(7)
気が遠くなったのは一瞬だった――と思っていた。
だが、目を開けると、そこはいつの間にか日陰で、目の前にはひどく苦しげな瑛太の顔があった。
「……薫!? 気がついた!?」
瑛太の顔には眼鏡がある。なにより、こんな顔はカミサマはしない、と薫は思い、
「瑛太……?」
と尋ねると、瑛太は「……よかった……マジでよかった」と絞り出すように言った。
起き上がろうとすると、肩を押さえられ止められる。背中が痛いのはなんでだろう――と思った薫は、直前のことを思い出した。そうだ。倒れた拍子に背中を打ったのだった。
「え――あれ? カ、カミサマは?」
瑛太は一瞬息を呑み、泣くのをこらえるような顔をした。
「……今さっき、アイツ、出ていったよ」
「そっか」
やはり日光のせいだろうか。いつものように眠ってしまったのだろうと軽く頷くと、
「もう出てこないと思う」
と瑛太は言った。
「アイツ、月讀命、だったみたいだ。そうだ――私は月讀命だって言って、俺の体を出ていったから」
薫は目を丸くする。
「……うそ、だあ」
あれだけ手こずっていたのだ。そんなふうにあっさりと出ていくとは、とても思えなかった。
真偽を問いたくて瑛太を見つめる。瑛太は、実は嘘が苦手なのだと思う。だから、やましいことがある時には、黙って返答自体を避けるか、人の目を見ずに答えるのだ。
だが、彼は大きく息を吸うと、薫をまっすぐに見つめ返した。
「嘘じゃない。ここは、月讀命が地上に降臨した土地だと言われている。これほど記憶を刺激する場所もないだろ」
「確かに、そうだけど……」
カミサマも言っていた。これほど神が降りるのにふさわしい場所はない、と。
(……だけど……あのあと何か言ってた気がするのに……)
考え込む薫に、瑛太はスポーツドリンクを手渡し「とにかく飲め」と訴える。ペットボトルの中身は冷たい。つまり買ったばかりだろうに、中身は半分ほど減っている。
どうしたのだろうと目で問うと、瑛太は薫から目を逸らした。おや? と思っていると、瑛太は焦ったように言う。
「それ、さっき飲ませたから減ってるだけ。俺が飲んだんじゃないから。――病院、連れてってもらうけど、起きれるか?」
決定事項のように言われた言葉に目を見開く。
「びょ、病院? 単なる立ちくらみだよ!」
「そうかもしれないけど、念のため、診てもらったほうがいいよ」
聞き覚えのある声に目線を動かすと、あゆみさんがいた。前から滞在していたのか、それとも、瑛太が呼び出したのかはわからない。
「意識混濁かもって焦ったけど、それだけ喋れるなら、薫ちゃんが言うように倒れた衝撃かな。でも、頭打ってたらいけないし」
「で、でも!」
流されてはいけないと、薫の頭の中で警鐘が鳴る。
「大丈夫――っていうか、喜べよ。ようやく、悲願達成だぞ?」
瑛太は薫の反論を遮る。そして僅かに笑って見せる。
「もう、解決したんだ。だから……旅は、ここで終わりだ。もう何も心配することはない」
突然の幕切れに、薫は言葉を失う。
*
瑛太はそのまま有無を言わせずに、薫を病院に連れて行った。そのせいで、乗る予定だった便には間に合わず、最終便に揺られて福岡に向かっていた。
瑛太は窓から外を見つめている。あれから彼は口数が極端に減っている。
「怒られるよね、絶対」
時計の針は二十二時を指していた。
博多港到着予定は二十三時半。それからバスと地下鉄を乗り継いで帰れば、おそらく帰宅は零時を過ぎる。
家への連絡は瑛太が入れてくれたらしい。けれど『この、馬鹿妹。俺はともかくばあちゃんを心配させんなよ』という宇宙のメールを見るに、怒っているのは間違いなかった。
「大丈夫。おまえは怒られないから」
瑛太はそう言うけれど、何がどう大丈夫なのかわからなかった。祖母と兄の目を欺くような真似をして、ここまで来たのは薫だ。瑛太だけではない。
「まさか瑛太、自分だけ怒られるつもりじゃないよね。そんなのだめだからね」
「俺は他人だから、そんなに怒られないし」
「他人?」
「他人だよ。おまえは立花薫で、俺は二ノ宮瑛太。家族じゃない」
改めてそんなことを言う瑛太は妙に怖かった。
夜は深まっていく。ぽっかりと丸い月が空と海に浮かぶ。
だがカミサマは少しも反応しない。ならば、瑛太の言うとおりに彼は帰ってしまったのかもしれないと思う。
「……カミサマ、本当に?」
薫の小さな声は夜の海に溶けていく。




