消えた村
学院祭が終わってから数週間が経ち、王立学院はいつもの日常を取り戻していた。廊下を埋めていた飾りは片付けられ、《春包み》について話す生徒も少なくなり、シオンたちも授業と実技訓練を中心とした生活へ戻っている。
十四歳になってからは大きな事件もなく、シオン自身もこのまま穏やかな一年になるのではないかと思い始めていた。少なくとも、一度目の人生の記憶を必死に探り、誰かの死を防ぐ必要に迫られるような出来事は起きていない。
そんなある日の午後、三年生を集めた教室で、担当教師から課外実習について説明が行われた。
「今年から参加できる実習の一つに、冒険者ギルドとの合同課外活動があります。実際の依頼を経験するものですが、学院側とギルド側の双方が安全と判断した低難度の依頼しか扱いません」
教室がわずかにざわめいた。王立学院には騎士や魔法師を目指す生徒も多いため、実際の冒険者ギルドで依頼を受けられるという話に興味を示す者は多い。
教師は生徒たちの反応を待ってから、参加条件について説明を続けた。三年生の場合は学院側の許可が必要で、危険な魔物の討伐や未調査地域への進入は禁止される。依頼内容も採取、運搬、簡単な調査などに限定されるらしい。
「面白そうじゃないか!」
説明が終わった直後、ディランがシオンの肩を叩いた。予想通りと言うべきか、目を輝かせている。
「俺たちも参加しようぜ。実際の依頼なら、授業の実習より面白そうだ」
「ディランは討伐依頼を想像してるだろ。今の説明を聞いてた? 三年生は危険な依頼を受けられないって言ってたよ」
「採取でもいいさ。森に入れるなら十分だろ」
本人がそれで納得しているなら問題はない。シオン自身も、冒険者ギルドという言葉には少し興味を引かれていた。
一度目の人生で十八歳の時に家を出たシオンが、最初に選んだ仕事が冒険者だった。
もっとも、華々しい生活ではなかった。《無能》の自分に強力な魔法や剣技が使えるはずもなく、討伐依頼では仲間の足を引っ張らないことで精一杯だった。やがて自分の限界を理解し、採取や護衛、荷運びなどを中心に稼ぐようになった。
七年ほど続けた末に商会へ雇われたが、その頃に身につけた知識は今でも覚えている。
「俺は参加してもいいよ。セレナとノアは?」
「私も興味があります。学院の野外実習とは違うのでしょう?」
セレナが尋ねると、シオンは一瞬返答に迷った。十四歳の少年が実際の冒険者活動について詳しく語れば、それはそれで不自然だ。
「依頼を受けて報酬をもらうんだから、少し違うんじゃないかな。学院の実習より、自分たちで考えることは多そうだね」
「僕も参加するよ。冒険者ギルドがどうやって依頼と報酬を管理しているのか、一度見てみたかったんだ」
ノアの興味はやはり商売寄りだったが、四人とも参加するという結論は変わらなかった。
数日後、シオンたちは学院の引率教師と共に王都の冒険者ギルドを訪れた。
扉を開けた瞬間、シオンは懐かしい匂いを感じた。革製品と油、土埃、それに酒場から流れてくる料理の匂いが混ざっている。建物自体は一度目の人生で利用していた頃より新しいものの、雰囲気はほとんど変わらない。
「シオン、何を見てるんだ?」
ディランに尋ねられ、シオンは我に返った。無意識のうちに依頼掲示板や受付、素材買取所の位置まで確認していたらしい。
「いや、思ってたより人が多いなと思って」
「そうか? 俺はもっと多いと思ってたぞ」
ディランは疑うことなく先へ進んだが、後ろを歩いていたセレナだけはシオンを少し見つめていた。未来視について知っている彼女なら、何か察したのかもしれない。
受付では学院生向けに選ばれた依頼が用意されていた。薬草採取、近隣農場への荷物運搬、街道設備の確認など、確かに危険性の低い仕事ばかりである。
「薬草採取なんてどうだ? 森にも入れるぞ」
ディランが一枚の依頼書を手に取ると、ノアが横から内容を確認した。
「報酬は悪くないけど、採取量が多いね。四人ならできるだろうけど、せっかくならもう少し変わった依頼も見たいな」
「学院の実習なんだから、報酬で決める必要はないだろ」
「報酬も依頼を選ぶ基準の一つだよ。仕事として受けるなら重要でしょう?」
二人がいつもの調子で話し始めたため、シオンは別の依頼書へ目を向けた。
その中に、少し変わったものがあった。
討伐ではない。採取でもない。
王都から馬車で半日ほど離れた地域にある小さな村から出された、連絡確認の依頼だった。
「……リベル村?」
名前を読んだ瞬間、シオンの中で何かが引っかかった。
どこかで聞いたことがある。
依頼書には、リベル村との定期連絡が途絶えているため、街道の状況を確認してほしいと書かれていた。本来なら近隣の町から商人が月に何度か訪れるらしいが、最近になって村へ向かった者が途中で引き返しているという。
「どうしたんですか?」
セレナが隣へ来たため、シオンは依頼書を見せた。
「この村の名前、聞いたことがある気がするんだ」
「未来で、ですか?」
セレナは周囲に聞こえない声で尋ねた。シオンも小さく頷きながら、記憶を探る。
リベル村。
その名前を知ったのは、冒険者だった頃ではない。
もっと後だ。
商会で各地を回っていた頃か、小さな店を始めた後だったはずだ。
やがて、一つの記憶が浮かんだ。
「……温泉だ」
「温泉?」
「未来では、この辺りに小さな温泉街があったんだ。俺も一度だけ立ち寄ったことがある。でも、村の名前が同じだったかまでは……」
そこまで言って、シオンは黙った。
何かがおかしい。
未来で見た場所と現在の村が同じなら、少なくとも村そのものが消滅するような大災害は起きなかった可能性が高い。しかし依頼書には、商人たちが村まで辿り着けなくなったと書かれている。
シオンは受付職員へ依頼書を差し出した。
「すみません。この依頼なんですが、どうして連絡が途絶えたんですか?」
「それが分からないんですよ」
受付職員は困ったように眉を寄せた。
「最初は街道が崩れたのかと思われたんですが、途中までは普通に通れるそうです。ただ、リベル村へ向かう最後の分かれ道から先へ進んだ商人が、何度やっても同じ街道へ戻ってきてしまうらしくて」
「同じ街道へ?」
「本人たちは真っ直ぐ進んだと言っています。でも気づくと、村とは反対方向の街道へ出ている。今のところ怪我人はいませんが、原因が分からないので、確認依頼が出されたんです」
シオンは依頼書をもう一度見た。
低難度の調査依頼に分類されている理由は、誰も襲われていないからだろう。ただし、話を聞く限りでは普通の道迷いではなさそうだった。
「これ、学院生が受けてもいい依頼なんですか?」
「現地まで行って状況を確認するところまでです。異常があれば深入りせず戻る。それが条件ですね。学院の先生も同行するなら問題ありません」
シオンは仲間たちを見た。
ディランはすでに興味を示している。ノアも依頼書を読み込み、セレナはシオンの表情を確認していた。
「俺はこれがいいと思う」
「俺も賛成だ。道がおかしいだけなら、魔物と戦うわけでもないんだろ?」
ディランが即座に答え、ノアも少し考えてから頷いた。
「村との交易が止まっているなら、放置できない問題ではあるね。ただし、異常を見つけたらすぐ戻る。それは守ろう」
「私も賛成です」
最後にセレナが答えた。
こうして四人は、リベル村との連絡が途絶えた原因を確認する依頼を選んだ。
二日後、シオンたちは学院の引率教師とギルドから派遣された冒険者一人を加え、リベル村へ向かった。
最初の数時間は何も起こらなかった。
街道は整備されており、荷馬車も問題なく通れる。途中ですれ違った商人から話を聞いても、危険な魔物が増えたという情報はなかった。
昼過ぎ、一行は問題の分かれ道へ到着した。
古い道標には、確かに《リベル村》と刻まれている。
「ここから村までは徒歩で一時間程度です。馬車でも進めますが、念のためここから歩きましょう」
ギルドの冒険者がそう判断し、一行は馬車を残して村へ向かった。
森に挟まれた道だった。
しかし道幅は十分にあり、人が頻繁に利用していた痕跡も残っている。少なくとも、何年も放置された街道には見えない。
「普通の道だな」
ディランが周囲を見ながら呟いた。
「今のところはね。ただ、道を間違えそうな分岐もない」
シオンも周囲を確認する。
一度目の人生で冒険者をしていた頃、森で道を失った経験は何度もある。そのため太陽の位置や地面の傾斜、木々の特徴を無意識に確認する癖が残っていた。
道は間違いなく北東へ続いている。
途中に分岐もない。
ところが、一時間ほど歩いた頃だった。
「……待ってください」
セレナが足を止めた。
全員が振り返ると、彼女は道端の木を見つめている。
「この木、先ほども見ませんでしたか?」
「似た木なんていくらでもあるだろ?」
ディランが答えたが、セレナは首を横へ振った。
「枝の形ではありません。ここです」
彼女が指差した幹には、小さな傷があった。
ギルドの冒険者が出発時に付けた目印だった。
シオンは周囲を見回した。
いつの間にか、自分たちは同じ場所へ戻っていた。
「道はずっと真っ直ぐだったぞ」
ディランの表情から笑みが消えた。
「俺もそう思う」
シオンは地面へしゃがみ込み、足跡を確認した。自分たちのものと思われる跡が、確かに前方から続いている。
引率教師が即座に判断した。
「これ以上は進みません。一度戻り、ギルドへ報告します」
最初に決めた通りだった。
原因不明の異常を発見した時点で、学院生の実習範囲を超えている。
誰も反対しなかった。
ところが、来た道を戻り始めてから三十分ほど経ったところで、先頭を歩いていたギルドの冒険者が突然立ち止まった。
「……おかしい」
その声に全員の緊張が高まる。
シオンも前方を見た。
そこにあるはずの分かれ道が見えない。
代わりに、先ほどと同じ木が立っていた。
幹には、小さな傷が残っている。
「戻ることもできないのか?」
ノアが低い声で尋ねた。
ギルドの冒険者はすぐには答えなかった。
セレナは目を閉じ、周囲へ意識を集中させている。やがて彼女の表情が変わった。
「魔力があります」
シオンたちが彼女を見る。
「かなり薄いです。でも、森全体に広がっています。自然に漂っている魔力とは違います」
「魔法ってこと?」
「分かりません。ただ、何かが私たちの感覚に干渉している可能性があります」
セレナの言葉を聞きながら、シオンは未来の記憶を必死に探った。
リベル。
温泉。
森。
何かあったはずだ。
一度だけ泊まった小さな温泉宿で、店主から土地の昔話を聞いた記憶がある。
その時は酒を飲みながら聞き流していた。
だが、一つだけ奇妙な話があった。
「……消えた村」
シオンが呟くと、セレナが振り向いた。
「何か思い出したのですか?」
「まだ、はっきりしない。でも未来で、この土地について昔話を聞いたことがある」
記憶の奥に沈んでいた言葉が、少しずつ形を取り戻していく。
温泉街になる以前、この場所には小さな村があった。
ある日、その村は周囲から突然姿を消した。
住民が死んだわけではない。
建物が壊されたわけでもない。
ただ、誰も村へ辿り着けなくなった。
そして、しばらく経ったある日。
村は何事もなかったように戻ってきた。
「リベル村は消えてない」
シオンは立ち上がった。
「たぶん、今もこの森のどこかにある」
ディランが眉を寄せる。
「じゃあ、なんで俺たちは辿り着けないんだ?」
「それを思い出そうとしてる」
未来で聞いた昔話では、村が戻った理由まで語られていただろうか。
シオンは目を閉じた。
六十年の人生の中で、酒場や宿屋で聞いた話など数え切れない。そのほとんどは忘れている。
それでも、何かが引っかかっていた。
温泉宿の老人。
湯気の立つ杯。
笑いながら話していた昔話。
そして最後に、老人が口にした言葉。
――村を隠したのは、人じゃなかったらしい。
シオンは目を開けた。
「この先に、何かいる」
それが魔物なのか、精霊なのか、それとも別の何かなのかは分からない。
ただ一つだけ確かなことがある。
一度目の人生で聞いた昔話が正しいなら、リベル村の人々はまだ生きている。
そして今、自分たちはその昔話の真ん中に立っていた。




