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第36話 ごめんね、背負わせて

 白い雪が、静かに降り続けている。

 

 けれど。

 燃えていた。

 崩れた家。

 黒い炎。

 血の匂い。

 遠くで、誰かの悲鳴が響いている。


 レオンは、息を呑んだ。


「……これが」


 三百年前。

 魔王災害。


 ルーメリアも、言葉を失っていた。

 あまりにも惨かった。

 

 カイトだけは、何も言わない。

 灰色の瞳で、ただ前を見ている。


 その先。

 崩れた広場の中央に、男女が向かい合っている。


 黒い侵食。

 全身を覆う禍々しい魔力。

 空気が軋む。


 なのに。

 その顔だけは、あの姉のままだった。


「……ノエルさん」


 エリシアが、小さく呟く。

 ノエルは、ゆっくり振り向く。

 黒い侵食は、既に首元まで広がっていた。

 それでも。

 カイトを見た瞬間だけ。

 少しだけ、優しく笑った。


『来ちゃったんだ』


 震える声。

 カイトは、剣を握り締める。

 その手が、震えていた。


「……なんで」


 掠れた声。


「なんでだよ……」


 ノエルは答えない。

 ただ。

 苦しそうに呼吸を乱していた。

 黒い魔力が、周囲を侵食していく。

 地面が黒く染まる。

 雪が溶ける。


『逃げて』


 小さな声。


『もう……近付いちゃ駄目』


「嫌だ」


 即答だった。

 カイトが前へ出る。


「絶対、戻す」


 灰色の瞳が揺れる。


「姉さんを、こんなままにしない」


 ノエルの表情が、僅かに歪む。

 嬉しそうで。

 泣きそうだった。


『……優しいね』


 掠れた声。

 その瞬間。

 黒い侵食が、一気に脈動した。


『壊せ』


『殺せ』


『奪え』


 黒い声。

 ノエルの身体が揺れる。

 咄嗟に自らの腕を抑える。


「っ……ぁ……!」


 苦しそうな呼吸。

 指先が、自分の喉を掴む。


 止めている。

 必死に。

 壊さないように。


 カイトの顔色が変わる。


「姉さん!!」


 ノエルが顔を上げる。

 涙が滲んでいた。


『……もう、駄目みたい』


 その言葉に。

 視界が滲む。


『だから』


 黒い魔力が、さらに膨れ上がる。

 空が軋む。

 世界そのものが、

 壊れ始めていた。


『……やって』


 カイトが剣を握る。

 震える手。

 勇者として。

 魔王を倒さなければならない。

 分かっている。

 これ以上、誰も死なせない為に。

 でも。


「……っ」


 剣が、動かない。

 灰色の瞳が揺れる。

 目の前に居るのは、

 魔王だった。


 なのに。

 姉だった。


『……カイちゃん』


 ノエルが笑う。

 もう。

 半分以上、黒く染まっていた。


『優しいね』


 震える声。


『最後まで』


「やめろ……!」


 掠れた声。

 剣先が震える。


「やめろよ……!」


 声が上手く出なかった。

 ノエルは、そんな弟を見て。

 少しだけ、安心したみたいに笑った。


『ごめんね』


 刃を掴んで。


 一歩。


 ノエルが無理やり前へ出る。

 カイトの瞳が見開かれる。


『背負わせて』


 剣が。

 ノエルの胸を、貫いていた。


 時間が止まる。


 雪が降る。

 赤い血が、白へ滲んでいく。


「――ぁ」


 カイトの手が震える。

 息が出来ない。


 ノエルは、ゆっくりカイトへ寄り掛かった。

 黒い侵食が、少しずつ崩れていく。


『……生きて』


 最後の声。

 ひどく優しかった。

 そして。

 ノエルの身体から、力が抜ける。


「……姉、さん」


 返事は無かった。

 ただ。

 雪だけが、静かに降り続けていた。


 ルーメリアは、声を失っていた。

 レオンも。

 エリシアも。

 誰も、何も言えない。


 ノエルの身体から黒い魔力があふれ出す。

 世界が、真っ黒く染まった。

 広がった闇が、カイトに流れ込んだ。


 その瞬間。

 白い光が、一気に視界を塗り潰した。

 雪も。

 血も。

 ノエルの姿も。

 全てが、ゆっくり遠ざかっていく。

 記憶が、終わろうとしていた。


読んで頂き、ありがとうございます。

もし少しでも続きを読みたいと思って頂けたら、

フォローや評価を頂けると嬉しいです。


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