第7話 オーバーリミット
新宿区魔法省本部ビル。
応接室に通されたのは胸甲――主に胴体を守る鎧を纏った騎士である。
金の髪に赤い瞳。豹のようなしなやかな筋肉。
精悍な顔付きをしたその男からは、百戦錬磨の気配が漂う。
イギリス魔法騎士団、その幹部たるナイツ・オブ・ラウンドの一人、アーサー・ヴィッデアロスだ。
「ようこそ、日本の魔法省へ。魔法先進国のイギリスから、それもあの高名なナイツ・オブ・ラウンドにお会いできて、誠に光栄です」
挨拶をしているのは、白石の元上司、谷口である。
部下への態度とはまるで違い、丁重かつ、へりくだった笑みで彼はアーサーをもてなした。
「私は谷口、魔法官を務めております。我々は是非、魔法騎士団と親密な関係を築きたいと考えております」
少し前までは室長だったが、退職者が多かったこともあり、空いた席を埋める形で谷口は昇進していた。
「なにかご希望があれば、なんなりとお申しつけください」
「白石整主任。彼に会いたい」
開口一番でアーサーはそう口にした。
「しっ、白石整……? あの掃除のおじ……あ、いや……」
谷口は動揺していた。
アーサーが会いたいと言った人物は、つい先日、彼が解雇してしまったからだ。
「そう。ダンジョンの掃除をしていた白石だ。彼は出世したか?」
「ははあ」
谷口はふと気がついた。
アーサーも自分と同じ弱い者をとことん見下す人種なのだと。
となれば、すり寄り方を変えた方がいい。
そう思って、彼はニヤリと笑う。
「アーサーさんも人が悪いですなぁ。あんなおっさん、出世どころか私が直々にクビにしてやりましたよ」
「クビ……? 白石が……?」
信じられないといった風にアーサーは目を丸くし、体を震わせている。
だが、白石はそれに気がつかない。
「ええ。しかし、他にストレス発散の道具が欲しいなら、いくらでも見繕って――」
ダガンッと応接室の机に、アーサーは両の拳を叩きつけていた。
「なんという無能なのだっ、君たちはっ!?」
アーサーは憤怒の形相で言い放った。
「あれほどの人材をクビだと? 信じられんほどの無知蒙昧だ! 君は素人なのか?」
矢継ぎ早に糾弾され、白石は慌てて弁解する。
「い、いえ……なにか勘違いをなさっているようですが、白石にできるのはダンジョンの掃除だけですよ。あれぐらいは浄化銀を使った方が効率が良くてですね……!」
「効率?」
白石は必死に誤解を解こうとしたが、アーサーの方はまるで話にならないといった調子である。
「あの槍捌きを見て、そんな言葉が出てくるとは。どうやら日本というのは相当な魔法後進国のようだ」
完全に見限られた。そんな台詞であった。
侮辱され、谷口は奥歯を噛みしめるように耐えた。
彼のプライドに障ったのだろう。
「……待て」
なにかに思い至ったか、アーサーは危惧するように問うた。
「白石がクビになったということは、ダンジョンはどうなった?」
「だ、ダンジョンというのは?」
「代々木ダンジョンに決まっているっ! あそこは裏がある。呪いがオーバーリミットするぞっ!!」
「う、裏? オーバーリミット?」
初めて聞いた言葉ばかりで、谷口にはまるで事態がつかめなかった。 その時だ。
「た、谷口魔法官っ!!」
部下の一人がドアを開けて、飛び込んできた。
「た、大変ですっ! 代々木ダンジョンがっ!!!」
◇
代々木ダンジョン。
白石が所属していた、追い出し部屋ダンジョンである。
地下1階は、壁や床、天井に至るまで全て漆黒に染まっている。
それは血だ。
モンスターの血が付着し、固まり、そして呪いと化している。
内部には瘴気が漂い、そこにいるだけで人間は力を削られる。
「なん、だ? これは……? ダンジョンの地下1階に呪いが満ちているだと……?」
目の前の光景に半ば呆然としながら、谷口が言葉をこぼす。
考えがたい事態だった。
「モンスターが災厄化しています。いえ……それ以上のなにかが起き、ダンジョンの外へ出ようとしていますっ! 今、かろうじて職員が地下4階で食い止めていますが、徐々に後退を余儀なくされており――」
「馬鹿者どもがっ! なぜそこまで気がつかなかったっ!?」
谷口が部下を怒鳴りつける。
「も、申し訳ございません。真城魔法官や、水家室長補佐など、コアメンバーばかりが同時に離職したため、多くの部署がほぼ業務停止状態だったものでして……!」
「誰が辞めても回るようにするのが組織だろうがっ! 言い訳は聞かんっ! ただちに浄化しろっ!」
「し、しかし……!」
「無駄だよ」
ともに様子を見に来ていたアーサーが言った。
「ダンジョンの中には隠された裏側が存在するものがある。我々はそれをリバースと呼んでいる。リバースは通常よりも、ダンジョンの呪いが堆積しやすい。そして呪いが許容量を超えた時、オーバーリミットが発生するんだ」
「オーバーリミット……それは?」
谷口が聞く。
彼には知らないことばかりだったが、魔法先進国イギリスのナイツ・オブ・ラウンドの言葉なら間違いない。
「モンスターが災厄化を超え、呪詛化する。ほぼ呪いそのものになり果てるんだ。呪詛化したモンスターはダンジョンの外を目指し、あらゆる物を汚染し始める」
「対処はどのようにすればいいのですか?」
「リバースはイギリスでも問題になっていてね。浄化銀は穢れまでなら浄化できるが、呪いになると効果が薄くなる。実質、呪いというのは絶えずこの世に増え続けることになる」
淡々とアーサーは説明する。
「だから、オーバーリミットしたダンジョンは封印するしかない。モンスターが絶対に出てこられないように、東京ドームサイズの分厚いコンクリートで入口を覆い、24時間体制で封印結界を張り続ける」
「そ、それでは莫大なコストが……」
「そう。その問題を解決するために、私は日本にやってきたのだ。呪い自体を掃除することのできる人物を、昔、魔法省のダンジョンで見かけたのを思い出してね。彼がここのリバースの呪いをずっと掃除し続けていたのだろう」
だから、オーバーリミットが食い止められていたということだ。
谷口は青ざめ、脂汗をだらだらと垂らすばかりだった。
「白石にコンタクトをとりなさい。彼にしか、この事態を解決できない。手を一つ誤れば、日本は詰む」
◇
俺たちはギルドの事務所で今回の探索の成果を確認していた。
「有栖川班が回収した魔結晶が3150ギーギル、烏丸班が回収した魔結晶が590ギーギル、白石班が回収した魔結晶が5万ギーギルで、合計5万3740ギーギルになりました」
まとめた報告書を読んでいるのは真城だ。
日本円に換算すると、時期にもよるが、1000万円以上にはなるはずだ。
「ふんふん。白石君、すごいわね。撫でてあげよっか?」
と、優しい声音で有栖川が言う。
「いや。もうおじさんなんで」
俺はそう返すほかない。
「それと、烏丸班は希少な霊銀を1キロ回収しました。これは装備品の作成に使えます」
一度の探索としては成果は上々だ。
毎回、この調子でというわけにはいかないだろうが幸先がいい。
「一つ、いいですか?」
手を挙げたのは蓮司だ。
「そろそろギルドの名称を決めた方がいいのではないですか」
「だそうです、マスター」
当たり前のように真城が俺に振ってきた。
「俺が決めていいのか?」
「はい」
みんなも特に異論はなさそうだ。
特になにも考えていなかったんだが、そうだなぁ。
「急に言われても、なんにも思いつかないなぁ」
ちょうど、その時、インターホンの音が鳴った。
真城がパソコンを操作すると、大型モニタに玄関の様子が映った。
そこにいるのは見知った人物だ。
「……あれー? 谷口室長だー」
水家が言う。
今更、なんの用だ?
「はい」
真城がそう応答する。
「魔法省の谷口だ。実はなぁ、お前たちにとって良い話があるのだが、全員、うちに戻ってきてもらっても構わんぞ?」
「消えてください。永遠に」
まったく取りつく島もなく冷たく言い、彼女は問答無用で通話を切った。




