(3)
「違ったのかもな」
小さな境内だ。ぐるりと回っても五分もかからない。隣にあった赤い鳥居の小さな祠にも参拝したけれど、瑛太に変化はなかった。カミサマは現れなかった。
薫はトボトボと階段を降りる。あっけない終わりに、
「タクシー待っててもらえばよかったかな」
瑛太は軽く言うけれど、薫は衝撃からなかなか立ち直れない。
カミサマが現れなかったことももちろんだけど――祈れなかった。そのことが薫を何よりも蝕んでいる。
(わたしが太陽が苦手って言ったから、ここに来たのに。なのに、わたし、ちゃんと祈れなかった)
このままでは、瑛太の貴重な時間とお金を無駄にしてしまうというのに。なんて中途半端なんだろうと思う。
後悔で地面に埋まっていきそうなくらいに足が重い。だが、同時になんとかせねばという焦燥感で気ばかりが急く。
「あっ」
足を踏み外しそうになったが、すんでのところで「危ない!」と瑛太が薫の腕を掴んで事なきを得る。まだ階段の半ば。転がっていたかと思うとぞっとした。
「薫? 顔、赤い。どうした?」
瑛太がぎょっとしたように目を見開く。
「ど、どうもしてな――」
と思ったけれど、とたん足がもつれて平気と言えなくなった。
「たぶん、昨日あんまり眠れなかったから、だと思う」
昨日は薫は自分のために用意された部屋で眠ったのだが、冷房のない部屋だったので、暑くてあまり眠れなかったのだ。
「おまえ、今日水飲んでないだろ?」
瑛太が自分のリュックをあさると、ペットボトルの麦茶を取り出した。
「今、買ってくるから。とにかくこれ飲んどけ、熱中症かもしれない」
薫は頷くと麦茶を口に含む。舌に水分を感じたとたん、急激に喉の渇きを感じた。ぬるいけれど、かまっていられない。
「少し、日陰で休め」
瑛太は、手水舎の隣にあった石造の椅子に薫を座らせる。
「だ、大丈夫。そんな大げさにしなくても。ほんと、ただの寝不足だよ」
「馬鹿か。今の時期、大げさにしとかないと下手すりゃ死ぬぞ」
瑛太が強い口調で叱りつける。
彼は手水舎で水を貰って、タオルを冷やす。タオルを薫の首に押し当てると、その足で階段を駆け下りる。
瑛太はほどなく階段を駆け上がってきた。彼は薫の手に冷たいスポーツドリンクを握らせる。自分も隣に腰掛けて、薫の頭を強引に膝に載せ、額に別のペットボトルを押し当てた。
ぎょっとして起き上がろうとしたら、首にもひんやりとしたボトルが押し当てられ、阻まれる。一体何本買ってきたのだろう。
だが、お陰でどくん、どくんと脈打つようだった痛みが徐々に引いていくのがわかる。瑛太が言うように、熱中症気味だったのかもしれない。
「瑛太、ごめん」
「謝る余力あるんなら、それ飲んで」
瑛太は怒ったように言うと、ボトルを押し当て続ける。乱暴な口調とは裏腹に、真剣で不安そうな眼差し。胸の音がひどく騒がしくなる。堪えられずに目を閉じる。
そして、瑛太の優しさに気がついて、泣きそうになりながら、薫はスポーツドリンクを飲む。
と、そのとき、車の音が響き、近くで止まる気配がした。
「どうしたの」
女性の声が下から聞こえて、瑛太が顔を上げる。
「熱中症みたいで、休ませてました」
だから大げさだって――と言いかけた薫の口を、瑛太は鋭い視線で封じる。階段を上る足音とともに声が大きくなり、やがてすぐ側で声がした。目を開けると、凛とした面持ちをした美女が立っていた。マリンリゾートに来たとは思えない、Tシャツとジーンズ。それに大きなリュックを背負っている。
「病院は? 保険証持ってる?」
「持ってます」
瑛太が頷く。前回、京都での怪我の反省を踏まえて、各自保険証は持参しているのだ。だが、ここで使いたいかというとそんなことはない。
「――い、いえ、そこまでひどくないんで!」
薫は慌てる。ただでさえ滞在時間は少ない。そんなタイムロスはできないのだ。まだ何も解決していないし、下手したら帰れなくなる。
「うん、まあ、ちゃんと喋れてるし。頭痛とかは?」
「ないです!」
そういうと女性はホッとしたような顔をした。
「自分で水分取れてるみたいだから、そこまで心配するほどでもない気がするね。でも、とにかく、こんなところじゃ休めないでしょ。えーと、送ってあげたいけど……どこから来たの? このあたりの人じゃないよね? 観光? ――ってわたしも観光なんだけど」
言葉に訛りがないのはそのせいか。おそらくは関東圏の人だと思った。
「千葉です」
瑛太が答える。
「え、千葉から二人で? 君たち高校生くらいに見えるけど」
女性の声に何か疑惑めいたものが混ざる。いけないことをしているように思われている気がして、薫はむきになって否定したくなった。だが、瑛太はさらりと疑念を払う。
「祖母の家が福岡なんで、日帰りで来たんです」
「ああ、そっか。びっくりした。家出とか駆け落ちとかかと思っちゃったよ!」
「ち、違います! 全然、そんなんじゃないんで……!」
薫は慌てて否定した。補導されたらとひやひやする。さすがに冗談ではない。
「だよねえ。君たち真面目そうだもんね。ええと、ここまでどうやって来たの? タクシー?」
瑛太が頷く。
「そっか。じゃあ港まで送ってあげるから。んー、今からなら十四時十分の便に乗れるんじゃない? 動きが取れなくなる前に、早めに帰ったほうがいいよ」
「助かります」
瑛太がどんどん話を進めてしまい、薫は焦る。
本当はありがたいはずなのに、そうは思えなかった。今は、まだ帰れない。
「だめだよ、瑛太、だめだって――! ほんとに平気だから!」
訴えるが、瑛太は首を横に振る。
「いいんだ。今回は帰る」
「でも――まだ何も解決してないから帰れない! 月讀命かどうか、確かめられてない!」
必死で訴えると、女性がおや、と眉を上げた。
「月讀命……? あぁ、月讀命が目当てでわざわざここまで来たの? 若いのにめずらしい。普通、京都か伊勢でしょ」
「本州最古と言われる松尾大社の月読神社は、こちらから勧請されたと本で読んだんで」
瑛太が答える。
「そっか。そこまでは調べたんだ?」
女性は不思議そうに目を瞬かせたあと「でももう一歩かなあ」と肩をすくめる。
「もう一歩って? どういうことです?」
瑛太が少しムッとした様子で尋ねると、女性は逆に尋ね返した。
「君たち、月讀命がここにいるって感じた?」
「…………」
どう答えていいものかと顔を見合わせる。瑛太に変化はなくカミサマは現れない。という手がかりのなさからだと、いないと思われるけれど、それを初対面のこの人に言うのもどうかと思う。
「いるとかいないとかわかるんですか?」
瑛太がまた質問で返す。腹の探り合いみたいだね、と女性は笑う。
「うん。まぁ、君たちには喋っても大丈夫かな? これ言うと、怒る人もいるからあんまり大声で言えないんだけどね」
女性はちらりと社を見る。内緒話をするように薫と瑛太を近くに呼び寄せると、囁いた。
「本物の月讀神社はここじゃない――ってわたしは思ってる」
薫は耳を疑い、思わず体の不調を忘れてしまう。




