第四章 神の降りる島へ(1)
夕食は宇宙が買ってきた新鮮な魚を刺し身にしてもらった。このところ刺し身三昧で、贅沢すぎると思う。
だけど味があまりわからないのは、瑛太の出した一つの結論のせい。早く真相を暴きたいという気持ちで心がひどく逸っていたのだ。
夕食の席で、瑛太はいつもどおりにおとなしく振る舞っていた。月讀命の話どころか、今日行った神社の話一つもせず、薫は訝しむ。だが、彼には彼の思惑があったことを薫は後ほど知ることになる。
夜九時をまわると、祖母は疲れたと言って、居間の奥にある自室に早々に引き上げ、宇宙も課題があるとまたもや自室にこもる。
居間に薫と瑛太だけになると、瑛太がおもむろにリュックから出した本を積み始める。出てきたのは例の神話関係の本だった。
「ここを見て」
瑛太はなぜか声を潜めている。
彼が開いたのは古事記の解説本だった。指差した箇所を覗き込む。
「実は、古事記には月讀命の記述がほとんど無いんだ。出てくるのは伊邪那岐命の禊による誕生の場面と、『夜の食国を知らせ』――夜の国を治めよと命じられた場面だけ。後の活躍はない。存在感が薄いんだ」
「夜の国……ってことは、やっぱりカミサマは月讀命なの?」
「気になるのは、こっち。日本書紀ではもうちょっと登場が多いんだけど――ここ」
瑛太は断言せず、次に日本書紀の解説本を取り出した。本にはいつの間にか伏線が大量に張ってあるが、薫が風呂に入っている間にでも読んだのだろうか。
「『食物起源神話』?」
「ここを見ると、天照大神との因縁がわかるんだ。神産みの第十一の一書。保食神との話だけど――
『天照大神はツクヨミに、葦原中国にいるウケモチという神を見てくるよう命じた。ツクヨミがウケモチの所へ行くと、ウケモチは、口から米飯、魚、毛皮の動物を出し、それらでツクヨミをもてなした。ツクヨミは汚らわしいと怒り、ウケモチを斬ってしまった。それを聞いたアマテラスは怒り、もうツクヨミとは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。
アマテラスがウケモチの所に天熊人を遣すと、ウケモチは死んでいた。保食神の亡骸の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。アメノクマヒトがこれらを全て持ち帰ると、アマテラスは喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。』
――これさ、なんか聞いたことないか?」
食べ物の起源の話――薫は思い出す。このような荒ぶる神の話をどこかで聞いたことがあった。
「これ……須佐之男と同じ?」
そうだ。天照大神と須佐之男が不仲になったエピソードとまるで同じなのだ。しかも、ここで昼と夜がわかれた、と絶縁したことまでが書いてある。
「ああ。ここの天照と月讀命の絶縁エピソードは、かなり怪しい気がする。それから――」
瑛太はスマホを取り出すと、以前撮っていたハルさんの庭の写真を開く。
「社に御神体、見当たらなかったろ? だけど、もしこれだったら?」
瑛太は映っていた井戸を指差した。
「ツクヨミは若返りの霊水――《をち水》を持っていたとされる、って万葉集で言われている。元旦や立春に新しい水を汲んで神に供える、若水信仰っていうのは未だに根強いし、不老不死は人間の普遍のロマンだ」
話が急に進み、胸がドキドキしてくるのがわかる。
「でも、月讀命って、どこに祀られてるの?」
「この資料には、京都の松尾大社の摂社である月読神社。あとは伊勢の内宮の別宮の月讀宮、それと豊受大神宮の別宮、月夜見宮って書いてある」
「京都か……伊勢?」
薫は思わず眉をひそめる。京都は二度手間な感じがしたことから。伊勢はどうやって行くのだろうという懸念からだった。それを見て瑛太はかすかに笑う。
「だけど、京都の月読神社はさ、壱岐から勧請されたらしいんだよな。ほら――『月読神社は延喜式では名神大社の一つに数えられる神社で、元は壱岐氏によって壱岐島において海上の神として奉斎されたものです』」
「壱岐?」
ってどこだっけ? と薫は一瞬悩み、そして脳内の日本地図と照らし合わせたあと、目を瞬かせた。
「えっ、壱岐対馬の壱岐!?」
それは長崎県にある大きな島だ。朝鮮半島と日本列島の間にあることは知っているけれど、どの辺りかと思い浮かべるのがちょっと難しい。
「古事記では、五番目に生まれたっていう壱岐、な」
さらりと国産みの神話を持ち出してくる辺りがオタクだと思う。
瑛太は真剣な目でスマホを操作している。地図でも出しているのかとディスプレイを覗き込むと、なんとフェリーのダイヤを調べている。
「博多港からフェリーが出てる」
「まさか……行く気?」
問いかけると、瑛太は挑戦的な目で薫を見た。
「せっかく福岡にいるのに行かないわけ?」
「でも」
地図を見下ろし、薫は怯む。陸続きではないということが、ここまで距離を感じさせるとは思いもしない。
「フェリーで片道二時間二十分。ジェットフォイルなら一時間弱。宇佐より近いし、ここからなら日帰りできる」
「でも! やっぱり遠すぎるし、船って高いよね?」
渋ると瑛太は真剣な目で薫を見つめる。
「だとしてもだ。チャンスは多分、今回一回っきりだから」
「え、なんで」
「千葉に戻ってからまた来るとなると、泊りがけになるだろ。金も余計にかかるだろうし、第一、そんなのお前の母ちゃんとか陸兄とかが許すと思うか?」
薫は沈黙する。京都から帰ったあとの理不尽なお説教を思い出したのだ。
さすがに壱岐に親戚はいないし、二人で行くとなると許可は絶対降りないと思った。
「決行は明日だ」
瑛太は小声で囁く。
「急すぎるよ!」
「だって、明後日にはお前んちの母ちゃんたち来るだろ。止められるぞ絶対」
ゴクリと喉が鳴る。そうだった。明後日九日に、母と陸兄がお墓参りのためにやってきて、その翌日十日に薫と瑛太は一緒に千葉に帰るのだ。
「こっそり出かけて、こっそり戻ってくればいい。薫が行かなくても、俺は行く」
瑛太がこんなに力強く何かをしたいと言ったことなど、今までにないような気がした。だけど火を付けたのは薫だし、薫は彼と約束した。最後までちゃんと付き合うと。
「わかった。明日、行こう」
薫は頷く。そして顔を上げる。
行くからには、ここで終わりにしてやるのだ、そう思った。




