(6)
「あ! お前さっきの薀蓄男!」
男の方もさすがに瑛太に見覚えがあったらしい。詰め寄ってきて下から覗き込むように睨んでくる。
今度こそ拳で勝負とかになったらどうしよう、と薫は焦るが、瑛太の方は飄々といつも通りだ。多分、心臓に毛が生えている。
「やっぱり、ここにも現れたか」
瑛太はひっそり呟く。
「知ってたの?」
「御朱印帳見ただろ? あの時、まだ九州の神社の御朱印がなかったんだ。だから絶対ここには来ると思った」
「ど、どうして」
「太宰府天満宮は九州で一番知名度が高いから。御朱印帳に並んでた御朱印、パッと見た限り全国の有名どころばっかりだったし」
「全国?」
そんなことあの短時間でわかるのか――と薫は目を丸くする。
「最初に伊勢神宮、次に東京大神宮で、浅草神社に、日光東照宮と関東の有名どころ。それから伏見稲荷大社をはじめ、京都の有名どころ。熊野大社まで行ってるってかなりの通だけど、東京大神宮は伊勢神宮の次に書いてあったから、最初にそこに参ったってこと。
訛りも気にならなかったし、多分関東在住なのかなとは思ってた。だとすると福岡には飛行機で来てるだろうし、最初に向かったのが一番空港からのアクセスがよくて有名な筥崎宮だったのかもって。で、次に向かうのが福岡で有名な神社なら、距離的にここが妥当かなって」
探偵か! と薫は目を剥いた。以前も思ったことだけれど、瑛太は案外観察力と推理力に優れている気がする。
男は今の説明が聞こえていたのか、気味が悪そうに顔をひきつらせていた。
「だ、だったらなんだよ! ちゃんと参拝してるし! 文句は言わせねえ!」
「俺は最初から文句言うつもりはまったくなかったし、あのときも文句は一言も言ってない」
「……うるせえ!」
そうがなりたてると、男は御朱印の授与所へと向かう。そして例の蝶の御朱印帳を出し、殊勝な顔で「御朱印をください」と言った。
先程の神職の男の人は御朱印帳を開いて、にこやかに頷いた。
御朱印を受け取ると、男は逃げるように脇の出口から出ていってしまう。そちらには茶屋や土産物屋があるはずだった。かなり急いでいるようだが、さすがに梅が枝餅くらいは食べていくのかもしれない。
それにしても、あれだけ怒られたら普通、御朱印集め自体が嫌にならないものだろうか。
それでもまだ御朱印を集めて回っているというのは、どういうわけなのか。単に図太いだけなのか。気になってしまう。
「……もしかしたら、また会うかもな」
「え?」
「下手したら、明日くらいかも」
瑛太が言い、まさかと薫は笑う。けれど、薫は笑った自分を翌日即恥じることになるとは思いもしない。
*
本殿の奥にある茶屋だと、梅が枝餅の焼きたてを座敷で食べられると宇宙が言っていた。
というより、そこで買ってこいと言われていたため、薫たちはそのまま御朱印の授与所の隣の門から裏へ回る。
砂利を踏みしめ、ゆっくりとなだらかな坂道を登っていくと、数軒、梅が枝餅の幟が立てられた店が並んでいた。
どこにしようかと悩みながら歩いていくと、一番奥の店に行き当たる。
『お石茶屋』と書いてある店の奥には、紅葉が青々と枝を茂らせていて、その木陰には赤い布の掛けられた椅子が置いてある。数名、そこで餅とお茶を食べながらゆっくりと過ごしていた。
熱気が凄いため、外で食べるのはつらそうだと思っていたけれど、紅葉に作られた日陰は、程よく薄暗く、そこだけ涼風が吹いているようにも思えた。
「ここにしようか」
兄に頼まれた分をお土産に包んでもらうと、薫と瑛太は別で一つずつ注文する。
薄い餅の間にたっぷりの餡。焼きたての餅は表面はパリッと焼けており、噛んだときのサクッとした食感と直後のトロッとした餡の食感が癖になりそうだ。
餡は甘さ控えめなので、いくらでも入りそうだと思う。少し苦味のある煎茶がまた食欲を誘った。
「美味しい」
この味はここでしか味わえないだろう。
持ち帰るものはラップに包まれるので、どうしても餅がしっとりと固くなってしまうのだ。
それはそれで別の美味しさがあるのだけれども、もう一つ頼んでおけばよかったと後悔する。
瑛太は黙って味わっていたが、「もう一つ欲しいくらい美味い」と薫と同じ感想を小さく呟く。
かと思うと、急に立ち上がって茶屋へと向かい、餅を焼いていたお兄さんに「あと五つもらえぬか」と言い出す。
そんなに美味しかったんだ――と思いかけた薫だったが、違和感に眉を寄せる。
(ん? もらえぬか?)
思わず立ち上がって瑛太を追いかける。彼の顔には眼鏡がある。
「んんん? 瑛太……だよね?」
確認すると、瑛太は眼鏡を外し、色っぽい眼差しで嬉しそうに微笑んだ。
「ああ、薫か。昨夜は残念だったな。兄によく言っておけ。私とそなたは夫婦だから少しは遠慮しろと」
突然のカミサマの出現に、薫は目を丸める。
「な、なんで今になって!」
「呼ばなかったか?」
「いえ、出てきてほしかったですけど、呼んでません!」
まさかだが、餅がもう一つ欲しいなどという、俗な願い事に対して出てきたのでは――と考えた薫は半眼になった。受け取った餅をバクバクと食べているカミサマを見ていると、ありえないことでもなさそうだったのだ。
だが、カミサマがふとかがみ込み「なんだ、これか」と椅子の下に落ちていた紙を拾い上げた。見るとそれは御朱印の書かれた半紙だ。
しかも太宰府天満宮のものではなく、
「浅草寺……?」
なぜこんなものがこんなところに、という感想しか出てこない。あまりにも唐突な名前に思えた。まずここは福岡県で、浅草は東京都。そしてここは神社で、浅草寺はその名の通り寺だ。
意味がわからずに薫が首を傾げていると、カミサマは「これに念がこもっていたらしいな」と呟く。
だがそれっきりカミサマは御朱印に興味を失い、あとは梅が枝餅に興味を戻す。
(ちょ、ちょっと、お腹壊しませんかね、それ!)
薫は青くなりつつも、この機会を逃すわけにはいかないと思った。
「あのっ、ご食事中申し訳ありませんけど、カミサマ、ここの辺りに見覚えはございませんか?」
カミサマは最後の餅を口に突っ込むと、満足そうに咀嚼する。そしてなぜか茶屋のさらに奥の方へと向かっていく。そちらにはトイレがあるだけだ。餅の食べ過ぎでお腹でも痛くなったかと心配になる。
だがカミサマはトイレの脇から更に上にある道に出て、そして立ち止まった。
「ここには……知った者の気配がある気がするな」
とカミサマがつぶやき、薫は驚いて思わずその両腕を掴んだ。
突如現れた手がかりに、興奮状態だった。
「え、もしかして、カミサマは、菅原道真公であらせられますか!?」
カミサマはうーんと考え込む。しかし、やがて「違う、と思う」と言った。
舞い上がっただけに落胆はひどかった。すがるように尋ねる。
「え、でも、知った者って――」
「はっきりはわからぬが。この場所になにかあった。知った誰かがいたような気がするだけだ。それはおそらくわたしではない。何か……波長が違うし、むしろ不快な気分だ」
つまり、カミサマは菅原道真の知り合いだということなのだろうか?
だとすると、瑛太が言っていたように、どうして天照大神を拒絶するのかが、まったく繋がらなくなってくる気がする。
(意味がわからない……わたしじゃ、ダメだ。瑛太、どうしよう――!)
だがカミサマもどこか苦しげに顔を歪めているから、これ以上強く問えない気もした。
だが、
(あれ?)
ふと薫は思う。カミサマの視線の先は本殿を向いていない。
「あの、『この場所』って――本殿じゃないんですか?」
カミサマは何を言っているのだとでも言わんばかりに呆れたような顔をした。
「だから、『ここ』だと言っておるだろう」
カミサマの指差した先には雑草が生い茂っている。祠など影も形もない。どこをどう見ても立派な空き地だった。




