(5)
太宰府駅を出るとすぐに鳥居があり、参道が奥へと誘うようにのびている。あちらこちらから香ばしく、甘い香りが漂ってくる。独特の香りに薫は顔を綻ばせる。
「梅が枝餅だー」
飛びついてしまいたくなるけれど、当然、参拝の後のお楽しみである。
瑛太は難しい顔をしたまま石畳の参道の隅――日陰になっているところを歩いて行く。
参道の突き当りには鳥居があり、そこをくぐると正面に何やら和風な建物と、御神牛という牛の銅像。
「延寿王院山門か。ここ、私邸なんだよ。太宰府天満宮の宮司さんの家」
ひえええ、と薫は目を丸くする。瑛太の祖父が二ノ宮神社の境内に住んでいることは知っているけれど、こういった大きな神社でもそうなのかと驚いたのだ。しかもこの家はかなり大きいし、少し覗いただけでも庭が凄い。
「太宰府天満宮の宮司は、菅原道真直系の子孫が代々世襲してるらしい。すごい話だよな」
「子孫!?」
薫が更に驚いているうちに瑛太はスタスタと先に進んでしまう。
左を見ると緑色の池とそこにかけられた鮮やかな朱の橋が見えた。
楠の木が地面に影を作っていて、焼き付けるような日差しから一瞬逃れることができる。池の畔には摂社か末社があり、気を取られるけれど、まずは本殿だろうと先に進んだ。
「この池は心字池と言って、かかっている橋は太鼓橋。手前から過去、現在、未来を表しているらしい。橋を渡りながらそれぞれ心の中を覗き込んで、心を清めてから参拝する。ちなみに、過去の橋を渡るときには後ろを振り返らない。現在の橋を渡るときは立ち止まらずに。それから未来の橋を渡るときにはつまずかないように渡りきるといいって言われてる。まぁ験担ぎだろうけど」
「へえ……」
なるほどと思いながら、橋の手前で心字池を覗き込んでいると、瑛太はすでに過去の橋を渡りきって、途中の小さな社に参拝している。
「今王社?」
薫が追いついて社について説明を求めるけれど、瑛太は無視。入れ違いで次の橋へと向かう。
「ちょっと、なんで置いてくわけ!」
急いで社に手を合わせ、追いかけていると、前から来た女子グループが、薫を見て囁きあった。だが、声は大きく薫の耳にも届いてしまう。
「あのイケメンの彼女かな。うらやましかぁ」
「観光みたいやし、ジンクス、知らないんやないん?」
「教えてあげたほうがいいんやない?」
「いや、でも彼氏んほう、めっちゃはよう歩きよったし、知っとると思うけど」
同じ日本語なのにわからない言葉があるのが不思議だ。
気がつくと瑛太は橋を渡りきって、向こう側で待っていた。
置いてけぼりをくらった薫はため息を付きつつ、立ち止まらないようにと素早く橋を渡る。
橋の途中の島には志賀社という社があった。素通りするわけにも行かず、手を合わせ、三つ目の未来の橋を躓かないように渡りきったところで、瑛太が待っていた。
思わず文句を言おうとするが、「早く」と急かされて遮られる。そのまま向かった手水舎は、巨大な一枚岩でできていた。
「参拝客が年間八百万人とか言うし、さすが、でかい」
瑛太がつぶやき、いつものように手と口を清める。じっと見てしまうのは、どうしても流れるような仕草が綺麗だからだけれど、毎回終わった後に薫を睨むのはなんとかして欲しいと思う。色々台無しだ。
「じろじろ見るなよ、薫もさっさとやれよ」
「だって、なんかきれいなんだよね。神事に関わってる時って、しゃんとしてるっていうか。背筋も伸びてるし」
彼の周りだけ空気まで清められている感じがする。それはやはり訓練の賜物なのだろうと思う。
「瑛太は、神職に向いてるよね」
素直な感想を言うと、
「……あ、そ」
瑛太は急に黙り込んでそっぽを向く。
そして楼門の方へと向かって歩いて行く。朱塗りの立派な楼門だ。
(あー……そうだ。ここって学問の神様だったよね。じゃあ、合格祈願しておきたいな)
思い出した薫は、先程の自分の発言にも触発されて、気になったことを問う。
「そういえば……瑛太って、将来の夢ってなんなの?」
幼いころの彼の夢は、おじいちゃんみたいな神主さんだったが、夢というのは変わっていく。薫だってケーキ屋さんなどと言っていたけれど、食べることのほうが好きだと気がついた頃には、夢は変わってしまっていた。
大学に入学してから考える、というような人も多い。薫の将来も、ただ、旅に関わりたいというような漠然とした願いがあるだけで、まだぼやけたままだ。
だからこそ掴み取れる未来は多い方がいいと思って、大学への進学を考えている。
「将来の夢……か」
瑛太は楼門の下、日陰になったところで急に立ち止まると、薫を見下ろした。
憂いを帯びた目。大人びた表情に、薫は思わず息を呑んだ。
「夢を叶えるってさ、一つだけを叶えるのであれば、実は結構簡単なのかもしれない。だけど叶えたときに、他の望みを失ってても、本当に後悔しないのか?」
瑛太は楼門の先、本殿を挑むように見つめる。
「『天神』は学業の神様で、この太宰府天満宮はその総本社とも呼べるところだ。『大学合格だけ』を祈るんなら、ここだろうな。だけど、大学合格の先に本当に自分の手に入れたいものがあるのかって言われると、俺は素直に頷けない。俺はものすごく強欲で――叶うならば、全部手に入れたい。そして欲の分だけ願いは重くなって、俺は、たぶん、行き先に辿り着く前に沈んでしまう」
薫は思い出す。カミサマがそのようなことを言っていたことを。
『願いは身の丈にあったものでなければならないのだ』
瑛太は「って、何言ってんだろ、俺」と目を伏せて大きくため息を吐いた。
「……今の、忘れてくれ。名前探しに集中したい」
瑛太は無理矢理のように笑うと、楼門をくぐっていく。
薫は少しの間呆然と立ち尽くす。
瑛太の願い事は、薫が思っているよりも遥かに難しいことなのかもしれない。
伏見稲荷大社で、神様に対して答えを出した時、瑛太はものすごく清々しい顔をしていた。あれで瑛太の願い事は叶い、彼が救われたような気になっていた。
けれど、神様を見つけたからといって彼の願いが叶ったわけではないのだ。
力になってあげたいと思う。だけど瑛太は悩み事を打ち明けてくれない。それがとても寂しかった。
(宇宙兄には、相談してるみたいなのになあ。わたしが頼りないんだろうな。よく言うもんね、姉貴面するなって)
鬱々としつつ、楼門をくぐると本殿の隣に青々とした樹木が植えてあるのが目に入った。
「あれが、飛梅。京から道真を慕って飛んできたっていう由縁のものだ。『東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ』」
ああ、と薫は頷く。菅原道真が読んだという、有名な歌だ。
「梅の花の時期は、大混雑だろうけど。この暑さじゃあ、さすがに人も少ないな」
瑛太はTシャツの胸元を掴むと、パタパタと風を送る。そして、ふと手を止め、本殿をじっと見つめる。
「……?」
「どうかした?」
「うん、やっぱり、ここは楽だなって」
「……天照大神と関わりが薄いから?」
瑛太は頷いた。
「だろうな。本殿に近づいても圧迫感がまったくない。ニュートラルに近いかも。伏見稲荷のときと似てる」
「じゃあやっぱり、天照大神になにか理由があるのかなあ」
「さあ……わかんねえけど……。ここまで来て考えてもしょうがないから、とにかく参拝する。なにかあるなら反応あるだろ」
「そうだね」
本殿は檜皮葺の雄大な社殿だった。
「たしか五間社流造っていうんだ。さっきあった鳥居は明神造」
「ほんと、よく知ってるね、さっきの宮司さんの話とかも」
「そんなの最初から知ってるわけない。この間ハルさんとこの社のつくりと一緒に調べただけ」
瑛太は大したことがないように言うけれど、薫は凄いと思う。知らないことは調べる。そして自分のものにしていく。堅実で好ましい力で、薫はそういうところが好きだ。もっと誇っていいのになと思う。
本殿の賽銭箱に賽銭を入れると、瑛太は居住まいを正す。ちなみに彼はいつも五十円玉を入れている。理由を問うと、無理なく気持ちよく出せる金額だからということらしい。
薫もならって五十円玉を入れる。
そして二拝二拍手。手を合わせ、いつもと同じように、瑛太が早く解放されるようにと願った。
最後に一拝して瑛太を見ると、やはり彼はまたまだ祈りの最中だった。凛とした横顔に見とれていると、彼が目をあける。一拝して下がると、小さくため息を吐いた。
「……なにも、変化なし。まぁ、予想通りって言えば予想通り」
「それにしてもカミサマ出てこないね」
先月の出現率は一体何だったのだろうと薫は顔をしかめる。人の祈りに反応するはずなのに、祈りが足りないのだろうか。
「もしかしてもう帰ってしまったとか?」
「いや……それもない……」
「え、いつ出てきた!?」
瑛太はあからさまに不快そうな顔をした。
「宇宙兄が言ってたけど、昨日の夜、俺、外に行こうとしてたらしい。夢遊病かと思ったって」
隣に寝てたのに気づかなかった! と薫は驚く。
「ほんと、アイツ、気まぐれすぎる――けど、やっぱり、ここは違う気がする」
瑛太は考え込む。だが、はっとしたように顔を上げて、薫を屋根の下に連れて行く。
「薫、とにかく日陰!」
確かにこの炎天下の中で考え込めば熱射病一直線だ。
濃い影を踏むと息が楽になる。ほんの僅かな違いだけれど、地面からの熱気がないぶん、全然いい。
水を飲むと人心地ついた。
「あ、ここ……」
薫は上に掲げられた案内を見てはっとする。
「あぁ」
瑛太も眉を上げた。
そこは御朱印の授与所だった。中には穏やかな表情をした男の人が一人いて、薫と目が合うとニコリと笑った。
薫は引き寄せられるように近づき、売られている御朱印帳を見て「これいただけますか!」と考えるより先に言っていた。
黒地に紫の梅が描かれた御朱印帳を見るなり、これがほしいと思ってしまった。
まっさらな御朱印帳を開くと「一枚目と二枚目は空けておきますので、お伊勢様の内宮と外宮で頂いてくださいね」と言われる。
「……伊勢……ですか」
鬼門の名に、思わず振り向くと後ろの瑛太は顔をしかめていた。それは最後に埋まるのではないかという予感がして仕方がなかった。
御朱印帳に書かれた御朱印はかなりの達筆だ。梅の朱印も相まって、アートめいている。見とれた薫はふと思い出す。
「あれ、瑛太は貰わないの?」
筥崎宮では率先してもらっていたというのに、なぜかここでは貰おうとしていない。
金欠だろうか。
だとしたら賽銭を奮発し過ぎではないだろうかと思っていると、瑛太は小さく首を横に振った。
「いや、あれは、ちょっと気になることがあったから貰っただけ」
「気になること?」
「あの男――……あ」
瑛太がある一点を見つめて固まる。
薫は不思議に思って瑛太の視線の先――本殿の方を見ると、そこには先程筥崎宮で会った御朱印男が熱心に何かを祈っていたのだった。




