016「それは……、寝すぎましたね?」
ドキリと、体が弾んだ。
この感覚には覚えがある。夢の中で落とし穴に落ちて、現実で飛び起きるのと同じ感覚。
他に例えるとしたら、――――――思い浮かんだ物はあるが、黒歴史と共に思い出されるので言いたくない。
横にいたみーを抱きしめると、怖い気持ちも落ち着いて来た。
「起きたか」
「?!」
誰もいないものだと思っていたから、驚いた。黎翔はベッドに腰掛け、本を読んでいた。今回も何の本を読んでいるか分からないけれど、難しい事だけは分かる。
「おはよぉ」
「ああ。……身体の調子は?」
「元気だよ?」
あぁ、そうか。昨日、夜中に寒い所に行ったから風邪を引いていないか心配をかけたのだろう。昨日は本当に良いものが見られた。あんなに美しい景色は生まれてじめてだと思う。昼間の青空と同じくらい、心が震えた。
この世界ならば、夕方も愛せそうだ。
そういえば、どうやって帰ってきたのだろうか。綺麗な景色を見て。その後の事を思い出そうにも上手くいかない。
考え事でもしながら歩いて帰ってきたのだと思う。考え事をしていたら時間が過ぎていたなんて、私の中では良くある事だ。
「お前はあの後、立ったまま眠った」
私の検討違いだった様だ。なんて器用なのだろうか。
「そして、それを抱き抱えて連れ帰った訳だが」
「ご迷惑をおかけしました」
そして、と黎翔は話を続けた。
「そこからお前は2日間目を覚まさなかった」
「それは……、寝すぎましたね?」
道理で頭がスッキリとしているはずだ。それだけ眠ったのだから、元気は有り余っている。
「翌日の朝は、……まず起きないだろうと思い寝かせておいたが、昼になっても、夕方になっても起きない。それだけ疲れているのだろうかと思い寝かせるが、夜になっても起きない。もしや風邪かと思い績を呼ぶが、悪い所は見当たらない。呼吸も安定しているようで、見た所ただ眠っているだけだ。一晩様子を見ようという事で翌日を迎えるが、やはり目を覚ます訳でもない。霙と白鴎は守護者としてお前と繋がっているから、大丈夫だと答えるが、心配をしない訳では無い。霙と白鴎も鬱陶しくうろつき、緑弥はお前の鼻にニンジンを近づけるし」
思わず後ろに仰け反りそうだった。黎翔がこんなに沢山喋るのは初めて聞いた。霙と白鴎は鬱陶しいと言われてしまっているし、緑弥には何をしているのだろうかと突っ込みたかった。
けれども。
何より、心配を沢山かけたのだと分かった。
「えっと、ごめんなさい?」
悪い事をした自覚は無いけれど、心配をかけたのだから。
「無事なら良い」
頭を撫でられる感覚が気持ちよくて、目を細める。私が猫ならば、喉を鳴らしていた。犬ならば、しっぽを振っていた。うさぎなら鼻を鳴らしていた。
「体に不調は?」
先程と同じ質問を言葉を変えて行う。
「ないよ」
痛い所も無い、苦しい所も無い。
「私、怪我とか病気はすぐ治るのよ?」
そう言って数日前に転んで怪我をした所を黎翔に見せる。赤みも無くなり、すっかりと元通りだ。もとより今回は寝すぎただけで、怪我でも病気でもないけれど。
ガチャリと扉が開き、入ってきたのは緑弥。
「聖女様が目を覚ましたって?」
美味しそうな匂いと共に緑弥が入ってきた。霙と白鴎も一緒だ。
「よく分かったな」
「霙と白鴎が何かを感じとったからな。丁度飯を作っていたから持ってきた」
くるるぅぅぅぅぅぅ
「聖女様、体調はどう?」
白鴎が私の目をじっと見ながら聞く。
「げんき!」
私がそう言うと霙も安心したように息を吐いた。
きゅぅぅぅぅぅぅ
「大丈夫なら飯にするか」
「ごはん!!」
ぎゅるるるるぅぅ
「それよりもまずは医者の私に知らせるべきでしょう」
ノックも足跡もなしに入ってきたのは績だ。
「良いタイミングで来たな」
黎翔が感心したように績にそう言う。
「普通はまず一緒に知らせるものではないのですか」
「抜け落ちていた」
「全く……」
績は呆れたように息を吐いてから私が眠っているベッドの横に座った。
「体調はどのようですか? 苦しかったり痛い所はありませんか?」
先ほどから何度もされているこの質問に先ほどと同じように答える。
「うん、元気」
強いて言うなら
「お腹空いた……」
「あー、さっきから腹鳴ってたもんな。ほら言っただろう。2日も飯食ってないんだ。飯の匂いで起きるって」
緑弥が私の鼻にニンジンを近づけた理由が少し分かった。ふざけてやった訳ではなさそうだ。緑弥的には眠ったまま食べれらる訳がないと分かってはいるだろうけれど、良い香りで起きたら万々歳という所だったのだろう。
「ほら食え」
緑弥が小さな土鍋を持って近づいてくる。良い匂いがすると同時に、またお腹が一つなる。
「その前に診察ですよ」
績から悪魔の一言が聞こえてきた。
「お腹減らしてる聖女様を我慢させるなんて鬼か」
緑弥がそう言うけれども、診察ならば仕方ない。
なんて、私がそう割り切れるはずもない。私は病院や診察の類が大嫌いだ。診察からなんて逃げたいに決まってる。
「績さん、先にご飯食べてもいい?」
「いけません。すぐに終わりますから、先に見せてください。もし体調に異変があったらどうするのですか」
「元気だもん」
「それを確かめる為の医者です」
そこまで言われてしまうと、私には返す言葉がない。
「じゃあ、ちょっとだけですよ。……本当にちょっとのちょっとだけですよ?」
「はい、直ぐに終わりますから」
「ちょっと」とは一体何分の事なのか、事前にきちんと話し合いをしておくべきだった。
私の腹の虫が十回なった頃漸く食事にたどり着く事が出来た。むしろ、私の腹がなったのに、績は全く取り合ってくれなくて、なんだか涙が出てきそうだった。
ちなみに体調に問題は無かった。
待ちわびていた食事が緑弥の手によって、目の前にやってきた。
「粥だ。すりおろしニンジンも入ってる」
土鍋の蓋を開けた瞬間に心地よい香りが漂ってくる。柔らかそうな米の上には、明るいオレンジ色が輝いている。
「ごはん!」
漸く待ち望んでいた食事が目の前に来たのだから、喜びが隠せない。正直に言うと、もっとしっかり食べたい気分だけれど、緑弥がそれを許してくれそうにない。
「に~んじん」
まずはオレンジ色の宝石をスプーンで掬うと口の中まで持っていく。何も考えずに、口の中に入れたけれど、熱くて舌を火傷する事はなかった。決してぬるくはなっていないのだけれど、熱々すぎず、むしろ食べやすい温度だ。
績は、これを狙って診察をしたのだろうかという思いがよぎるが、それこそまさかだろう。
白くて、橙色のおかゆという宝石をどんどん口の中に詰め込んでいく。取られないと分かってはいるけれど、つい焦って口に入れてしまう。急ぐなと言われるほど急いでしまうのが、人間だ。何に急かされている訳でもなく、ついおかゆが口に入ったまま、次のおかゆを口に詰め込もうとしてしまう。
「誰もとらない。ゆっくり食べな」
「はむ」
ゆっくり食べろと言われてそう出来たら苦労しない。どうしてお粥ってこんなにも美味しいのだろう。優しい味で体だけではなく心も温まっていく。
食べ始めたら腹もう少しずつ満たされ始め心も落ち着いてきた。そしてやっと周りを見渡せるようになった。
「……」
ずっと無言で私を観察し続けている黎翔。観察しているというよりもむしろ思い悩んでいるというような表情だ。
「どうしたの?」
スプーンを握ったまま黎翔に尋ねる。黎翔は眉を寄せ、口を開いたり閉じたりしながらもう一度口をつぐんだ。
黙っていられると逆に気になるというのが人間だ。緑弥も不思議そうに黎翔を見ている。言いたい事を
の披露会は延期しよう」
これだった。
「え」
「は?」
「むりだろ」
「正気か?」
黎翔の言葉を聞いた皆からも心の声が漏れていた。
「いや、無理だろう。国民にも知らせを出しているし貴族への手続きも済ませている。街道も貸し切っているし、何より諸外国に聖女様の発現を知らせなければならない。……国王であるお前がそれを理解していない訳ではないだろう?」
「……分かってはいる」
珍しく黎翔の端切れが悪い。目線をそらしながらつぶやくように言った。
「分かってはいるが、倒れたんだぞ。原因が分かっているならまだしも、何の脈絡もなく急に倒れたんだ。もしまた倒れたらどうする。特に披露会の途中で倒れたら国民の不安を煽る事は間違いない。聖女様自身も次は無事でいられるか分からない」
そういえば私は倒れたのだった。その事すら忘れそうだった。というよりも披露会はもう明日なんだという事に驚いている。心の準備をする時間はもう少しあると感じていたけれど、倒れて寝ている間にもう日にちが近づいてきてしまっていた。明日という事にとてつもない緊張が押し寄せるとともに、何とかなるかという謎の自信も浮かび上がってくる。一応私は子どもであるし、笑って手を振っていればなんとかなるはずだろう。しいて言うならば聖女が子どもという事に国民が不安を感じないかという事だけだ。
黎翔の心配は私がもう一度倒れた時にどうなるかという事だった。その可能性が必ずしもないとは言い切れない。私自身も否定しきれないけれど、今回倒れた原因は決して原因不明なんかではない。ならば原因は何かと聞かれると私には答える事ができないけれど、それでも。
「大丈夫!」
深く沈みかけていた空気を戻すようにあえて大きい声で叫ぶ。
「今は大丈夫!」
「……根拠は」
「えっとね、しんどいとかじゃなくて、教えてくれてたの」
「何を」
「分からないけど、覚えてないけど、たぶん神様がね、色んな事を見せてくれたの」
確証はないし内容も全く何も覚えていないけれど、そんな気がする。きっとこの世界に来た私がこの世界に馴染む事が出来るようにこの世界の事を教えてくれた。私をこの世界に連れてきてくれた神様がきっとこれから私がここで過ごす事が出来るようにしてくれたのだ。
「「……」」
黎翔だけでなく、霙や白鴎、績や緑弥まで意味が分からないというような表情で私の事を見てくる。正直分からない事もない。私も自分で何を言っているのかよく分からない。けれどそうとしか言いようがない。内容を全く覚えていないから、どんな事を教えてもらったのかも分からない。だから説明のしようがない。
「大丈夫」
根拠は全くないけれど自信を持って皆の顔を見ながらそういう。
「それに……」
「まだ何かあるのか」
「この緊張がまた別の日まで持ち越される事になったら私は緊張しすぎて倒れちゃうかも……」
「「…………」」
正直最後の言葉の方が私の本音だったかもしれない。
「まぁ、そうだな……。正直延期は難しい」
「当然だ」
黎翔が冷静になったのか、言葉を放つと、霙がそれに冷静に突っ込んだ。
「延期の理由はそれだけではなかったのだがな……」
息を吐きながらボソッとつぶやく黎翔の言葉が気になった。
「まだ何か理由があるの?」
「本来ならば今日の夕方あたりから街道の警備が始まるから人が一気に減る。もちろん脇には国民が聖女様を見られるように観覧はするが、道の中心には人がいなくなる。当日にいきなり街道を歩く事になると聖女も緊張するだろうと思い、今日の夕方から事前視察をする予定だった」
「行く!」
事前に通る風景を知っておくのと知らないのとでは心構えが全く違う。よし行こう。今すぐ行こう。全ては明日の私のために。と思ったのだけれど黎翔の最後の言葉が気になった。
「……ん? 予定だった?」
「聖女様は2日も眠っていただろう。本来ならばそこで衣装合わせを行う予定だった為、明日は披露会だというのにまだ終わっていない。つまりこれから衣装合わせだ。事前視察ができない」
「な、なんと……?!」
それでは、ぶっつけ本番という事だろうか。
「大丈夫。前にも伝えたけど、手を振るだけでいいから」
白鴎の言葉にも安心できない。何やら台詞を言う必要性も出て来ていた訳でもあるし。
「私から言える事は一つだ」
黎翔がかつてないほど真剣な目で私を見る。
「はぐれるなよ」
人を小さい子ども扱いして。見た目では間違ってないのだけれど少し心外だ。今まで私がはしゃいではぐれたり迷子になるような行動をしたと言う事だろうか。第一、披露会では緊張して迷子になんてなれるはずもないし、そんな度胸もない。
「絶対はぐれない」
ずっと誰かの手を掴んで乗り切ろう。
「久しぶり」
「お、お久しぶりです!」
食事を終えた所に、彩月が大きな箱を持って入ってきた。彩月は私の顔を見て素敵な笑顔でそう言った。そういえば彩月と会うのは久しぶりかもしれない。
「ちょっと、箱がまだあるから手伝って!」
彩月のその声かけで黎翔以外は皆部屋から出て行ってしまった。黎翔は行かなくて良いのかと思うけれど国王は一番偉い人だと言うのだから行かなくてい良いのだろう。寧ろ私の方が手伝いに行くべきかもしれない。手伝いに行く心持ちはあるけれど、行ったとしてもきっと重たい荷物は何も持てないから結局足手まといになるだけだろうとも思う。部屋で黎翔と待っていようと思う。
次々と運び込まれてくる箱達は、大小様々だ。1人で持てるような小さな箱もあれば2人でなければ持てないような大きな箱もある。
「なんだか量が多くないですか?」
明日の衣装だけのはずなのに一体何日分あるのだろうか。箱の中身を見るのが怖い。
「もちろん。衣装は1つじゃないから」
彩月が当然とでも言うように荷物を運び込みながら言った。
「……どうして?」
「街道を通る時に衣装が汚れる可能性だってあるし、どこかに引っ掛けて破れる可能性もある。水がかかる可能性だってあるし、考えたくないけど、衣装自体に何かハプニングがある可能性もある。だからそういう時に着替えは必要になる」
「……………………え?」
いや、理解はできた。出来たのだけれど、受け入れられるかというと全くの別問題だ。
「披露会ってそんなに危険なイベントなの?」
ただ歩くだけだった気がするのに、身近にそんなにたくさんの危険が潜んでいるのか。着替えが必要になるほどの危険があるというのか。
これは延期の方が良かったかもしれない。あわよくば中止でも良い。
「気にするな。奴のは性分……、というよりも職業病だな。いつ何があってもいいように服を用意するのがあいつの仕事らしい。ちなみに披露会は全くもって危険なイベントではない。彩月の例えも起こる可能性の方が低い。というよりまず起こらない」
「備えあれば憂いなしですよ」
「さすがに備えありすぎて憂いありだな」
緑弥が鋭い突っ込みをいれる。私も着替えは一着で良いと思う。というよりも使うかも分からない予備の着替えまで作ってくれていたのか。私が彩月と会う事が出来なかった期間、布や糸と格闘してくれていたのだろう。
彩月の苦労を思うなら衣装が汚れて2着でも3着でも着た方がいいのだろうけれど、せっかく作ってくれたドレスを汚すような行動は出来るならば避けたい。そんな私の葛藤を見破ったのか白鴎が頭を撫でて呟いた。
「大丈夫。衣装はこれから先、着る機会はいくらでもあるから、今回は無理に沢山着なくても良い」
「そ、そっか」
今回無理にたくさん着なくてもいい事を喜べばいいのかまた着る機会が訪れてしまう事を悔めばいいのか分からない。
「いっぱいありがとう」
「どういたしまして」
彩月や霙達が全員でハンガーラックのようなものに衣装をかけていく。改めて見ると多すぎて少し引く。5セットのドレスは全て白色で、見てるだけでも眩しい。これだけの量を数日で作ったというのは本当に意味が分からない。けれどそのドレス一つ一つに彩月の優しさを感じる。私の要望を聞いてくれているようで本当に嬉しい。
「それじゃあサイズ合わせをしますよ」
「……!」
呑気に眺めて喜んでいたけれど、私はこれからこれを全部着てサイズを合わせなければならない。可愛いドレスを着られるのは本当に嬉しい事なのだけれど、このドレス全部を着るなんて今日は夜寝られるかという不安も出てくる。さすがに夜寝れないなんて事になったら明日に響くと思うからないとは思うけれど。
しんどかった訳では無いけれど病み上がりという事で遠慮してくれないだろうか、なんて希望を持ってみるけれど、そうもいかなそうだ。何度も言うけれど決してドレスを着る事が嫌な訳ではない。ただ量があまりにも多くて疲れそうだなというのが不安なだけだ。
「明日に響くといけませんからさっと終わらせますよ」
そう言って彩月はベッドの上に座っていた私の両脇を持ち上げ床に立たせる。気分はもう人形だ。
「はい、それでは着替えますよ。霙、白鴎。今着ている服を脱がせてあげてください」
私が今着ている服はクリーム色のシンプルなワンピース。眠りやすいように誰かが着替えさせてくれたのだろう。だからとても脱ぐのが簡単だ。いつもの条件反射で私が両手を上げると霙と白鴎は私のスカートの裾を持ち脱がせる。
「遠慮がねえな」
緑弥が呆れたように呟くけれど、これがいつもの光景だ。羞恥心なんて最初の方に消え去った。今は下着を着ているからマシな方だ。正直私も今日は霙と白鴎だけではないから緊張するかなと思ったけど、そんな事はなかった。黎翔とは一緒にお風呂に入った仲だし。
「メインの衣装はこれですね」
彩月が最初に差し出したドレスは柔らかいシフォン生地のドレスだ。ローブがまるで羽のように後ろになびいている。髪飾りはドレスと同じ生地が使われている可愛らしいカチューシャだ。
「かわいいね」
「でしょう」
彩月が体の前で広げている衣装は彩月の髪色とよく合っている。そのドレスを身につけた彩月が可愛いだろうと言ったら怒られるだろうか。念のため言うのはやめておこう。きっと私が言った「可愛い」はドレスの事だと思われているからそれで良いのだ。
素敵な衣装を着るために私は両手を上に伸ばす。そうすると上からかぽっと衣装を着られ、すぐに服が着れる仕組みだ。私はこの方法を、ここで過ごした約2週間のうちに身につけた。すごいと褒めるが良い。
「すみません聖女様。今回の衣装は後ろでボタンとリボンで止める仕組みとなっていますので、手は降ろしていただいて大丈夫です」
「なんと」
ドヤ顔をした自分が恥ずかしい。今回に限っては私の身につけた方法が使えないみたいだ。それでは手の位置はどうすればいいのだろう。とりあえず前ならえのように腕を前に突き出してみる。
「腕はそのままお願いします」
これで良かった様だ。それから腹あたりから胸にかけて板のようなものを巻きつけられ、リボンで結ばれた。全然きつくはない為、苦しくはなかった。その後、前からドレスを着て、後ろでボタンを止められた。ちなみにボタンは、沢山あった。私一人では着られないという事が分かった。そしてさらに、ふわりとしたボリュームのあるスカートを履く。
「……袖はあと数ミリ短い方が良いですね。上からこのローブを着てください」
数ミリなんて気にならないし、ローブを着るなら尚更いいのではと思うけれど、彩月さんの真剣な顔を見たら何も言えない。
「明日はヴェールも被りますからね」
「はぁい」
元気よく手を上げたら「動かないで」と言われてしまった。私も袖についてる針が刺さるのは嫌た。私が動きを止めると、細かい所まで服を見ていく。
「今着ているドレスは、大幅に変更しなくても大丈夫そうですね。霙、2着目のドレスを取ってください」
「これか?」
「はい。あとはその靴とリボンがついているバレッタを」
動きを止めるのも疲れ、休憩したいと思っていると、まさかの2着目発言が彩月から漏れた。いや2着目以降も着る事は分かっていたのだけれど、まさか休みなしで行くとは思わなかった。
それからは皆が代わる代わる衣装を持ってきてくれ、脱がされ、着せられ、髪をいじられ、と、なかなか忙しい一日だった。
私は立っていただけだけれど。
「なんか疲れたな」
緑弥が頭の上で腕を組みながら息を吐く。緑弥はここにいなくても良かったのだと思う。私が、緑弥にいて欲しくないという事ではなく、緑弥は料理人だからここにいる必要性がなかった。先日倒れてしまった私を心配していてくれたのだろうと思う。私が衣装を合わせている間、緑弥はずっと私の事を見ていたから。
「緑弥さん、ありがとぉ」
「ん? 暇だったからな」
てくてくと歩いていくと、緑弥にぎゅーっと抱きつく。
「どうした?」
「ありがとぉのぎゅう」
「ほんっと、可愛いなぁ」
緑弥も苦しいほど強く抱きしめてくれた。苦しいほどに温かい。
「所で緑弥」
「ん?」
「明日の準備は?」
「下ごしらえは終わっている。あとは明日調理するだけだ」
「大丈夫なんだろうな」
「ああ、問題ねえよ」
明日の披露会では緑弥のごはんが出る。美味しいニンジンがあると良いのだが。
私の中で明日が披露会がという実感が全くない。この世界の建物を2つしか知らないし、外に出た事があると言ってもこの2つの建物の行き来ぐらいだ。
でも私はこの世界の美しさを少しだけ知った。生きている人の明かりがあると知った。光り輝く星があると知った。優しい人が生きていると知った。私の声を聞いてくれる人がいると知った。
少しだけ知る事が出来たこの世界だから、きっと私はこの世界で生きていく事ができると思う。
「明日は緊張するかもしれませんが、大丈夫ですよ。ここにいる私達は皆、聖女様と一緒にいますから」
「ほんと? 皆いるの?」
「ずっとそばには難しいかもしれませんが、それでも誰かが傍にいます」
「1人にはしないから大丈夫だ」
皆がいてくれて、1人ではないなら大丈夫かもしれない。
「明日は、良い天気だといいな」
「そうですね。その方が空も綺麗ですし、白い翼も良く映えます」
白い翼。私がこの世界に来て初めて見た鳥は真っ白な鳥だった。2回目に見た鳥も。きっと、この国の人が白髪なように鳥も白い鳥が多いのだろう。人の髪と鳥の翼の色に関連性はないとは思うけれど。
「それでは、部屋に戻ろうか」
霙の言葉を仕切りにして、皆が部屋に戻る準備を始めた。
「今日は帰るの?」
「明日は早いからここで休め。他の皆もそうする」
「そうなの?」
「あぁ」
城に皆でお泊まり。普段から部屋は遠いかもしれないが皆と同じ建物で眠っているから気持ち的には差は無い。
「私はどこで寝るの?」
「このままここで寝ろ」
つまり、黎翔と一緒に寝るという事だ。そこまで考えついた所で、ふとある疑問が私の頭の中をよぎった。
「黎翔様、ちゃんと寝たの?」
私が倒れていた間、私は黎翔の布団を占領して眠っていた訳だ。その間、黎翔の事だから、きっと私と一緒には眠っていないだろう。ソファでもどこでも寝てくれていればいいけれど、黎翔の目元を見ると、うっすらと目の下にあるクマを見つけてしまった。
「…………」
黎翔がそっと顔をそらすのが答えという訳だろう。周りを見渡せば、皆の目も少し赤く充血し、目の下にはクマができていた。私は、自分の事ばかりで、全く気づいていなかったけれど、皆、私を心配していた。皆が殆ど寝ずに様子を伺ってくれていたのだろうという事は分かった。
心配してくれた事に対して嬉しい気持ちがある反面、このくすぐったいような気持ちをどう表現していいか分からなかった。心配してくれた事への嬉しさはもちろんあるが、同時に申し訳ないような気持ちも湧いてくる。自分の服の裾を握ってみてもなんだか落ち着かない。
皆の目をみて、漸く実感した感情の処理の仕方が分からない。知らん振りは出来ず、かといって両手を挙げて喜ぶのも不謹慎だ。
「……もう寝ます」
結局表現しきれずに、どんな顔をすれば良いか分からなかったので、眠る事にした。布団を頭から被ると、皆の視界から私の姿が消えるので、少し安心した。
「まて、風呂が先だ」
布団を剥ぎ取って、私よ両脇を掴んで持ち上げるのだから、霙は容赦がないと思う。
「えー」
「明日があるから今日は何が何でも入るぞ」
「えー……」
私の不満なんて誰も気にしない。風呂は嫌いではないのだけれど入るだけでなんだか疲れてしまう。
「それなら私と一緒に入りましょうか」
脇を掴まれている私を霙から受け取ったのは績だ。
「績が入れるのか?」
「ええ。皆さんは明日の準備があるでしょう。私は、今の所、暇……ではないですが、一番時間があるのが、私ですからね」
「私、自分ではいるよ?」
「却下です」
皆が忙しそうだから、風呂ぐらいひとりでするよという私の優しさだったのだけれど、すぐに却下されてしまった。まぁ、無理な事は分かっていたから言ってみただけだけれど。
「なら、今回は、績に頼もう」
績と一緒に風呂に入るのは初めてだから、なんだか緊張する。
――――という事はなく、気持ちの良い入浴時間だった。流石医者と言うべきか、優しい手つきで洗われ、蕩けているうちに終わってしまった。
「この世界には慣れましたか?」
湯船につかりながら績が私に問いかける。
「うん。優しい人達がいっぱいで、楽しいよ」
「そうですか」
「おままごとも、おえかきも、楽しいよ」
おままごとも、お絵描き帳も、「私のもの」
「聖女様がこの世界に来てくれて本当にこの国は明るくなりました」
「そぉなの?」
「ええ。見た目は然程変わらないかもしれませんが、空気がとても軽くなりました」
「……?」
つまり、私がこの世界にした事はさほど影響がなかったという事だろうか。空気が軽くなるだなんて、目に見えない変化だ。績は私がこの世界に来た事への意味を見出そうとしているのかもしれない。
「すみません、難しい話でしたね」
「だいじょぉぶ」
どうせならば、黒い靄がなくなったとか、悪い生き物が出なくなったとか、そういう目に見えた変化が欲しかった。そうであれば私がこの世界へ来た事に意味があったと、両手を上げて喜べるというのに。
「聖女様はこの国、……いえ、この世界で、とても尊い存在です。聖女様が苦しめばこの国が苦しむ。聖女様が喜べばこの国も幸せになる。聖女様はこの国と等しい存在です。それゆえ国と同じように大切にされる存在です。ですから、あなたはあなたが幸せになるためにこの国、人を頼れば良いのです。あなたが幸せになる事を疎む人はこの世界に一人もいません」
績は私を励まそうと、聖女について色々と教えてくれているのだろう。私の役割が「幸せになれば良い」と言われていた理由がやっと分かった。私が苦しめばこの国も不幸になる。私が聖女という存在だから皆が私に優しくしてくれる。この知らない世界で私がもし「聖女」ではなかったら、そう考えると恐ろしくて、温かい湯船の中だというのに芯から体が凍そうだった。
私の体がブルリと震えたのが分かったのか、績は私を抱きしめる。
「正直、あなたが聖女だろうとそうでなかろうと結局は皆どうでもいいのですよ」
績の突き放すような発言に、私は体強張らせる。
「皆ただ、単純にあなたの事が可愛いのです」
「え?」
突き放すような発言とは裏腹に、優しさに溢れた温かい声に耳をすませた。
「行動や発言、何をとってもただ可愛いのです。この世界に子どもが少ないという事もありますが、それを引いても私達はあなたが可愛い。だからあなたはこの世界で思う存分に迷惑をかけてしまえばいいのです」
「迷惑……、かけていいの?」
今まで、「迷惑をかけるな」としか言われてこなかった。こんな優しい言葉を、かけられた事が無かった。
「もちろん」
思わず目から、温かい物が流れそうになったので、急いで手で顔を覆った。
「眠くなってきましたか?」
けれど、そこで返事はしない。返事をすれば、きっとその声は震えてしまうから。きっと績は、そんな事よく分かっていた。
「眠ってしまっても良いですよ。ちゃんとベッドまで連れていきますからね。明日も早いですから。そうそう、明日は――」
それから績は、ゆっくりと呟くように、明日のお話をしてくれた。まるで子守唄のように、それは私の耳によく馴染んだ。
披露会は結構大掛かりな会らしい。私自身は準備にほとんど関わっていないから、どれだけ大変かは分からないけれど、数日で準備をするのは、ものすごく大変だったと思う。
「聖女様は笑顔でいてくれたら良いですからね。それが皆にとっての心の安らぎです」
この世界が暖かすぎて、どうして良いか分からない。私の体を撫でる手も、包み込む腕も、全てが優しい。一抹の不安も、寂しさも、全てを包み込んでくれるようだ。私はいつか、この国の人に安らぎを与えられるのだろうか。
今日も綺麗な星が空の上で輝いていた。




