第5話 血塗られた部屋
渋谷区C級ダンジョン、地下10階。
俺たちは石畳の通路を進んでいた。
扉を発見し、水家がモンスターの待ち伏せを警戒しながら慎重に開く。俺も槍を握る手に力が入ったが、その部屋に敵はいなかった。
しかし、安全なはずのその部屋を見て、水家の表情はますます険しくなっていた。
「……真城先輩、これおかしくない?」
「はい。かなり異常ですね」
まっすぐ進みながらも、真城は簡潔に答えた。
「おかしいっていうのは?」
「白石主任がゴブリンを倒してから、モンスターが一匹も出てないでしょ。地下10階まで下りてこんなことって、普通じゃ考えられないよ」
確かに、それは気になっていた。
余程、人の出入りが激しいダンジョンでもなければ、一階ごとに数回はモンスターに遭遇するといわれている。
「先にダンジョンに潜ってる探索者はいないのか?」
「いません。災厄化したモンスターが確認されていますから、過去一ヶ月間、このダンジョンには誰も入った記録がないです」
「ふつーは、ダンジョンに探索者が入らないとモンスターの数は増えるんだよー」
増えるはずのモンスターが逆に減っている?
二人が言う通り、ダンジョンになにか異変が起きているようだ。
そうだ。
異変と言えば――
「このダンジョンの汚れも少し気になるな」
「……どこがです?」
真城が鋭い視線を飛ばしてくる。
睨まれているような気がして、少し怖い。
「たとえば、この床についているモンスターの血な」
床に付着した血を俺は見た。
普段と同じく固まり、なかなかとれない汚れとなっている。
「出血からいって、たぶんここで致命傷だ。ただその後、奥に向かって血が点々と続いているんだが、出血量が少ない。この出血で動いてるんなら、もっと血がつくはずだ」
「えー、じゃあ違うモンスターの血じゃないのー?」
水家がてんてんと続いてる血をしゃがみ込んでじっと観察している。
うーん、と唸りながら、クビを左右に傾けていた。
「違うモンスターなら血のつき方でわかる。この感じからいって、どちらも付着して二週間ぐらいだから、同じモンスターと考えるべきだ」
「なるほどー」
「それに、点々と続いていた血がここで急に途切れてる。血が止まったみたいだ」
「死んだ後に血が止まったんですか?」
険しい表情で真城は考え込んでいる。
「それ以外に説明がつかない」
だけど、なぜそんなことが起きたのか、というのがわからない。
モンスターが死んだからって、血は止まらない。誰かが止血すれば別だが、そんなことをする意味はない。
「真城先輩、なにかわかるー?」
「今はわかりません。ですが、ダンジョンでの異変には必ず意味があります。注意して進む必要があります」
水家の問いに、真城はそう答えた。
先程よりも、彼女の声には緊迫感があった。
ダンジョンでのキャリアが長い真城でも経験したことの事態が起きているということだ。
俺たちは更にダンジョンの奥深くへ進んでいった。
◇
長い階段を下りていく。
両サイドには手すりも、壁もない。
しかし、薄暗い。
かろうじて見えるのは階段の先に灯ったぼんやりとした光だけだ。
やがて、その光源がはっきりとしてきた。
床一帯に広がる巨大な結晶の集まりである。
「魔結晶だー。すっごく大きいっ! これ、ぜんぶで5万ギーギルぐらいあるよーっ!」
ギーギルは、ダンジョン界隈で使われている通貨だ。
ダンジョンで入手できるギーギル金貨を基軸にしている。
5万ギーギルあれば、日本円に換算しても、かなりの額になるだろう。
興奮した様子で、水家は走っていき、魔結晶の前で跳びはねる。
しかし、俺は反射的に言った。
「水家。少し待て」
彼女は不思議そうにこちらを振り向く。
「なんか変だ」
なぜそう口にしたのかわからない。
しかし、長年ダンジョンを清掃してきた経験が、俺に違和感を突きつけていた。
「灯りをつけます」
真城が魔法陣を描くと、そこから光の球が出現した。
「【光灯】」
光の球が辺りを照らす。
闇の中に隠れていた部屋があらわになった。
黒い。
だだっ広い室内の壁も床も天井もすべて真っ黒に染まっている。
そして、その奥に、巨大な化け物の姿が見えた。
二本の角を生やし、全身の肌は漆黒だ。オーガである。
そいつは右手にゴブリン三匹を握っていた。
「なに……あれ……?」
水家がか細い声をこぼす。
次の瞬間、オーガは右手をぐうっと握りしめる。
ゴブリン三匹が容易く潰れていき、大量の血が床に滴り落ちていく。
血を絞っているのだ。
「……床に、血をつけてるの? オーガが……?」
水家が目を見開く。
瞳の奥には恐怖が見て取れた。
一通り血を絞り終えると、オーガは残った亡骸を放り捨てる。
見れば、室内には大量の骨や、死骸が転がっていた。
「この部屋はモンスターの血で呪いに満ちている……」
つまり、血で真っ黒に染まっているのだ。
すると、オーガがゆっくりと俺たちを振り向いた。
そいつはまるで獲物を見つけたようにニタァと笑うと、手を突き出し、魔法陣を描いた。
床一帯が沼地に変わった。
「【悪地泥沼地】ッ!? なんでオーガが魔法をっ!?」
水家がそう声を上げた瞬間、俺たちの体が足首まで沈み込む。
「水家、気をつけろっ! オーガが消えたっ!!!!」
「下ですっ!」
いち早く、真城が高く飛び上がり、階段の上に乗る。
ぬうっと沼の中から巨大な手が出てきて、水家の体をつかんだ。
「きゃあああぁぁっっ!」
その握力はゴブリン三匹の血を一瞬で絞り出すほどだ。
反射的に俺は槍を突き出していた。
「だあァァァァッ!!」
狙いはオーガの手首。
しかし固い皮膚に阻まれ、槍は刺さらなかった。
沼地からオーガの全身が出てきて、もう片方の手を俺に伸ばす。
「【魔氷貫通矢弾】」
真城が接近しながら、氷の矢を撃ち放つ。
それはオーガの手首に突き刺さり、部分的に凍結させた。
オーガの手から水家がこぼれ落ちる。
更に真城は俺を庇うように目の前に飛び込んできた。
「【魔氷像】」
真城の体が白く凍りつく。
オーガが彼女をわしづかみにすると、その手がみるみる氷に覆われていく。
自らを凍りつかせることで、堅い守りを得て、触れた相手を凍結させる魔法である。
「グオオオオオオオォォォッ!!!」
怒声を発するように咆吼し、オーガは構わず【魔氷像】状態の真城の体をそのまま持ち上げた。
そうして、オーガの体がみるみる沼地に沈んでいく。
一番手強い真城を、そのまま連れ去るつもりか。
「主任」
体を半分沼地に沈ませながら、真城は言った。
「このオーガは、部屋に充満する呪いのせいで、通常の災厄化以上の力を持っています。有栖川さんを呼んできてください。彼女なら、もうダンジョンを攻略して、事務所に戻っているはずです」
オーガの手が完全に沼地に沈み、真城と一緒にいなくなった。
やがて、【悪地泥沼地】の効果も切れ、沼地は元の床に戻る。
床が沼地になっていたことを考えれば、オーガは下の階に移動したはずだ。
「白石主任……」
よろよろと水家が身を起こす。
俺は彼女に駆け寄った。
「水家、大丈夫か?」
「なんとか……もうちょっとでミンチになるところだったよー……」
冗談めかして言っているが、あと少しオーガが手に力を入れていたら危なかっただろう。
「有栖川を呼んでくる時間はあると思うか?」
「真城先輩の【魔氷像】ならかなりの時間耐えられると思うよ。でも、あの魔法を使ってる時は他の魔法が使えないから、体を捕まれてる限りは身動きがとれない」
真城の判断はいつも正しい。
俺は彼女が間違えたところを見たことがない。
自分が持ちこたえられると見込んで、そう言ったのだろう。
だが、嫌な予感がする。
通常、ダンジョンに呪いが満ちると、中にいるモンスターが災厄化する。災厄化したモンスターは強い上に凶暴だ。
しかし、自分で血を絞り、ダンジョンに塗りたくって呪いを更に充満させるモンスターというのは魔法省の記録にもなかった。
それが真城の計算を狂わせるかもしれない。
「水家。すぐに有栖川を呼んできてくれ」
「わかりましたっ! 白石主任は……?」
俺は力強く答えた。
「ここに残る。試してみたいことがあるんだ」
一瞬、迷ったような素振りを見せるも、そんな時間はないとすぐに思い直し、彼女は言った。
「無茶しないでくださいよーっ。すぐに呼んできますからっ!」
水家は階段を駆け上がっていった。




