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黒いモノクロな世界と白いカラフルな世界 長文版  作者: ちぇしゃ


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18/23

017「私はこの国を護る為に、来た」

 カーン カーン カーン


 綺麗な鐘の音で目が覚める。ゆったりと鳴り響くそれは、まるで平和の訪れだ。とても大きな音だけれどゆったりと綺麗な音で鳴り響いている為、不思議とうるさく感じない。大きな車の音や犬の鳴き声で起床していた事を思えば、とても穏やかな目覚めと言えるだろう。


 空はまだ薄暗く、日は出ていないように見える。けれど部屋全体が不思議と明るく見えるのだからそれは私の世界がそれほど輝いているという事だろう。この世界に来て2週間以上経った。短いようでとても長いその期間は私がこの世界に馴染むために十分な時間だった。冷たい地面を足の裏に感じながらベッドから降り窓の方へ向かった。用意されている台に乗り、そっとカーテンと窓を開けると、ちょうど朝日が昇る所だったらしく、部屋に一筋の光が差し込ん出来た。一筋温かさを感じると同時に少しの冷ややかさも部屋の中に入り込んでくる。けれど不思議とそれは不快ではなかった。むしろ頭をすっきりさせるその冷ややかさは冬特有の冷たさといえよう。

 肌で季節を感じ取るというのはきっとこういう事だ。


「起きたか」


 外から紛れ込む冷ややかな空気で体が冷えたのか黎翔も目を覚ました。


「ごめんなさい、起こしましたか?」

「問題ない。元より起床時間だ」


 黎翔は寝起きもとても綺麗だ。まるで窓から差し込む光が黎翔を照らしているかのようだ。


「準備をしてくる。顔を洗って――――、何もせずにこのまま待っておけ」


 黎翔は私に顔くらい洗っておけと言いたかったのだろうけれど黎翔の使っている洗面台が私に届く訳もない。頷いてベッドに戻ると黎翔も納得したのか風呂場の方へ姿を消した。何故夜に風呂に入っていたのに今もお風呂に入るのだろうかという疑問はあったが、この世界ではそういうものなのかもしれない。私も入った方が良いのだろうかと思うが、言われないのだから勝手な事をすべきではないだろう。もしかすると今日は披露会だから一層身なりには気を使っているのかもしれない。


「……」


 今日は初めて、この世界の人と会う。恐らく緊張しているのだと思う。そうでなければこの胸の高鳴りは説明がつかない。喜びか期待かと聞かれると恐らくそれは違うと思う。どちらかというと不安や恐れ。決して喜ばしい感情ではないものが私の胸にうずいている。私は何もしなくていいと散々説明を受けてはいるが、絶対に失敗出来ないと言う不安感が消えない。どうにかしてドレスの予備を使うような事態にならないようにしなければならない。


「暇か」


 風呂場から出てきた黎翔はベッドの上に放心状態で座っている私を見てそう呟いた。黎翔はズボンは履いているが上半身は裸だ。おまけに髪も乾いておらず頭にタオルが乗っている。けれど一緒にお風呂に入った事がある私としては恥ずかしいという感情よりも風邪をひかないのだろうかという心配が先に立った。


「考え事してたから忙しいのですよ」

「そうか。髪を乾かしてくるから、その忙しい考え事にもう少し興じておいてくれ」

「はぁい」


 黎翔は時折難しい言葉を使う。


 髪を乾かし終えた黎翔は気がつけば、いつもおろしている髪を高い位置で1つに結んでいた。


「いつもと違う?」

「今日は披露会だからな。私たちにも聖女様の隣に立つものとしてふさわしい服装というものがある」

「ふぅん。でもとっても綺麗ね」


 私としては褒めたつもりなのだけれど、黎翔は顔を横に背けてしまった。客観的に見れば上半身裸の男の人を褒める幼女というのは客観的に見て少々おかしい。


「それよりも、もう時期霙と白鴎が来る。準備をしておけ」

「はぁい。でも私に準備する事はないですよ」

「……心の準備でもしておけ」


 それは今の私に一番必要なものだ。私が悶々と考え事をしている間に黎翔はシンプルなシャツと、とてもキラキラしたベストを羽織っていた。黎翔曰くこの後ジャケットも羽織るそうだ。きっとジャケットもとてもキラキラしているのだろう。キラキラしたものは好きだから見るのが楽しみだ。





「おはようございます、聖女様。黎翔も」

「私はついでか」


 黎翔の発言とは異なり、まず現れたのは目の下に鉛色の隈をこしらえた彩月だった。


「彩月、その隈はどうした」


 あの黎翔が無表情ながらに若干引きながら彩月に尋ねた。


「お見苦しい姿をお見せして申し訳ございません。ですがその甲斐もあり、聖女様の衣装は最高のものを仕立てる事が出来ましたっ」


 興奮を隠そうともしない彩月に思わず私も一歩下がってしまう。


「そうか……」


 黎翔も若干引きながら納得している。けれど彩月がこうなるのも仕方がないのだろう。なにせ昨日最初で最後の衣装合わせをしたばかりだ。そこから衣装を少し調整すると言っていたし、時間がない中むしろよくやってくれたと思う。目の下の真っ黒な隈がその証拠だ。寧ろ彩月は寝ていないのではないだろうか。


「彩月さん大丈夫?」

「ええ、大丈夫です。今までで一番興奮しています」

「それは大丈夫なの?」


 私はまだ彩月との付き合いが浅い為、決めつけたような事を言う資格はないけれど、彩月はもっと静かな人だと思っていた。


「改めて今聖女様に自分の作った服を着ていただくという事を実感して感動にうち震えているのです。私の作った服をこの世で最も尊いお方に着ていただけるという事実が堪らなく、こう……、身体中に溢れ出てきて、………………昨晩は何もせずにはいられなかった」


 けれどこの興奮の仕方は嫌ではない。むしろもっと親近感が湧く。


「あのね、私は私がどれだけ偉いのかよく分からないけれど、でもね。彩月さんのお洋服が大好きだから、彩月さんが作ってくれたお洋服を着れるのがすっごく嬉しいの。ありがとう」



 彩月が私ではなく聖女という存在の衣装を作る事に感動を覚えているが、どちらも私なのだから私が礼を言っても良いだろう。

今日は私がこの世界に来て15日目、いや、寝込んでいた2日を入れたら17日だ。とういう事は今日の日付は――。そこまで考えて言葉を放つ。


「あめちゃんくーださい」

「急にどうした」

「何か食べたくなったの」

「……取ってくる。服を着ていろ」


 私の急なお願いにも黎翔は承諾してわざわざ取りに行ってくれた。申し訳ない気持ちがありつつも、どうしても食べたかったのだ。私の部屋に行けばキラキラした飴があったけれど、きっと今それを取りに行く事は出来ないだろうから。



 それよりも黎翔は私に服を着ていろと言った。まるで私が何も着ていないような言い方をする。パジャマはちゃんと着ているのに。だが、ドレスを着るならば1人では無理だ。彩月に手伝ってもらうしかない。そう思って彩月の方を見るが、気のせいでなければ彩月の目がキラリと光ったように見えた。


「えっと、彩月さん……?」

「何でしょう」

「いいえ、何でもありません」


 白いドレスを持ってこちらを凝視している彩月を見れば、私から言える事は何もなかった。


「ドレス、着ましょうか」

「ハイ」


 キラリと目が光っている笑顔の彩月を前に誰が「いいえ」と言えようか。言うつもりはなかったとはいえ、なんだか圧が怖い。


 ドレスは昨日一度着ている事もあってスムーズに着られた。けれど彩月が言っていた修正箇所は私にはよく分からなかった。彩月が満足そうに頷いていたのだから私はそれで構わない。


「やはり聖女様は白がとても似合いますね。美しい黒髪によく映える」

「……」


 私には、白髪の方が羨ましい。黒色なんてただ珍しいだけで、この世界では異端だ。


 ガチャリと扉が開き、小さな瓶を持った黎翔が帰ってきた。


「口を開けろ」


 黎翔の言葉通り口を開けると待ちわびていた甘みが口の中へやってきた。しかしながら思った食感とは少し違った。


「これあめちゃん? なんだかトゲトゲするよ」


 この間食べた飴は表面がツルツルしていた。けれども今食べてる飴は表面がトゲトゲと出っ張っている。


「これは金平糖だ」

「こんぺいとう……」


 聞いた事がある。まるでお星様を飴にしたようなお菓子だ。それが今口の中に入っているなんて信じられない。そして今食べたのが何味なのだろうかと味わうけれど、いくら考えたって味なんて分からない。先日食べた飴より小さい。それは味わっているうちにすぐ口の中から消えてしまった。


「黎翔様、もう1個」


 口開けて催促すると、もう一つ分口の中に放こまれた。味わってみるけれどやはり味は先ほどのものと変わらない。砂糖の味とでも言えば良いのだろうか。先日食べた飴とは食感が違ってとても美味しい。


「聖女様、髪を結ぶので座ってください」 

「その前に金平糖をもう1つください」

「……食べ過ぎは良くない」

「金平糖はちっちゃいから大丈夫です」


 私の訴えは虚しく、黎翔は金平糖をくれなかった。

 そして、彩月は私を椅子の上に座らせてしまった。私は15歳だから多少の我慢は出来るので大人しく椅子の上に座る事にした。ただし多少頬が膨らんでいるのは許してほしいと思う。


「あんなに美味しいものがあると教えたのは黎翔様なのに、くれないのはひどいです」


 小さな声で文句入ってみるが、「教えてくれなければよかった」と思わないのは知らない方が後悔すると思ったからだろう。


 この世界に来てから私の髪質はぐっと良くなった。櫛で髪の毛を梳いても引っかかる事なく下まで櫛が下りていく様は見ていてとても気持ちが良い。私のサイドの髪の毛が編み込まれていくのを黎翔はじっと見ていた。


「出来ましたよ」


 髪飾りがドレスと同じ生地で作られていた為、まるで頭がドレスを着ているかのようだった。


「黎翔様、披露会頑張るから、あと1個だけ……」

「……1つだけだ」


 黎翔はしばらく私とにらめっこをした後に、口の中に金平糖を1つ入れてくれた。


「黎翔も聖女様には甘いんだな」

「……我儘は言うべきだ」


 もしかして我儘だと思われていたのだろうか。これからは気をつけよう。


「それでは聖女様はこれからもっと我儘を言うべきですね」

「?」


 結局言った方がいいのか言わない方がいいのかどちらか分からない。


「後はヴェールを被れ」

「何で?」

「聖女は尊い存在だからだ。顔を隠すと決まっている」


 ヴェールをかぶるならば髪飾りはいらなかったような気がするが彩月のこだわりがあるのかもしれないから口には出さないでおこう。


 ヴェールをかぶると視界が一気に悪くなる。前が見えない事はないが出来る事ならば手をつないで介助されたい。そう感じたのが伝わったのか、ヴェールの前を上げられた。まるで新婦のウェディングヴェールだ。


「準備は出来たか?」

「!」


 聞き慣れた声が入り口の方から聞こえてきた。先程黎翔が閉めていなかったドアから霙と白鴎が現れた。


「服、違う!」


 霙と白鴎も、黎翔のように、服装が通常と異なる。黎翔とは少し違うが、よく似ている。儀式のための服装とでも言うべきだろうか。


「今日は聖女様の守護者としてふさわしい服装をしている」

「俺たちは聖女様を守る為の存在だからね」


 黎翔だけでなく、霙と白鴎服装を見た事で、会が近づいているのだと実感する。緊張と不安に足が震えそうになるが、自分が1人ではないという事を実感し、膝を伸ばす。


「行くか」

「え、もう?」


 起きてからそれほど時間がかかってるとも思えない。準備に時間をかけるものだと思っていたが、そうではないようだ。


「緊張してるだろうから言わなかったが、既に起きてから数時間が経っている」

「え?!」


 彩月と顔を見合わせると、無言で頷かれた。窓の外を見てみると、低い所にあった太陽は、少し見上げる必要があるほど高くまで登っていた。


「いつのまに……」


 時間の経過を感じられないほど緊張していたという事だろうか。


「手を」


 霙が差し出した手を眺める。まるで初めてこの世界に来た時のようだ。初めてこの世界に来た時は何を信じて良いか分からず不安で押しつぶされていた。

 私が初めてこの世界で温かいと感じたのは、この手だ。


「どうした?」

「ううん、なんでもないの」


 この胸に灯る感情の表現の仕方が分からず、曖昧に濁して手を重ねた。










 

 部屋を出て見慣れた廊下を歩く。自らの足で立って歩くというのは抱きかかえられるよりも疲労を伴う。しかしながら自らの足で立つというのはひどく心地が良い。他人に責任を押し付けず、自らの考えで歩める。この世界ではそれが可能となっている。


 まるで鳥にでもなったかのようだ。


 この廊下が長いばかりに緊張も不安も長引くが、同時に心の準備も出来た。


 この先にいるのは私が護るべき民であり、世界そのもの。それを実感しながら歩みを進める。


 まだ建物の中だというのに、温かい威圧感が増してくる。建物の外の声が大きく、空気をざわつかせながら、中まで押し寄せて来る。

 遠くから感じるこの感覚は、期待と安堵と、少しの不安。私はこれから、それらの目線に晒される。

 強く握った手は霙に伝わり、更に強く握り返される。言葉よりも落ち着く行動は私の体の震えを止める為には十分すぎた。


「不安か」

「少しだけ」

「案ずるな。皆いる」


 到着した部屋は例のバルコニーがある場所だ。


「ここからは黎翔と」


 霙の手を離し、黎翔の手を握る。霙と白鴎は先程とは立ち位置を変え、まるで従者のように後ろから着いてきている。背後を心配する必要は無くなった。


 ゆっくりとドアが開いた。


 その瞬間、ぶわりと大きな声が響いた。声と言うよりも音だ。明確な意味を持たない言葉達が大きな音となって耳まで届く。これから対峙する民のものだと思うと足が後ろに下がる。しかしながら、後ろには2人かいる。私はもう前にしか進めない。


 扉が全て開いた。


 その瞬間、思わず力が抜けそうになった。バルコニーの下の民衆からは見えない部屋の中に、皆がいた。彩月や緑弥、績。他にも会った事がない人がずらりと同じ服を着て立っていた。その中でも優しい顔で手を振る見知った顔に、緊張で強ばっていた背が丸くなる心地がした。


「ねえ、黎翔様」


 隣に立っている黎翔にだけ届く声で話しかける。

 

「なんだ」


 黎翔の言葉は冷たく感じるが、1度だって私の言葉を無視した事は無い。必ず耳を傾ける。

 

「皆がね、私は幸せになっていいって言うんだよ」

「……それが聖女の役目だ」

「でもねどうやったら幸せになれるか分からないの」


 この世界に来た事も、美味しいご飯が食べられる事も幸せだ。


 だからこそ――


「これ以上何を求めていいか分からない」


 黎翔は理解出来無いと言った表情をしたが、珍しく顔に笑顔を浮かべた。

 

「それを見つけるために我々がいる」 

「……一緒に探してくれるの?」

「当たり前だ」

「私が聖女じゃ無くなっても?」

「聖女では無くなる……、という事は無いが、お前がお前である限りは傍に居る」


 どのような私になっても私は私だと言う発言に、ここに来るまでの事を思い出し背筋が伸びる。その姿を見て黎翔は大丈夫だと感じたのか、私の手を引いてバルコニーの方へ向かった。1歩ずつバルコニーに近づく度に民の声が大きくなる。


 部屋の真ん中辺りまで歩いた所で、黎翔が足を止める。


「?」


 疑問に抱いていると、その横を霙と白鴎が通り過ぎた。2人が一足先にバルコニーへと足を踏み出した瞬間、音が消えた。

 青い空に燦然と立つ2人が酷く美しい。絵画のような光景を目に焼きつける。


「この度、我が国に聖女様が降臨なさった」


 霙の言葉に民が耳を済ませているのを感じる。


「白い世界に聖女様の象徴とも言える黒髪黒目のお方が舞い降りた」


 霙の声は重く、そして白鴎の声は緩やかに頭に入り込む。

 

「空気は軽く」

「生物は舞い」

「作物は育ち」

「太陽は輝く」


 白鴎の声で黎翔が私のヴェールを戻し再び歩みを進めた為、私も同じように足を動かす。


「「共に聖女様の降臨に感謝を」」


 2人の声とともに、私は漸く民の前に顔を出した。バルコニーから顔を出すと、庭にはヴェール越しでも分かる白が一面に広がっていた。その神秘的な光景に目を奪われる。

  

「陛下!」

「聖女様ー!」


 本当にこのバルコニーから見える庭は人で埋まっていた。黎翔の言葉は比喩ではなく、事実なのだと理解した。これほど多くの民の期待に応えなければならないのだと感じ、表情が強張る。


「聖女様!」

「ありがとうございます、聖女様!!」

 

 喜びに溢れた声が私に刻み込まれる。


「聖女様に祝福を!」


 その中で私は時折聞こえる声に心を打たれた。


『聖女様に祝福を』


 私の幸せを願ってくれている。見ず知らずの私の幸せを、願ってくれている人が、いるのだと。


 祈りは、必ず届く。その為に、聖女がある。


「聖女様はこの世界で最も尊い存在である」


 先程まで賑やかだったにも関わらず、黎翔が言葉を紡いだ途端、静けさを取り戻した。


「聖女様はこの世界を導いて下さる」


 黎翔の言葉に耳を澄ませている。

   

「だがそれは、この国を聖女様が愛してくださればこそだ。皆で聖女様の幸せを祈ろう」


 会場は賑やかさを取り戻す。この大きな声も、どこか心地よい。

 今日もまた、1つ、この世界の美しさを知った。


「何か、言葉をかけてやれるか」


 黎翔は気を遣うように私を見る。以前、私に何も話さなくても良い。手を降っておけば良いと言った手前、躊躇しているのだろう。


「うん」


 らしくないとは思いつつも迷う事なく返事を返す。緊張に強張った顔を見られずに済む為、この時ばかりはヴェールの存在に感謝を抱く。


 先程よりも一歩前へでると、より民を近く感じる。 

 

「私は……」


 民から大きな期待と、少しの不安を感じ取る。少しの不安というのは私の外見に関する事だろう。私のように幼い姿の聖女がこの国の象徴と言われたならば、不満を抱くものは少なからずいるだろう。この国を愛しているならば尚更だ。


 この民に受け入れられる事が、最初の仕事だ。

 

「私、は」


 言うべき言葉は決まっている。聖女としての言葉が頭に浮かんでいる。しかしながら、何故かそれを言葉として口から放つ事が出来ない。唇の震えが邪魔をして喉から声が出ない。


 今までこれほど大勢の視線に晒された事があっただろうか。これからの私の発言はこの国全体に届く。私の発言が、一体どれ程の人々の人生を左右するのだろうか。 


 手を震わせると、黎翔の温もりが背中に感じられた。

  

「失敗しても良い」


 そこで、「頑張れ」と言わないのが、彼らしいとすら感じる。気が付けば手の震えは収まっていた。


 何を恐れているのだろう。私の中の世界には、今数名しかいない。その数名には大切にされていると自負している。ならば、それで良いではないか。

 私は、『聖女』だ。口を開くと、自然と言葉が紡がれる。

 

「私はこの国を護る為に、来た」


 この世界を守る。それが私に出来る、恩返し。

 

「色に溢れたこの世界が、黒く染まる事は無い」


 私を迎えてくれたこの世界に感謝を。

  

「私はこの国の平和を祈る」

 

 声の震えはない。最後の一音を放った時、視界が明るくなったように感じた。


「私の世界……」


 今まで現実味が無かったが、ここがこれから私が過ごす世界だ。


「聖女様万歳!」

「国王陛下万歳!」 


 そして、ここから見える民が、これから護るべき人々。







  

 空へ伸ばした手には純白の羽根が捧げられていた。


 









 歓声を聴きつつ、黎翔と共にバルコニーを後にすると、その後ろを霙、白鴎が着いてくる。


「おつかれ」


 満面の笑みを浮かべる緑弥を見て、体の力が抜けたのか、床に膝が着いた。


「大丈夫か?」

「ちょっと、緊張しました」

 

 黎翔が私の手を握り、力強く引き寄せる。


「この後もまだ続く。しばらく休め」

「この後は何があるの?」

「パレードだ」

「ぱれーど……」

 

 思い返せば、そのような曲名の歌があった気がすると、全く関係のない所に思考を巡らす。


「街中を馬車で進み、今回城に来れなかった者たちにも聖女様の現れを知らせる」


 目立つという事からほど遠い世界で生きてきた為緊張するなという方が無理だろう。

 

「休む時間があるの?」

「……」


 先ほど休めと言ったのは口からの出任せだろうか。


「座って休むような時間はない。馬車の用意ももう済んでいる。向かう間、休憩していろ」


 その言葉を聞いて黎翔が私を抱き上げた理由が理解出来た。私を抱き上げ、歩かせない事が休憩になるという事だろう。


 以前歩いた覚えがある廊下を私とは比べ物にならないほどの速さで進んでいく。私を休ませる意図もあったかもしれないが、時間短縮の意もあるだろう。


 思い返せば、先ほど民の前に顔を出した時間はほんの一瞬だった。その一瞬に民たちの思いを感じた。民たちの前に顔を出すのが一瞬で良かったのだろうかという不安を抱きながらも、空から降り注いだ白は気がつけば私を覆い尽くし、空と一体化させた。




 黒はどこまでもモノクロだが、白はいつだってカラフルだ。

 




 自身の黒は 他人とは異なるがそれが自身の証明でもある。この黒がなくなった時、それはすなわち私の消滅だろう。ただ一つ、この世界で私が私である事を前提に呼ばれたのなら、私は恐らく黒がなくなったとしてもこの世界で生きていく事が出来るだろう。


 黎翔の手は暖かく上下左右に揺れるこの感覚が私にわずかな睡魔を抱かせる。


「眠っても良いが、すぐに起きてもらうぞ」

「……ふぁい」


 少しずつ降りてくる瞼に、返事すらも億劫になる。まだ朝だと言うにもかかわらず、何故この様な睡魔が訪れるのか。朝から動いたから疲れたのだろうか。それとも、子どもの姿だから疲れやすくなっているのだろうか。はたまた、始めて大勢の人の前に出たという事で緊張が極限に達した可能性もある。


「とか言いつつ、眠らせてやるんだろ」

「……」

「このツンデレめ」

「黙れ、緑弥」

「はいはい」


 眠たくなければ、きっと笑い転げていただろう。眠りたくないのに、眠ってしまいそう。眠りたいのに、会話を聞きたい。眠りたくない。


「仕方ないですよ、緑弥。黎翔は聖女様が、可愛くて仕方ないのですから」

「煩い、績」

「まあ、城に聖女様を泊まらせたくて仕方ないしな」

「普段ツンツンしてるくせに、じーっと聖女様をみてるし」

「喧しいぞ、霙、白鴎」 


 目を閉じても皆の楽しそうな声が聞こえてくる。冷たく言い放つ黎翔の声には、温かさしか感じられない。


「聖女様のドレスは最高のものをと念押ししてきたのも黎翔だしね」

「……聖女なのだから当たり前だ」

「その当たり前をわざわざ念押ししてくるくらいには聖女様が可愛いのだろう」

「彩月、後で覚えていろ」

「はいはい」


 こんなに温かい言い合いは今までに聞いた事が無い。信頼し合っていないと、この様な関係にはなれない。羨ましさを込めて黎翔の服を握る。これから先、この者たちと共にいる事で、私もこの様な関係になれるのだろうか。それはとても、待ち遠しい。


「馬車の準備は出来ているのだろうな」

「さっき、馬車の準備は済んでいるって言ったの自分だろうが」

「…………」

「緑弥、そのような物言いをするものではありません。黎翔は照れ隠しで、とりあえず何かを話していないと気がすまないのですよ」


 何故だろう。何処となく黎翔を、可哀想に感じた。「黎翔をいじる会」が発足している。

 それから黎翔は全くと言っていいほど喋らなくなってしまった。けれども、会話が止む事はなかった。黎翔はからかわれているというのに、拗ねる気配はあれど怒り出す気配はない。まるでゆりかごで子守唄のような、それらは私を夢の国に旅立たせるには十分だった。






 

「起きろ」

「…………寝てないですよ。目を瞑ってただけ、です」


 夢の国に旅立ってからほんの数分で起こされた事もあり、すんなりと目が覚め、受け答えも出来た。眠っていないのに、目を閉じただけで十分すっきりしたように感じる。


 周りを見渡すと辺りは私が知っている白だけではなくなっている。まず視界に映ったのは、黎翔の服と髪の白だが、その他に瓶覗きの空が映った。まるで私の不安を表しているかのようだった。そして、千草色の――

   

「おーぷんかー……?」


 口から出た言葉が確証を持たず、宙へ消えた。

 

「何だそれは」

「えっと、日本の車で天井が空いてるやつ?」

「そのままだな」

「えっと、うん」


 一応、誤解を解くとすると今目の前にあるのは車であって車ではない。恐らくこの世界に私の想像する車はないだろう。目の前にある車は車だが、馬車という分類に入る。私の想像する車は自動車だ。馬車の天井がないというよりもむしろ横の壁も低い。この際はっきりと分かりやすく言うとすれば某赤服の白ひげを蓄えたおじいさんが乗っているそりに大きなタイヤをつけたものとでも言うべきだろうか。それが馬に繋がれている。あけすけ無い言い方をするとすれば、とても大きな荷車だ。けれども所々に鬱金色の縁取りがされており、貧相には見えない。どちらかというと高級感すら感じる。


「これに乗って行くの?」

「そうだ。……不満か?」

「そぉじゃなくて、乗った事無いからどきどきする」

「そうか」


 馬車に気を取られていたが私の周りには私が知らない人も大勢いた。服装が霙達と同じである事から私がいる建物の関係者か何かだろうと予想をつける。しかしながら彼らが話しかけてこない事を良い事に私から話しかけるのも避ける。必要があれば話し出すだろう。

 黎翔に抱きかかえられたまま馬車の方へ足を踏み出した。小豆色と栗梅の馬がこちらを見るが、興味なさげに再び前を向いた。そっと荷車のようなものに降ろされると硬そうな見た目に反して中にはクッションが敷き詰められていた。これで長時間乗っていても体が痛む事はないだろう。問題があるとすれば睡魔に襲われないかという事のみだ。


 私が乗り込んだ隣に黎翔も乗り込んでくる。


「準備は済んだ。出してくれ」


 馬車の後ろの荷車に私たちが乗り込んだが、この荷車にはあと5、6人は乗れそうだ。だが、どうやってもこの場の全員は乗れそうにない。どのようにして全員を連れて行くのかと疑問に思ったが、私と黎翔しか乗る雰囲気がなく、そのまま黎翔は馬車の出発を促した。


「え、皆は?」

「後ろから付いてくる」

「え?」


 黎翔の言葉で後ろを振り返ると、霙と白鴎を筆頭にして逆三角形のように並び歩きながら私たちの後をついてきた。


「歩くの?」

「心配ない。馬車もそこまでのスピードで出る訳ではない。何より護衛が今の彼らの仕事だ」

「ふぅん」

 

 仕事と言われてしまうと、一緒に乗ろうなどという声かけが出来ない。私が親切心を発揮したとしても彼らにとっては迷惑となってしまうだろう。そう感じたため後ろは向かず前を向いて景色を楽しむ事にする。

 

「これから中央広場という所まで馬車で行き、鐘を鳴らして戻って来る」

「鐘?」

「聖女の訪れを知らせる鐘だ。国中に鳴り響く」


 鐘の音と聞いて、ふと今朝目覚めの瞬間に聞いたあの鐘の音を思い出した。


「行路、帰路ともに多くの民が待ち構えていると思うが、まあ頑張れ」


 黎翔の言葉はどこか投げやりだが事前に心構えをさせてくれた事に対して感謝を覚えるべきだろうか。

 大理石の床は気がつけば白茶の石畳へと姿を変え、ガラガラと音を立てながら進んだ。城から街へは少し時間がかかるのか、それとも馬車がゆっくりだからそう感じるのか。少なくとも自動車を知っている身としては、人の歩くスピードまで速度を落とした馬車は遅いと言わざるを得ないだろう。


 まるで大名行列だ。大名は人前ではゆっくり進んでいたけれども、誰もいない時には時間短縮のために走っていたという説もあった。しかしながら、今回の行列は走り出す気配もない。大名のように数日、数年をかけて行うものでもないから、当然と言えよう。

 正直心配はしていないが、自分と置き換えた時に息が苦しくなった為、後ろを向いて問いかけた。

  

「みんな、疲れない?」 

「心配ない。普段の歩く速度よりも幾分遅い」

「そっか」


 皆が私の後ろを歩く事を少し寂しく感じるが今は仕方がない事なのだろう。


 それからの私は周りの景色を見て過ごす事にしたが、正直見ているだけで全く飽きなかった。

 

「あれ何?! 水がぶわーって!」

「噴水だ」

「噴水!」

「じゃああれは! あの大っきい翼!」

「あれは木と葉で出来たオブジェだ」


 煤竹色のベンチ。藤紫の花。鳥の子色の家。薄香の柱。山鳩色の鳥。そして、梔子色のドレスを着た大きな木。

 この白い世界はたくさんの色で溢れている。

 



 


 

 私はこの世界に来てから何かを「煩い」と感じた事が無い。しかしながら、徐々に近づいてくる騒音をどう紛らわせばよいのか分からない。先程まで静かだった行路は、気がつけば大きな声が聞こえ始めた。


 身近で感じる大きなざわめきに不思議と恐怖を感じた。


「な、なに?」


 騒音の正体が分からず隣の黎翔の服をぎゅっと握る。少し皺の寄った服に申し訳なさを感じるが、それよりもこの恐怖の行き場が分からない。


「問題ない。民が聖女を歓迎している声だ。多少賑やかでも許してやれ」

 

 この大きな音が人の声だという事に心底驚く。これが人の声だとすると、この声の主たちは恐らくもう近くまで来ているのだろう。そう思い、深く腰掛けていたクッションから腰を浮かせる。先ほどよりもよく景色が見えるようになった所で、白い塊が目に付く。その白い塊は、いくつもの小さな塊が集まって大きな塊を形成している。ヴェールを被っているせいで、先程から視界が定まらない。


「もしかして……」


 先ほどまで何も感じなかった白い塊は白茶の石畳と色がよく似ておりさして重要だと思わなかった。よく見るとそれらは一つ一つに意志が宿りまるで人のように動いている。


「あれって」


 今まで壁だと思い込んでいたそれらは、どうやらこの国の民らしい。まだ少し距離があるとは言え、決して遠いとは言えない。人だと分かると一瞬で恐怖を土の底で眠らせた。


「聖女様ー!」

「聖女様よ! いらっしゃい、聖女様!」

「アンタのお陰で生活が随分と楽になったよ、ありがとう!」

「聖女様万歳!」

「今度うちの店にも遊びに来てよ!」

「バカ言え! 聖女様、来るならうちの店のほうがいいですよ!」

「おい、てめぇ!」

「これからもよろしく頼むよ!」


 騒音だと思っていたものは一つ一つ意志のある温かくて大きな声だった。自分の声を届かせようと皆が声を張り上げているのが分かる。

 思わず笑ってしまうような会話も、私を受け入れてくれる優しい声も、全部届いた。中には私の存在が気にいらない人もいるだろう。それでも、温かな声の方がよく届く。白一色という個性が失われたこの空間には多色の色が溢れていた。


「この世界には、たくさんの色があるんだね」

 

 私は、今まで理解しているつもりでも、不十分だった。今まで知らなかった色がこの世界には溢れている。

 

「私も――」


 この世界で生きていく。


「いろんな色を作っていきたい」


 皆と一緒に。




 


 馬車はゆっくりと歩き出す。時折焦れたように馬が駆け出そうとするが、黎翔の睨みで元の速度に戻る。民は相変わらず大きな声で叫び続け、その3割も内容を聞き取る事が出来ない。けれどもその多くは負の感情ではない事に安心感を覚える。

 荷車から顔を出し、手を振り、時には声をもって民の声に応える。ふと後ろを振り向くと霙達が民から何かを受け取っている。箱だったり袋だったり。一体中身は何だろうかと気になるが今荷車を降りてそちらの方に歩いて行けるほど私の神経は図太くない。まさか金銭のやり取りをしている訳ではなかろうかという不安も出てくるが、私がとやかく言ったとしても特に意味はないだろう。


 そんな事を繰り返しながら進んでいくと、明るい空気がより一層明るくなったように感じた。他の表現をするならば空気が澄んだと言うべきだろうか。


「黎翔様……」

「着いた」


 疑問を黎翔にぶつけようとした所黎翔の声に遮られた。


「ついた?」

 

 黎翔の言葉を繰り返し、もう一度荷車を乗り出して前を見ると高い所に大きな鐘がそびえ立っていた。鉛白の鐘に乳白色の翼が付いている。私の身長よりもはるかに大きな鐘だった。家よりも高い所にそびえ立つ鐘は鳴らせば街中に音が響き渡るだろう。 


「……」

 

 不安から黎翔の手を強く握る。こんなに大きな鐘を私の力で鳴らす事が出来るのだろうか。


「問題ない」


 黎翔はいつもの言葉で私をなだめ、抱き上げて荷車から降ろした。視界がさらに低くなり、鐘の位置も一層高くなる。

 鐘の元へ歩いていくと、先程までに賑やかだった民たちは静まり返り、代わりのように鋭い視線が四方から飛び交う。その視線に悪意は感じないが、期待の重圧に押しつぶされそうだ。ぞろぞろと民も遠くから鐘を囲うように集まってきているのが分かる。恐らく先程バルコニーから見下ろした人よりも多くが集まっているのだろう。ヴェールがあって良かったと感じる。

 先ほど感じた不思議な感覚が肌を突き刺す。鐘に吸い込まれていきそうな感覚に恐ろしさは感じない。

 まるで、私の訪れを祝福しているかのような見えない光を放つ。私が鐘へと足を踏み出すと、まるで鐘を囲うように霙達は立つ。


「今、」


 黎翔の声が聞こえたが、自分でも無意識に歩き始めた足を止めるすべを持たない。


「浄化の鐘を鳴らす時」


 遂に鐘の下まで来てしまった。鐘から垂れ下がる紐は何処か古めかしく、それでいて新しい。色一つでこうも印象は変わるものなのか。

 霙、白鴎を筆頭に、皆が膝を付く。それは民も同様だった。そして黎翔すらも。その中で一人立つ私は周りが気にならないほど鐘に視線を奪われる。

  

「聖女の誕生を」


 鐘が私に話しかける。


 鳴らせと―― 

 

「ここに祝福を」

 

 強い力等必要無い。ただ、祈りを込めて紐に触れるだけで十分だった。

 




 カーン カーン カーン




 

 大きな鐘の音が数回に分けて鳴り響く。鐘の音以外の音がすべて消えた。今まで透明のように感じていた空気は、白を纏い街中、いや、国中へと飛び交う。

 まるで蛇亀のようにゆったりと。虎のように勇ましく。鳥のように軽やかに。龍のように雄大に。四方に流れてゆく白は人々に何をもたらすのか。




  


 暫くは誰も声を発さず、顔すら上げようとしなかった。しかし、鼻をすする声だけが、耳に届いた。 


 


 




 




 



 私の周りにいるものの足取りが軽い事とは正反対に、私の帰路は足が重かった。疲れでも出たのだろうか。相変わらず民は有難いほどの歓声を上げてくれている。行路と同じか、それ以上の歓声は少しずつ私の身に染み込んでいく。

  

 歩みを進めていくたびに、どうしても違和感が拭いきれない。周りを見渡しそこで漸く気づいた事が一つ。男性、女性、老人。それらがいる中で子どもという人種が全く見受けられない。

 

「ちっちゃい子、いないの?」

「ああ、そうだな。子どもは少ないからな」


 子どもが少ないという言葉を聞き、反対に大人が大勢いた事を思い出す。久しく耳から遠ざかっていた少子高齢化という言葉が口から零れそうになる。


「なんで?」

「我が種族は寿命は長いし、女性も少ないからな」

 

 再び、日本で問題になっていた少子高齢化という言葉が口から出そうになる。女性が少ないという事はつまり子どもを産む人間が少なくなっているという事だ。この先の未来など、容易く想像出来る。


「聖女様と遊べる友だちでもいればよかったんだけどね」

「……」


 それに関しては元年齢15歳の身からすると何も言えない。本当の子どもなど、相手の仕方が分からない為、寧ろ避けたい。


 行路ではよく響いていた馬車のガラガラという音も今となっては聞こえない。もし声を色に例えると何色になるだろうか。優しい声は蒲公英色。冷たい声は鉄納戸。怒りの声は濡羽色。喜ぶ声は撫子色。人によって違う。今までだって悲しい色の怒りを見てきた。きっと、全てのものに色がある。感情にも、言葉にも、……命にも。


「聖女様、持って行ってよ!」


 突如透き通る声が、私を呼び止めた。

 横幅の広い女の人が私に小さな花束を差し出した。受け取って良いか分からなかったが黎翔の頷きを確認し、女性から花束を受け取る。


「ありがとぉ」

 

 若草色の葉に卯の花色の小ぶりの花が下を向いて頬を膨らませている。


「かわいいね。何のお花?」


 彼女は何故、この花束を差し出したのだろう。

 

「これはねぇ、鈴蘭ってんだよ。本当はねもうちょっと後に咲く花なんだけど聖女様の訪れを感じたのかこの花たちも一斉に花をつけだしてね。幸福、希望って意味だよ。聖女様がウチらの事を守ってくれるんだろう。ならウチらだってアンタの幸せくらい祈らせてくれよ」


 何の敬いもない言葉だった。彼女は私を聖女として見ているけれど、ただの小娘としても見ている。それを聞いた時、空は勿忘草色に輝いた。


「ありがとう」


 受け取った時同様の感謝の言葉をもう一度口にする。穏やかな優しい笑みが私に向けられていた。




 




 


「お疲れ様」


 無事に帰ってきた私は、すっかりと疲れ切っていた。何をしたという訳ではないけれど、人前に出るという緊張感が疲労につながったのだろう。彩月が作ってくれた服を汚してしまう事を危惧していたが、綺麗な状態のままである。出来る事ならばこの綺麗な洋服を脱いで布団に寝転んでしまいたい。


「この後は何だっけ?」

「この後は食事会だよ」

「ごはん!」


 食事という言葉にすっかり限界が来ていた腹が鳴り響く。


「お腹空いた……」

「もう食事会だ」


 食事会と聞き、ここにいない人物を思い浮かべる。

 

「そういえば緑弥さんは?」

「食事会の準備だ」


 ああ、そうか。ずっと一緒にいてくれたから忘れかけていたが、緑弥は料理人である。この後の食事会の一番の重役と言っても過言ではない。食事会とは一体どのようなものだろうか。理想としては、普段のような気兼ねのない食事会を希望するのだが。しかし、今回ばかりはそうも言ってはいられないだろう。


 食事会に思いを馳せたからか、再びお腹の音が鳴り響く。しかしながら、食事まではまだ時間がある。


「あ、あめちゃん食べたい」


 朝に食べたあの金平糖という名前の飴が忘れられない。黎翔が持っている事を知っているため、黎翔のポケットを眺める。

 

「もう食べただろう」

「でもお腹すいたの!」


 あのカラフルな星は前に食べた丸い飴とは異なり、色によって味が変わったりしない。それでも星という形に引き寄せられる。


「1つだけな」


 黎翔はため息をついてポケットから金平糖を取り出す。

  

「やだ、15個! 15歳だから!」

「どういう理論だ」


 1つしかないのならば、あっという間に食べ終わってしまう。


「疲れたの! 甘いもの食べたら元気になるの!」


 この理由ならさすがに納得してくれるだろうと思うが、今度は績が口を挟んだ。 

 

「虫歯になりますよ」

「虫歯って?」

「歯が黒くなって、溶けて無くなる事ですね」

「ひぇ」

 

 あの白い歯が、どういう原理か黒くなり、溶けて無くなる。想像もつかないそれに足の爪先から頭の天辺までもが震え上がる。

  

「端折りすぎだ」


 恐ろしい創造に飴を食べる気力が一気に失せた。


「やっぱり食べない」

「数個なら問題ないよ?」


 医者である績が言うのだから、いくら白鴎に擁護されたからと言って、はいそうですかと飴を食べる事は出来ない。

  

「飴って怖い食べ物だったんだね」

「そうですよ。だから、何事も食べ過ぎは良くないですね」

「何事も食べ過ぎがダメって事は、ご飯とかも食べ過ぎたらダメ?」

「確かに同じ物ばかりを食べ過ぎるのは良くないですね。特に甘いものだけたくさん食べるのは良くないです。しかし聖女様は野菜もきちんと食べていますし、そこまで心配する必要はないと思いますよ」

「甘いのはちょっとならいいの?」

「ええ」


 績がから許可を得られたとはいえ、普段食べない身からすると、小さな金平糖を15個食べる事は多いか少ないか、判断が難しい。

  

「じゃあ、飴15個は?」

「多いですね」

「……何個ならいい?」

「そうですね……。5個でしょうか」

「……」 


 5個という少ない数字に落胆すればよいのか、それもと今朝食べたにも関わらず追加で食べられる事に喜びを見い出せばよいのか。


 績から許可が得られた事で踏ん切りがついたのか、黎翔はポケットから金平糖を取り出すと、それを一つわたしの口へ放り込んだ。


「あまい」


 口の中でコロりと金平糖を転がすと、今まで感じた事の無い「幸せの味」がした。直ぐに噛まずに大切に味わおう。尖った部分が口の中に当たる事に不快感は感じない。


 唯一気になるとすれば、私は一体何色の金平糖を食べているのだろうかという事だ。黎翔に聞くと「知らん。適当に入れた」と判断がつかなかった。口から出して確かめる事は簡単だが、どうにも行儀が良いとは言えない。


 砂糖の甘い味だ。黎翔はおいしい飴をくれた為、悪戯は出来ない。


「では、行ってきます」

「え?」


 績は黎翔にそう声をかけ、部屋を退出しようとする。そして、それに続くようにして彩月が歩みを進める。

 

「どこいくの?」

「挨拶に」

「ふぅん……」


 挨拶という事は、外部から人が来るという事だ。外部から人が来るだけならば私には関係ない為、全く問題ないが、『今』から来るという事は、間違いなく食事会のお客様だ。また人に会うのか。そう考えると食事会も億劫になる。

 

「……」


 けれども、その億劫さは以前ほど酷くはない。苦手意識が九割、食事へのワクワク感が一割といった所だろうか。


「人はたくさん来るの?」

「そうですね、なにせ、今回は、聖女様のお披露目も兼ねていますので、多いと思いますよ」

「そっか……」


 少しだけ聞いた事を後悔した。しかしながら、心構えが出来ていない状態で多くの人の前に出る事と比べたら、いくらか気分も晴れる。

 

「行ってらっしゃい」

「行ってきます」


 この部屋に残されたのは、黎翔、霙、白鴎だ。この三人こそ会場に行っておかなければならないのではないかと感じるが、全くと言って良いほど、動き出す気配がない。


「みんなは行かないの?」

「私達は、聖女様と一緒に行く」


 私はこういう場合の正解が全く分からない為、ただそういうものかと納得する。偉い人ほど遅れて登場するというものだろうか。


「お客さんは誰が来るの?」

「簡単に言うと、この国の偉い人。でも聖女様の方が偉いから、気負う必要はないよ」

「……」


 いくら私が偉いとは言っても、数週間前までは一般人だったため、偉い人などとは縁がなかった。

  

「ご飯はまだ?」

「……まだだ」

「……飴たべる」

「まだ食うのか」

「だってまだ5個食べてない」


 溜息を着いた黎翔はまた飴を口の中へ放り込む。また何色の飴を食べたのか分からなかった。味はやはり、砂糖の味だ。


「……そこまで腹が空くのも珍しいな」


 黎翔が驚いたように、私を見るがこれは皆に責任があると言えるだろう。なぜかというと、ここにきてからというもの、私は毎日美味しいご飯を食べる事が出来ている。要するにご飯を食べる習慣がついた。それまでは、数日くらい食べなくても普通に過ごせていたというのに。加えて、今日はまだご飯を食べていない。身体精神共に幼くなってしまったのも要因だろう。


「……お腹空くのはダメな事?」

「いや、健康的で良い。たが今は料理人たちが皆出払っている為、軽食を出す事も出来ない」


 私の空腹発言に対して皆が困った顔をしていたが、納得した。彼らは迷惑に感じていたのではなく、実際に私に軽食を出す事が出来ず、困っていたのだろう。

 彼らにもどうしようもない事であるため、私がこれ以上、彼らを、困らせるのは良くない。


「あっ、でも……」

「どうした」

「……喉乾いた。お水飲みたい」


 これくらいなら許されるのではないだろうか。何せ、朝から何も飲んでいないのだ。いくら涼しい天候だとは言っても、水分を体に入れないと倒れそうだ。


「すぐに持ってくる」


 どうやら飲み物は大丈夫なようだ。霙はそそくさと部屋を出ていった。客観的に見て、大人を言葉一つで動かすのは贅沢がすぎる。


「そういえば、さっき偉い人って言ってたけど、どんな人が来るの?」

「貴族が沢山。貴族って言うのは、…………うん。まぁ、聖女様や陛下よりは偉くない人」


 白鴎の説明を聞いて、彼が途中で説明を面倒に思い、説明を端折ったのだと察した。彼の面倒臭がりは、正直、嫌いではない。簡潔に言ってくれた方が、分かりやすい。







 

 

 しばらく話をしていると、お盆を持った霙が戻ってきた。 

   

「水を入れようとしたら、これを持たされた」


 お盆の上にあるカップには3つの紅茶と1つの


「ここあ!!」 


 水で十分だったというのに、わざわざ温かい飲み物を入れてくれるとは調理場の人たちは親切がすぎる。ただでさえ今はこの後の食事会の準備で忙しいというのに。 

 カップを手に取るとココア独特の温かな甘さが鼻まで漂ってきた。緊張していたのだろう手が指先まで温まるのを感じた。確証は持てないが入れてくれたのは緑弥である気がする。温かな気持ちが私の心までほぐしていく。


 ゆったりと温かいココアを口に入れると私の中に残ったのは緊張ではなく空腹のみだった。時間をかけて話をしながら温かいココアを飲み終わった頃には十分すぎる時間が経っていた。






 

 


「そろそろ行くぞ」

「はぁい!」


 待ちに待った食事である。元気よく手を上げソファから降りると、すかさず白鴎に抱き上げられる。


「自分で歩けるよ」

「歩いたらお腹減る」 


 白鴎の言葉は簡潔だが、つまりはただでさえ腹が空いている私がさらに空腹にならないように配慮してくれているらしい。


「あと、聖女様のスピードだとたどり着かない」


 配慮もあったかもしれないが、それだけではなかったようだ。寧ろこれは黎翔への配慮だろう。ここまで堂々と足が遅いと言われると怒る気力もわかない。

 


 


 

 部屋を出て鉛白の廊下を歩いていく。このような色の廊下ならば歩いた時に足跡でも着きそうなものだが、それがないという事は掃除の係の人が丁寧に毎日掃除してくれているという事だろう。単純に人通りがない可能性もあるが。乳白色の壁には所々同じ色で花の模様があしらわれている。


「色々な白があるね」


 今まで部屋も廊下も白い色だと思っていたけれどその白にも色々な白があった。そのように感じるという事は私がこの世界の白になれてきたという事だろうか。白鴎の腕の中でその花の模様を1つ2つと数えているうちに大きな扉の前までやってきた。


「大きい扉……」


 私の力では間違いなく開く事は出来ないだろう。真っ白な大きな扉にあしらわれている金色の模様がまるで雲のように見える。


「この扉に描いてある可愛い模様は?」

「これはこの国のシンボル。いわゆる国旗だ」


 この国は空の国だから空を連想するものを国旗として用いているのだろうか。私から見れば雲に見えるが実際何をモチーフにしているのだろうか。それよりもその雲のようなシンボルでさえ綿菓子のように見えてお腹が空いてくるのだから、私の腹は限界に近いのだろう。

   

「ヴェールを被れ」


 先ほどまで前が見づらいという理由で上に上げていたヴェールを黎翔の手によってものに戻された。それと同時に白鴎には床に降ろされてしまう。視界が悪くなり足が地に着いた事で消えたはずの緊張がまた足元から伝わってきた。


 くぅぅぅぅぅ


 伝わっては来たのだが、それらは空腹によりすぐに掻き消された。


「もう少し待て」


 きゅぅぅぅぅ


 黎翔の言葉に口ではなく腹が捨てられた犬のような抗議の返事をする。頼むから大事な場ではならないで欲しいと腹を叩きながらしっかり言い聞かせる。


「聖女様のご入場」


 緊張感のなくなった場に扉の向こうからはっきりと私を呼ぶ声が聞こえた。


「えっと、行くの?」

「ああ」


 どうやって行くのだろうかと疑問に思っているとまるで自動ドアのように扉が勝手に開き出した。魔法か何かと思ったが中から人が扉を開けているようだった。このような重たい扉をたった2人であけるとは、この人たちは何と怪力なのだろうか。 


 黎翔と共に、白と金と光に彩られた広いホールへと足を踏み入れる。会場の横にある階段上のドアから出てすぐに会場を見下ろすと思わず悲鳴が漏れそうになる。それほどの人の多さだった。最初に国民に顔を見せたバルコニーと比べると、見下ろすという点では変わりないが、こちらの会場の方が狭いため、妙に圧迫感がある。

 階段を降りる中で一度も話した事はないけれど、見かけた事はある人達が何人かいたのは雰囲気で分かる。本当に話した事もない見かけただけの人だけれど。

 この白い会場の中で色があるとすれば華やかな料理たちだろう。そう思っていたがこのホールに料理はまだ並んでいない。けれども予想よりも様々な色で溢れていた。ヴェールをかぶっていたため明確には分からないが、紫や赤など様々な髪色が見えた気がした。この国で初めて見た髪色だ。


 それにしても何と良い匂いだろうか。美味しい匂いがここまで漂ってくる。きっと、階段下にある扉の奥には美味しい料理があるのだろう。なりそうなお腹とこぼれそうな涎を必死に抑えるのを黎翔は気づいているだろう。私の手を支えながら階段を共に降りる黎翔と私たちの数歩後ろをゆったりと歩いてくる霙と白鴎。ヴェールをしているためはっきりと確証を持てないが会場の端に毅然と立っている績、彩月。大丈夫だ、知っている人はちゃんと近くにいる。必要以上に緊張する必要もない。


 階段を降り、会場正面やってくると、舞台の上の大きな机に大きな椅子が2つ添えられていた。嫌な予感がしてきた。勘違いでなければその壇上にある椅子は私と黎翔のものだろう。一番目立つ所に席が用意されていた。黎翔に連れられ、その席までやってくると、近くに来てくれた人がそっと机にあるグラスに飲み物を注いでくれた。


 黎翔はそのグラスを持ってまっすぐと立った。私も真似をした方が良いのか分からなかったがグラスを持った所で、黎翔が私を見て頷いたため黎翔と同じようにして立った。このような動きがあるのなら事前に打ち合わせをしておけばよかったと反省する。

 

「忙しい中、よく集まってくれた」


 黎翔に向けていた姿勢をまっすぐと観客の方へ向けると皆は黎翔の方を見ていると思っていたがどうやら私の方を注視しているようで視線を感じた。

 

「皆も存じているだろうがこの度わが空の国は聖女様を迎えた。まだこの国には慣れておらず不安もあろうが、精一杯尽くしてくれている。この国の為に、聖女様の為にともに幸福を祈ろう」


「乾杯」


 天に掲げられたグラスの中身が皆の口に含まれていく。私も皆にならって、グラスを空にしていく。どうやら酒ではなさそうだ。酒なんて飲んだ事はないけれど、独特なアルコール臭は感じられない。なんの味かは分からないが、皆と同じグラスは、私には少し量が多い。少し口に含んで、後は皆と同じ様に残ったグラスを手に持つ。


「心ばかりだが料理も用意している。思う存分に堪能してくれ」


 黎翔のその言葉と共に先ほど私たちが降りてきた階段の下にある扉からたくさんのワゴンが入ってきた。


「ごはん!」


 思わず机に取り出し料理に目が奪われる。所々に置かれている机に並べられていく料理たちは「美味しいよ」「早く食べて」と主張しているようだ。多少はジュースで腹が膨れたとはいえ空腹は変わらない。

 今すぐにでも食べてあげたいのに、ここから走り出して料理の元まで行っても良いのか分からない。そしてここからでは遠すぎて何の料理が運ばれてきているのかも分からない。料理を並べている人の中に緑弥を見つけた。緑弥を見つめていると周りの男性に料理について質問されているようだ。説明をし、それを皿に盛っている。ここからだと食べた男性の反応が見えない為、つまらない。けれどきっと喜んでいる事だろう。

 椅子に座り直して先ほどと同じように会場を見ていると、一人の男性が私たちのいる舞台まで近寄ってきた。この国では見かけない紫色の髪をしている。

 

「久しいな」


 黎翔が声をかけるとその男性はにかっと笑った。


「聖女様にお目にかかれて光栄に存じます」

「え、あ、はい!」


 突然の言葉に吃った言葉しか出ない。中途半端の返事をしたものだから手には余計に笑われてしまった。


「私は、魔の国の国王、宝珠と申します」


 国王という言葉を聞いて真っ先に思い浮かぶのが黎翔だ。黎翔は国王で、国王というのは偉い人の事だ。


「国王って、偉い人だよね?」と念のため隣の黎翔に聞くと頷かれた。


「多少粗相があっても良い。今この場では聖女が一番偉い」


 何度も聞いた私が一番偉いという言葉。それでもやはり自分より年上の男性がいるとそうは思えないのも事実で。そして忘れていないだろう私は人見知りである。


「……」


 緊張と空腹と人見知りが最高値に達し、取り敢えず隣の黎翔の服を掴む。しかしそれだけでは安心出来ず黎翔の膝の上に乗る事にした。もしその行動が良くないのならば黎翔や霙、白鴎が止めるだろうが誰も私の行動を止めなかった為、良いのだろう。彼とは私の代わりに黎翔が話をしてくれている。黎翔の上に乗る事で多少気分も落ち着いた。今日は私の披露会という事なので仕方がないと思うが、先程よりも視線が集まる心地がして居心地は悪い。

 

「!」


 気を抜いて黎翔の膝の上で意識を飛ばしていると、私を抱いたまま黎翔は立ち上がった。急な事に驚くが、落ちないように黎翔の首に捕まっておく。


「どこいくの?」

「会場」


 今いる所も会場だという突っ込みをしようと思ったが、言っても睨まれるだけだと思うのでやめておく。黎翔は私を抱いたまま舞台から降りて皆がいるフロアに降りた。後を霙と白鴎も一緒についてくる。手を振ろうと思うが、既の所で理性を働かせる。黎翔に抱き上げられた時から、黎翔の背後の景色を眺めていた為、どこに向かっているのかは分からないが、時折通り過ぎる料理に目を奪われては遠ざかっていく。


「ちっちゃいなぁ。前に俺の国へ来た聖女様よりも幼い」


 黎翔が止まったかと思えば、黎翔の正面、私の背後から声がかかった。その声は先ほど私に挨拶をしてくれた宝珠の声だ。先程とは変わって砕けた話し方なのは黎翔の許可を得られたからか、それが彼の素なのか。正面を見ると紫髪の彼が目の前にいて私の顔を覗き込んでいた。ヴェールがあったからこそ、互いの顔がぼやけているが、無ければ今頃叫んでいただろう。それよりも、彼の口から気になる言葉が漏れた。


「……前にも、聖女がいたの?」

「!」


 私が話しだした事に驚いたのか目を見張り、息を呑んだ。


「……ああ、いた。国を救ってくれたんだ」

「今、何処にいるの?」

「分からない。数日しかなくて、国を救って、帰っていった」

「何処に帰ったの?」

「……彼女が望んだ場所に帰れていたらと思うよ」


 私は少し怖くなってしまった。突然元の世界に帰る日が来るのだろうか。ここでの出会いや思い出を振り返ると、とても恐ろしい事のように思えた。


「あら、黎翔ちゃん、いつの間にそんな可愛い子産んだの?」

「その呼び方をやめろ。そして産んでない。聖女と紹介しただろう。これだからお前を呼びたくなかったんだ」

「もう、冗談よぉ」


 「黎翔ちゃん」という言葉を聞き、黎翔の眉が寄ってるのに気がついた。と同時にこの世界では聞きなれない高い声に振り向いてしまった。


「きれい」


 目の前の人を見つめて思わず手を伸ばしそうになった。


「あら、綺麗だなんて、聖女様は見る目あるわねぇ。ありがとう」


 この世界で初めて見る女性だった。緑色の流れるような長髪はまるで妖精か森の神のようだった。その美しさに思わずため息がこぼれそうになった。


「あら、自己紹介を忘れていたわ。わたくしは地の国の女王、神羅よ。宜しくね、可愛い子」

「女王さま……」 


 確か女王というのは国王に匹敵する立場だったはずだ。つまりこの場にはその国王という立場のものが3人もいる事になる。偉い人に囲まれて目眩でも起こしそうだ。


「神羅、黎翔で遊んでやるな」

「くだらん事で時間を潰すな」


 またしても新しい声に私の思考は潰された。振り返ると今度は青い髪の男性と赤い髪の男性だ。


「お初にお目にかかります」


 突然話しかけられた事に驚いて、上手に挨拶が出来なかった。おまけに目の前の人の自己紹介も全く耳に入ってこなかった。けれども名前くらいは聞いておかないと失礼に当たると思い必死に意識をつなぎとめる。


「水の国の国王、永麗と申します」 

 

 必死で名前を覚えている私の目の前に、炎のような赤が飛び込み、一瞬炎が動いているのだろうかと勘違いし、後ろに飛びのきそうになった。

 

「お初にお目にかかります。私は太陽の国の国王、炎藤と申します」


 私を囲っている人たちが全員国の王ときた。まるで圧迫面接のように私に襲いかかる試練だ。


「あらあらぁ、怖い男に囲まれて怖がってるわよぉ。宝珠ちゃんはともかく、皆顔怖ぁい」


 口に手を当て毒を吐く神羅は怖い物知らずで、宝珠以外の睨みをものともしない。


「……聖女よ、崇拝の目で神羅を見ているが、このようになるでないぞ」


 炎藤は額に手を当て呆れたように息を吐く。


「炎藤ちゃんたら、失礼しちゃうわ」


 怒り出す彼女も美しい。私が彼女のようになるには、あと何十年の時が必要なのだろうか。少なくとも現段階でこの人たちを手玉に取れるような気はしない。今まで私の身近にいた霙たちも美しいと感じていたが、神羅と比べると彼らはそれでも男性だったのだと認識する。


「他にも聖女様に挨拶したがってる子がいるから、私達はこれで失礼するわね。はいこれ、プレゼント」

「ここでの扱いが嫌になったらいつでも水の国にいらっしゃい。こちらは贈り物ですよ」 

「聖女様、また会おうな。会えてよかった。これ、プレゼントね」

「我が国にも聖女様がおられる。機会があれば是非遊びに来い。こちらからも今度聖女をつれて遊びに行く。これは贈り物だ」

「えっ、あっ」


 王たちは自由に言葉を放ち、そして、私に贈り物を預け、去っていった。きっと国王とは自由な人という意味もあるのだろうと思わず遠い目をしてしまった。隣の黎翔も「騒々しい」と眉を寄せながら呟く。しかしながら迷惑そうな言葉とは裏腹に少しだけ楽しそうな雰囲気もある為、親しい間柄なのだろう。


「これ、本当にもらっても大丈夫?」


 手の中にある中身の分からない4つの贈り物を眺め、黎翔に問いかける。


「問題ない、もらっておけ。突き返す方が失礼に当たる」


 そういうものなのか。贈り物を霙達に預ける。後ほど部屋に持って行ってくれるようで、部屋に戻ってからの楽しみが増えた。


 先ほどまで座っていた場所に黎翔と共に戻ると、椅子に座れた事になぜか少しほっとしてしまう。

 緊張しながら前を向いていると、目の前に、音もなく、スープが置かれる。その料理を置いた人物を目にすると、見知った人物である事に緊張もほぐれる。

 

「緑弥さんだ!」

「よっ! 楽しんでるか? 飯だぞ」


 緑弥さんは神か何かだろうか。両手を合わせて緑弥を拝む。


「何で俺拝まれてんの?」

「食事を持ってきたからだろう」


 その通りだ。


「今日のご飯はなぁに?」

「ふっ、そういう風に聞かれると、ここはパーティー会場じゃなくて家みたいだな」

「?」

「いや何でもない。今日の晩御飯はニンジンスープだ」

「ニンジン!」


 聞こえた言葉が嬉しくて緑弥が言い終わる前に叫んでしまう。その叫んだ私の声は予想よりも大きく私の好物がニンジンである事が知れ渡ってしまった。そして会場の所々から笑い声が漏れるのだからいたたまれない。

  

「いただきまぁ」

「聖女様」

「!」

  

 漸く食事にたどり着けたかというと、そうでもない。国王が挨拶をし終わったものだから我先にと、この国の人であろう男性が次から次へと押し寄せてくる。

 食べようとしたスプーンを止め目の前の人を眺める。この国の皆は白髪で金眼だからか、これといって特徴がなく顔だけを見て覚えられる気が全くもってしない。元より、私は人の顔覚えるのがあまり得意ではない。


「お初にお目にかかります。私は――――」

「は、はじめまして!」

 

 挨拶をされたのだからそれを無視して食べ続ける度胸は私にはない。目の前のスープはまだ冷えてはいないだろうが悲しそうな目で私を見つめている気がする。

  


 


 窓の方を見ると、夜も更け雌黄の細い三日月がニヤリと笑っていた。

 

「お月様美味しそう……」


 まるで三日月型のオムライスのようだ。美味しそうだと見つめていると、握りしめていた手の力が緩みスプーンが床に落ちてしまった。気の所為でなければ、窓ガラスに数粒の雫が打ち付けられたように見えた。

  

 そして遂に限界が来てしまった。

   

「ごはん……」


 ポロリと涙がこぼれる。隣に座っている黎翔は目を見開き、叫んだ。


「誰か、食事と新しいスプーンをもて」

 

 大声を出した黎翔に驚くが内容が私の食事を持ってくる事である為、問題はない。すぐに男性が新しいスプーンを持ってきてくれ、緑弥が食事を持ってきてくれた。目の前に置かれたサラダには見覚えのある食材が使われていた。

  

「これ知ってる! アドガボ!」

「惜しい。アボカドだ」


 自信満々で答えたにも関わらず間違えた事に羞恥を抱く。


「後はカボチャとゴーヤのチャンプルー、ハンバーグのデミグラスソースがけ、あとは――――」

 

 緑弥が次々と料理の説明をしながら、私の目の前に1つのプレートを置く。まるでお子様ランチのようなそれは食べる意欲しか刺激しない。

  

「今はカボチャが旬だからな。うまいぞ」


 緑弥が作ったもので美味しくないものはない。そもそも好きではないトマトはどうやっても食べられないのだが。そこでハッとしてプレートを覗くもトマトが入っている様子がなく安堵の息を吐く。


「食べてもいい?」


 散々お預けにされたのだから、今度こそ食べて良いかと念押しで聞く。


「ああ、食え」


 黎翔の許可も得られた所で新しいスプーンとともに待ち望んでいたニンジンスープへと口をつける。


「!」


 緑弥の料理はいつも美味しい。しかしこれは。


「どうした?」

「この世界には、まだこんなに美味しいものが……!」


 驚愕とはこの事だろう。周りの者は呆れているだろうが、これは私にとっては物凄い感動である。ゆっくりと味わいたいというのに空腹から思わず次々と食事を口に運んでしまう。ニンジンのスープはあっという間に飲み干してしまった。少々いやかなり残念だが次の料理に手をつけようと思う。


「次はアガドボ」

「アボカドだ」

「……」


 私の口から出た単語の方が言いやすいのだから仕方がない。

 

「それにしても、今回の料理は、随分家庭的だな」

「ああ。初めはパーティー料理を考えていたんだが、聖女様が喜ぶのはこういう料理だろ?」

「間違いない」


 黎翔と緑弥の会話も耳に入らないほど食べるのに夢中になっていた私は、再び招待客が近寄ってきた事に気が付かなかった。


「お初にお目にかかります」

「!」


 いきなり話しかけられ、喉に詰まる思いだったが、耐える。慌ててフォークを置くが、「食べながらでよろしいですよ」と言われる。けれども先ほど言ったように挨拶をしてくれている招待客を無視して食べ続ける事は私には出来ない。


 小腹は満たせたし挨拶が終わった後に食べる為、問題ないと伝えようと口を開いた所にハンバーグが放り込まれる。


「んむ?!」

「言葉に甘え、聖女様は食事を続けさせてもらう」

「是非」


 その後も招待客はひっきりなしにやってきたが、皆食事を続けて良いと言ってくれた為、黎翔は私の口に料理を放り続けた。


「?!」


 美味しく食べていた所に、正体不明の苦味が放り込まれた。私の眉間に皺が寄った事に気がついた黎翔が「どうした」と尋ねる。


「お口の中が苦いの」

「ああ、ゴーヤか」


 ゴーヤという名に聞き覚えがある。先程緑弥が説明してくれていた。


「苦手か?」


 苦手かどうかは分からないが、先ほどは正体が分からなかったため、不安感を感じた。今は正体が分かってるのだから、食べられると思う。食感も嫌いではない。


「食べたい」


 黎翔は再び私の口の中にゴーヤを入れる。ゆっくり味わって噛むと独特な苦味が口の中に広がるが、この苦みが美味しいかと聞かれたら美味しいかもしれない。後は緑弥が作ったという絶対的な信頼感がある。

 

「腹は膨れたか?」  

「……まだ」

 

 睡魔に負けそうになりながらも、腹はまだ膨れてはいない。腹6分目という所だろうか。せめて8はいきたい。段々と視界も閉じてくる。


「……あとは、…………ぁんばあ」

「ハンバーグだな」

「ぶろょぉ」

「ほら、ブロッコリーだ」

「……」

「カボチャだな」


 最後に関しては何故分かったのか分からないが、それを食べ終えた頃には腹も膨れた。そして私はとうとう眠りについてしまった。船をこぎながら徐々にまぶたが閉じていく様はまるで天使のようだったとか。そして、食事を甲斐甲斐しく与え続ける黎翔はまるで雛の親のようだったとか。

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