(6)
壱岐と言う土地は海に囲まれたというイメージが強かったが、その実態は山でもあった。地図アプリで見る限りはさほど距離がないと思ったけれど、高低差がかなりあるため思うように進まない。というより、ほとんど山登りだと思う。小学校が坂道の上にあったが、毎日ここを登っていると思うと純粋に凄いと思う。
途中の自動販売機でスポーツドリンクを追加購入する。
二リットルを持ち歩いていもいいくらいだろうと思う。
額の汗を拭い、スマホで気温を確かめると、二十九度。ぎりぎり猛暑ではないという暑さ。日陰を歩けばさほどダメージはない、そう言い聞かせて薫は歩く。
坂を登っては降りて四十分ほど歩くと、ようやく『男嶽神社』の案内が見えてきた。
時計を見るともうすぐ三時だった。そう知ると急にお腹が空いてくるが、店など見当たらないので後にするしかなさそうだ。
山の緑が目に優しくて癒されるが、時間もそれほどないので、味わう暇もなく歩く。カミサマは律儀に傘をさしているが、日本という国では男性はあまり日傘をささない。しかも彼が手にするのはナイロンの雨傘。なかなかに珍妙な姿だった。
薫は二本目のペットボトルを開ける。
瑛太ではなく、カミサマなので水分補給は十分気をつけないといけないと思う。忘れて倒れられたら大変だった。
カミサマは遠慮なくペットボトルを受け取ると、一気に全部飲み干してしまう。
やれやれと思いながら、薫も一口飲むと、再び歩き始める。地図アプリでは、あと少し。三百メートルの表示だ。
だが、見ざる言わざる聞かざる――というポーズをした三匹の猿に見守られた鳥居の入口で薫は立ちすくむ。
「……山……だ」
ラスボスに出会ったような気分だった。なぜこのことに早く気が付かなかったのか、と薫は後悔する。そういえば標識に書いてあったと思い出す。
「男『岳』じゃん!」
蘇るのは稲荷山。だが、ここまで来て尻尾を巻いて帰るわけにも行かない。
カミサマを見ると「ふうむ」と興味深そうに山の方を見つめていた。
「何か感じますか?」
尋ねるが、カミサマは小さく首を横に振る。
「居心地がいい場所だと思っただけだ」
「居心地……」
そういえば、瑛太もそのようなことを言っていたなと薫は思い出す。
カミサマは傘をさしたまま階段を登り始めるが、覆い茂った枝が日光を遮っていることに気がつくと、傘をたたんだ。
「天照大神が祀られている場所では、居心地はどうなのですか?」
「最悪だな。いつの間にか追い出される、そんな感覚でな。あの場所は苦手だ」
「じゃあ、天照大神ではあらせられない?」
「まあ、おそらくな。その名を聞くだけで気分が悪い」
カミサマは珍しくムッツリと顔をしかめている。やはり本人だと考えるのには無理がある気がする。あとで瑛太にそう伝えようと頭のなかに刻みつける。
「では、ここは? ここは男嶽神社と言って、猿田彦命が祀られているそうですけど」
「知った者がいる感覚はある、が、それが私かどうかは、いまいちはっきりせぬな」
五分ほど階段を登ったところに、赤い鳥居があった。稲荷神社だ。更に進むと猿の石像がぽつぽつと置いてある。猿田彦命にちなんだものだろうが、稲荷といえば祭神は宇迦之御魂神だ。関連はよくわからない。
「宇迦之御魂神は名前もご存じない感じでしたか?」
「いや、名はどこかで聞いたことがあったが、遠い感じがしたな」
「さっきの八幡神社は? ……ええと、誉田別命は?」
「さあ。しっくりは来ぬな」
カミサマはどこか鬱陶しそうだ。山歩きを邪魔されるのを嫌がっているような感じがする。稲荷山のときと同じく、夢中になっている気がする。前は赤い鳥居と狐。今回は 猿。もしや動物が好きなのだろうか。
「カミサマがご存知の神様を、教えていただけると早い気がするんですけど」
何気なく言うと、カミサマはため息を吐く。
「記憶が無いからな。名を聞かれたら、それを自分の中で探す。景色を見たら、自分の中のものと照らし合わせる。今、私にできるのはそのくらいだ」
やがて山頂にたどり着き、木々の屋根が消え去った。カミサマは雨傘をさしながらも、現れたおびただしい量の猿の石像に興味津々だった。
神社は比較的新しかった。反対側に立派な鳥居が三つあるのを見て、どうやら裏側から入ったことに気がつく。
手水舎で手と口を清めていると、カミサマは手水舎を素通りして入口付近にあった展望台の階段を登っていった。
(か、カミサマー!)
神社に来たら最初にお参りをする。染み付いていただけに、カミサマの行動は薫の意表をついていた。思わず叱りたくなるけれど、よく考えると、カミサマは神様だ。参拝といってもすることがないのかもしれない。
幸い神社に人気はなく、咎める人もいない。仕方なく薫はカミサマを追いかけて展望台を登った。
「薫、すごいぞ」
傘の下で、カミサマが嬉しそうに笑っている。
「か、カミサマ……お願いですから、先に参拝を……」
登山に加えての階段だ。さすがに息が切れた。ぜいぜいと息を上げながらも、カミサマの指差す方向を見て、薫は目を瞠った。
そこには海。そして遠く浮かぶ白い船が見えた。
海に囲まれ、緑豊かな大きな島。山の向こう、延々と続く海は、青空から差す陽の光に眩しく輝いている。
ここには、空から――天から遮るものが何もない。
神の降りる島。そんな言葉が頭のなかに落ちてくると同時に、カミサマが言った。
「……神が降りるにはふさわしい場所だな」
本当にそうだ、と薫は思った。
「――だが」
カミサマの顔から笑顔が消える。カミサマは傘で遮られた空を気にしていた。
天とカミサマを傘が遮っている状態では、確信が持てない、そういうことなのだろうか。
だが、ここで日光に当たってしまうと、カミサマは消えてしまう。
どうしよう――と空を仰いだその瞬間、頭上の太陽が目に刺さり、ぐらりと目が回る。
「……、…………!」
目の前でカミサマが笑っている。なにか言っている。だが薫の耳は何の音を拾わなかった。
(あ、あれ?)
そういえば、自分が水を飲むのを忘れていた、と思った次の瞬間、背中に大きな衝撃を受ける。そして、薫の視界は暗転する。




