(5)
ひとまず駐車場の方へ退避した薫たちは、祈願殿という建物に入った。そこで意外な顔を見て呆然とする。
「あっおまえ! 薀蓄男!」
ゴキブリを見つけたような目だと思う。失礼な視線にも瑛太はまったくひるまない。
「会うような気がしてたけど、よかった。これ」
瑛太はカバンをごそごそを漁ると、いつも持ち歩いているらしい日本書紀の本を開いて一枚の紙を取り出した。
「あっ」
御朱印男は目を見開く。それは太宰府でひろった浅草寺の御朱印だった。
「どこでそれ――うそだろ」
「太宰府天満宮で拾ったけど、あんたの?」
瑛太がそれを差し出すと、御朱印男は粗雑な印象を振り払い、両手で御朱印を受け取る。
「マジ助かった~。無くしたかと思って青くなってた」
「なんでそれ、半紙なんですか?」
薫は思わず尋ねる。あれだけ懸命に御朱印を集めているのに、御朱印帳に書いてもらわなかったのが不思議だった。
「あ? 神社と寺で分けてんだよ。先週浅草寺行ったんだけど、寺用の忘れちまって、そのまま貼るの忘れてたんだ」
「神社と寺で分けるんですか?」
男は頷いた。
「神仏習合だからどっちでもいいとも聞いたけど、念のため。たまに神社と一緒じゃくれないっていう寺があるらしいしさ」
御朱印男は頭をガシガシとかく。
「俺、怒られンの嫌いなんだよ。頭に血が上っちまう」
そう言うと、立ち話もなんだから、と男は薫たちを休憩所へ誘った。どうやら恩を売ったお陰で、態度が軟化したようだった。
各々お茶を買って椅子に座り込む。
男は「俺は、萱田遥輝」と名乗り、薫たちもそれぞれに自己紹介をする。
「あんときだってさ、ほんとに参拝してたんだぜ? ……ってなんだよその疑いの目はぁ!」
「い、いや、そんなこと――」
ありませんとははっきり言い切れない。薫が顔をひきつらせると、瑛太が「でも、授与所には参拝後すぐに行ったわけじゃない」と口を挟んだ。
萱田は小さく肩をすくめる。
「そうなんだよ。授与所、行列できてたろ? だから、ぐるっと本殿の周りを回ってきたんだよ。楼門のとこで参拝だったから、中に入れないのかなって。そしたら、授与所に直行したと思われてあのざまだ。昨日は筥崎宮と大宰府天満宮回って、時間があればここまで来たかったから。電車の時間調べたら、ギリギリだったからなおさら焦っちまってさ」
「なんでそんなに急いでるんです?」
「休暇が三日しかとれなかったから。明日帰んねえといけないんだ」
社会人なのか。と年格好を見れば、薫たちより数歳、歳上に見える。当たり前なのに不思議な感想を抱いた。
御朱印帳を見せてもらっていた瑛太は、少し考えたあとおもむろに口を開いた。
「で、これ……何を、祈願して回ってるわけ?」
意外な質問に薫は目を瞬かせる。薫には、失礼かもしれないが、この人が御朱印をスタンプラリーくらいにしか思っていないように見えていたのだ。
萱田も驚いたらしく、目を見開いて問いかけた。
「なんでそう思う? 俺がスタンプラリーみたいにしてるって思わねえの?」
「んー? いや、最初からそんな風には見えなかったかも」
「えっ」
あの状況でもとは思いもしなかった。
「あれ、あの女性の方が割り込みたくて、ケチつけたんだろうなって」
え、そうなの? と薫は目を瞠った。萱田も叫ぶ。
「そう思ったんならそう言ってくれよ!」
「あの状況で言ってもすでに手遅れだと思ったんで。ってか『ババア』はどう考えてもヤバい。あれを口にした時点で、あんたはあの場のすべてを敵に回した」
瑛太が言うと萱田はがくんとうなだれる。
「それに、その御朱印帳、あんたのじゃないだろ? あの蝶の御朱印帳は東京大神宮で授与してもらったものだろうけど、デザインが華やかで女性に人気だし、おそらくは女性のものだ。彼女か、妻か、母か、それとも姉妹か」
薫は思わず萱田の手を見る。だが左手には指輪はない。
萱田は「御朱印帳一つでよくわかるな、そこまで」と呆れたような顔をする。
「そもそも、男が一人で御朱印を集めてるのは珍しいから。最初は出張のついでとかに代参を頼まれたのかなって思った。だけど、服はスーツでもないし仕事してるって感じでもないし。それなら趣味か? って考えたけど、神社と寺までわけるくらいには熱心みたいだし……なにより、この御朱印。これに祈りがこもってるらしいし。あと、さっき参道ですれ違ったよな? だから確信した」
瑛太は浅草寺の御朱印に目を落とす。
萱田は「はぁ?」と首を傾げるけれど、薫にしか多分意味がわからないと思う。
そうだ。確かに大宰府で、カミサマはあの御朱印に反応して出てきたのだ。そして今日、参道ですれ違ったから、カミサマが反応して現れた。つまり――
「それなら、なにかどうしても叶えたい強い願いがあるのかと思った」
瑛太は口をつぐみ、萱田をじっと見つめる。踏み込んだ質問をためらっているような気配があった。
重い沈黙に、萱田は降参、とでも言うように両手を上げた。
萱田は「まったく、俺の柄じゃないんだけどな」と呟くと口を開いた。
「妹がさ、病気になってさ。あいつ、御朱印集めが趣味で、ずっと国内旅行しまくってたんだけど、病気かかってから行けなくなって。この御朱印帳も要らねえって。病気にかかったし、ご利益ないっていじけちまって。
だけどそんなことねえよって、思ったんだよな。時間はかかるけど、絶対に治らないわけじゃない病気なんだ。むしろ神様の出番なんてこれからだろって思った。
だから、俺が代わりに祈ってきてやるって。日本中のご利益集めてきてやるって。――ま、ケチが付いちまったけどさ。時間切れだし、筥崎宮じゃあもう御朱印もらえなさそうだし。頭に血上がった俺が馬鹿だったんだからしょうがねえけど」
萱田が笑ったときだった。
「これ」
瑛太が自分が筥崎宮で貰った御朱印を差し出す。
「え」
「あげる」
「え、え? でも意味なくないか? 基本、人にあげたらだめって言ってるだろ、どこの神社でも」
萱田が驚いていたが、薫もぽかんとした。瑛太が自分でお金を払ったものを、人にただであげている。しかも、仮にも神職の端くれなのに、意外すぎる。
「要は、参拝したっていう印だろ? ご利益があるとかないとか意味づけするのはあくまで人間だ。もし俺が妹さんなら、この御朱印、嬉しいから。見せる時、由縁を話してやるといい。だって、『敵国降伏』――って、なんかすげえ強そうだろ?」




