衣が悪戯っぽく笑う。
「誠さんの『呪縛』を優衣が『解放』してあげるわ。それが優衣の重要な役目なの。うふふふ」
そう言い放つと優衣は、僕の浴衣の帯を解いて浴衣を脱がせ、そして優衣自身も浴衣を脱いで僕に覆い被さり、僕の身体を優しく、そして力強く抱きしめたのだった。
その時の優衣の身体は紅く光り始め、身体全体から青白い光のような「オーラ」を放っていた。
だからといって、そんなに巧くコトが運ぶ訳ではなかった。残念だが、知美との時と全く同じ結果だった。僕にはそれがショックだった。
「大丈夫よ。何とかなると思うわ。想定よりもかなり複雑な『相転移』と予定よりも多い『次元断絶』をしているけどね」
優衣が何のことを言っているのか、僕には全く理解できなかったが、そのことを優衣に訊き返すことよりも、こんなに可愛くて綺麗で、僕の理想のような優衣と『出来なかった』ことで頭がいっぱいだった。
「ごめんね、優衣」
僕の口から出たのはそんな言葉だった。
「いいのよ、誠さんは全然悪くないのだから」
そう言って僕を慰めてくれる優衣。
「ありがとう」
しかし、優衣は僕の言葉に憤慨した。
「何を言ってるの、まだまだこれからなのよ!」
優衣は立ち上がって、僕の手を引っ張った。
「さぁ、誠さん! 当旅館ご自慢の『二十四時間入浴OKの部屋付き露天風呂』に行きましょ。そこで『呪縛解放・第二弾』を試みるわ」
僕は立ち上がった優衣を見る。そこには「僕のビーナス」が立っていた。優しく、妖しく、そして艶っぽく僕を誘惑していた。
「わかったよ。頑張ってみる」
僕は何とか気持ちを立て直した。
「そう、その意気よ!」
そんな風に僕を励ます優衣を、僕は立ち上がって思わず抱きしめたのだった。
部屋の露天風呂は洗面所の先の、脱衣所の奥に設置されていて、そこには竹囲いで仕切られた小さな空間が造られていた。真っ黒な御影石が敷き詰められて、四角く区切られた湯船に滔々と白濁した湯が流れ込んでいた。そして月夜の今日は、湯船の半分ほどが月に照らされていた。
裸のまま、洗面所と脱衣所を通り過ぎた僕と優衣。優衣は僕より足早で露天風呂に辿り着いた。
「こっちよ、こっち!」
明るい湯船の上り框に優衣が立ち、手を振って僕を呼んだ。
僕は月明りに照らされた優衣の綺麗な裸体を余すところなく繁々と観察する。
「あ、優衣の裸を見てるの? もう、エッチねっ!……でも、何か感じる?」
僕は優衣に見透かされたのが恥ずかしかったが、先程の優衣と絡んだ時と違って下半身がムズムズする気がした。
「うーん、そうだなぁ。腰の辺りに今までとは違う、何か違和感みたいなものが……」
色めき立った優衣がガッツポーズをしてから抱き付いてきた。
「よーしっ! 少しは効果があったみたいね!」
そう言うと僕を湯船に招き入れると、優衣は嬉しそうに僕の腰に抱い付いた。
優衣の身体は、先程よりも紅い炎のように光り輝き、更に白い光が優衣の身体中からほとばしり、その光は僕をも包み込み始めていた。
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