14・温泉旅館
海沿いの国道を進むと、大きくて明るく照らされた看板が見えてきた。「やまのなか旅館」と黒い墨字で書かれていて、一緒に大きな赤い矢印が山側へ向かって書かれていた。
看板の処で国道から看板の赤い矢印が指し示す道の方へと右折した。その道は街灯が全く無く、暗い道が山の中へと続いていた。僕はヘッドライトを「ハイ」にしてレンタカーを走らせた。
「この道で大丈夫?」
優衣が不安そうに尋ねる。
「たぶん。僕も来たことがないから『ナビ』が頼りなんだ」
僕はセンターコンソールに備え付けられた画面を指で差し示した。
画面には曲がりくねった線の上を赤い三角形が少しずつ動いている。その曲線の先には建物の印である矩形がいくつか、並んで点在していた。
「へぇ、『ナビ』って凄いのね。ヘアピンカーブをあと三つ曲がったら、その宿に辿り着くってことなのかしら?」
画面を覗き込んだ優衣が感心しながら呟いた。
「そう、みたいだね」
二つ目のヘアピンカーブでハンドルを操作しながら、僕は優衣に応えた。
「真っ暗な山の中……ちょっと怖いわ」
優衣は窓の外が暗くて自分の顔が映るウインドウに少し怖気立っていた。
「わざわざ鬱蒼とした山の中にひなびた風情で隠れ家的な温泉旅館を作ったのだそうだよ」
僕は予約した時に観た、『やまのなか旅館』のサイトに書かれていた広告文を思い出して語った。そんな僕の説明を聞いて、優衣の表情はいくらか和んだようだ。
「だから『やまのなか旅館』なのね。なるほど」
三つ目のヘアピンカーブを曲がり終えたところで、小さな明かりが見えた。
「あっ、あれ!」
優衣が前方を指差して声を上げた。カーブで見え隠れするけれども、少しずつ明かりが大きくなり、やがて瓦葺きの古風な建物が姿を現し、その建物の玄関にある車寄せへと僕はレンタカーを進めた。
「いらっしゃいませ」
仲居と玄関番が車のドアを開けてくれた。
「遠くからいらっしゃいませ。やまのなか旅館へようこそ」
車から降りた僕と優衣を、柳色で鮮やかな帯の着物を着た若女将とやまのなか旅館の銘が入った法被を着た若主人が迎えてくれた。
「井上様ですね。お待ちしておりました。さぁ、中へどうぞ」
旧い造りの建物であったが気品の感じられるロビーで、女将がフロントまで案内してくれた。
僕は宿帳に自分の住所と名前を書いた。そして、その下の名前の欄には苗字は書かずに『優衣』とだけ書いた。宿帳を書き終えて横に居る優衣の方を見る。それに気付いた優衣は、カウンターをチラリと見てからニッコリと微笑んだ。
「それでは井上様、お部屋へとご案内いたします」
若女将は仲居に目配せをする。少し丸めでトウの立った仲居が進み出て、僕と優衣にお辞儀をした。
「井上様のお世話をさせていただきます、仲居の『山本』でございます。よろしくお願いします。それではご案内いたします。お部屋のお名前は『藤乃間』でございます。こちらへどうぞ」
シトシトと歩く仲居の山本の後を、僕と優衣は付いて歩く。
ふと、優衣が僕の腕を掴む。
僕はハッとして優衣の方を見る。
少し艶っぽい笑顔を僕に見せる優衣。
僕は優衣と手をつなぎ、強引に手を引っ張って優衣を引き寄せた。
優衣は抵抗もなく僕にしっかりと寄り添った。
僕と優衣は『藤乃間』に着くまで、手をつないだまま、仲居の後ろを付いて行った。
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