020「ピクニックに行こう!」
さて質問です。探していた人物がまだ寝ていた場合どのようにすればいいでしょうか。
1、静かに待つ
2、そっと肩を揺さぶる
3、カーテンを開ける
1〜3を試して起きない場合は、選択肢4を実行する。
4、大声を出す
「おにいちゃーん! あーそーびーましょー!!」
「だぁ! うるせぇ!」
朝早くから神楽の部屋には大きな声が2つ、響き渡った。
「うぅ、痛いよぅ……」
声を出した私は神楽から愛の鉄槌という名のげんこつを後頭部に食らった。多少の手加減してくれてはいるだろうが、それでも痛いものは痛い。
「朝っぱらから何考えてやがる」
ベッドの上で腕を組んで眉を寄せる神楽はどこからどう見ても不機嫌だ。
「お兄ちゃんと遊ぼうと思ったの」
「俺は遊ばない」
「えー」
私を無視した神楽は、そのまま洗面所の方に向かい顔を洗い出した。どうやら漸く本格的に起きだしたようだ。
「せっかくお兄ちゃんと遊ぼうと思ったのにぃ」
「その思考回路がおかしいだろ。せめて昼まで待て」
「もうお昼だよぅ」
「やかましい」
次は後頭部ではなく額を叩かれた。ただでさえ賢くない頭脳がもっと馬鹿になったらどうしてくれるのだろうか。昨日、私たちは初対面とは言え仲を深めたはずだが、それも振り出しに戻っているかのような対応だ。けれど初日のように存在を否定するような態度ではない為、昨日の関わりは無駄ではなかったと思い直す。
「なんで俺なんだよ。霙さんと白鴎さんに遊んでもらえよ。仮にもお前の世話係だろ」
神楽はどうにかして私の相手から逃げようとするが、そうはいかない。何より霙と白鴎にはもうすでに遊んでもらった後である。
「遊んでもらったよ? 一緒におままごとしたの!」
「あの人達に何させてんだよ……」
神楽の表情は先ほどまでの不機嫌の表情とは一変し、呆れたようにうなだれた。
「他の人たちは?」
「皆お仕事があるの」
霙と白鴎と遊び終わった後、私は1人でお絵かきでもしようかと考えたが、他の皆が何をしているかが気になり歩き回った。そうして私が見つけたのは仕事をしているみんなだった。私の相手をしてくれそうな人はすぐには見当たらなかった。
「あのな、一応俺にだって仕事があるんだからな」
「でも黎翔様が、お兄ちゃんと遊んでもらえって。霙さんと白鴎さんも、お兄ちゃんを起こしてあげてって」
これでも私は、私の事を好いている訳ではない神楽と遊ぼうとは思わなかった。しかしながら皆の仕事の様子を見に行った時に必ず皆が同じように神楽と遊んでこいと私に伝えた。彼は「黎翔様のとこにも行ったのかよ……」と更に項垂れた。
「……面倒くせぇ」
「大丈夫、私いい子だよ!」
「いい子は朝から人の事を大声で起こさねぇの」
「それとこれとは別なの」
「喧しい」
恐らく神楽には突っ込みの才能があるのではないか。
「…………仕方ねぇな。聖女を怒らせて国が荒れるのも困るし」
「やった!」
彼は私が聖女だから遊んでくれるのかもしれないが、私はそれでも構わない。何故ならば、私から聖女という存在を取ると私の存在意義がほぼなくなってしまう。私が聖女である事が私の一番の強みなのだから。
「んで、何すんだよ」
「ピクニックに行こう!」
「はぁ?」
「あのね、緑弥さんがお弁当を作ってくれたの!」
私の手の中には良い匂いをした弁当箱が握られていた。
「案内して!」
「はぁ?」
「場所、分かんない!」
「お前、んなんで、よくピクニックに行こうとしたな」
「お兄ちゃんが一緒だから迷わない」
「俺が行く前提かよ」
神楽は面倒そうに立ち上がり、着替え始めた。一応女の子がいるのだけれどと思ったが、私は幼女らしいし、特に気を使う必要も無いのだろう。
それでも私は一応見ないようにと目を背けてみた。
「何してんだ。行くぞ」
私の配慮を無かった事にして神楽は部屋を出ようとする。
「ま、待って!」
慌ててお弁当箱を掴み神楽を追いかける。
「中庭でいいか」
「うん!」
中庭とはあの綺麗な花が咲いている所の事だろうか。行った事がない為、分からないがピクニックという条件から考えてくれたのだろう。そこへの行き道が私には分からない為、前を歩いている神楽から離れる訳にはいかない。
「お兄ちゃ、」
「ちゃんとついてこいよ」
神楽は後ろを振り返る事なく扉を出て歩き出した。
「はぁ、……っ」
何だか久しぶりだ。
初めてこの建物に来た時も私はこの廊下を走った。
あの時より少しは成長している私は、足も長くなっている為、歩幅は大きくなっている。けれども歩くのが遅いという点では変わっていない為、自然と小走りとなる。普通に歩いていたのでは前を歩いている神楽との差が大きくなる一方だ。何より今は、弁当箱を持っている為走りにくい。
「……お前さぁ」
私の歩幅を気にせず歩いていた神楽が、急に歩みを止める。
「はぁっ、ど、どうした、のっ?」
私も歩みを止め息を整えながら神楽に問いかける。初めて廊下を歩いた時も歩いていた霙が急に立ち止まった。あの時は振り向いた霙が恐ろしくて仕方がなかった。それは今回も同じだ。今ならば霙はそのような事で怒ったりしないと分かっているが、目の前の神楽は違う。彼は私に対して良い印象を持っていない。加えて今も無理やりピクニックに付き合ってもらっていると言っても過言ではないだろう。歩みの遅い私に苛立ったとしても仕方がない。
「なんで俺に構う訳?」
彼の言葉は私の予想外だった。てっきり私の歩みが遅い事に対しての苛立ちだと感じていたが、彼が立ち止まった原因はそれではないようだ。
「何でって……?」
彼の問いに明確な答えを持つが、それを口にする事は出来ない。私は失礼ながらももう一度問いかけをし直した。
「遊び相手が欲しいのか」
遊び相手がいらないと言うと嘘になるが、私は1人でも遊べる為そこまで遊び相手を欲してはいない。ただずっと一人でいるというのは気が狂いそうになるだけだ。けれどもそれは、彼に構う理由ではない。
「……俺はお前に対して、決して良い態度はとっていない」
彼は気まずそうな表情を浮かべながら下を向き、ぽつりとつぶやく。
「そうなの?」
しかしながら彼の言葉の意図をよく汲み取る事が出来ない。確かに最初は彼の態度や言葉をきつく思う時もあったが少し傷ついたというだけだ。何より他の皆が優しすぎた為、彼の態度を少し怖く感じただけだ。特筆して彼の態度が悪い訳ではない。
「そうなのって……。普通嫌だろ、こんな態度」
「……お兄ちゃんは、私とお話してくれるから。ここの人達、皆そう。誰も無視しないの。話しかけたら、お返事してくれる」
「当たり前だろ」
それを当たり前と感じる世界に、彼はいたのだ。気に入らない相手に対しても存在の否定はしない。
「それと、ね」
神楽の黄金の瞳がこちらを伺うように目を逸らさない。その太陽のような金色の瞳が光を映して、私の髪を焼いてくれたら、とすら思う。灰は白くなってはくれないだろうか。
「……お兄ちゃんが、私の夢、叶えてくれたから」
「はぁ? 夢って?」
「お空飛ぶ事。あと、やりたい事、叶えてくれそうだから」
「他力本願かよ……。言っとくけど、俺は便利屋じゃねぇぞ?」
「……うん」
彼を便利屋だとは思った事は無いが、私のやりたい事に付き合わせようとしている為、真っ向から否定出来ない。
「……行くぞ」
結局、彼の問いに答える事は出来なかった。けれども私の先を行く彼の手の中には私の弁当箱が握られていた。彼なりに何かしらの答えを得られたのだろうか。
中庭には東屋というものはなかったが、木で出来たベンチが1つ花畑の中に埋もれていた。
「ここでいいだろ?」
「うん! 素敵!」
ベンチは広く長かった為、神楽が座った横に腰を下ろす。
「あー疲れた」
「お兄ちゃん、まだお散歩しただけだよ?」
「うるせえ」
どうやら神楽の気分はお世辞にも良いとは言えなさそうだ。霙達に言われたとはいえ、寝ていたのにこんな所まで付き合わなければいけくなったのだから当然だ。
早く弁当を食べ終わって彼を開放してあげるのが良いのかもしれない。弁当を開けようとした所で目の前に揺れ動く卯の花色が目に入った。
「あ、」
ベンチに座って真正面にある花壇に数輪の鈴蘭が靡いていた。
「あれって……」
思い出すのはあの女性。
『これはねぇ、鈴蘭ってんだよ。本当はねもうちょっと後に咲く花なんだけど聖女様の訪れを感じたのかこの花たちも一斉に花をつけだしてね。幸福、希望って意味だよ。聖女様がウチらの事を守ってくれるんだろう。ならウチらだってアンタの幸せくらい祈らせてくれよ』
私の幸せを願って私に花を送ってくれた彼女の言葉は私の脳裏に焼き付いている。
「こんな所にいたんだね」
誰かがわざわざここに植え替えてくれていたのだろう。
まるで私の幸せを願うようにそこに咲く。そしてその鈴蘭は友と共に美しく輝きながらいつか消えて行くのだろう。
「鈴蘭がどうかしたのか」
「この間もらったの」
「ふぅん」
彼は興味なさげに目をつむりべンチで寝る姿勢に入った。どうやら彼はピクニックに興味がないようだ。その態度を隠そうともしない。
けれど私は彼と仲良くしなければならない理由がある。
「お兄ちゃんは食べないの?」
「いらねえ」
自分だけ食べ、彼には何も与えない事に罪悪感を感じた為、声をかけるがそっけなく返されてしまった。
「なんで? 緑弥さんの作ったご飯美味しいよ?」
彼なりに私に遠慮しているのだろうかと感じ声をかけるが、彼は呆れた様にため息をついた。
「知ってる。そうじゃなくて俺は食ったばかりだから腹減ってねぇの。緑弥さんもそれを見越して一人分しか作ってねぇだろ」
確かに用意されていたお弁当は一人前だ。けれども少し分けるくらいはどうって事ないし、何より彼は寝起きである為、食べたばかりではない。やはり私に遠慮しているのだろうか。分かりやすい嘘に首をかしげる。
「お兄ちゃんさっきまで寝てたじゃん」
「おととい食ったばっかなんだよ」
それは先ほど食べたという言葉の言い回しか何かだろうか。けれどもそれを言葉通りの意味にとらえるとすれば
「え、毎日食べないの?」
「はぁ? そんな事してたら腹壊すつーの」
「え? 毎日食べるのは当たり前じゃないの?」
神楽は呆れたようにため息をつきながら目を開き顔を起こす。
「あのなぁ、いくらなんでもこの国や人類の事を説明しなさすぎたろ」
彼の視線の先には恐らく霙や白鴎達がいるのだろう。侮蔑の感情は見られないが、どこか面倒そうな表情に申し訳なさが勝つ。
「あ、そういえば黎翔様が昨日説明するって言ってた」
「してもらったのか」
「ううん、お昼寝してたから」
「はぁ」
神楽は大きなため息をついた後に「いいかよく聞けよ」と言葉を続けた。面倒ながらも説明してくれるのが彼の優しい所だろう。
「この大陸は空の国、太陽の国、地の国、魔の国、水の国に分かれている。ここまでは知っているな?」
「うん」
ここまでは以前説明を受けた為、知っている。
「で、俺たちがいるのが空の国。俺たちは天使族っつー種族で、生まれながらにして背に翼を持つ。生まれた時から息をするように空を飛び天を駆け巡る」
これも昨日聞いた為知っている。
「……あれ?」
「どうした」
あの翼が大空は舞ったらとても綺麗だろう。何よりこの国の人は皆、翼を持っているというのだからあの白い翼が空いっぱいになったらまるで天使の国のようになる。
そこで先日の風景を思い出し疑問を口に出す。
「この間の披露会で私が行った時には街では誰も飛んでなかったよ?」
だからこそ私は先日までこの国の人が飛べるなどという事は知らなかった。ただの一人も空を飛ばず、地に足をつけていた。
「あれは、滑空禁止令が出てたからな」
「何それ?」
聞き覚えのない単語と思うと同時にどこかで耳にしたような気はしなくもない。けれどそれがいつだったかは全く思い出せない。
「空を飛んだらダメって事」
「なんで?」
息をするように空を飛ぶという事は空を飛ぶ事が日常生活の一部であるに違いない。その空を飛ぶという行動をわざわざ規制する意味が分からない。それを行う事によって日常生活の一部に支障が出る事もあるのではないか。
「お前、パレードしてる間に国民が真横まで飛んで来たらどうする」
「びっくりする」
「そういう事だ。地面ならまだしも空中全部に規制線なんて張れないだろう」
「な、なるほど」
そこで漸くこの国の民が足を地につけていた理由が分かった。確かに現実的に考えてみれば空を飛べない私の目の前に羽を生やした人が目の前まで来たら驚くだろう。もし仮に空を飛べるという事を知っていたとしても誰だって目の前まで人が来たら居づらい。
「んで、この島は天空島って呼ばれてて、宙に浮いてる。だから、」
「ま、まってまって!」
「……なんだよ」
余りにも神楽が普通に話し続けようとするものだから、つい話を止めてしまった。
「…………この島、浮いてるの?」
「だからそう言ってるだろ」
「う、うん」
どうやらここは本当に異世界のようだ。異世界という事は分かっていたが、それでもやはり島が浮いているという現実感のなさが、より私に異世界感を突きつける。つまりは、今足をつけているこの大地こそが浮いているというのだ。私の夢の一つである空を飛ぶという事もある意味では、毎日叶っていたのかもしれない。
「話戻すけど、あんた、毎日飯食っててしんどくない訳?」
私の心は動揺が積み重なっていたが、そんな私の心情とは裏腹に神楽は話を戻す。
毎日食べるという事をしんどいと思った事はない。食事を抜く事や少量しか食べられない日はあるものの、1日3食を食べる人にとっては、1日1食などむしろ少ない方だ。
「どうして? 毎日ご飯食べるのは当たり前でしょ?」
「はぁ? んな事したら腹壊れるつーの」
神楽は1日1食どころか数日食べない生活をしているのだろうか。だとしたら不健康だ。けれども彼の様子を見ても不健康そうには見えない。強いて言うならば、食べない事でストレスがたまり不機嫌になっているのだろうか。
「じゃあ、お兄ちゃんはいつご飯食べるの?」
「まあ数日に一度、週に一度だな。俺はもともとそんなに食べる方じゃないからな」
食べる方じゃないと彼は言うが、あまりにも食べなさすぎだ。食べないという域を超えている。そんなに食べないでいるのに彼は元気でいる理由が分からない。私も食べない日はあるが数日なんてとてもではないが耐えられない。
「え、それって倒れないの?」
「んな事言われてもな。俺らにとってはこれが普通なんだよ」
「ひぇ……。私なんて1日食べなかったらお腹が空くようになっちゃったのに……」
「お前燃費悪そうだもんな」
この世界に来てからというもの毎日満腹になるまで食べている為、どうしてもその習慣がついてしまい、腹が減りやすくなってしまったのだ。
「でもさ、真面目な話、今はお前が子どもだから毎日飯食べるのも納得が行く訳よ。でもお前の話し方だと大人もそれぐらい食べるって事だよな」
「そうだよ。多い時には1日3回食べるの」
「はぁ?! じゃあお前も1日3回食べてたって事か?!」
「私は1日1回とか、2日に1回とか」
だからこそ、ここでの1日1食生活にも耐えられる。もし仮に私が日本にいる時に1日3食生活をしていたのならば、ここの1日1食生活に耐えきれなかっただろう。
「それって食事で1日が終わりじゃねえか。そっちの大人はそんな事を何百年もそれを繰り返してんのか?」
「数百年前の話は分からないけど、昔の人も1日1回とかも普通だったと思うよ」
確証はないから適当にそう答えてみるが、確か以前は裕福な人も食事量が少なかったような気がする。それが一体何年前の話なのかは全く分からないが。
「いや、昔の人じゃなくてあんたの親とかの話」
「え、曾祖父母や祖父母の話?」
「いや、あんたの親。たかが数百年前だろ?」
彼は私の親世代が数百年前に本当に存在していたと思っているのだろうか。だとすれば、私の親世代は一体何時代の者なのだろうか。もしかすると江戸時代から生きていた人間もいるかもしれない。歴史は分からないから数百年前にどの時代があったのかは全く分からないが。
「えっと? 私たちの寿命は、長くて百年くらいだけど?」
「………………は?」
彼の中でもしかすると聖女のいる世界は平均寿命が長いなどという固定概念があるのかもしれない。けれども私に変な理想を抱いてもらっても困る。間違いは早めに正しておく必要がある。
けれど彼の表情は今までに見た事がないほど固まり強張っていた。
「……それ、他の奴らは知ってんのか?」
「ううん」
今まで彼らの寿命が長いという事も、食事の回数も、何も知らなかったのに、私自身が此処と日本の違いに気づけるはずもない。
「行くぞ」
「……どこに?」
「いいからついてこい」
以前にもまして不機嫌そうで真剣な彼の表情に私は何も言う事が出来ない。言う事は出来ないが、口を挟んでも良いとすれば、1つ物申したい事がある。
「お兄ちゃん、ご飯は?」
「……後で食え」
両手で弁当箱を抱えて、前を歩く神楽を追いかける。彼は行き道よりも急いでいるのか足が早く、私は小走りどころが本走りをしながら必死になって彼を追いかける。走るという経験は私にとって慣れない事である為、なかなか足がうまく動かない。早歩きと走るのとでは全く足の運び方が違う。ただでさえ走る生活をしていなかったのだからいつ転んでもおかしくはない。
彼は一体どこに行こうとしてるのだろうか。私の寿命がそんなに重大なのだろうか。たとえ私が数十年しか生きられなかったとしても、それは日本では普通の事であり、特別気を使う必要はない。先ほど神楽の発言からすると、少なくともこの国の住民は数百年を生きる人種なのだろう。天使族という聞き覚えのない人種の国である為、そういうものだろうと理解する。
転びそうになりながらも何とか神楽を追いかけていると、目的地に辿り着いたのか、神楽が足を止めた。何処に辿り着いたのだろうと視線を前に向ける前に神楽が大きな音を立ててドアを開く。
椅子に座った績が驚きに目を見開いてこちらの方を向いているのが分かった。驚かせて申し訳ない気持ちを残しつつ、績に挨拶をしようとするが神楽の大きな声に遮られた。
「績さん! こいつ見てやって下さい!」
それだけ言って神楽は部屋から出て行ってしまった。
「はぁ、……っはぁ!」
挨拶をしようとした私だが正直な所挨拶どころではなかった。
「聖女様はどうしてそんなに疲れているのですか?」
「は、はしっ……、はしった、から!」
先ほどの中庭からここまで、長い距離をずっと全力に近い形で走っていたのだ。今までよりも全力で走った為、私の体力が限界を迎えていた。
「ゆっくり息を整えてくださいね」
「は、はいっ」
績の言葉に従い、少しずつ息を吐き出していくと楽になったようで先ほどよりも呼吸が楽になった。優しく背中を擦ってくれる績の手と、用意してくれた冷水が良い仕事をしていたのだと思う。
「……急に来ちゃってごめんなさい」
「いいえ、私は大歓迎ですよ。それに今回は急に連れてきたのはどうやら神楽のようですしね」
績は呆れを隠そうともせず、私にもう1杯の水を差し出した。
「それで今日はどうしたのですか?」
「……分かんない」
「え?」
「だって、お兄ちゃんが急に私をここまで連れてきたんだもん」
私のせいではないという事を遠回しに伝えるが、正直伝わったのか分からない。私自身、きちんとここまで来た理由を聞いておくべきだと反省するが、同時に神楽も私をここまで連れてきた理由を知らせておくべきだと思う。
「……なるほど、そうでしたか。私は彼に聖女様を見るように言われたのですが、どこか怪我をしたから来たのではないのですか?」
「ううん、怪我なんてしてないよ。お弁当を食べようと思ったら兄ちゃんに連れて来られたの」
つまり現在の私は限りなく空腹である。この国の人が当然のように空を飛ぶように私も当然のように腹は減るのだ。
「績さん、ご飯食べてもいい?」
「どこも痛かったりしんどかったりする訳ではないのですよね?」
「うん、元気」
私の言葉を聞いて績は私の上から下まで見た後に少し首をかしげ、もう一度上から下まで眺めた後に1つうなずいた。
「ではご飯を食べてさらに元気を取り戻しましょうね」
「うん!」
今日の弁当は特別だ。まず一つ目の特別は弁当箱だ。普段お皿で食べている身としては弁当というものに憧れがあった為、より一層早く食べたいと思う。そして2つ目の特別は中身だ。
「ハンバーガーですか。緑弥も珍しいものを作りましたね」
これはかつて私がおままごとのおもちゃで作った弁当箱だ。緑弥に食べたいと渡したおもちゃの弁当箱が、まさか本物の中身と入れ替わって手元に来るとなどとは夢にも思わなかった。確かに食べたいと言って渡したけれども、こんなに正確に叶うと思わなかったのだ。
「今日のご飯はね特別なの」
弁当箱の真ん中にそびえている大きな大きなパテに挟まれたお野菜たち。目玉焼きにレタスにハンバーグ。本当ならばトマトだった気がするが私が大好きなハンバーグに代わっている。大きな大きなハンバーガー弁当。
そして隙間にはブロッコリーやたこさんウインナー、卵焼きやニンジンなど、私の好きなものが所狭しと詰まっている。これだけ量があれば今の私でも間違いなく腹を満たす事が出来るだろう。むしろ言えば多いほどだろう。
弁当にサンドイッチを入れる事はあるが、ハンバーガーを入れる事は珍しいのではないだろうか。贅沢さに身を任せハンバーガーを頬張る。
「ふぉいひい!」
やはり緑弥の作った食事はどんな食べ物にも代えがたいほどの幸福感がある。
「績さんもお腹が空いてないの?」
「ええ私も食べたばかりですから。…………私『も』?」
「うん、お兄ちゃんが、食べたばっかりだから俺はお腹が空いてないって言ってたよ」
ここの人はやはり少食なのだろうか。
「そういえば聖女様は毎日食事をしていますよね」
「うんだって毎日食べないとお腹空いちゃうしね」
「…………聖女様、もしかして聖女様の世界は――」
績が何かを告げようとした所でドアが大きく開いた。
「績さん!」
ノックもなしにこの部屋に入り込んだのは先ほど私をここに連れてきた神楽だった。彼はゆっくり扉を開けるという事が出来ないのだろうか。危うく私の口から弁当が飛び出る所だったではないか。
「全くあなたは。ノックというものを……」
「そんな事どうでも良いです。それよりも聖女様を見てくれましたか?」
怒ったら怖そうな績にどうでもいいなどとよく言えたものだ。
「ええ、見ましたよ。今の所健康状態に異変はありません。何よりあなたが何も言わずにここを出て行くので何を見れば良いのかも分かりませんでしたしね」
「え、あ。すみません……」
どうやら神楽は相当頭に酸素が回っていなかったようだ。自分でも驚くように神楽は息を吐いて見せた。
「一体何なんだ」
「聖女様無事?」
開きっぱなしのドアから顔を覗かせたのは、今朝私と一緒に遊んでくれていた霙と白鴎だ。
「ふたりとも、どぉしたの?」
私に対して無事と聞いてくるのだから神楽から医務室にいるという事のみを聞いてきたのではないだろうか。私はどこも悪くないと言うのに神楽は人騒がせな人だ。
「私にもよく分からん」
「聖女様の一大事って聞いたよ」
神楽は誰にも詳しい説明はせず人を集めたようだ。正直神楽の本意が分からない。
「……正直聖女様が不調かどうか分かりません。分からないからこそ績さんに見ていただこうかと」
神楽のその態度は普段、私には見せない方の態度だ。
「……コイツの話を聞いた所によると、毎日食事をするようで」
「ええ、私も先程それは確認しました。けれども、子どもは普通ですよ」
子どもどころか大人も毎日食事をするが今口を挟めそうな雰囲気ではない。
「……違うんです。大人も同じ様に食べるらしく。それどころか聖女様の世界では大人も子どもも1日3食食べるそうで」
言おうと思った事を神楽が説明してくれていた。
「大人もですか?」
績の視線がこちらに向いたので縦に首を一度動かす。
「……それでその、」
神楽が歯切れ悪く目線をずらしながら言葉を紡ごうとする。
「……聖女様の世界の寿命は100年程度らしく」
それも前の世界ではごく普通の事だった為、取り立てて騒ぐ事ではない。しかしながら、こちらの世界の人達にとって、それはどうやら普通ではなかったようで驚いたようにまじまじと私の方を見てくる。
「今の話は本当ですか?」
今の話というのは私の世界の寿命が100年程度だった事という事だろう。その事に間違いはない為、縦に一つ頷く。
「本当だよ」
私がそう答えた途端、皆が息を飲んだように言葉を噤んだ。
「という事は聖女様も……?」
「……その可能性はあるかと思って」
霙と神楽が目を見合わせながら呟く。彼らの表情は同じなのに、なぜかその表情から受ける感情には違いが見られた。驚愕と諦めと悲しみそして絶望。白鴎も同じような表情を浮かべる中、績だけが一人冷静に私を見下ろしていた。
「聖女様は恐らく大丈夫だと思います」
空気を断ち切るようにそういう績に霙と白鴎が駆け寄る。
「……どういう事だ?」
確信があるようなその表情に、言葉を待つ。
「聖女様、聞いてもよろしいですか」
「うん、なぁに?」
話しかけられるとは思っていなかった為、弁当箱をにぎりしめていた手を体の横に下ろす。
「あなたは以前、15歳と言いましたね」
「うん」
「ではあなたの世界の15歳は、どのようでしたか?」
「どのようって?」
「例えば身長です。あなたの世界の15歳の平均身長はどのあたりでしたか?」
「えっとね今の私の身長に、私の半分を足したくらい」
「……つまりはこの世界の130歳あたりの平均身長と近いですね」
私の15歳の時の身長は、この世界の130歳に該当する。私が伝えた平均身長は実際の私の身長だった為、平均身長となると実際はこの世界の150歳あたりに該当するのかもしれない。
「初めて聖女様とお会いした時、聖女様の身長はこの世界で言うと15歳から20歳あたりの身長と同じでした。つまりこの世界のものとそう対差がなかった訳です。だからこそ私も聖女様の年齢と慎重に違和感を感じませんでした」
という事は私はこの世界でいうと年相応の身長していた訳だ。
「つまりどういう事だ?」
「……聖女様の体は恐らく、作り変わってる最中ではないでしょうか」
作り変わっているという事は私はこの世界で行きていけるのだろうか。
「少しずつこの世界に慣れ、体がなじむように成長しているのかもしれません」
体が突然大きくなったのは、この世界に少しずつ体が馴染んで来ているという事だろうか。けれども、一体私の体はどの辺りまで成長するのだろうか。この世界来た時の私の身長は、この世界の平均に当てはまる数値だった。という事は現在の私の身長はこの世界の15歳とはかけ離れている。本来の私の身長まで成長する可能性はあるし、この世界の断りとは全く関係なく私の望むままの身長で成長していく可能性もある。
「それに太陽の国の聖女様も、数百年前に現れましたが未だにご存命です。他の国の聖女様も数十年で亡くなったという話は聞きません」
体が作り変えるという事は私の寿命も伸びるという事だろうか。私の体は一体どこまでこの世界に馴染む事が出来るのだろうか。
「仮説ではありますが、聖女様がすぐに旅立たれる事はないでしょう」
「……そうか」
どうやら霙たちも績の言い分に納得したようだ。ひとまず私がすぐに死ぬ心配はなくなったという事だろう。けれども人は100年も生きれば十分だと感じる。100年より何倍もの時を与えられたとして、果たして私はその永遠とも取れるような時間に耐えられるだろうか。
「仮説ではありますので、聖女様の命が100年程度の可能性という事も捨て切る事は出来ません。念の為、陛下にもお話ししておいた方が良いでしょう」
「私が伝えてこよう」
「では霙、お願いします」
「ああ」
寿命などというものは神が決めたものだ。たとえ私の寿命が10年でも5年でも1年でもその命を全うするべきだ。だからたとえ私に何千年を生きる寿命がこの身に宿っていたとしても、それは『そういうもの』だ。
「お弁当食べていーい?」
私は今まで通り自分の心に従って生きていればいい。
「ええ、良いですよ」
自分の心に従って、まずは食べかけのお弁当を口に含む事にした。




