(8)
瑛太は静かに古事記と日本書紀の解説本を読んでいる。時折付箋をつけたり、スマホで何かを検索したりとずいぶん熱心だ。
彼の手元のノートには、楕円に囲まれた神様の名前が無造作に書き込まれている。その中央には《???》と書かれた楕円、隣には大きく《天照大神》と書かれた楕円があり、二つの楕円と結び付けられた線には《苦手、忌避》と書かれている。どうやら関係性らしい。
《天照大神》と《須佐之男》が結ばれた線には《弟》と書かれていて、他には《喧嘩、険悪》などという言葉も追記されている。
伏見稲荷の《宇迦之御魂神》や太宰府天満宮の《菅原道真》は直接の関係性がないのでノートの端にかかれていて、天照大神と直接結ぶ線はなく、さらにカミサマに確認が取れたため、隣に朱書きで《済》と書かれていた。
八幡の《応神天皇》、宮地嶽神社の《神功皇后》には天照大神から伸びる線があったが《子孫》とだけ書かれ、宗像大社の女神、《田心姫命》、《湍津姫命》、《市来姫命》は、それぞれに娘と書かれている。市来姫命だけに《険悪(?)》と書かれているが、あれは偶然だったのだろうかと薫はぼんやりと考えかけ、はっとする。
(あぁ、もう。気が散ってる場合じゃない)
薫はハルさんの手帳に目を落とす。だが書いてある事はやはりとりとめがなく、神社の参拝記録もない。焦燥感ばかりが募る。
役に立てないと感じて、なんだか泣きそうになっていると、瑛太が困ったような顔をした。
「だから、薫がそんな顔することないんだって。ってか、おまえが落ち込むと俺まで調子狂う。ヘラヘラ脳天気に笑ってるくらいでちょうどバランス取れるんだよ」
そしてもぞもぞと居心地が悪そうに部屋を見回す。
「そういや、宇宙兄、寝てんのかな……静かだけど」
「ああ……そうかも」
「みよ子ばあちゃんも帰ってこないし」
「夕方って言ってたよね?」
外はまだ明るい。まだまだ帰ってこないと思っていたが、時計を見ると六時で驚く。千葉と比べると、日が暮れるのがずいぶん遅いのだ。
先程米を洗って炊飯器のスイッチを入れたが、まだ炊けない。小腹が空いたし何か食べたいと思った。だがコンビニは大通りに出なければなかったはず。
「俺、ちょっと散歩」
お腹が空いたのだろうか? 落ち着きなく瑛太が立ち上がり、薫は「じゃあわたしも」と続いた。
海が近いのもあって、さほど熱はこもらない。日が少し傾いたおかげか、大分過ごしやすいと感じた。
「いろんなヒントが一気に出てきたせいで、難しく考えすぎてんのかな。もしかしたらアイツ、実は天照大神でさ、元の体に戻りたくない理由があるとか」
瑛太は軽く言う。冗談のつもりだったのかもしれないが、ちょっと笑えない。もしそうなら、解決はほぼ不可能に思えるからだ。
いつもなら、いくらなんでもそんなわけないよね!? くらいは言えるのに、まだちょっと落ち込んでいる薫にはまともに反応する力がない。
ここまで落ち込むことは自分でも珍しいと思う。だけど早く立ち直らないと、瑛太に余計な気を使わせてしまう。それはいやだと力を振り絞る。
「……元の体に戻りたくない理由って?」
「実は、社に封じ込められてるとか? 呪いを恐れて神が封じ込められてるとか、そういう謂れのある神社はある」
「呪い?」
「人が祀ってある神社――御霊神社の話だけどな。非業の死を遂げた人物が祀られてる。太宰府の菅原道真もその一人。崇徳天皇、平将門とあわせて日本三大怨霊って言われてる」
「でも……ってことは、天照大神は人じゃないから違うんじゃ?」
「ああ。そうだな。――だから、可能性のある説は全部出してみて、潰していく。そうしてるうちに、だんだん絞られる」
だから、大丈夫だ。
瑛太はじっと空を見つめている。
その顔がすごく大人びて見えて、薫はなんだか泣きたくなる。
(ああ、瑛太は強くなった。一人でなんでもできるようになった。……もうわたしの力なんか、要らないのかもしれない)
真っ赤になった太陽が海の向こうへと落ちていく。瑛太が眩しそうに目を細た後、ふと東に目をやり「あぁ、そういえば、もうすぐ満月か」と呟いた。
(あれ……?)
朱く染められた瑛太の顔が、心に引っかかる。それは、この間宗像大社で気になったこととかちりと重なる。そうだ。あの時薫が気になったのは――。
(え、じゃあ、あのときは――? その前は?)
最初から順に記憶を取り出し、確かめていく。薫は、やがて一つの結論を口にした。
「そっか……《太陽》……!」
「は?」
薫は思わず瑛太に向き直ると、彼の両手を握った。
「太陽神……なんだよね、天照大神って」
「あ、うん」
瑛太は気圧された様子だった。構わず薫は噛み付くように訴える。
「あのね、今、わたし、超重要なこと、気がついたんだけど……! カミサマ、天照大神だけじゃなくて、太陽も苦手なんだよ!」
「え?」
「今日、大雨降ったよね? カミサマ出てきたよね?」
「だけど、それを言うなら昨日は? 太宰府でも出てきたけど、雨降ってなかったよな?」
「餅は木陰で食べてたよね。で、陰から出たらカミサマが消えた! 多分、その前の筥崎宮ではずっと日が当たってたから出てこなかった!」
「薫、落ち着け」
ギュッと手を握りしめると瑛太の顔がひきつった。だが、かまっていられない。
「最初に二ノ宮神社に行ったときは、雨じゃなかったけど、曇りだったよね。次に稲荷に行った日は雨だった。で、八坂神社も伏見稲荷も晴れてて、だけど稲荷山は山の中で日光が届かなかった! この間、学校で出てきたのも――あの日、雨だったからだよ! なんでこんな単純なこと気が付かなかったんだろ……!」
これを確認できるのは、カミサマと一緒にいた薫だけだ。
瑛太はしばし目を見開いて、矢継ぎ早に言う薫を見つめていたが、やがて薫の興奮が移ったかのように頬を上気させた。
「もしそうなら……俺、肝心な神様のこと忘れてたかも」
「肝心な神様?」
瑛太は身を翻す。薫の手を逆に掴み返して、引っ張るように祖母の家へと向かう。
正面には少しだけ欠けた、十四夜の月が光っていた。
「やっぱり難しく考えすぎてたんだ。なんで須佐之男のこと考えたときに、そっちに頭が回らなかったんだろ。……月讀命。天照大神のもう一人の弟神だ!」




