8)森のふたり
本日は2話同時に投稿いたしました。こちらは1話目です。
この次の9)で、ようやくヒーロー登場します。
二年後。
レナは十五歳になった。
イザークとレナは旅を続けたのち、サウラの森に無人の小屋を見つけて落ち着いた。
小屋の住人が戻って来たら出なければならないと思っていたが、誰も来ない。住んでいたひとは亡くなったのかどこかへ引っ越したらしい。
二年がかりでイザークの右足は足首くらいまで再生した。
足が再生し始めてから、イザークはアシュと名前を変えた。イザークの出身である地方ではよくある名だという。イザークが片足を失った件は魔導士仲間の間では有名だったため、足が再生している姿を見られると不味いからだ。
さらに一年が過ぎた。
キゥキゥと、どこかから微かな声がする。
「近いわ」
レナは短剣を構えて耳を澄ます。
翡翠色の目を眇めた。
鳩というには大きすぎる鳥型の魔獣と、狩人と。
双方が狙いを定め、得物を構えた。鳥は鋭い爪と嘴を、少女は使い込まれたショートソードを。
琥珀色の髪が、魔力でふわりと靡いた。
「さっき仕留め損なったやつね」
剣を握る手がじっとりと汗ばむ。
鋭く風を切る音が鼓膜に響く。
「来たっ!」
音のする方へ向けて剣を振るった。
「ギャァァァア」
中型犬ほどの大きさもある黒い鳩が血まみれになって地面に落ちた。
ようやく詰めていた息を吐いた。
「はぁ。やった」
鳩を担いで小屋に戻った。
小屋では焦げ茶の髪に灰色がかった水色の目をした男性が湯を沸かしているところだった。歳は三十代後半のころ。細面の端正な顔は年齢がわかり難い。年齢不詳は魔導士の特徴のひとつでもある。
「アシュ。鳩が狩れた」
レナはどさりと鳩を床に落とした。
「床が汚れるだろ」
アシュは眉間に皺を寄せた。
「血抜きはしておいたよ」
「しょうがねぇな」
アシュは鳩を湯に放り込み、下処理をする準備を始めた。
レナは床の血を浄化魔法で消す。
アシュはちらりとレナに視線を投げ、
「明日は街に下りるんだろ。薬酒も頼む」
と、がさついた声で呟いた。
「私が作ってる痒み止めの軟膏の方が効くと思うけど?」
「効くのは認めるよ。だが、効き過ぎて辛い。蘇り効果が活発化しちまうんだ。足がざわざわする」
「我慢して使ってよ。きっと、良くなるから」
「いいんだよ。もう年なんだから。年寄りには効き目が穏やかな薬でいいんだ」
「そんな年でもないくせに。どうせ薬酒だからでしょ」
「それもある」
アシュが笑って認め、レナは「しょうがない爺さん」と苦笑した。
レナはアシュが鳥を湯がいて羽をむしる作業をしている間に、小屋の裏にある浴室で身体を拭いた。
近くの川で身体を洗うこともあるが、普段は浄化魔法をかけてから拭いて終わりだ。浄化魔法だけでも良いのだが、濡らした布で拭うとよりさっぱりする。
小屋に戻ると、アシュはすでに羽を抜き終えて内臓を取り出す作業を始めていた。
レナは竈があいたので、鍋の湯を捨てて洗ってから芋や干し肉を入れて煮込みを作り始めた。
「鳥はあぶり焼きでいいだろ」
アシュは聞きながら、すでにあぶり焼きの準備をしていた。
「うん。塩と薬味をふって」
「めんどくさい」
「わかった。薬味は私が用意する」
「お前はマメだな」
「せっかく狩ったんだから美味しく食べたい」
「しょっちゅう狩ってるだろ」
「そうでもないよ、美味しいからもっと狩りたいけど。黒大鳩は素早いんだもの」
「身体強化があれだけ上手いんだから、屁でもないだろ」
「やだ、アシュ。『屁』だって」
レナが「アハハ」と笑う。
「淑女が『へ』とか言うなって」
アシュはレナがどんどん野生化していくのを密かに気にしていたが、止める手立てがない。レナの淑女らしさはもはや風前の灯火だった。
レナの行儀は老いた侍女が教えていたが、この有様を知ったら嘆くだろう。
それからふたりで美味い煮込みと肉のあぶり焼きに舌鼓を打った。
夕食が済むとレナは後片付けをする。
アシュは自分の身体に浄化魔法をかけてから「ざわつく」という足に軟膏を塗りつけ始めた。乾燥すると痒みが出るからだ。
塗り終わると、レナが作った「蘇」と記された布を巻く。
三日ほど前に作ったものだが、だいぶ色が薄くなっている。
「また作らなきゃね」
アシュの右足は五年前に膝から下を失い、今は甲の部分まで再生している。足首まで再生したあと再生の速度が落ちたのは、おそらく足首や踵の作りは複雑で時間がかかったからだろう。
レナは今年十六歳になった。逃亡生活を始めてから三年になる。この小屋に住み始めたのは一年前だ。
アシュと逃げることになった襲撃事件と父の死は、公にはもう解決していた。母はアシュの予想通り、極刑となった。
明くる日。
森で獲物を追ううちにレナはいつもより少し遠出をした。
川を遡り、滝の音がする方まで行ってみた。
アシュがひとりで森の奥まで行くな、とうるさくいうので慎重に少しずつ足を伸ばしている。
「わぁ、小さい滝だ。綺麗な場所」
さほど大きな山もないため滝というより削れた丘から水が落ちている風だが、細かい水しぶきが心地良い。
周囲を探検し、白い茸と赤黒い苔を見つけて採取した。
空気に淀みのない場所で取れる薬草や灌木の葉などは、魔力や霊力を含み良い染料になる。
帰りには兎と雉を仕留め、アシュに手土産ができた。
小屋に帰ると早速、苔と茸で染料を作ってみた。いつものように雷と水の魔法を込める。
「魔力を込めやすい。この素材、なかなかいいわ」
苔は綺麗な紫の液となり、白い茸は黒ずんだ焦げ茶になった。
液をアシュの持っていた魔法属性を測る魔導具で計測してみた。
水と雷が多いのは、レナが込めたからだ。どちらの薬液にも闇属性はない。火属性もない。光属性が多い。土属性が少々。
「光属性が強いなんて珍しい。それに霊力も感じられる」
仄かに清々しい感じのする力は、おそらく霊力だ。霊力が強いといわれている素材はどれもこの快さがあるのでたぶん当たっている。
霊力は魔力に比べると希少で、治癒力の強い薬の素材になる。体質との相性によってはあまり効かない場合もあるが、悪い結果にはならない。
要するに、霊力とは謎の力だがけっこう良いもの、とレナは理解している。
レナは布にリーリムル語で「蘇る」を意味する文字を魔力を込めながら書いた。
漢字ではないが、書道の気持ちで正座をして書く。
あれから地道にリーリムル語を独学し、自分のものにしつつある。漢字も使うが、最近はリーリムル語も多い。リーリムル語は一見、文様のように見える綺麗な文字だった。
炉端から少し離して広げておき乾かした。
その夜は、アシュと兎肉の夕食を食べ、寝る前にアシュの足に新しい染料で描いた布を巻いた。
夜中。
うめき声で目を覚ました。
物置を掃除して整えた小部屋がレナの部屋で、アシュは居間で眠っている。アシュの寝ている居間から聞こえてくる。
レナは急いで起き出して、アシュの様子を見に行った。
アシュは毛布をかぶり、丸くなって呻いている。
「アシュ、どうしたの?」
「足が、じくじくしやがる」
「見せて!」
急いで包帯を取り除こうとすると、アシュがレナの手を止めた。
「いや、もう少し我慢する。たぶん再生が進んでいる。足先に動きがある。わかるんだ、三年間、ずっとそうだったからな」
「でも」
レナは迷った。アシュの声は辛そうだった。
蘇りの布はまた作り直しても良い。
「まだ耐えられる。呻いちまうのは勘弁しろよ」
「なにか要る? 私になにかできる?」
「大丈夫だ。手助けが要るときは呼ぶ。寝ててくれ」
「わかった。なにかあったらすぐに呼んで」
レナは小部屋に戻って毛布にくるまり、じっと時が経つのを待った。
そのうちに知らぬ間にうたた寝し、目を覚まして慌ててアシュの様子を見に行くとアシュはぐっすり眠っていた。
レナはそれからもうたた寝を繰り返し、浅い眠りのままに朝日が窓の隙間から漏れ始めた。
起き出して服を着替えた。
静かに居間に入る。
アシュはまだ眠っていた。
毛布にくるまった身体が呼吸でゆるやかに起伏している。
レナは火を起こして薪を足す。
ぱちぱちと朝の冷え込みを火が温めるころ、ようやくアシュが目を覚ました。
レナはすぐにアシュの枕元に顔を寄せた。
「どう? 足」
「見てみよう」
アシュは包帯をとり布を剥いだ。
「あ、アシュの足」
アシュの右足はすっかり再生されていた。
ひと月後。
レナとアシュは街の狩人傭兵協会前に来ていた。
「うわぁ、けっこう立派」
レナはレンガ造りの建物を見上げた。三階くらいの高さがある。
「だな。田舎町の協会の割に大きいな。森に魔獣が出るからかな」
「アシュ、協会は久しぶりよね」
「二年半は経つな」
アシュは足が目立ち始めてからイザークという名を捨て、協会には来ていなかった。会員証はイザークの名で作ってあるからだ。
森で狩った魔獣の素材を売るときは町の店に持ち込んで売っていた。アシュが相場を見極め足下を見られないように気をつけてはいたが、協会で売ればそういう心配はしなくても良い。協会に出入りできないのは不便だった。
今日は、偽名を誤魔化せる目処がついたのでやってきた。
昨日ふたりは、かねてより考えていた方法で名前を誤魔化せるか確かめた。
真偽判定の魔導具をわざわざ買ってきて何度も試験した。
新しい名はアシュ・ランソルとレナ・ランソルと決めた。
本名はイザーク・ランソルだが、ランソルはそう珍しい姓ではないのでそのまま使うことにした。それに、もしも昔の知り合いに会い似てると言われたら「遠い親戚」と言って誤魔化せる。
アシュは若いころからぼさぼさだった髪を綺麗に散髪し、無精ひげも剃った。以前のイザークとはだいぶ姿が違う。足は再生しているし、同一人物と思う人間はいないだろう。
一方、レナは、レオノーラだったころはロワリエ伯爵邸に閉じこもる生活をしていて、十三歳で亡くなったことになっている。
伯爵邸の使用人以外、レナを知っている人間はほぼいない。
父は殺され、母は処刑されている。
ローゼは夫を殺害した件も自供により確かめられ、夫と娘を殺した悪女として火炙りになった。王家の血筋でありながら惨刑のひとつである火炙りだ。
母と結婚した義父セインは事件とは関係がないとされ、その後の行方は不明だ。
セインとローゼは結婚後しばらくして不仲となり、レナの事件が起こるころにはセインは実家のある遠い街へ帰っていたという。不仲の原因はローゼの浮気だとか。
ローゼは幾重にも嵌められたのだろう。セインは上手くやったのだ。
その義父のセインとも、レナはあまり面識はない。
父に似た顔は目立つかもしれないが、アシュいわく。
「トリアーニは見るからに女誑しの軽い美男だったが、レナはお堅い雰囲気だから大丈夫だ」
なんともいえず嫌な理由だが、とにかく雰囲気がだいぶ違うので他人のそら似と言い張れば良いという。
今日はアシュとレナ、ふたりの首にはスカーフが巻かれている。
スカーフにはそれぞれ「レナ・ランソル」「アシュ・ランソル」と、濃く魔力を帯びた染料で記されている。
真偽判定の魔導具の試験では上手くいった。
ちなみに、スカーフ無しでも試してみたが、判定の魔導具は「偽」となっていた。スカーフの効果は確かだった。
「足を再生させるくらいの効果がある呪いだぜ。大丈夫に決まってる」
アシュは自信満々だった。
協会に入り、少しどきどきしながら入会用の書類に書き記す。
年齢や特技は本当のことを書けば良い。住所は宿でも良いらしいが、小屋のある「サウラの森」と書いておく。
受付に提出した。
受付の若干ツンツンした感じの女性は、精霊石と真偽判定の魔導具を取り出して確認していた。
果たして、どうなるか。
待つこと五分ほど後。
アシュとレナは受付に呼ばれてできあがった会員証を受け取った。会員証の「レナ・ランソル」と「アシュ・ランソル」という名前の下には本名であることを示す青色のくっきりとした線が引いてあった。
白級から始まったふたりの狩人生活は三か月後には順調に銀級まで上がっていた。
ふたりとも攻撃魔法は得意だし魔獣の出る森は知り尽くしている。依頼を毎日のようにこなして稼いでいるうちに銀級になっていた。
協会に素材を売り代金を受け取るのも慣れたものだ。
「アシュ、短剣の手入れしに武器屋に寄ろうよ」
レナは隣にいるアシュに声をかけた。
「靴もそろそろ買わんとな」
アシュが渋い顔でボロくなった靴に視線を落とす。
ふたりはこの三年間、目立たないようひっそりと暮らしていた。最初の二年間は移動しながらの宿暮らしで路銀もかかった。レナは成長期だったこともあり服代も馬鹿にならなかった。
この一年はだいぶ暮らしが楽になったが、まだ買い換えの必要なものは多かった。
「どこの靴屋、行こうか」
話しながら協会を出ようとすると、
「あ、レナさん、ちょっと待ってください」
受付から声をかけられた。
「え? 私ですか?」
「そうです。特別依頼です」
「特別依頼?」
レナとアシュは顔を見合わせた。
ふたりは叔父と姪で登録してあるため、一緒に話を聞かせてもらえるという。
レナは、初めて協会の応接室に入った。
華美ではないが、立派な応接室だった。棚には分厚い辞典のような書物が並び、硬木のテーブルの周りに革張りのソファが並んでいる。
レナとアシュは勧められるままソファに並んで座った。
赤毛の綺麗な中年の女性がレナとアシュに微笑みかけた。彼女はテーブルを挟んだ向かい側に座った。
「副所長のミランダ・ハットンです」
見るからに優秀そうだ。きびきびとした雰囲気のひとだった。
ここでは女性の狩人も珍しくはなく、筋肉質で逞しい女性もよく見かける。引き締まった腕や足、腹筋を簡素な狩人の格好で包む彼女らは見惚れるほど格好良い。
ミランダは上背はあるが、逞しくは見えなかった。
「レナ・ランソルです」
「アシュ・ランソルです」
すでに知られてるだろうけれど一応、挨拶をした。
「来てくださってありがとう。早速、要件をお話しますわ。レナさんは『祝詞の詠唱』できますよね?」
「え、あ、はい」
ミランダの口調が「できるに決まってる」という風だったために、レナは胸の鼓動がドキリと跳ねた。
貴族だったことが知られているのだろうかと一瞬、勘ぐったが貴族でなくとも初級の祝詞は学ぶ。
我が国で祝詞の詠唱というとき、古くから伝わる「厄除けの詠唱」のことを指す。伝統を守るために町民学校でも初歩の祝詞は教える。厄除けの祝詞は魔獣避けにもなるが、ただし使いこなすのは難しい。
貴族家では、貴族の嗜みとして中級程度の詠唱までは学ばせるものだ。実際に覚えられるかは本人のやる気しだいだとしても。
元は伯爵令嬢のレナも、レオノーラだったころイザークに習った。イザークは厳格な魔導教師で、レナに古い祝詞の正確な発音と発声を覚えさせた。十一歳から始めて十三歳でイザークが辞めさせられるまで習った。イザークが辞める前に及第点は貰えていた。
「それから、身体強化魔法、と」
「はい」
レナは他にも一通りの生活魔法や炎撃や雷撃も使えるし結界も張れる。でも、全部さらす必要もないだろうと書かなかったが、狩人として最低限、必要な技である身体強化魔法は記しておいた。
「それなりの魔法を使える、ということで。けっこう魔力をお持ちですよね」
「使えますし、魔力は狩人として困らないだけは持ってます」
「ぜひ、協力してください」
レナはいきなりミランダに手を握られて驚いた。
「え? あの、協力とは?」
「トールコダンの森で魔獣の討伐が行われるのです」
「トールコダンで?」
眉間に皺を寄せて尋ね返したのはアシュだった。
レナは、トールコダンがサウラの町から南西方向に騎馬で四日ほど離れた町で、森には魔獣が多いという一般的な知識は知っていた。
「そうです」
「凶悪魔獣の宝庫だ」
「ええ。それでも間引きは必要ですからね。むしろ、だからこそ必要といえるかもしれません」
「それは、まぁそうだが。で? レナに祝詞の詠唱をさせるんですか」
「祝詞担当はレナさんだけではないんですけどね。協会で募集をかけてなんとか確保できたのはレナさんとあとひとりだけなんです」
ミランダが言い難そうに打ち明けた。
どうやら、かなり困っていたらしい。




