(7)
カミサマはその後、すぐに瑛太を返してくれた。というより、名前を確認しようと本殿に連れて行っている間に消えてしまっていたのだ。
瑛太に顛末を話したけれど、薫と同様に彼は難しい顔をして黙ってしまった。
日は暮れ始めていて、影が長くなっていた。
いつの間にか息の詰まるような暑さも和らいでいる。
ひとまず帰らなければと、本殿の横をすり抜けて来た道を駅に向かって戻っていく。
それまで仲良く手を繋いでいたカップルが、なぜか太鼓橋の前で立ち止まる。そしてまず、彼女のほうが橋を渡り始める。そして数歩後から彼氏のほうが渡り始める。
(ん?)
不思議に思っていると、瑛太が薫の手首を引いて「こっちだ」と橋の右に伸びている道を示した。
今度は橋を渡らずに、池の周りを囲んでいる道を通るようだ。
「え、渡んないの?」
「太鼓橋は過去、現在、未来を表すって言ったろ。こっち側から渡ると逆行することになる」
「タイムスリップ?」
「心だけがな」
言われて、薫はどういうことだろうかと考える。過去に心が囚われる――と考えると、たしかにあまり良いことではない気がする。せっかく前をむこうと橋を渡ってきたというのに。
瑛太は肩をすくめて後ろを振り返る。そこでは先程のカップルだけではなく、もう一組カップルがやはり別々に橋を渡り始めていた。
「さっきの高校生もだけど、余計なジンクスは知ってるくせに、そういうことには疎いのか……気にしないだけか」
「ジンクス?」
尋ねると瑛太は「なんでもない」と言ってさっさと歩いていってしまうけれど、薫はしばし立ち止まって橋を別々に渡るカップルを見つめる。
先に橋を渡りきった彼の方が、彼女が追いつくのを待っている。その姿が、なんだか参拝の前に橋を渡った瑛太の姿に重なって見えたのだった。
*
『太宰府天満宮 ジンクス』
スマホで検索した結果を見て、薫は小さくため息を吐く。
そこには太宰府天満宮の太鼓橋に関わるジンクスが書かれていた。一緒に渡ったカップルは別れるという、ある意味よくあるジンクスだ。
(……まさかね?)
薫は、とある一つの仮説に行き着くのだけれど、目の前でいつのどおりの顔で景色を眺めている瑛太を見ていると、仮説はあまりも馬鹿げているように思える。
(んなわけないよね?)
正直とんでもなく傲慢な仮説だが、なんだかしっくり来てしまう部分が多くて戸惑った。
それは『瑛太が、薫のことが好きなのではないのだろうか』――という仮説だ。
ただ、そう考えるとどうしても矛盾に行き当たる。
(瑛太はただの幼馴染だって言ったし……それにジンクス当てはめるのもまずおかしいよね? だって付き合ってるわけでもないんだし)
じっと見つめていると、瑛太は「なんだよ、だから、ジロジロ見るなって」と薫を睨んだあと、取り出した本を読み始める。
その不遜な態度を見ていると、やはり仮説は仮説にすぎない気がしてきたし、口にしたら一生バカにされそうな気がしてくる。
瑛太が自分を好きなのではという自意識過剰な発言をするよりは、よっぽど自分が瑛太のことが好きだという方がましなのではないかと思うのだ。
(んー……? 瑛太のことが、好き?)
好きとか嫌いとかそういう感情抜きに付き合ってきたせいで、改めて考えるとわからなくなってきた。
瑛太にはいいところがたくさんある。例えば勤勉で真面目で、優しいところ。そこは素直に好きだった。
同じくらい嫌なところもたくさん知っている。例えば、こだわりが強くて面倒くさいところ。そこは正直に言うと嫌いだ。
それでも瑛太は家族の一員だった。だから、好きでも嫌いでも一緒にいる。兄と一緒で、強い絆を生まれながらに持っている気がしていた。一生、この関係が続いていくと、薫はまったく疑っていなかった。
だけど、兄たちが家を出ていったように、いつかは瑛太も七森町を出ていってしまうのかもしれない。
(わたしを置いて――?)
なんとなく怖くなった薫は尋ねる。楼門のところで尋ねそこねた質問の続きだった。
「瑛太ってさ。千葉大受けるの? それとも早稲田とか慶応とか? 有名私大?」
「は?」
唐突に問うたせいか、瑛太は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。
「え、なんで?」
そういえば、瑛太と進路について具体的な話をするの初めてかもしれない。
高校受験のときも、瑛太の志望校はなかなか教えてもらえなかった。
学区トップ校を受ける予定だったけれど、瑛太が家から近い高校を志望したらしいというのは後から聞いた話だ。
「うちの高校だと成績上位って、だいたいそのへん狙うから」
「ああ……まだ、決めてないけど。薫は?」
どこか歯切れの悪い相槌を打つと、逆に尋ねた。
「家から通えるとこかなあ。みんな家出ちゃったし、お父さんがお前には一人暮らし無理だろうって。まぁ宇宙兄がこっち来ちゃったし、二人大学行かせるの、学費だけでも大変なのわかるし。まぁ、東京の大学ならだいたい通えると思うけど……国立はやっぱりどこも大変だよね」
七森町は東京のベッドタウンでもあり、立地が良いので、都内まで一時間あれば行けるのだ。宇宙も特殊な学部を志望しなければ、都内の大学に通ったはずだった。
薫の志望校はまだ漠然とはしているものの、偏差値と希望条件を照らし合わせると選べるほどにはないのだった。
「……ふうん、そっか」
瑛太はさほど興味なさそうに、また本に目を落とす。
それほど面白い本なのだろうか? 薫は瑛太の手元を覗き込む。瑛太は少し鬱陶しそうにしながらも、表紙を見せてくれる。
「日本書紀の解説?」
「うん。さっき境内で言ってたろ。居心地がいいとか悪いとか。そのあたりからのアプローチもありかと思ったから」
「なるほど……」
だけどそうなると、どんどん調べなければならない神社が増えるのではと心配になる。調べれば調べるほど、絞られると思ったのに、今のところ逆を行っている気がするからだ。
瑛太はそんな薫の気持ちを察したのか、言った。
「回り道に見えるだろ? だけど、俺、これでも最短ルートで解決したいと思ってる」
「最短?」
「時間も金もないから闇雲に神社巡るわけに行かないけど、行った神社では少しずつでも手がかりを集めたいんだよ。次の足がかりになる考察の材料は集めておきたい。今回、空振りに終わったように思えるかもしれないけど、菅原道真公――天神は違うってわかったし、別のヒントも得られた」
「空き地の件? あれ、ヒントって言えるのかな」
あれは進む道がわからなくなるような手がかりだったと思う。いっそ見なかったことにしたいくらいだ。
だが、瑛太は「ないよりは絶対あったほうがいい」と言った。
「今のところわかっているのは、天照大神になんらかの関わりのある神の可能性が高いっていうこと。ただ、俺が天照大神には近づけないから、周辺から探りを入れていくしかない」
薫は頷く。そこまではわかる。
「でも、関わりがあったら一緒に祀ってあることが多いよね? 京都の八坂神社でも天照大神が祀ってあったし、近しい神さまなら天照大神も一緒に祀ってあるものじゃないの?」
八坂神社で瑛太が気分が悪くなったことを思い出す。あのときは、神社の境内に、天照大神を祀った大神宮社があったのだ。苦しそうだったし、あんな目にはもう遭わせたくないと思う。
「いいや、そうとも言いきれない。で、俺、周辺から探りを入れるのに最善の神社があるなって、昨日おまえのばあちゃんの話を聞いて思った」
「おばあちゃん?」
祖母が何か言っただろうかと考え込んだ薫の耳に、つい昨日聞いたばかりの神社の名前が飛び込んできた。
「だから、明日は行こう。――宗像大社――天照大神の娘が祀られている場所へ」




